はじまり
当時、おそらく私は5.6歳
物心ついたころには母子家庭
当時にしては珍しい2階建ての社員宿舎(当時4000円/月ぐらいだったらしい)に母と姉妹と暮らす。
そして、いつごろからだろう…
姉妹が寝静まったころ…
私は、夢遊病にて、裸で外に飛び出しては、車が行き介する道路を横断し、真向いの施設で、深夜遅くまで事務仕事をしていた母の仕事場の外窓から、ひょっこり顔を覗かせては驚かせていたようだ。
母が働く場所は温泉施設ということもあってか、母に社員用お風呂に入れてもらい冷えた体を温め、母の服をだぼだぼに着て帰宅していた風景は何気に記憶に残るところだ。
で、帰宅すると、パンツはいつも社宅内の階段下段に転がっていた。
夢遊病時の夢の中では、いつも決まって、宇宙人に追われており、身を潜めながらも何故か出来もしない側転をしながら逃げている….
また、当時、妄想好きな私の遊び相手は、風と大地の生き物だった。
風と遊ぶときは決まって風が吹きはじめたとき、 姉たちと「風よ吹け~回転してみせよ~」など呪文のように大声で叫び、手で風に動いてほしい動作を付ける、うまく風の動きが捉えられると姉たちと「凄い!上手!」と風さんを褒めたたえ、大声で笑い喜んでいた。 生き物は裏庭の広大に広がる畑に行くと、ひきカエルにオタマジャクシ、トカゲなどなど、探検もし放題、米の収穫後の畑では、落ちている藁を寄せ集めベットを作ったりしてアルプスの少女ハイジの真似事をしたりもした。 時間を持て余すことは全く無く自由気ままな毎日だった。
母がおやつを出してくれる日は、決まってパンの耳を古い油で揚げて少しの砂糖を振りかけた揚げパンが定番。 幼いながらに胃のもたれからか数本で満足したものだ。
当時毎日すすっていた、具の無い薄いみそ汁においては、私の中ではもはや伝説となっている。 母が私たちを生かすことに全力な中、誠にお気楽な毎日を送っていたと改めて感じる。
しかし、そんなお気楽な生活の中にも、たまには大嵐のような恐怖も訪れる…..
記憶しているものは2つ。 1つ目は、妹と、敷地内にあった、ごみを燃やすための小さな簡易の集積所で、宝さがしをしていた時だった、妹が落ちていた割れたカップ酒のガラスを足で踏んずけ、ざっくり切る大けがを負ったことだった、恐る恐る病院についていくと、10針近くも縫う痛みと恐怖からか、大声で泣きわめく妹の声。
私は両手で耳を塞ぎ、処置室の片隅でぶるぶる震えていた。
2つ目は
お隣の家で、その家の子と遊んでいた時、親切心で室内に出没した、噛まれるとと~ても痛くて痒い緑色の小さな虫(田んぼ虫と言っていたような気がする)を退治しているときだった。
気が付くと外もすっかり暗くなっていた。
一瞬気を抜いたその時、バランスを崩し勢いあまって椅子から転がり、襖に大きな穴をあけてしまったのだ。
怖くなり「ごめんなさい!」というなり外に飛び出し、一目散に自宅のドアに手をかけた、しかしドアは開かない…
鍵が閉めてあった。
大声で叫ぶも、姉は母からの言いつけにより、決して開けてはくれなかった。
しばらくして遠くから人の姿が闇に浮かぶ…
母だ!!
一部始終を隣の住人から聞いたのか、鬼の形相で私を睨みつけ、そばにあったほうきの柄の部分で私のお尻を何回も何十発も腫れ上がるほどに叩いた。
私はお尻の痛みと暗闇での恐怖、それから善意から犯してしまった失敗だっただけに悔しさと悲しみで、これ以上ないというほどに大声で泣いた。
お叱りが終わり自宅に入ると姉妹も室内でボロボロと泣いていた。
この時の私とすればとてもショッキングな出来事に思えたが、私たち3人を連れ、その日を生きることに必死だった母にとってみれば、私のお尻と心の痛み以上の悔しさと悲しみだったのだと思う。
そのことは、後に自分自身が4人の子供を授かり関わるにつれ気づくこととなる…。
また、季節の訪れと共に、山菜のつくしを見かけると思い出すことがある。それは、その当時探検好きであった幼き私は、ある場所で大量のつくしを発見した。 その日は、この植物のことがよくわからず数本持ち帰った。 夕方、夕飯の支度に帰宅した母にそれを見せると、「すごいね~これ食べれるのよ~」と喜んでいた。 なので、早速次の日、また同じ場所に向かった。 母の喜ぶ顔がもう一度観たかったのだ。 ところが、肝心の袋を忘れてしまった。仕方ないので、来ていた当時昭和を感じさせる朱色にところどころ黄色で編まれたお気に入りのチョッキを風呂敷代わりに使用し、たくさん摘み取った。 想像以上に喜ぶ母の笑顔。 一緒に花粉の処理をした。 とても楽しかったことを記憶している。
その翌日、待ちに待った夕飯に「つくしの佃煮」が登場した。 わくわくしながら一口、口に頬張る。 次の瞬間苦みが走った。 姉妹も箸が進まない….. 私も箸が止まった…… それ以来、つくし取りはやめることとなった。
そして月日は過ぎ
そう
私が小学生1年生になり、一学期を終えようとしていた頃
突然の父の訪門。
私の運命の歯車は思いもしない方向に進むのであった。
つづく。
最後まで読んでいただきありがとうございました(´▽`)
また不定期ではありますが投稿していきたいと思います。
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