見出し画像

南伊豆古道を歩く〜弓ヶ浜ー石廊崎編〜

2022年4月22日。朝は富戸の定置網漁船に乗せてもらった。分厚い雨雲は東に流れ眩しい朝日が見えてきた。天気予報を見たら南伊豆の雨マークもなくなったので今日も歩く。

前回からの続き。今回は弓ヶ浜から伊豆半島最南端・石廊崎を目指して歩く。

弓ヶ浜・湊

弓ヶ浜・湊(みなと)からスタート。推定10km。南伊豆の最南端・石廊崎港を目指す。手石(ていし)の山道はすでに通れないことは確認済み。下流(したる)も山を越える道があると聞いているが実際に道があるかわからない。

弓ヶ浜の若宮神社を北上すると県道120号線から分かれ道、一本奥にある細い道が古道だ。青野川に近い出入り口には立派な庚申塔があった。

手石

青野川を渡り、手石地区へ。集落の入り口にある大きな岩の中に、庚申塔や石碑が収まっている。

車一台分くらいが通れるほどの狭い道を行くと、手石の地名の由来となる祠がある。伊豆半島では度々、役行者が登場するが『鬼女の手形』でも活躍している。

物語では『逃げ去った』とあるが、地元の人の話によると『集落を守っている』そうだ。

 伊豆の海岸地方に、鬼女がすんでいて、いろいろ悪行のかぎりをつくし、里人をこまらせていました。八丈島に流されていた役行者(えんのぎょうじゃ)は、この噂をきいて、あるときこの地にでかけてきて、鬼女に呪文をかけて修伏しました。

鬼女は、もだえくるしんで、行者の前にふしころびながらゆるしを乞いましたので、行者は、「二度と悪業をせぬと誓って去れ、そのしるしに手形をのこせ」と、命じました。鬼女はうなずいて、かたわらの石に手をあてたかと思うと、いずこともなく逃げ去っていってしまいました。

あとの石には鬼女の手形がはっきりのこっていました。この石を手石とよび、このときから地名を手石というようになったということです。

─『伊豆の民話』(未来社)より引用

その昔、手石のあたりは水深の浅いラグーン地帯だったと聞いている。砂嘴になっているのが弓ヶ浜。私が伊豆半島を海路推しする所以の一つである。

手石にはもう一つ江戸時代から伝わる逸話がある。伊豆七不思議のひとつで、海辺にある阿弥陀窟(あみだくつ)だ。

この洞窟に小船で入ると、暗闇の中に金色に輝く三体の仏像が現れるという。実際は光の屈折による現象だが、条件を満たさないと見ることができない。以下がその条件だ。

・晴天
・凪
・正午
・大潮の干潮時

洞窟には船がないと入れないが、歩いて行けるところまで行ってみることにした。トンネルの右側の道を登っていく。

細い山道が続いている。

5分くらい歩くと石碑が集まった地帯が現れた。

気のせいかもしれないけど、気配を感じた。恐ろしくはない。

読める年号を見る限り、江戸時代の石碑。

さらに歩くと洞窟があった。海上だけでなく地上にもあるのか。探したけど、先にもまだ道が続くのかわからなかった。次回は手石をよく知る人と一緒に来てみよう。

下流

伊豆峯次第の拝所・来宮神社をチェックして下流の集落へ。

その名の通り、地面の下には水が流れているのか。道から水が湧き出ている箇所がある。気になって見ていたら地元の人が教えてくれた。

「集落には井戸が3箇所ある。昔は井戸いっぱいに張った水を、大きな柿の葉ですくって飲んだんだ。」

また、古道について尋ねると、下流の若宮神社裏から大瀬まで抜けられる山道がったと教えてくれたが、詳しい道はわからないという。

集落からそれらしい道や石碑を追って探したが、山越えの道を見つけることはできなかった。

大瀬

ここまでほぼ国道を歩くことになったが、大瀬海岸には楽しみにしていた蓑掛岩がある。大瀬では密猟を警戒してるようで、漁港へ踏み入れた途端に地元の人の目が厳しい。

蓑掛岩を見学に来たことを伝えると、漁港内に入れてもらえることができた。

その昔、役行者(えんのぎょうじゃ)が飛行用の衰をこの岩に掛けたという伝説からその名がついたという。

剣を立てたような奇岩が林立している。

丁度、干潮の良い時間帯に来れたようだが、両脇から打ち寄せる波が段々と強くなてきた。その激しさに恐怖を感じ始めたので、先端までは行かずに退散することにした。

石廊崎港

15時。南伊豆アロエセンターまでやってきた。ここまで来たらもうゴールはすぐそこ。アロエソフトを食べる余裕もある。

伊豆峯次第の拝所チェックポイントである王子神社を通過して、石室トンネルの手前を左に降って行く。

発掘調査で何度も訪れているので、もはや愛着ある見慣れた風景だ。

本日のゴール石廊崎港に到着。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?