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自分が思う聖地のありかたについて

自分は、まあまあ極まったオタクなので聖地巡礼などもしたりする。(たとえば沼津あたりに)

聖地をめぐるというのは、遠出であっても近場であっても楽しい旅路であるということは間違いない。

とはいうものの”拗らせ”が深くなるにつれて、自分が聖地に対して求めるものが変わってきていることに気づいた。

聖地にはキャラの絵姿は不要なのではないか。たとえばポスターやポップなどはないほうがいいのではないか。

自分が聖地に求めているのは、キャラたちが「その場所で生活している」「その場所に存在している」という気配であり、そんな気配を感じたい。同じ世界に生きているんだということを感じたい。ひとときだけでも勘違いさせてほしい。
そういうことである。

だから、キャラのパネルやポスターがそこここに展示されていることには違和感を感じるのである。

だって、もし本人たちがそこに生活しているなら、そんなパネルなんかないはず。仮にあったとしても、そこに張り出されていることの道理が必要で、ただ単に作品の舞台だからポスターでも貼っておけばいいというのは、興醒めするのだ。

個人的には、極論を言えば、そんな細工などはなくてもいい。作品上に描かれていた景色、風景がそこにあるだけでいい

鎌倉のまちを例にあげれば、七里ヶ浜の踏切をはじめ、作品の舞台が多すぎるために逆に特定の作品がどうこうという取り上げかたははあまりない。もともと観光地だから聖地観光に寄せていくことがない(余裕もないのかも)という理由があるのかもしれない。
聖地と観光の関係性については、それはそれで考えるべき点も多いが、それはまた別の話なので今回は深掘りはしないでおく。

閑話休題。

聖地には何もなくてよい。という話に戻るが、ここで難しいのは本当に何もないほうがいいのかということである。
実のところ、自分もそこまで達観はできていない。だって、何もないと現地の人たちは作品や登場人物に対してコミットしてないんじゃないか? 内心迷惑に思っているんじゃないか? といった疑心暗鬼になったりするから。もしそうだったらなんと寂しいことか。

だから、落としどころとしては、過度な装飾にはせず、さりげなく、そしてそこに確かにキャラたちがその街で生きているんだという気配を街ぐるみでロールプレイしてほしい。夢をみせて欲しい。
うーん、なんとなんとめんどくさいオタクなんだ、自分。

その点において沼津の街には感謝している。
(もう少し控えめでもいいとも思うけれど)パネルなども「オラが街のアイドルを応援しなきゃ」という感覚があって、けしてとりあえず飾っておけというようなとってつけた感はあまりない。勝手な解釈なのかも、贔屓目なのかもしれないけれど。

聖地は訪れる側と迎え入れる側、お互いの距離感をどう捉えるのかが大事だし、自分としては、さりげない街の気配、世界の共有感が何より重要なのだと思っている。

初出 24年6月7日


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