歴史番組感想【3ヶ月でマスターする世界史 第2回「ローマもオリエント?」】
3ヶ月でマスターする世界史の第2回目。
今回は、ローマもオリエントの一部だったかというテーマです。
ローマ帝国の繁栄と滅亡をシルクロード交易と絡めて見ていった内容でした。
・ローマはオリエントだったか
ローマはオリエント世界とのシルクロード交易を展開していた。
アジアと密接な繋がりがあったわけです。
さらに、アケメネス朝ペルシャで生まれた街道制や寛容な政治などの仕組を活かして統治していた。ローマはオリエントの影響を受けていたのです。
東洋史専門の岡本さんとローマ専門の井上さんが、ローマはオリエントだったか否かで論争になってしまいました。
井上さんが妥協して、東ローマはオリエントだったと認めました。
なんと、東ローマには宦官がいたとのこと(!)
そうなんですか、こんなところまで後漢の影響を受けていたんですね。
私は、ローマはオリエントではなく独自の文明だったと思っていますが。
・ローマ帝国の滅亡の要因
繁栄を誇ったローマにも滅亡の時がやってきます。
その原因が気候の寒冷化。あ、これは聞いたことがある。
気候の変化と疫病の流行で、シルクロード交易が機能しなくなってしまった。
さらに、作物が取れなくなった「フン族」が移動を始め、押し出される形で「ゲルマン民族」がローマ帝国内に侵入してきた。
やがて、ローマはゲルマン民族を防ぎきれなくなり、東西に分裂。
早々と「西ローマ帝国」は滅亡してしまいます。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が長いこと存続できたのは、コンスタンチノープルが難攻不落の都市だったから。
それで、東ローマ帝国はその後も存続できたのか。
・キリスト教の広がりがローマをヨーロッパの源流だと思わせた
ローマがヨーロッパの源流だと思われているのは、キリスト教の広がりによるため。
元々、多神教だったローマにキリスト教が広がり、やがて、コンスタンティヌスという皇帝がキリスト教を公認し(ミラノ勅令ですね)、ローマの国教はキリスト教となる。
そのキリスト教がヨーロッパに広がっていったため、ローマがヨーロッパの元になったと思われてきたそう。
コンスタンティヌスという人は、ローマ全土を支配していたわけではなく、西ローマの方を支配していたそう。
当時、その地域にはキリスト教が入ってきていなかった。
コンスタンティヌス帝のおかげでキリスト教が入ってきて広がることになった、とのこと。
すごい偶然が重なってるんですね。
しかし、キリスト自身もパレスチナあたりの出身でオリエントの人。
だから、キリスト教自体もオリエントの影響を受けている。
ローマでできた宗教じゃないですからね。
ローマがオリエントの影響を強く受けていることがよくわかりました。
ただ、先にも書いたように私はローマがオリエントだとは思いませんが。
井上さんの言うとおり、ローマは遊牧民の生活地帯にも入ってませんし。
影響は受けたけど、ローマは独自の文明だったんじゃないかな、と思いました。
ヨーロッパ中心主義の歴史観は時代遅れだと思うので見直しが必要だと思います。
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