「オビ=ワン・ケノービ」最終話の展開を振り返り
ディズニープラスで配信中の「スター・ウォーズ」のドラマシリーズ「オビ=ワン・ケノービ」最終話の展開を振り返ります。記事は視聴済みの方に向けた内容となっています。またドラマの性質上、映画作品のエピソード1〜6 視聴済前提にもなっています。今回は考察の都合上かなり具体的に物語の展開や結末について触れています。ネタバレ回避にはなっていませんので映画作品も含めて、未視聴の方はくれぐれもご注意下さい。
5話の振り返り記事はこちらです。
PART VI
ジャビーム脱出後、オビ=ワンたちはハイパードライブの故障でスター・デストロイヤーに追いつかれてしまいます。
他のスター・ウォーズ作品ではお馴染みですが、船はシールドがある限り、またトラクタービーム(牽引ビーム)の射程外に距離をとり続ければ一応逃げ続けられます。元老院議員の娘もいるので、ベイダーは燃料消耗〜拿捕を狙っていたのでしょう。オビ=ワンは一人揚陸艇で船を離れる決意を固めます。
オビ=ワンは新3部作やクローン・ウォーズでは、常に目の前の問題=アナキンを等閑にして見て見ぬ振りをしてきました。ドラマ前半でも現実逃避状態でしたが、レイアとの旅がオビ=ワンの心に変化を与えます。かくしてオビ=ワンはアナキンと対峙します。これは「ジェダイの帰還」でルークがベイダーとの対決に進む展開をなぞりつつ「帝国の逆襲」のルークや「クローン・ウォーズ」のヨーダが自身の暗黒面と対峙する時と重なる動きです。
一方、リーヴァは瀕死の重傷を負いますが、ハジャが落としたイメージキャスターのメッセージを見て再び復讐心を燃やし立ち上がります。
オビ=ワン対ベイダー
多くのファンが予想したように、私も物語はオビ=ワンが「死を偽装」するラストだと考えていました。その原因「新たなる希望」でのモフ・ターキンの「確かケノービはもう死んだはずだ」と翻訳された台詞(Surely he must be dead by now.)は、元のニュアンスでは「きっと奴は死んでいるに違いない」となります。「反乱者たち」でもベイダーの台詞には生存の可能性を示唆するものがありましたから、二人の対決とベイダーのオビ=ワン生存認識については矛盾は無く、良いサプライズになったと思います。最初から最後までアナキンとオビ=ワンの話にフォーカスし、真正面からルーカスの物語を補完しました。
ボバやスローンの登場を予想したのは野暮だったなと反省。
オビ=ワンはベイダーを戦闘不能にするため生命維持スーツだけを攻撃、最後は心を開いてアナキンに呼びかける姿は感動的でした。しかし最終的にアナキンを帰還させたルークの方法とは異なり、結果はドラマの通り。
希望=ルークとレイアを未来に繋ぐ役目を自覚して、フォースとの繋がりを強固にする流れも見事でした。
何故オビ=ワンはベイダーにとどめを刺さないのかという指摘を見かけますが、ジェダイは非武装者を殺しません。アナキンは既に戦闘不能と判断したのでしょう。またスピンオフコミック「エイジ・オブ・リパブリック:クワイ=ガン・ジン」でのクワイ=ガンが得た「力で敵を滅ぼそうとすることは自らの滅びに通じる」という悟りを踏襲したものでもありました。
省略された描写
第6話ではオビ=ワンの視点が中心となり、それ以外の展開で説明不足な事が多くなってしまっていた印象です。
まずジャビームからの逃走ですが、どれくらいの期間だったのかが不明瞭です。「帝国の逆襲」でファルコンがホスからベスピンに向かう時もハイパードライブが故障しているため亜光速航行で長旅でした。(その間ルークが修行を行い、ボバの情報で帝国軍が先回りできた。)
オビ=ワンが降り立った惑星がどこかにもより、同じ星系なのかあるいは遠方の惑星かでかなり違います。いずれにせよローケンの船は長いあいだ帝国軍の追跡を受けていて、その間にリーヴァが傷を癒して(パスにはオビ=ワンが治癒に利用したバクタタンクがある)船を調達しタトゥイーンへ向かったと見る事ができます。(ジャビームには一応都市もある。)
追記:8/12
公式サイトのデータバンクに決闘の行われた惑星の情報が追加されました。ジャビームから遠くないところにある「不毛の月(Barren Moon)」とのことでした。追跡はそれほど長い期間ではなかったようです。(追記ここまで)
ローケンは追跡を逃れたあとハイパードライブの修理を済ませどこへ向かったのか、そこからハジャが直接レイアをベイルの元へ送り届けたのか、迎えを要請したのか、これらは省略されドラマのテンポが優先されました。
リーヴァが類推した事実
イメージキャスターのメッセージを見たリーヴァが何に気付き、どういう意図でタトゥイーンへ向かったのかです。これまでの出来事で得た情報がメッセージによって一つの解答に繋がったという流れだと思うのですが、リーヴァの描写が少なかった事が災いして脈絡無くルークを殺しに向かったように見えてしまいます。
日本語版では字幕吹き替えともに「彼に」という三人称も省略されていたので余計解りにくくなってしまっていました。
台詞としてもハッキリありませんでしたが、リーヴァは(レイアと)ルークがアナキンの子供であると認識したと考えられます。
リーヴァの葛藤
