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ザ・プロファイラー「燃やせ限りある命を 俳句の革命家 正岡子規」

 今回は俳句で有名な「正岡子規」を取り上げています。
この人は俳句に革命を起こした人です。
松山に生まれた人ですね。

 明治の世に生まれた子規は、最初は「政治家」次に「哲学者」さらに「小説化」を目指すもみんな挫折してしまう。
なんとも移り気な人です、悪く言えば根気がないとも言える。

 そんな子規が熱中したのが俳句。
当時の主流は小説で、俳句は時代遅れのものと見なされていた。
子規は過去の俳句を徹底的に研究し、天保以降の俳句はつまらないと断じます。

 そして、最近の俳句の宗匠は同じような俳句ばかり作っているとかなんとか激烈な調子で批判します。
さらにあの松尾芭蕉の句も大半がつまらないものと論じます。
あの松尾芭蕉をこきおろすとは、よくそんなこと言えたな・・・。

 が!そのころ子規は病魔に侵されていた。
当時、不治の病だった肺結核から脊椎カリエスになってしまったのです。
寝たきりになってしまった子規、それでも俳句の情熱は衰えず作り続けた。
普通、ヤケになってしまうところですが、それでも俳句を続ける執念はすごい、の一言です。

 亡くなる2日前まで俳句を作り続けていたという子規。
子規がもっと長生きしていたら大俳人になっていただろうな・・・。
若くして亡くなったのが惜しい。
でも、子規のおかげで今日の俳諧があるんだな、感謝します。

 あと、子規は「あの」夏目漱石と親好があった。
「柿食えば・・・」の超有名な句は漱石が作った似たような句に触発されて作ったそう。
それは知らなかった~、漱石が子規に影響を与えていたのか。

 それと、子規が勝手にうな重頼んで代金を漱石に払っておいてくれ、と言ったエピソードは笑えます。
結構、ふてぶてしい人だったんだ。
子規の意外な一面が見えたエピソードでした。

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