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全国各地の生産現場を見て感じた“食の未来”。

2018.04 22歳

僕は大学生の間、食の生産現場を巡る旅をしていた。自分が食べるモノがどのように作られているのかに興味があったからだ。生産現場を知っていくなかで、今までの一次産業のカタチは維持できなくなると考え始めた。

これからの食の生産現場は二極化する。企業による大規模生産と、付加価値をのせた個人の小規模生産。

この記事では、一次産業の未来を想像する。絶対になくならない産業だからこそ、時代に沿ったカタチで生き残っていくことになるからだ。

【担い手不足という問題】

生産地が抱える深刻な問題は、後継者不足だ。しかし僕が現場で感じたのは、跡継ぎがいないことをどうにかしようとする生産者が少ないこと。

田舎で汗水垂らす労働よりも、自分の子どもには都会で時代に合った働き方をしてほしい。生産者としての過酷な仕事は、自分の代で終わらせる。

そう考える個人の生産者が、実際に高齢になって現場を離れ、人のいない生産現場が増えつづけている。

いまは発展途上国から来た外国人労働者が数多く働いているけれど、いずれいなくなる。実際にいま自国が発展したことで中国人は日本を去り、出稼ぎ労働者は東南アジアの人々が中心だ。

【人間の代わりは機械】

たとえ人がいなくなろうとも、食の生産が途絶えたら人間は死ぬ。なんらかのカタチで生産現場は残していかなければいけない。

需要がなくならないのに、人がいないせいで供給できなくなる。需要が供給を上回る状況は、食を生産する能力をもつことの価値が将来上昇していくことを意味する。

そこに目をつけた企業がいま、一次産業への参入を始めた。お金のある企業は機械を導入することによって、生産現場の維持を可能にしていく

【農業の場合】

いままで農業は、農地法という法律で守られていました。というのも農業に実際に従事している人以外は、農地を買うことも借りることもできなかったからだ。これは、戦前の寄生地主制が原因である。

寄生地主制とは、土地の所有者である地主が小作人に土地を貸して耕作させる体制のこと。地主は土地の利用料として高額な小作料を小作人に支払わせていた。

このようなことがないよう、土地を耕す人がその土地をもつようにしようという取り組みが、戦後行われた一連の農地改革の内容である。

【大企業が農業に参入する】

2009年に農地法が改正され、実際に農業に従事していなくとも農地を借りられるようになった。これは農地法による規制が農業への新規参入を妨げているという考えに基づいている。

これは明確に、企業が農業に参入することを前提に行われた改正である。

というのも農業がしたい人が農地を取得することは、いままでの法律でもできたわけだ。農業をしない人が農業をできるようにする意味は、企業が投資先として農地を借りるのを可能にすることにある。

前述のように、企業が生産現場に目をつけ始めている。その時代の流れに合わせて法律も改正されるようになった。種子法の廃止をはじめ、いずれ農地の売買も解禁され、より企業が活動しやすくなっていくことだろう。

【漁業の場合】

漁業もほぼ同じような歴史をたどり、そして将来は企業が活躍する時代になる機運がある。

周知の通り、海には漁業権というものが存在している。海は土地と異なり、すべてが公共のもの。たとえそこで生産活動をしていたとしても、それを理由にその区画の海が自分のものだという主張はできない。そのため漁協(JF)が海を利用する権利を管理していて、JFの許可を受けた者のみが海の上で生産活動をすることができる。

【食料大量生産時代】

いま、この漁業権が解放される流れが出始めました。

区画漁業権の許可自体は都道府県が行うのですが、現場漁業者の調整を地元漁協が担っており、実質、新たに養殖業に参入する場合、漁協の承認が必要になっています。
地元漁業者で十分海面が使い切られていた状況ならよかったのかもしれませんが、最近は地元漁業者が減り、一方で参入を希望する企業が増えてきており、これまでの仕組みが新規参入の障壁となっているという指摘があるのが現実です。(引用:内閣府による『区画漁業権の運用見直し』の提言 2017/7/27)

