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第19回「僕らが下田に越してきたわけ」

 今では日々、空き家バンク事業や移住推進事業をしている僕だが、僕自身、この下田に越してきたのは、17年前の春である。

 だから「移住してきた」ということになろうが、「移住」の持つ言葉のトーンは、どうも気に入らない。最近よく耳にするようになった「二拠点生活(居住)」や「多拠点生活(居住)」、「ノマドワーカー(生活)~通常のオフィス以外の様々な場所で仕事をスタイル」、「ワーケーション」、「テレワーク」も、正直言って、鼻白む。

 これらの言葉の裏側には、「定住生活」、「通勤生活」、「会社生活」という常識が横たわっており、こうした常識をひっくり返して、概念として、カッコいい言葉として、流通させようという、どこか姑息な試みや、自らの先進性を誇示する気持ちが隠されているように感じてしまうからである。

 こうした試み自体には、ネット社会の未来を感じないわけではないが、そもそも、人は、みんなが定住生活してもいないし、会社人間でもない。

 僕自身、先の言葉が言い触らされる以前から、多拠点生活であったし、ノマドワーカーだったし、テレワークであった。

 23歳で日本を飛び出た僕は、それから10年ほど、ほとんどの時間を海外で、旅しながら暮らした。

 ちょうど日本はバブルの絶頂期だったこともあり、京大卒のY君は、こんな事を言っていた。

「当時は、就職するやつ、バカなやつって、言ってませんでした?」

 どこも卒業してない僕は、そもそも就職することなど考えたこともなく、金がなくなり、しょうがないから働いたのが、就職体験となるが、一番長く持っても2年ほどである。

 ちなみにY君は、現在タイのバンコクで、世界的な会計事務所に在籍している。

 バブルの頃は、僕やY君だけでなく、ノマド的(遊牧民的)な暮らしをしつつ、世界中を遊び歩く連中が結構いた。

 自動車工場で期間工として働く(僕は2ヶ月で挫折)、宅配会社で働く(僕は1ヶ月のみ)、日雇い土工をして稼ぐ(僕は半年)、女性の場合は夜の仕事など、働き口はいくらでもあり、普通に月給が40万円を超えていた。

 だから半年も働くと、200万円近くも貯金ができた。

 インドなど、月に300ドルもあれば、十分だったので、タイで放蕩したところが、インドにしばらくいればいい。結果、1年や2年は、アジアから中東、アフリカ、ちょこっとヨーロッパに立ち寄って、北中南米、オセアニアとフラフラしていられたのである。

 今どきの真面目なノマド生活とは違い、こちらのほうが正真正銘のノマド生活のような気がする。

 そして誰もが、日本に帰ることを、「社会復帰」と呼んだ。

「社会復帰できるかなあ?」

 Y君を始め、多くの旅人が不安がった。そしてY君は、日本では社会復帰が果たせずに、タイのバンコクでかなったわけである。以来、海外を拠点に暮らすようになった者も多く、Y君も紛れもないタイ移住者だ。

 ただ、誰も「移住」などという肩肘張った物言いはしない。

 その町が、その国が気に入って、「越した」だけなのである。

 つまり人類が、好きなところで暮らせる時代になったのだ。難民の人たちでも、自らの好む国で暮らす権利が認められている。

 僕はこれまで世界85カ国、2500以上の町を旅してきた。

 作家としてデビューしてからは、年に数ヶ月間は、海外にでかけていっては、作品を書き、出版してきた。

 拠点は東京である。しかし東京ぐらしそのものに、飽きてきていた。

 もっとのびのび暮らせないものか。東京のアパートには、暇を持て余す旅人上がりの悪友たちが、昼と夜と問わずに遊び来ては、勝手にテレビを観たりしている。もう少し、真剣に小説に取り組みたかった。そのためには、孤独が必要だったのだ。さらに、付き合っていたK子とも、一緒に暮らしたいねと話し始めていた。

 そんな時、僕の頭に持ち上がったのが、伊豆の下田だ。夏に悪友たちと遊びに行った時、気に入った物件を見つけていた。海はまるでタイのリゾート島のように美しく、山はバリのウブドゥのように森が鬱蒼としている。ジャングルである。

 伊豆南部が桃源郷だという噂を聞いたのは、1990年、インドは高原のリゾート、ダラムサラという町である。この町にはチベット亡命政府があり、ダライラマ法王が在住している。外国人旅行者も多く、「日本にも素晴らしいところがある。IZUだよ」とフランス人に聞かされたのである。

 その後、東京に居を移してから、夏になると下田など伊豆南部に行くようになっていた。

 そして2003年のバレンタインデーの日、K子と下田を訪れると、夏に空き家だった家が、まだ空き家で出ていた。

 森の中に位置する家には、広いベランダがあり、庭にはたわわに夏みかんが実っている。海までも歩いて10分程度だ。

 K子が言った。

「ここなら毎日、夏みかんが食べられるね!」

 気に入る家が見つかった!

 それが下田に越してきた、最大の理由かもしれない。

 そして僕たちは、16年間暮らしてきたのであるが……。(次号に続く)

 

 


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