繰り返しの日常の中で「理想の暮らし」を考え続けるために必要なこと。
2018.02.14 22歳
先月、東京から三重県の漁村に引っ越した。海に出て仕事をする毎日は繰り返しで、1日のサイクルが安定に向かいつつある。今日は、漁村の暮らしを営むなかでふと感じたことについて。
【肩書を手に入れるということ】
学生生活のあいだ、「頭の中」で考え続けてきた。考えることと、ちょっとした「体験」しかできない学生という身分が嫌いで、活動を伴った言葉を発信できる人間に憧れていた。
ようやく自分の肩書きを手に入れることができる。それも、今まで自分が目指してきた、自然との関わりを大事にできる仕事。
体験を超えた「暮らし」に僕は満足すべきはずなのに、わだかまりがある。
【将来の夢を叶える】
学生の頃、将来の夢を語ることはよくある。学生は学生なりに考え、心のなかで抱く夢を伝える。「将来の夢の答え方」に関した記事を、去年書いた。
これを書いた頃僕が想像していたことは、学生の頃は夢を聞かれ、社会人になれば仕事の内容を聞かれるようになるということ。 具体的に例えるなら、飲み会で多々見かける「名刺交換」がわかりやすい。
自分もその一員になることにワクワクしていたのに、どうやらそこに至るにはもう一つの段階を登らなければならないということを知った。
【「なんでまた漁業?」という質問】
大学4年生。卒業を1か月後にして聞かれるのは、なぜその選択をしたのかということ。進路を選択すれば「将来何になりたいの?」という地獄の質問から逃れられると思っていたけど、結局その質問は「なんでまた◯◯に?」という質問に置き換わっただけだった。
僕はやっぱり質問にうまく答えられず、曖昧に言葉を濁してしまう。
「なぜ」という質問から逃れられる時。そんな「時」はおそらく一生来ない。早稲田の法学部を卒業して漁師になる。畑違いもいいところ。
経歴を繋げるためには、僕自身が相手に語るしかない。だから僕は、この質問に答えられるようにならなければならない。自分自身の決断を説明し続ける責任がある。でも、もしかしたらこれは良いことなんじゃないか?
【聞かれるから考える】
生き物を相手にする仕事だから、自然に合わせる形でその日ごとに作業は変化する。ただ、幅広くいって一次産業の現場は肉体労働と単純作業が基本。
日常が繰り返される。
そして自分自身もその暮らしに満足している。
こんな状況は、人間から考えるきっかけを失わせていく。
「なんでまた漁業?」
この質問に巡り会わせたときに、「あれ、なんでだったけ……」なんてことになりかねない。だから、質問してもらうことによって、自分自身の決断を自覚し続けることができる。
考えて行き着いた選択は、考えないとなくなってしまう。
人生を選択するときに大事にすることは人それぞれだけど、僕の場合は理想の暮らしを実現するためには何をすべきかをを頭で考えることで、将来の夢を決断した。
だから考えることをやめてしまったら、夢や目標をもてないどころか、なぜこんな暮らしをしているかということすらわからなくなる。考えつづけることによって、僕は本当に自分の暮らしに満足することができる。
その機会を与えてくれる「なんで?」に、ちゃんと向き合って、学生が終わっても夢をもちつづけたい。そんなことを頭の片隅で「考え」つつ、明日からも毎日がんばっていこう!
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