区画漁業権とは漁業権の種類のひとつで、養殖業を営む権利のこと。漁業の現場で企業が目をつけているのは、養殖業である。

資源が枯渇し獲れるかどうかわからない天然物よりも、繁殖・飼育・出荷が計画的に行える養殖の方が、商売としては魅力的だ。

これは農業の場合も同じだけど、すでに自社製品の販路を開拓している企業にとっては、何を売ることになろうとその流通にのせてしまえば比較的簡単に商売が可能である。

機械化によって大規模な植物工場や養殖場を建設して、低コストで安価な食料品を大量生産する未来が来る。

【これからの食料生産】

僕はこれからの生産現場は3つの方向に分かれていくのではと考えている。

ひとつ目は、都会に対して食料やエネルギーを供給するための生産現場

これらの地域では、生産現場に企業が参入し、人間が食べるモノを作るための工場がつくられていく。耕作放棄地が植物工場へ。そんな新しい田舎の風景が、これから増えていくかもしれない(あるいはすでにある)。

【地域で地域を守る田舎】

企業が生産現場に参入することで、食の供給は安定するでしょう。しかしこれには、田舎の地域コミュニティが崩壊してしまう危険が潜んでいる。

これまで農地を耕す人間は、その地域の担い手でもあった。というのも田舎には、共同維持管理の決まりごとがあるからだ。

田んぼの水ひとつとっても、取水の割合や水路の掃除などを分担して行ってきた。たったひとつの農地が耕作放棄地になっただけで、荒れた土地が獣害の原因になる場合もある。

地域で協力して土地を守っていくためには、よそ者の企業に自由に活動されては困るのだ。だから自分たちの手によって地域を守ろうとする生産者が現れてきた。

【農地が集約されていく】

前述の通り耕作放棄地が増えると、その地域全体の農業が衰退してしう。そのため残された生産者が規模を拡大して耕作放棄地を耕していく。結果として個人で点在していた農地が、生産力のある農家に集約されていく。

強い生産者がいる地域は、企業の付け入る隙がない。自分たちの手でなんとかしようとする地域力によって、土地を守っていく。

地域が地域として生き残っていく生産現場が、第2のカタチです。

【小規模生産農家の戦略】

これまで語ってきた生産現場の大規模化とは対照的に、徹底的な小規模高品質にこだわる生産者も生き残る。

個人経営規模の生産者で生き残るためには、付加価値が必ず求められることになる。その戦略として、あえて人間の手で作りあげた生産物が高く評価されるようになった。

機械がつくる無機質な食よりも、生産者の想いの込められたモノに人は惹かれるもの。庶民が普段買う大量生産型の食とは別に、贅沢品としてこだわりのある生産者による食が売買される

これが、第三の生産現場のカタチ。

ちなみに漁業の場合は養殖による大量生産の反対側で、天然魚が贅沢品として出回るようになるかもしれない。日常で天然物が食べられる時代は、もしかしたら終わりが近づいている。

【生産者のこだわり】

無農薬や無化学肥料といった、手間暇をかけた生産物として高い評価を受けている。農薬や化学肥料を使うことで土の中に生息する多様な生物が死んで作物が育たない土になる。また消費者に本当に安全な食を届けたいという生産者のこだわりによって、高付加価値の商品が生まれる。

また一方で、地域に耕作放棄地をつくらないために大規模な生産を選択する農家もいる。有機農業は耕すことのできる土地を半減させるほど手間がかかるもの。その土地の田園風景を守るためには、農薬を利用した大規模生産が理にかなっているわけだ。

ようは何にこだわるかという生産者の戦略次第である。

【生産現場で働く理由】

僕がいま漁村に滞在しながら漁師として働くことの意味は、生きる力を身につけることにある。機械化・AI化によって、生産現場の中枢を人間が担う時代が変わりつつある。

自分が食べるモノの作り方すら知らずに生きて行くということに、僕はどうしても納得がいかない。たとえ知らなくてもいいことだとしても、生き物として当たり前の感覚を忘れるべきではないと思っている。

今でさえ、田舎のおばあちゃんはまるで天然記念物だ。これからますます生産現場が遠のいていくなかで、自分の力で生きられる人間でいるために

生産現場で働いて、次世代に伝えていかなければならない人間の本質を学び続けること。僕が現代社会で生産者として働く理由はそこにある。

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