私の生い立ち②(大学入学から)
前回の記事で私の生まれを書いてみました。
どんな需要があるかわかりませんが、自己紹介するとなるとあっさりしかお話できない場合も多くて。「井澤農園の4代目の妻です!管理栄養士としても働いています!」くらい?それだと味気ないなぁ、と感じていたのでnoteに書いてみています。
↑こちらが第一弾、両親の生まれと、育った環境について主に触れてみています。
大学入学までをざっくり書いたので、今回は入学後について。
天使大学の栄養学科に進んだ私は、大学生活を謳歌すべく単位も限りなく全て取ろうと思い、選択教科はコマの許す限り選択(貧乏性なのでできるだけ多くの授業を取った方が1コマあたりの授業料が安くなるという計算😀)。せっかくならサークル活動も楽しみたいと思い三つのサークルを掛け持ちした。
サークルの中でも熱心に参加したのが「北の食物研究所(きたのしょくもつけんきゅうじょ)」。サークルの顧問が当時の栄養学科の学科長で、設立から年数が経っていたこともあり、活動の幅が広くて面白かった。学内で北海道産の食材を調理して食べるような活動もあれば、酵母の研究としてパンを作ってみたり、味噌作りをしてみたり。学校を飛び出して勉強会に参加することもあったが、私が一番刺激を受けたのが生産の場で生産者に会えたことだ。
北海道では市町村ごとに「農業青年団体」といわれる農家の若手の部活のようなグループ(「4Hクラブ」や「青年部」という細かい分類もある)がある場合が多く、私がそのサークルに在籍していた当時は石狩市、当別市、ニセコ周辺、栗山町などの青年団体との交流があった。サークル活動ではその青年団体が学校に来て、豆腐作りやうどん作りなどの交流会をしたり、私たちが現地に出向いて農業体験やファームステイ、地域のお祭りのお手伝いをするなどしていた。
(なんと、この時に大学に来てうどん作り交流会をした栗山町の青年団体のメンバーの中に夫がいたらしい。私が大学1年で18歳、夫は22歳!栗山町に移住し、夫と結婚する直前に、当時の集合写真を持っていた農家から教えてもらった。お互い、覚えてはいない)
生い立ち①で書いたように、畑で遊びながら育った私。だけど、農業を仕事としている生産者に初めて出会ったのは、大学一年生の夏のファームステイだった。ニセコ周辺の農家たちの農業団体が受け入れてくれ、女子大生2〜3人1組で農家の家に泊まって農業体験し、翌日は彼らが主催の地域のお祭りのお手伝いをするといった感じ(うろ覚え)。そこで「農業」というものを初めて経験した。
たった半日ほどの農業体験だったが、私は人参が畑いっぱいに植えてある風景を見て、農家と一緒に人参を掘った。大きな鉄のコンテナの中にニンジンを1本ずつ入れたり、巨大なトラクターを使ったり、大きな畑で汗を流しながら楽しそうに働く農家の姿に「彼らがいないと私たちは食べ物をいただけないし、食にまつわる仕事もできないんだな」と気付かされた。終始感動しすぎて作業のことは覚えていないが、人参はめちゃくちゃ美味しかったし、たった二日間で自分の生産者や野菜を見る目が変わった。
ファームステイで農家に魅了されたあとは「食を語るなら、食が作られている現場を知らないとダメだ!」と思い、全道各地の農家にあえるようなイベントに参加したり、実際に畑に行ったり。そのイベントで知り合ったお米農家と一緒に体験農業のプログラムを作って一般の方向けに発信し、4〜5年続けてもみた(私の父母もこういう活動が好きで、快く車を出してくれたり、友達を乗せて行ったりしてくれた)。今回はさらっとしか書かないけれど、この経験も有難いものだった。
大学一年生の時期は、一人でもいろいろな場所に行けるということを知り、本当に謳歌した。アルバイトもしていたので夏休みは農業体験の他にもアルバイトや、楽しみの旅行にも費やしたが、1年生の春休みには語学留学でオーストラリアにも3週間ちょっと行って初の海外を少しだけ体験してみたし、東北の震災復興のボランティアとして約2週間岩手県釜石市にも滞在し、大変な現状を見て自分の無力さも実感した。東北ボランティアは、その後も長期休みを利用して4、5回訪れているて、そこでは、東北の人々の底力や人の強さを知った。ボランティア受け入れ団体が北海道の自然学校(林間学校のように自然体験を子どもたちに提供する団体)を運営するNPO法人だったこともあり、ボランティア期間も帰ってきてからの繋がりの中でも面白い大人にたくさん出会えた。その経験や情報を得ていった中で、田舎に住み、一つの地域で各々が本の主人公のようにかけがえの無いパートを生きていることへの面白さにも気づき、「都会よりも地方で生きる方が面白そうだな」と感じた。
