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僕が第一次産業に興味をもった理由。

2017.06.27 21歳

僕は第一次産業に将来の夢を抱いている。どうして第一次産業に興味があるのか。今回は頑張ってまとめてみることにした。結論からいうと、第一次産業の役割は「生産」することだけじゃないということだ。

【第一次産業とはなにか】

そもそも第一次産業とは何を指すのだろう。

第一次産業には、自然界に働きかけて直接に富を取得する産業が分類される。クラークによれば農業、林業、漁業がこれに該当する……(以下略)

wikipedia

第一次産業の主たる役割は生産することだ。耕種農業ならお米や野菜を、畜産なら牛や豚・鶏を、漁業なら魚を、林業なら木を生産する。

しかし僕は「生産する」ことへの興味だけで第一次産業を志しているわけではない。それに加えて、自然と第一線で関わりをもつことのできる仕事だと感じたことが、第一次産業に興味をもったきっかけだった。

【一人暮らしが教えてくれたこと】

僕は大学1年から3年までの間、一人暮らしをしていた。日本で一番「便利」な場所といえる東京で、僕は自分が生きるのにどれくらいのお金・労力が必要となるのかを知るためにひとりで暮らし始めた。

一人暮らしとなると、食事を自分で用意しなければいけない。もちろんたいした食事など作らず、スーパーやコンビニの出来合いを食べる日々。

一人暮らしを通して感じたのは、今の社会での暮らしは人間と自然との関わりがあまりにも見えづらいということだった。

本来人間の暮らしというのは、自然界の中からいただいたものでできているはずだ。しかし僕は、スーパーやコンビニで売られているものが自然によってつくられたものであるということを実感できなかった。

今の社会で暮らしていると、自分たちの社会は自分たちの手でつくることができると、そしてお金を払えばいくらでも手に入ると感じてしまう。

お金を払えばいくらでもモノやサービスが手に入る。そしてお金を稼ぐことは現代社会において、たいして難しいことではない。

お金でモノを買って生活する日々のなかで、僕は違和感を抱かずにはいられなかった。なぜならモノはすべて自然からのいただきものなのに、自分は自然とまったく切り離されて暮らしているからだ。

とりわけ自分が食べるものに関して、いったいどのように作られているのかということを知りたいと思うようになった。

【まとめ】

人間が生きるためには、自然を搾取しなければならない。このことを意識しないまま自然に負荷をかけ続ける生き方をしたくない

そうならない生き方を模索した末に辿り着いたのが、第一次産業の現場で働くことによって自然との関わりを大切にしながら暮らすという答えだった。

僕が言いたいことは、自然は善で人間は悪ということではない。決して人間がいることによって自然が壊れるというわけではなくて、自然のなかで人間という生き物が果たす役割があると僕は考えている。

僕にとって第一次産業とは単に作物などをつくる仕事ではなく、自然と人間との関わりをつくることのできる仕事だ。生産現場は自然との関わりが薄れた社会において、きっと大切な役割を果たすことができる。

それでは具体的にどうやって第一次産業を仕事にしていくかは、これから考えていこうと思っている。

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