タトゥイーンに向かう目的が「アナキンの子を殺す」という事であるなら、その理由は自分が家族を奪われたようにアナキンの家族を奪ってやろうというものです。
重要なのはリーヴァの帝国やシスへの忠誠心は偽りであり、彼女は「アナキンへの復讐」を果たすために尋問官の立場につき偽りの人生を歩んできました。しかし復讐心に頼る事は大尋問官の捨て台詞にあった通りシスの考え方で、遂行すれば結局は彼らを肯定することになります。
加えてオーウェンとベルーのルークに対する家族愛(生物的な繋がりより強い絆)はリーヴァの家族(ジェダイの仲間)への愛と同質であり、それを奪う行為はナイトフォール作戦(ジェダイ大粛清)時の体験とも重なって激しい葛藤に苛まれます。
最終的にリーヴァはシス(力を信奉し恐怖による銀河統治を目指す)やダーク・ジェダイ(フォースの暗黒面に傾倒したジェダイ)の道を拒絶し、アソーカやヴェントレスと似たような浪人状態になったと思います。
この先彼女がどうなるのかが気になりますし、重大な秘密を知った者が死なずに残る事はファンの間でも物議を醸しました。
「スター・ウォーズ」は日本人が好きな勧善懲悪ものと見られがち/期待されがちですが、勧善懲悪っぽい(あくまで“ぽい”)のは「エピソード4、1、7」だけで、全体を通して描かれるテーマは単純な善悪二元論ではなく『人間は対極的な力に挟まれた存在であること』と『共存』です。
なお、最近公開された企画初期段階の脚本家スチュアート・ビーティのインタビューによれば、リーヴァのキャラクター像・結末は当初の計画とはかなり違うものだったようです。
オビ=ワン・ケノービはどこへ
ドラマでオビ=ワン・ケノービが住んでいたのはジャンドランド荒野南東の端、ラーズの農場近くだったと考えます。モス・アイズリーまでイオピーで向かい、乗合トランスポートで砂海の労働現場に向かっていたのでしょう。物語の最後ではフォースの導きに委ねてルークやラーズと距離を置く事を決め、モス・エスパ近くに拠点を移したと推測します。
脚本家の変遷
「マンダロリアン」や「ボバ・フェット」の物語がほぼジョン・ファブローの手によって作られたのに対して「オビ=ワン・ケノービ」は複数の脚本家によって紡がれたものでした。加えて「ハン・ソロ」の商業的失敗(これは前年末に賛否を起こした「最後のジェダイ」の影響も大きく、ボイコット運動もあった)をきっかけに途中で降板や更迭が繰り返されていて、前半と後半のムードや展開の差に繋がったと考えられます。
当初の映画構想はスティーブン・ダルドリーが監督予定でしたので、ドラマよりも更にシリアスで重い内容になっていたのかもしれません。インタビューを読む限り、ホセイン・アミニやスチュアート・ビーティは真摯にルーカスの作法で描こうとしていましたし、誰が悪いという事は無いと思います。
今回の記事で紹介した説明不足な部分やご都合的あるいは少し強引な成り行きはこうした制作背景の影響もあったのかもしれません。予算が非常に少なかったという噂も噴出していました。
個人的には「オビ=ワンとアナキン(と小さなレイア)の物語」としては満足しました。コミックや小説で周辺の設定が埋められている難しい条件と、上記のいくらでも酷くなりそうな状況でとりあえずは良くまとめきったと思います。中途半端な存在になってしまったリーヴァですが、彼女の襲撃でラーズ夫妻のルークへの強い愛情と命がけで護る意志が見られたのは良かったです。「新たなる希望」でベンが初めて「オビ=ワン・ケノービ」と口にする場面で流れた一節をモチーフとしたテーマ曲もすっかり好きな一曲になりました。
クロスメディア前提の作品づくり
本作ではスピンオフで描かれた「ジャビームの戦い」や「クワイ=ガン・ジンが暗黒面と対峙するビジョン」、「クローン・ウォーズ」の「ヨーダの修行」に対応した演出があったと感じます。
過去、小説「帝国の影」や新3部作においてルーカスがそれまでのスピンオフやTRPGでの設定を無視・改変したことは、当時のバッシングの一因にもなっていたと記憶するのですが、その後「クローン・ウォーズ」で主に90年代のスピンオフ設定を積極的に取り込みルーカス引退&新カノン以降はゲームを含むスピンオフとのクロスメディア展開に重点が置かれてきたように感じています。
続3部作では背景説明をスピンオフに依存しすぎていた印象でしたが、徐々にバランスを修正してきているようで、それでもスピンオフを把握しているかどうかで個々の作品の印象の差がまだ大きいように感じられます。「ボバ・フェット」では00年代の「ジャンゴ・フェット」関連作を踏まえているかどうかで見え方が大分違いました。
ファンの世代差の広がりに加えて、スピンオフでどんどん膨れあがる設定のフォローとクロスメディアの匙加減で難しい作品作りが続き大変だなと思います。
80年代後半からの空白期とルーカス引退に繋がった猛烈な新3部作バッシング期を体験している私は、今は良い時代だと思いますし、ただただ応援し見守りたいと思います。次は8月末スタートの「キャシアン・アンドー」です。
ディズニー日本公式には、そろそろ旧3部作の字幕吹き替えを最新の設定に合わせた更新/より忠実で他作品と整合性ある内容に修正をしてもらいたいです。
このあたりも日本と欧米の批評の違いに影響していると思います。
これまでの記事をまとめた「オビ=ワン・ケノービ非公式ガイダンス」はこちら