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家は買うのと借りるのとどちらがよいの? への単純な考え

ベッドの中でうつらうつらしていたら、携帯が鳴った。何事かと思ったら、古い友人からで、「住んでいるマンションが築古なので買い替えを考えている」らしく、私がずっと住んでいた街の住み心地はどうか? という相談じゃった。

還暦を過ぎ、そろそろエンディングストーリーの草稿に入る年齢になって、自分が後期高齢者になる頃に、中古で購入したマンションが築50年を超えていくことに気づく。不動産相場が上がっているから、マンションは売れるかもしれないが、買おうとする物件も上がっている。
いろいろ悩ましい。


そんな話をしながら、ふと
タイトルにあるようなことを考えてた。


私が前のマンションを買ったのは、17年前。不動産屋さんに相談したら、「不動産業界は賃貸は保守的だから、あなたのようなシングルでフリーランスの人は落とされることも多い。でも、売買はお金さえ払えればより自由。自営業に優しい銀行ローンもある」と言う。
大手銀行のローンはことごとく断られたけれど、中堅の信託銀行がローンを組んでくれて、築10年のマンションを買った。

結果として、よかった。とりあえず住む場所を追い出されないという安心感は、大きかった。

でも、考えてみたら、そこに17年。住んでいる間に「引越し」を考えることはほとんどなかったなー。当たり前だけど>笑

生まれたのは西側の住宅地。
昭和生まれの両親の呪縛で一人暮らしをなかなかさせてもらえず、でも家を出てからは本当にいろいろな場所に住んだ。
二子玉川、柿の木坂、成城学園、信濃町、方南町……

どの場所も楽しかった。
同じ場所にい続けるのが苦手な人間というのがいて、私はその部類に属するのだと思う。新しい場所が、楽しくてたまらない。

その自分が、あれだけ離れたかった生まれ育った街にまた戻り、そこに20年近く(賃貸も含め)住んでいたのは、子どもの学校の関係も大きかったけれど、それは「買った」から、という単純な理由だのだ、ということに、改めて気づいたんだった。やっぱり、買ったら、しばらくは動けない。

いま、浅草にほど近い東側の東京に賃貸で住むようになり

人生の後半にこんなおもろい場所に住めていることの楽しさ、ありがたさを思ってる。

「買う」選択肢では、住めない場所だった。


若い頃は、人生は後半になればなるほど安定し、確固としたものになると思ってきたけれど、実際には何が起こるかわからない、スリルとサスペンスに満ちたものだということを、最近よく思っている。
家を持っていたときは、そこから動いていくことよりも、その家をどう保全していくのかを考えていた。家は自分にとっての碇のようなものだった。

今は、人生の残り時間でまた、どこか別の場所に住める、と思っている。
不安定だけれど、なにか、とても自由になった。


借りるのと買うのでは借りるほうが効率良いという意見もあるけれど、買ったものが売れる状態であれば、あとになってお金が戻る「買う」選択に軍配が上がると、私は思ってきた。(違う意見も多い。あくまで私は)。

でも、借りたら、自由に動ける

という単純なことを、今更ながらに考えている。
もちろん、借りるためにはお金がいるから、一概には言えないけれど、「動ける」という視点について、ここ17年考えたことがなかったなあ、と改めて思っているんだった。


先日、年をとったら賃貸に暮らすのが自由でよい、という人に会った。
一般的な賃貸は老人は難しいけれど、住宅公団の団地なら住める。
配偶者のどちらかが亡くなったら、荷物を処分していずれ1人で施設に入る。
たぶん、子どもに対してはそれが一番よい方法、と。

昭和の持ち家概念を刷り込まれた私のような世代は、どうしても子どもに家を残そうとしてしまうのだけれど、家を処分するのも相続して保全していくのもお金はかかるわけで、資産持ちでなければ上記のような方法が、子どもたちへの負担もなくていいのかもしれない。
年金が減り、貧困化が進む日本で、せめて上記のようなことは皆が安心してできる世の中にしといてくれよー、とも思う。


とまれ、いま、新しい街が楽しくて
こんな経験ができていることに、神様感謝しかない。

終の住処をどこかで追い求めてきたところがあるけれど
人生どこまでも
通過地点でいいのかなって

そんなふうに思うこのごろです。

見えない明日を、楽しもう。

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