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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」52


第一〇章   豪雨災害


四、
 
博多は武光にとってかつては悪夢の町だった。
苦い記憶に苛まれてきた。炎に包まれた戦火の町。武時が挟み撃ちにあって猛り狂った。
それでも北条鎮西探題に討ち入っていき、それを見やりながら少弐貞経が悪魔のように笑った。武光は金吾、太郎と逃げた。逃げまどって西福寺へたどり着いた。
あの日から武光は戦いの人生に駆け込んでいった。
それから長い年月をいくさ場で過ごしてきた。
そして今、菊池から帰った足で息子武政や郎党を従えて歩いている。ここはもはや悪夢に出てくる博多ではない。今は克服し、当たり前の目で見られるようになっている。今の武光には博多は巨大な資金源であり、夢への重要な足がかりの地だった。湊(みなと)には巨大商船が出入りし、高瀬とは比べ物にならない活気に満ち満ちている。
人種のるつぼと言ってもいいエキゾチックさで、日本語に交じって様々な異国言語が飛び交った。そこには合法な商人や水手、舵取りたちだけでなく、海賊衆も紛れている。
かつて後鳥羽天皇は「海陸盗賊放火、搦め進むべきこと」と宣旨を出して治安の安定を目指したが、海は治外法権であり、強奪から船舶警護まで、あらゆる稼ぎ方が横行して、自由の天地だった。その自由が博多では爆発している。
武光は武政と共に菊池海軍の現状を視察した。
「海軍も物入りじゃわい」
征西府は自前の海軍を擁するまでになっている。
六〇艘の艦船を建造し、二五〇〇人の海軍衆を養い、いくさに備えると共に宋一族の海商貿易船を守って護送船団としたりしている。博多の豪商宋一族の後ろ盾があって実現したものだ。そのいくさ船が博多沖で操船訓練に明け暮れている。
「当面現状を続けるしかあるまい、資金のこつはほかの事情と合わせて、そのうち足りぬとか間に合うとかはっきりしよう、それから考えればよかかのう、武政」
そう振られて武政はいらだった。
「軍費を惜しんで敵に対抗はできもはぬ、年貢を猶予するなぞ、およそ一軍の長のとるべき裁断ではござらぬ、あれは尾を引きもうそうよ、親父様、おいの考えでは!」
「分かった分かった、もうよか」
武光は苦笑し、一言で武政の言葉を終わらせた。
 
