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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」38


第八章    宿敵


二、
 
一三五三年 正平八年、針摺原(はりすりばる)において武光は北朝軍である一色勢と戦うことになる。
菊池一族は少弐頼尚の申し出を受け入れ、すでに共闘戦線を張っている。いくつもの合戦を繰り返し、北朝側一色勢としのぎを削ってきていた。
今回再び少弐からの支援依頼が届けられたのは、それより前に武澄に率いられた菊池軍が肥前攻略に失敗して菊池に逃げ帰ったやさきだった。
筑後にあった武光は少弐頼尚からの救援要請に応じて軍を返した。
少弐軍三千は探題の地位を回復した一色軍二万五千に圧倒されて古浦城に逃げ込んでいる。武光は大宰府への退路も断たれて孤立した少弐軍の救援に向かった。
一月下旬、二十六歳になっている武光は三千騎を率いて筑後国府の溝口城を進発し、大友氏一族の田原貞弘が五千の大軍でこれを待ち受ける針摺原に進んでいく。
二十三歳となった懐良親王が一千の兵を率いて先鋒に立ち、武光や武澄以下、城隆顕、赤星武貫たち征西府主力軍が続いた。恵良惟澄の軍も他の諸族と共に参戦している。
それでも戦力は一式探題軍の半分の戦力しかなかった。
双方間合いを図りながら立ち位置を取り合い、結果、大宰府南方にある山口村が世にいう針摺原合戦の舞台となった。
小雪の舞う寒々しい草原においてすさまじいいくさが展開された。
懐良親王が経験を重ね、いくさ慣れして見事な采配を振るった。
懐良を見守りながら武光はやはりはらはらしていた。
勇敢な指揮官となった懐良だったが、武光にとってはいつまでも庇い守り通さねばならぬ大事な人なのだった。だが、それは立場上、胸に秘めた思いで、武光は誰にも明かすことなく隠し通している。そしてただ祈るような思いで見守った。
気力実力充実しきった菊池軍は城隆顕の立てた戦術を武光が縦横に用いて戦い、結果圧勝した。このいくさでは騎馬隊、槍部隊、弓矢部隊と雑兵たちが組織され、城隆顕の立てた戦術で使いこなされ、圧倒的な強さを見せつけた。
さらに武光の号令一下、潰走する敵を追って掃討作戦まで展開し、完膚なきまでの勝利を得た。掃討戦においては城隆顕を先鋒に騎馬隊が追跡、敗走する一色軍を追い散らした。
 
古浦城へ入場する武光軍を少弐の兵が歓呼の声で迎えた。
少弐頼尚(しょうによりひさ)が駆けだしてきて、武光の馬前に跪(ひざまず)いた。
「武光殿!ようお助けくださった、感謝のほかはない、この通りじゃ!」
武光はじっと頼尚を見つめた。複雑な思いが腹の中に渦巻いている。
ひたすらに喜色を浮かべて振り仰ぐ痩せた男に嫌悪感を感じた。
脳裏には博多の夜の炎を背にした悪魔、少弐貞経の狂笑が浮かんでいる。
武光は唾棄(だき)したい思いをこらえた。
その夜、勝利の宴(うたげ)が小城の広間で催された。
城の庭でも城外の至る所でも兵たちが飲んで騒いでいる。
親王は城外の陣営に引き取り、中院義定や五条頼本、頼氏たちと既に休んでおり、菊池一族の武将たちが少弐側に歓待されて酌を受けた。
口ひげを尖らせ、萌黄(もえぎ)色の絹の狩衣姿の頼尚が如才なく皆に酒を注いで回る。
「ささあ、ぐっとお空け下され、ぐっと」
圧倒的勢力の菊池軍に、ある意味古浦城は取り巻かれて、菊池の意思一つで少弐軍はせん滅させられてもおかしくない状況だ。だが、そのただ中で、少弐頼尚は一向頓着せず、浮かれ切っている。武光にはその神経は理解の外だった。
少弐頼尚はそのまま武光から膝で下がり、手をついて頭を下げた。
そこへ配下が何やら書面をもって駆け寄り、受け取った頼尚は恭しく武光に差し出した。
武光以下、菊池の幹部たちが怪訝に見やると、頼尚が大声で読み始めた。
「起請文!今より後、少弐の子孫七代に至るまで、菊池氏には弓を引き、矢を放つことはあるべからず!ここに熊野牛王の神仏にかけてお誓いいたす!さあ、武光殿、お受けくだされ、ここに血印も押してござる、少弐は菊池一族に永代忠誠をお誓い申すぞ!」
熊野牛王宝印の裏に血書した起請文(誓約書)だった。
起請文を見やって、武光は笑顔を頼尚に向けた。
「確かにお受けいたした、頼尚殿、向後さらに助け合ってまいろうぞ」
武光が頼尚の手を取り、頼尚は感激の涙を流して喜んだ。
 
