五木寛之さんの『青春の門』は、ぼくにとって特別な本だ。当時の自分を肯定して、力強く後押ししてくれた。自分自身がいま、青春の真っ只中にいるということを自覚させてくれた作品なのだ。
大人にはなった。けれども、成熟したとは言い切れない宙ぶらりんの存在。というのも、これからどう生きていくべきかの結論を見いだせていなかったからだ。
大学4年生で周りは就活を始め、徐々に就職先が決定していく。
当時を振り返って、今ならわかる。
ぼくは物事を納得するのに人一倍時間をかける。だから、これからどう生きていくかということ。それ以前にこの社会で生きていくことを肯定することすら、当時の自分にはできていなかった。
あれから大学を卒業して2年が経ち、24歳になった。
やっと、周りに追いついた気がする。
この社会で生きていくということを心から受け入れ、自分自身のやりたいことについて、フラットに考えることができるようになった。
後悔はしていない。
もし曖昧に自分を納得させて次に進んでいたら、一生涯拭えない未練を残していたことだろう。
資本主義・大量消費という社会の不完全さと徹底的に向き合って考え、理想の暮らしを求めて全国各地を周り、汗水垂らして現場で働いたからいまがある。
いま、ぼくは青春の終わりのゲートの前に立っている。
潜り抜けてしまえば、青春の悩みに終止符を打つことができる。
果たして、終わらせてしまっていいのか?
もし自分の青春にやり残したことがあるのならば、それを抱えたまま“成熟した大人”になると危険だ。そうやって未練を残した大人は、自分のいる環境に不平不満を垂らすようになる。
自分と同じ境遇を人に押し付けて、最悪の場合、人の幸せを妬み、奪う。
青春時代にした経験が、人生の幅を決める。
ぼくはそう信じている。
青春時代の人間はキラキラと輝いている。
これからの自分の人生にワクワクしているからだ。
世の中を変えてやる。
そんな風に情熱を燃やして何かを追いかける。
成功しようと失敗しようと、それをやり切ることができたなら。
その人間は不屈の自信と、人生に対する納得感を得ることができる。
ぼくは25歳で、自分自身の青春になにかしらの結論を導き出そうと思っている。それは19歳の頃に決めた青春のリミットでもある。
あと1〜2年。
過去・現在と徹底的に向き合い、やり残したことはないかと自分自身に問う。成熟した自分は、もうすぐそこまで来ている。
以下、『青春の門』で心に残った言葉たちを抜粋して紹介しよう。
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『青春の門』で、主人公の信介は故郷を去り、早稲田大学へ進学する。
早稲田大学で信介は、様々な人間に出会う。周りの人間たちに劣等感を抱きながら、一人前の人間を志す。
そして、当時全盛期だった学生運動に身を委ね、放浪する。
学生運動で燃え尽きた信介は、ついに堕落し、早稲田大学を中退する。
そして、果てしない冒険へと誘われていくのだった。