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平和とは…ひとりひとりの命がたいせつにされること(15年前の娘の作文)

8月。
「平和」についてよく考える。
「命」に想いをはせることも多い。
そんな時いつも、8月生まれの娘が書いた作文を読み返す。
大切な命が、輝いていることに感謝しながら。
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折鶴に想う~「命」
「戦争をしない、核兵器を持たない。」
世界が平和になるために、どうすれば良いのだろうか、そう聞かれた時、大抵の人がこう答えるだろう。わたしも、その、大抵の人のうちの一人だった。この旅行に行くまでは。
 今年(※2005年)の夏、わたしたち家族は、広島へ行った。広島に原子爆弾が投下されて六十年経った。わたしは、もちろん、広島県民でもなければ、その頃に生きていたわけでもない。
だから、原爆ドームや、その頃の広島市の様子、被害の実態など、ほとんど知らなかった。むしろ、想像さえ、真実と比べれば遥かに軽いものだった。本当の被害の様子を知った時は、その隔たりに驚いた。
 原爆ドームはどろどろに溶けていた。8月の平和祈念資料館の中は混雑していて、全てを見ることはできなかったが、あまりの悲惨な状況に、心は重くなるばかりだった。
 そんな中で、わたしは一人の女の子が折った折り鶴に心を打たれた。
 その女の子の名は、佐々木禎子さん。
二歳で被爆し、十年後、原爆後の障害により白血病に倒れた。その後は、回復を祈り、鶴を折り続けたが、願いも叶わぬまま、12歳8ヶ月の短い生涯を閉じた。資料館には、禎子さんが折った鶴が、一つのコーナーとなっている。
 わたしは、この資料館のある広島平和祈念公園には、たくさんの折り鶴が飾られていることに気づいた。千羽鶴の塔の別名を持つ、原爆の子の像。その周りには、何千、何万羽もの折り鶴がかざられていた。広島県民以外でも、日本全国、そして、世界中の人々が、美しい折り鶴を手向けているのだ。
 被爆し、白血病になり、禎子さんは、どんな気持ちで入院生活を送っていたのだろう。突然髪が大量に抜け落ちたり、立ち上がれなくなったり、まだ幼いのに、辛い日々が続いていただろう。苦しくてたまらない日々、どんな思いで小さな鶴を折り続けていたのだろう。
 わたしは以前、病に苦しむ祖父に、鶴を折り続けたことを思い出した。早く治って欲しいな、また遊びたいな、小さいながらもそんなことを思いながら折っていた。きっと禎子さんも治るということだけを信じていたのだろう。4ヶ月後の誕生日を楽しみにしながら。そんな禎子さんを思うと胸が苦しくなる。
 13歳の誕生日を、禎子さんは迎えることができなかった。
 わたしは、広島から帰った直後に、13歳になった。禎子さんが生きられなかった誕生日までの4ヶ月。わたしは、誕生日は当然迎えられるものだと思っていた。毎年、母や父が、わたしの誕生について話してくれる。今年もそうだった。
「13年前の今は、わたし、まだ生まれてないね。」
「そうだね。今頃は、陣痛が始まったかな。」
 笑ったり、懐かしんだりしながら、生まれた時のようすを、たくさん話す。それが誕生日だった。まさか、家族で話せることが、生まれた時のことを話せることが、こんなに幸せなことだとは思わなかった。
 一つの生命がこの地球に誕生した時に、たくさんの人が喜んでくれて、たくさんの愛に包まれて、生き続ける。それが一番、幸せなこと。もしその愛をもらえなくなる時が来たら、それが一番、辛いこと。
 禎子さんが亡くなったことは、禎子さん自身の責任ではない。家族の責任でもない。それなのに、家族の平和は途切れてしまった。
 平和って何?わたしは、もう一度自分に問いかけた。答えが出ない。平和が何か、わたしたちに何ができるのか、分からなかった。
 そんな時、あるテレビ番組に、生き残った特攻隊の男性が出ていた。そして、こんな質問を受けていた。
「あなたにとって、平和とは、何ですか。」
男性は、こう答えた。
「命が大切にされる、ということですね。」 
この言葉は、わたしの心を大きく揺り動かした。
そう、平和な国とは、戦争がない国や、核兵器がない国ではないし、金銭的に豊かな国でもないのだ。もしそんなものが平和だったら、日本は申し分なく平和だ。しかし、そんなことではない。生まれた命が、ずっと守られて育つ。どんな人にも、大切にされる、それが平和だ。そして、その、本当の平和を、わたしは今まで知らなかった。
  この旅行で、平和というものを学んだわたしは、友達へのお土産に、折り鶴をデザインしたものを選んだ。折り鶴は、平和の象徴であると思ったのだ。わたしは、みんなに、平和というものを知ってもらいたい。一人一人の命が、何より大切であることを、伝えたい。
 日本も、そしてこの広い地球も、今は、戦争や、核兵器の廃絶ばかりに必死で、平和への道は、まだ遠い。もしも六十四億の人々が全ての命を大切にできたなら、きっと、平和はもう、すぐ近くに、目の前に見えるだろう。
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当時まだ中学校1年生だった娘が願った平和の姿。
ひとりひとりの命が大切にされること。
ただそのことだけを・・・いつも、すべての人々が、ずっと忘れずに生きていけたら、と・・・強く思わずにはいられない。
15年を経た今
娘は、三島のフリースクールのスタッフとして働いている。
迷いながら
悩みながら
自分の本当の心と向き合い続けてきたからこそ
出会うことのできた今の職場。
自分の道を切り拓いていく娘の「いのち」を、これからもずっと見守っていきたい。

※画像は佐治妙心さんの作品です。(チャリティーイベントで購入しました)

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