宴は深夜を回ってようやくお開きとなり、武光たちは城外の陣営に引き取った。
少弐頼尚はしたたかに酩酊し、城の奥の間に入って敷かれた布団に倒れこむと、戦地に伴ってきている遊び女たちが数人取りすがってきた。
酔いに任せてその女たちを相手に痴態を演じ始めた頼尚(よりひさ)だった。
危機が去って久しぶりに気が晴れ、欲望を放って楽しんだ。
そして素裸のまま女どもと入り乱れて大いびきをかいて眠った。
そこには自分が菊池に討たれるのではないか、寝首を掻かれるのではないかという懸念の様子がみじんもない。
今の頼尚には父が菊池武時を裏切って殺したことも、その父貞経を菊池武敏に討たれたことも念頭にはなかった。必要があれば裏切り、必要があればおもねり、必要があれば相手といくさをする。それらの行為はすべて一族の必然に従っているだけのことなのだった。
負い目は感じていない。無神経の強さだろう。
そもそも少弐一族は筑前、豊前、肥前、壱岐、対馬を領地とした太宰少弐(だざいしょうに)という大宰府官の長官職にあった。他の豪族とは比較にならない高い格式の家で、頼尚はその六代目の当主であった。
少弐氏は九州下向以前は武藤が姓だった。
おそらく鎌倉幕府の命により下向したのであろうが、詳しいことは分かっていないらしい。武藤氏の九州での官職が少弐であり、やがて少弐を姓として名乗るようになった。
鎌倉幕府の元で鎮西奉行の一人として登用されたりした後、鎮西奉行の統括者となり、少弐の役職と共に北九州に大きな勢力を築いた。
ところが鎌倉も後期になると、北条一門が主要な役職を牛耳るようになり、少弐氏は筑前、壱岐、対馬を領するのみに押し込められてしまい、この物語の冒頭にあるように、博多の北条探題に敵対したりして旧勢力回復を狙うようになった。
鎮西探題が設置されて少弐氏の権限は大きく北条一門に制約されてしまっていた。
少弐氏にとって北朝か南朝かは大きな問題ではない。
冒頭の博多合戦の時、探題を憎んでいたにもかかわらず、簡単に菊池一族を裏切り、直後に今度は探題館の北条氏を打つ側に回ったことはその瞬間瞬間の必然性からで、少弐一族の論理からすれば恥ずべき点など一ミリもないのだ。菊池に起請文を書いたのも、救ってくれた菊池を喜ばせたい一心からであり、先のことなど毛先ほども考えてはない。
当時の新興武士団、土豪たちの間でその感覚は珍しいものではなかった。
欲しいものは獲る、邪魔なものは倒す、必要があれば手を結ぶ。
それが武士という新しい生き方だった。
頼尚のいびきが一段と高くなった。
 
