田舎は、自分の可能性を発揮する最高の舞台だ。
2018.6.11 22歳
僕はいま、田舎にある小さな漁村で生活している。集落にはコンビニサイズのスーパーがひとつ。そのほかにはこれといって行くところもない。
田舎はやることがない。
よく言われることだけど、本当にそうだろうか? 僕は田舎こそ自分の時間を大切にできる場所だと思っている。
【やることがたくさんある≠幸せ】
東京で暮らせば、たしかにたくさんのお店に行くことができる。映画館で新作の映画を観たり、本屋で興味のある小説を発掘したり。ショッピングは眺めるだけで楽しいし、深夜でもご飯を食べに行く場所がある。
24時間いつでもやることがある。
しかし、そういった環境が自分を幸せにしてくれるとは限らない。なぜなら、自分の所有している時間を自分の意思に基づかないもので消費することがあるからだ。
【自分の意思で行動する】
もちろん時間に対する価値観は人それぞれだ。過ごし方に正解はないし、時間を有意義に使う義務もない。しかし自分が今やっていることが自分自身の意思によるものであることはとても重要である。
映画館があるから映画を観に行くのではなく、映画が観たいから映画館に行くのだ。しかし時々、それが逆転してしまう。周りに刺激がたくさん用意されていると、考えなしに動いてもなんとなく満足してしまう。自分が何をやりたいのかを考えなくとも、周りの環境が自分を満たしてくれる。僕はそういった暮らしには満足できない。
デパート、カフェ、レストラン、映画館、本屋……お店がたくさんあることが必ずしも個人の幸せにはならない。そうではなく、自分がやっていて楽しいこと、やりがいを感じること。そういったことを考えながら自分と向き合っている時間の方が大事だと思う。
【田舎に仕事がないのは本当か】
もう一つよく言われること。田舎には仕事がない。これは本当だろうか?僕は、田舎こそ自分の役割を発見できる場所だと思っている。
就職活動を経験した人が口を揃えて言う言葉。それは、地方より東京の方が魅力的な企業がたくさんあるということ。今住んでいる場所を見渡しても、このことは否定する余地がない。それこそ一次産業の生産現場だったり、役場だったり郵便局だったり。自分の能力を活かして活躍するには、職種があまりにも少ない。職種、仕事の少なさとどう向き合えばよいだろうか。
【自分にできることがある幸せ】
なにもかもがやり尽くされた東京と、手つかずのものが残っている田舎。
東京は人が多いからこそ、ライバルがたくさんいる。そのなかで生き残っていくためには、戦わないといけない。
僕はいま、漁師とライターをしている。漁師は後継者が不足していて、ライターに関しては周りを見渡してもめったに見かけることがない。誰かと戦っている余裕はなくて、みんなで手を取り合って地域を存続させていくことに必死だ。
僕は漁師とライターの仕事に加えて、宿と家庭教師の仕事も始めた。どちらも集落になかった仕事である。東京に暮らし続けていたら二番煎じになることが、ただやっている人がいないという理由で自分の役割になっていく。
自分にできることがあると思える環境は、やりがいを感じて働くために必要で、だから本当の意味での「仕事」は、田舎にこそたくさんある。
【東京−田舎=プラスアルファ】
東京の方が田舎よりいろいろなものがある。でも、東京の方が豊かな暮らしかといったらそうでもない。
「こんなところに人が住んでいる」
初めて田舎をみた時には驚いたけど、そこで暮している人たちの笑顔は絶えない。つまり、東京には自分にとってなくてもいいものがたくさんあるんじゃないかと思い始めた。
人によって必要とするモノは違うから、人の多い東京でその需要の種類に応じてモノやサービスが増えていく。
だから東京にはいろいろなものがある。でも人間が生きるために必要なものは田舎にも揃ってる。自分が必要としているものを自覚して、それを求めて行動する主体性さえ備えていれば、田舎は自分の可能性を発揮する最良の舞台になりうる。
ないならつくればいいし、本当に必要ならある場所へ自分から求めにいく。
東京を否定してるわけじゃない。
ただ、僕は田舎を拠点に生きていく。
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