その足で武光と武政は宋屋敷の異国風の客間に派手な衣装の明美を訪ねた。
「おかげで我が海軍は順調に育ちおる、明美殿のおかげじゃ」
「武光様の先を見通す慧眼(けいがん)があればこそ、お久しゅうござりまする」
今は三十四歳の中年増となった明美は先年亡くなった父の宋英顕に代わり、その事業を後継している。宋長者の廻船事業はすでに高瀬経由菊池への定期航路を開き、元や高麗への交易事業で菊池と組んで船団を派遣もしていた。
「諸神社、寺の主催する貿易船のみならず、征西府の貿易船の利権と利益は膨大なものでござろう、裏での海賊船団経営からも莫大な利益が出ておられるご様子、お慶び申し上げます、その上我ら征西府に多額の御支援を、ありがたきことで、親父ともどもいつも感謝の念に堪えぬと話おうてござります」
武政のあいさつは如才がないが、それが武光には気に入らない。
裏では菊池一族とともに小代氏を使って海賊行為を行ってもおり、貿易船では莫大な利益を上げたが、トラブルは引きも切らず発生して、明美は毎度あらゆる手を尽くしてその解決に奔走し、結果、見事に商船事業を成功させてきている。
その度胸と勝負勘の良さは先代以上と評判をとり、宋長者の名は博多に鳴り響いている。
菊池一族はこの宋長者を使い、木材や農産物、刀剣の軍需物資を輸出し、反対にあらゆる富を輸入した。その販売も宋長者が配下の商人たちと受け持ってくれている。
菊池にはしたたかな稼ぎの果報がもたらされている。
「とはいえ、なんぼ稼いでもその金はすべて軍費に消えるばいた、残った金も菊池都の整備についえた借財の返済に充てるしかなか、菊池は表面上華やかに栄えてはおるもの、内実は常に火の車じゃわい」
と、武光が自嘲して笑った。
武光の任務は太宰府進出後は、実のところ征西府と菊池一族の経済を回すことに一番大きな比重が割かれている。そして今回、追い打ちをかけるように豪雨災害の被害が出た。
当面民を助けるために、おびただしい費用が掛かることになってしまった。
「毎度すまぬ、明美殿、向後三年分の菊池の利益を先払いでお頼みしたか」
武光が床についた手を取って持ち上げ、明美が気持ちよく笑顔を見せた。
「他人行儀はおよしなされませ、災害の話は聞き及んでおりまする、わが宗家は菊池様と一蓮托生、振るべき袖は十分振るわせてもらいますよ、ただし」
十分な利息をつけて貸金とする、という条件を明美はつけた。
その利息の割合の高さに武光も武政もたじたじとなったが、その代わり一気に金を出すきっぷの良さにはいつも助けられており、武光はあえて値切らなかった。
「感謝いたす」
「嬉しい、じゃあ、私の思いついた次の事業計画、聞いてくださる?」
明美は武光に恩を売りながら、同時に組んで稼げる次の手を模索しようと相談を持ち掛けてくる。たっぷり儲ける場合もあるが損も出る、だが、困ったときの相身互いはあらたなビジネスを生むと笑う。武光は苦笑した。
「おう、どんどん計画してくれ、明美殿、我ら征西府が伸び行く限り、商いのネタは次々生まれてくるわい、宋長者が稼いで太るなら、我ら征西府も勝ち進める、我らは車の両輪よ」
常に前向きに明るくいようとする武光を見て、明美が苦笑した。
「…ご苦労なさいますな、武光様は」
「あ?」
「裏の苦労は一身に背負われて、…牧の宮様をお担ぎになる、…これからどうなさいます?…明美に真の狙いを打ち明けられませぬか?」
「はて、真の狙いじゃと?」
明美がいたずらっぽく笑って高粱の酒を口に運ぶ。
「九州を統括されて、あとは中央、京の都へ攻め上られまするのか、…それとも?」
この点でも明美の鋭さに、武光はたじたじとなる。それは今まさに武光に突き付けられた命題で、この数か月、そればかりを考え詰めてきたが、結局牧の宮の望みに押され、東征を数か月後と決めたばかり。そしてその計画に今一つ乗り切れていないのだ。
武光はふと、勘のいいこの国際的事業主の意見を聞いてみたくなった。
博多からアジアへの睨みを利かせ、裏では海賊を操り、本州のあり様にも通じている。
商売の観点からすべてをシビアにみるこの豪商の目を借りて、武光は己の構想について洗いなおしてみたくなったのだった。
「明美殿は、…征西府の行く末について、どの方向性に未来が開けると思われるか?」
ふふふと笑って明美は武光の顔を覗き込むように見やった。
「…お侍に私どものような卑しい商人の意見など、…うかつなことを申し上げてお怒りを買うのは商いに響きましょうゆえ、控えとうござりますね」
「もったいをつけなさるな、…真の狙いを問われたではないか」
「…真の狙いにつながる問いなのですね?」
「ああ、…商いにそのまま響こうゆえ、あえて明美殿のお考えを伺いたか、…宋長者殿としては、いかな未来へ進む征西府と付き合いたいと思われるのか、じゃよ、…むろん、こいは世間話じゃ、どがいな意見を聞かされようと、参考にはするが、判断はおいがする、…こう伺えばよかかな、…征西府は京に進みゆくがよかか、…あるいはこの九州に後小松帝をお招きし」
「後小松帝を⁉」
と、武政が驚きの声を上げた。
「ああ、その上で南朝の拠点をこの大宰府に置き、世界を相手に交易し、十分な資力を固め、いずれ新たなる王朝となす、…征西府転じて九州王朝よ」
この言葉には武政が驚いた。後小松帝を招いての九州王朝とは初耳だった。
明美がじっと武光を見つめ、あきれたように言う。
「…途方もないお考えを」
といった傍から、目を輝かせた。
「面白うございます!明美は乗りますよ、ねえ、武政さま」
明美が興奮した様子を見せたが、武政は戸惑った。
「そ、そげなこつ、まことに実現できましょうや?」
武光がにやりと笑った。
「実現か、…さてのう、おいが正気か否か、実はおいにも判断が付きかねる、それで明美殿に意見を求めたのよ」
「…わたしは九州王朝という響き、好き」
明美が怪しく目を輝かせて膝を進めてきた。
「ほう」
「楽しそう」
「そうか」
「武光様」
「うん」
「おいきなされませ、真に望まれる道を」
明美はまざまざと脳裏にビジョンを描き、少女のように興奮を募らせて武光を見つめた。
それが嬉しかったが、武光は苦笑して思案顔を見せる。
「…明美殿の御意見は心強い、…おのれ一人の料簡で事が運べるものなら直ちに動くのじゃが、…あのお方が乗って下されるかどうか、…難しいわい」
ため息が出た。
 