その夜、武光が悪夢にうなされた。
陣幕の中で休んでいた武光だったが悪夢はしつこく武光を苛み、武光は大きな悲鳴を上げた。悲鳴を聞きつけた城隆顕が飛び込んできた。
「武光様、どぎゃんされましたか⁉」
浅い睡眠の中、恐怖と憎悪の情念に支配され、精神状態の均衡を失って、武光は跳ね起き、太刀に手を伸ばした。とっさにその手を抑えて抜かせない城隆顕。
「お目を覚まされませ!」
城隆顕に気が付き、武光は狂気を吐き出した。
「少弐貞経を殺すばいた!今から出陣じゃ!城隆顕、兵を呼集せよ!」
「少弐貞経ですと⁉少弐貞経はとっくに死んでおり申す、お気を確かに!」
錯乱していた武光が次第に夢から覚めて現実を認識し始めた。
「ここは!」
「古浦城前の陣中でござる、夢を見なったようじゃ、水をお持ちしましょう」
立ち去ろうとした城隆顕の手を武光が掴んだ。
振り返った城隆顕は恐怖に歪んだ武光の顔を見た。
「恐ろしか、…あの夜の少弐貞経が、…親父殿を殺したのはあの悪魔じゃ、あの悪魔は死んではおらぬ、今もおるのじゃ、ここらあたりに」
怯えた目で周囲を見やって体を震わせた。
城隆顕は武光の意外な一面を見て戸惑っていた。
「…いつか菊池は滅ぼされる、…あの悪魔めに、…じゃで殺さねばならぬ、やられる前にじゃ、城隆顕、少弐を討とう、たった今、今夜!」
「…なりませぬ、…棟梁は今正気ではござりませぬ、…目を覚まされますように」
正面から見据えられて、武光もやっと気持ちを落ち着けることができた。
がっくりと寝台の上に腰を下ろし、辛うじて落ち着きを取り戻した。
かかっていた手ぬぐいを取り、武光の汗をぬぐってやる城隆顕だった。
「…おいは憎いのじゃ、…あの日、裏切って父を死に追いやったのは頼尚の父少弐貞経じゃが、…頼尚、…こやつの性根もおよそ知れておる、…あ奴はきっと裏切る、…その前に殺してやる、…今夜ではないにせよ、…機を待ってのう」
「…そいは菊池の棟梁のなすべき判断ではござらぬな」
なに、と武光は城隆顕を見やった。
「…棟梁、…そいはおまんのわたくしでござろうよ、…恨みと、おそれじゃ、…その思いのために戦うなら、そいは菊池のためのいくさではなか、…私闘でござる」
まだ精神が高ぶっているのか、武光が城隆顕に怒りの眼差しを向けた。
城隆顕はそのまなざしを跳ね返すように見つめた。
「裏切り裏切られるのは世の常、少弐も何かを守ろうとしての裏切りでござろう、恨むは筋違い、…我らの戦いはどこまでも所領安堵、武士として、また皇統統一という征西府の正義の為でなければなりますまい、…筋目に歪みがあれば、いずれ全軍の運命にもかかってき申すぞ」
「城隆顕、棟梁のわしに指図口か⁉」
逆上して城隆顕の胸ぐらをつかむが、自ら煩悶する武光だった。
城隆顕を突き放し、頭を抱えた。
「…そうありたい、…ありたいが親父殿がわしの耳元で囁く、仇を取れとな」
頭を抱えたまま、武光が泣いている。
整理のつかない情念に支配されて、それが武光の生きざまに影響している。
菊池武光の暗黒面を初めて見た気がした城隆顕だった。
 


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
 

〇五条頼元
清原氏の出で、代々儒学を持って朝廷に出仕した。懐良親王の侍従として京を発ち、親王を薫陶し育て上げる。九州で親王、武光の補佐をして征西府発展の為に生涯を尽くす。
 
〇五条頼氏
頼元の息子。
 
〇中院義定(なかのいんよしさだ)、持房親子
公卿武士、侍従。
 
〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。
 
〇赤星武貫(あかぼしたけつら)
赤星の庄の棟梁。菊池一族の重臣で、初めは武光に反感を持つが、後には尊崇し、一身をささげて共に戦う。野卑だが純情な肥後もっこす。

〇緒方太郎太夫(おがたたろうだゆう)
幼名は太郎。武光の郎党。長じては腹心の部下、親友として生涯を仕える。
 


 

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