「キャシアン・アンドー」11話〜12話を振り返り
ディズニープラスで配信中の「スター・ウォーズ」のドラマシリーズ「キャシアン・アンドー」第11話からシーズン1のフィナーレとなる第12話までの展開を振り返ります。記事は視聴済みの方に向けた内容となっています。またドラマの性質上、映画作品のエピソード1〜6 と「ローグ・ワン」の視聴済前提にもなっています。あらすじは「さわりだけ」を意識してなるべくサプライズ要素や結末は書かないよう心がけていますが、完全なネタバレ回避にはなっていませんので映画作品も含めて、未視聴の方はくれぐれもご注意下さい。
第11話 フェリックスの娘
フィナーレ前半、それぞれの決断が描かれます。
このエピソードで一番のサプライズがセグラ・マイロ帝国パトロール隊のキャントウェル級アレスター巡洋艦でした。今年惜しまれつつこの世を去った映画第1作のコンセプトアーティストであるコリン・キャントウェルに因んだもので、「ハン・ソロ」でもチラッと登場はしていたのですが晴れて活躍の場が与えられた形です。アートディレクションはジェームズ・クラインさんです。
ほかにも「キャシアン・アンドー」ではプリ・モア社の社屋や戦闘部隊の船、ルーセンのフォンドア運搬船などなど、平面だけ、あるいは平面と円/円柱というシンプルな構成のシルエットが散見され、全般的にコリン・キャントウェルのデザインコードをかなり意識していたようにも見えます。「マンダロリアン」はライアン・チャーチはじめプリクエル・トリロジーやシークエル・トリロジーからのデザインチームがメインでしたので、比較して作品全体のクラシックな印象に貢献していたように感じます。ウィル・ティさんは本作のビークル類のコンセプトデザイナーの一人にクレジットされています。
ルーセンはこの危機をかわそうとオルデラン通商同盟のトランスポンダー・コードを使いますが、もしかすると既にベイル・オーガナの動きも察知していて帝国の注意をそちらに向ける意図もあったのかもしれません。もしやシーズン2の伏線?何気ないアクションですが、オルデランの運命に繋がるドミノ倒しの罪深い最初のひと押しだった可能性も・・・。
第12話 リックス通り
吹替・字幕の訳について若干違和感がありましたので、改めてオリジナルの英語のセリフを参照して素人訳ですが私なりに挑んでみました。
キャシアンがフェリックスに戻り、クレムの石を前に回想が挟まれます。「何事も本質を見極めるのが大事だ(吹替)」あるいは「全てを見通す目は恵まれた才能だ(字幕)」と訳された台詞は直訳では上図のような内容です。
これはルーセンやネミックら反乱者の事を指していて当初は彼らに関わることを避けたキャシアンでしたが、この言葉がラストの決断・要求に至った理由の一つではと考えます。クレム(とマーヴァ)のお話はもっと掘り下げて欲しかった!
また、表面の「錆」のせいでその機械部品の価値が見落とされていることに、終盤のマーヴァの言葉にある「錆」の一節が掛かっていることが解ります。吹替では「錆」の部分は省略されてしまっています。
そんな終盤の展開に関わるこの台詞では「look down」という表現も繰り返して使われているのですが、もしかして「レ・ミゼラブル(2012)」を意識したもの?
宣言書も直訳に近づけてみました。
「権威は脆く、圧政は恐怖の裏返しだ」は「〜圧政は恐怖を隠す仮面だ(Oppression is the mask of fear.)」とあり、その「仮面」というワードからベイダー(アナキン)を連想させる制作上の意図があったのではないかと感じました。
その前の「専制政治は不断の努力を要する」「故障や綻びは常だ」という部分はそのままデス・スターの建造や弱点にも通じます。
また「一つの戦いがいつの日か敵を破る(吹替)」「ひと突きでも鉄壁は瓦解する(字幕)」は原文では「One single thing will break the siege.」(たった一つのことが包囲を壊す。)です。先々の時代を描く諸作品における様々な場面が想起されます。
続いてブラッソがキャシアンに伝えたマーヴァの言葉です。
無謀にもビックスを救いに向かうキャシアンに言うブラッソの「お前は自分の身を守れ」に対する「もう遅い」は、この「マーヴァの言葉を聞いた事」に掛かっているように思います。この言葉もラストの決断・要求に至った理由の一つでしょう。原題「ANDOR」が示すようにキャシアンはクレム・マーヴァと三位一体に。
こちらも省略された表現などを原文に近い内容に戻してみています。
マーヴァのスピーチでは、曖昧だった帝国とフェリックスの関係とフェリックスの罪が語られています。職人の惑星フェリックスはその技術力で帝国と取引し、長らく干渉を受けることなく表向きの平和を得ていたということだったようです。
帝国(傘下のプリ・モア社)の要求に応えていればフェリックスは安泰ではあったのですが、彼らの貢献(日常、仕事)と無関心(眠り)は帝国の力となり彼らを支えていました。気がついた時には育ててしまった闇が足もとまで及ぶ事態に。フェリックスに限らず帝国の力を助長させたのは同様に眠り続け、錆びついてしまった銀河の民衆であり、囚人が帝国の兵器の武器製造に従事していたナーキーナ5の工場施設はこれを暗喩したものだったのでしょう。
マーヴァの鼓舞が仲間を目覚めさせ「錆」を一瞬で吹き飛ばします。
この作品、「フォース」は登場しませんが「技術(クラフト)」という力がそれに代わるものかもしれません。時報の金床と槌や、レンガもまたそのシンボルだったように思います。あらゆる「力」には二面性があり、ポストクレジットには“クラフト”の暗黒面が。
シーズン1の感想
今年は3本のドラマが制作・公開されました。
「マンダロリアン」のスピンオフ「ボバ・フェット」(配信開始は昨年末でした)とサーガのミッシングリンクであり映画からドラマに変更され紆余曲折を経て完成した「オビ=ワン・ケノービ」の2本に対して、「キャシアン・アンドー」は純粋に企画された新作ドラマシリーズとしては「マンダロリアン」以来の2つ目の作品と言えます。過去作とのクロスオーバーを全面に出すデイブ・フィローニとは異なるアプローチで今後のドラマ作品開発における試験的な側面を強く感じました。
総評はこれまでの記事での意見の通り不満はあるのですが、一方で成功している部分も多くありますので引き続き「ローグ・ワン」に直結する「シーズン2」を期待して待ちたいと思います。
これまでの振り返り記事の解説をまとめたガイダンスはこちら。