武政を先に返し、大宰府の御所に武光は一人で伺候し、親王に言いにくいことを申し出た。
懐良の失望を思うと言い出せず、長く逡巡し、ついに口を開いた。
「こたびの東征、見送りとさせて頂きたく」
折から食事中であった懐良は明らかな不快の念を見せた。
やえが付き人となって食事の世話をしていたが、懐良に注ごうとした酒を止めた。
同席して会食する中院持房(なかのいんもちふさ)、池尻胤房(いけじりたねふさ)、坊門資世(ぼうもんすけちか)たち取り巻きの公卿がはっと息をのんだ。
「なぜじゃ?」
「先頃の豪雨災害は菊池に多大な被害をもたらしておりまする、有り金をその救済に拠出いたしとうござります」
頭を下げ、申し訳もなし、さりながら、と武光は言った。
「南北朝統一は必ず成し遂げて見せまする、…ただ、その道筋を正しく見出すべきかと存念し、考えおり申す、…お時間を頂きとうござります」
親王の目に険しい怒りが浮かんだ。
「いつまで待てばよいのじゃ、こうしている間にも攻め立てられて生きた心地せぬ今上陛下、兄上の御心はどう安んじ奉ればよいのか!?頼元との約束は⁉」
武光はさらに平伏し、懐良はさらにいらだった。
やえの目がそんな武光を盗み見た。
「いつじゃ、武光、答えよ!わしはもう三十年近くもこの九州で右往左往しておるのじゃぞ、
頼元は死んだ、中院義定(なかのいんよしさだ)も老いた、わしはこの体じゃ!」
動かぬ腕を精一杯挙げて見せつけた。
「いつ都へ入れるのじゃ!?答えよ、武光、いつじゃ!?」
「宮様、以前申し上げましたな、後小松帝にご遷座(せんざ・天皇が居場所を移すこと)頂くこと、この九州大宰府に南朝の拠点を移し、九州王朝となすこと、との身共のはかりごと、無理な東征をするよりはずっと」
その瞬間、懐良は思わず杯を武光の顔に叩きつけた。
居合わせた一同が身を強張らせた。
「時間稼ぎの戯言(ざれごと)は聞きとうない!」
武光の眉間が切れ、血が流れ、懐良ははっと強張った。
武光を辱(はずかし)めようという気はなかったのだが、それで懐良の何かが弾けた。
ここ数年こらえてきた本音がほとばしり出た。
「お前たち九州の武士は皇統統一に本気でない、頼元が心配した通りじゃ、お前たちの考えることは所領安堵、報奨のたか、それしかあるまい!真実一切を賭けて東征する気なぞないのじゃ、身勝手な欲の為にわしに頭を下げるだけ、都合が悪くなればわしを裏切るのじゃ、それに相違あるまい、武光!」
武光もさすがに憤怒に顔を紅潮させた。
懐良を想い、その望みのためにすべてを賭けてきた。だからこそ今東征を焦ってほしくないという思案をなぜ分かってくれないのか。切ない怒りがこみあげてくる。
「おそれながら」
「言え!申してみよ!」
目線だけは合わせずに、武光は声を抑えた。怒鳴り声にならないようにだ。
「それでは宮様には九州の民への真の思いがありまするか?…阿蘇大宮司家に受け入れられず、…行きどころなく我が菊池へ入られた、…その菊池の民がお支え申してこその征西府であった、…その菊池の民を生き殺しにして東征し、皇統統一を果たされた時、我が菊池の民はそれを心からお喜び申し上げられましょうや⁉」
結局武光は眼を上げた。
互いの感情のもつれが爆発し、激しくにらみ合う二人だった。
今は従者となって、親王の苦しみを見て胸を痛めるやえが身を固くする。
そのやえは密やかな憎しみのまなざしで武光を見やった。
 
 


《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。
 
〇中院持房
公卿武士、侍従。
 
〇池尻胤房、坊門資世
侍従たち。
 
〇宗明美(あそうあけみ)
対馬宗一族の別れで海商となり博多の豪商長者となった宗家の跡継ぎ。
奔放な性格で懐良親王と愛し合い、子供を産む。
表向きの海外貿易、裏面の海賊行為で武光に協力する。
 
〇菊池武政
武光の息子。武光の後を受けて菊池の指導者となる。
 
〇やえ
流人から野伏せりになった一家の娘。大保原の戦いに巻き込まれ、懐良親王を救ったことから従者に取り上げられ、一身に親王を信奉、その度が過ぎて親王と武光の葛藤を見て勘違いし、武光を狙う。
 


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