大学2年生になっても、3年生になっても学外活動の方が楽しくて力を入れまくった。面白い大人と出会うのも楽しすぎて、社会勉強で(笑)朝まで美味しいものを食べたり飲んだりもした。笑いながら言うが、『根がまじめなので』、もちろん大学の単位は落とさず、ほぼフルコマをこなしながら頑張った。毎日が忙しくて楽しかった。
このように活動するうちに、大学入試の時に思っていた「世界の飢餓の問題」は、とても申し訳ないけれど私には少し遠い存在に思えてきていた(Table for Twoやフェアトレードの問題などは学生中も勉強し、活動に参加もしたが)。もっと近くの日本の生産の現場を知るほど、「日本の農業もフェアトレードなのかな」と考えたり、「こんなにかっこよくて稼げる農業なのに、農家人口が減っているのはなぜなのかな」と疑問を持ったのだ。
そこで私は思った。
もしかしたら、高校生の時の私のように、生産者の存在や努力を知らないだけじゃないかな。知らなければ疑問も興味も持たない。
みんな、知れば魅了されるし、もっと食卓の会話が増えたり、食べ物にも感謝の気持ちを持っていただける。しかも、そういう食事って美味しいだけじゃなくて心も満たされ、感動すらもできる。
と。
大学3年生の夏、私、これをやりたい!と思った瞬間だった。
「これ」を言葉で表すなら、「農家にスポットライトを当てる人」。
そこから、私は自分の進路の方向転換を始め、結果的に、私は大学に5年間在籍した。説明しないと「あ、単位落としちゃったのかな」とか「朝起きれなかったのかな」とか「サボり魔かな」という解釈もされてしまうのだが、そうではなくて、社会に出る前に自分の進路の再確認をしたいなと思ったからだ。
天使大学の栄養学科は、ほぼ専門学校で、大学3年時と4年時に福祉施設や保育園、病院などに実習に行き、給食管理や栄養教育の現場を学んでから卒業する。公務員として学校や給食センターに配属されながら、子どもたちの給食管理や食育授業なども司る「学校の給食の先生」と言われる「栄養教諭第一種免許」の取得も可能で、そのコースを選んだ私は小学校へ2週間の実習へ行き、給食管理や食育の授業をさせていただいた。これもめちゃくちゃ有難い経験だった。
子どもたちは希望に溢れ、素直で可愛かったし、先生たちは全員がまさに聖職者。「生まれ変わったら学校の先生になりたい」と思った。
しかし、私は3年生のタイミングで「農家にスポットライトを当てる人」になりたいと思ったことで、ちょっと方向転換をしないといけなくなった。
ぼんやりと「食にまつわる仕事をしたい、そのために最高位の資格である管理栄養士を取りたい」と思っていたところから、「農がないと食は続かない」ことへの認識の後、どうにかして農の方へ歩んでいける方法を模索した。
そこで、これまでの様々なつながりから、縁あって私の武者修行的なフィールドを株式会社FoundingBaseが用意できるよとお声がけいただいた。
FoundingBaseをとても簡単に表現すると、若者を1年間(もちろん希望があれば継続して滞在できる)という期限付きで定型の自治体で雇用し、若者・よそ者視点で地方の問題を解決していくというプログラムを運営している団体だ(詳しい事業内容はFoundingBaseのnoteを見てください)。
今は全国各地、北海道にもFoundingBaseのフィールドがあるが、当時は島根県津和野町がメインで、岡山県和気町にもフィールドができ始めた頃だった。
当時の私は「もっと農業を知りたい」「農にまつわる問題の実態は全国で同じなの?違うの?」単身、農業分野の募集があった島根県津和野町へ渡ったのであった…
あら、もう3000文字超えてる!
次回、津和野に行ったところからまた続編書きますね。
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