南伊豆町・白水城址〜発掘調査④
本日、最高気温は18°と一気に春がやって来ました。まるで薄雲がかかったような春霞。今日は伊豆諸島は見えません。ほぼ無風、海は凪。穏やかな証拠です。
今日は伊東自然歴史案内人会の小川明美さんも参戦です。発掘調査は東京に住んでいた頃、新宿区の旧都営住宅の建て替えで縄文・弥生の集落跡を掘って以来だそうです。
前回までの発掘調査の様子はこちら
9じ 石廊崎港に集合。時間厳守ではないので途中参加の方も多く、日に日に関わる人が増えています。僕にとっても南伊豆のコミュニティの輪が広がり有難い限りです。南伊豆に関する知識を蓄え、南伊豆を一緒に歩く仲間たちに出会えました。
中国製の青磁の蓮弁模様が描かれた碗から国産の瀬戸美濃焼の天目茶碗まで。武士たちの間で嗜まれた茶会に伝統と先祖以来の歴史があることを伺えます。
水瓶として使用されていただろう常滑焼の壺は淵入りの破片もあったので年代がわかりやすいそうです。
これまでの発掘した出土遺物の年代観から、白水城は戦国時代後半期の本格的な山城であり、陶磁器を中心とした豊富な内容から後北条氏の重臣クラスの人物が城主として配置された可能性が高いと考えられるそうです。
後北条氏(小田原北条氏)の狙いは、白水城が伊豆半島の先端に位置することから、西から関東へ流入する海路を掌握するための武力を擁し、また海上活動に長けた者を白水城に置くことで、領国支配の強化と経済的支配の強化したのではないか。
金子浩之先生の推察は、白水城に立体的な歴史が浮かび上がり、聞いてるだけでワクワクです。こうなると歴史もトレンチも更に掘り下げたくなります。
今日は土塁、石塁の計測のため草刈りからです。
草を刈ってしまう前にと、小川明美さんが植物の名前と特徴を教えてくれました。
ノシランは良く観察してみると青い実をつけていました。知ると意識が変わり、見える世界が変わる瞬間です。今までは草にしか見えてなかったのに。都会で生まれ育った僕が、伊豆半島に魅力を感じる一面のひとつです。
草を刈り取ると石累が露わになり、城の姿がよりイメージができるようになりました。
本日も石廊崎港前にある ふじやへ。最近、テレビ番組で紹介されたようです。
今日のメニューはかき揚げの乗ったお蕎麦といなりずし。いつも日替わりで違うメニューにしてくださってます。
先日、食後に出してくれた石廊崎名物・ところてん。記事を見た都内の友人から店舗で提供したいと連絡があったので、みっちゃんに相談しました。
そしたら、なんと!太っ腹にもテングサを分けてくださったのです。
丁寧に作り方を解説してるYouTubeチャンネルを発見しました。ハキハキとテキパキと。みっちゃんの人柄が画面を通じて伝わって来ますね。オススメしてたあんこと牛乳で食べてみたいです。
午後からは石累の計測のアシスタントをします。
石累は基盤岩を上手く利用して、組み込んだ石材の配置が直線的で、大小の別が適切であるなどから、城郭使用時に設けられた石累である可能性が高いそうです。
トレンチは25cm強掘り込まれ、それに比例して出土品も大幅増。掘った分だけ成果はありそうです。今日までに100点を超える出土遺物となりました。
まだ発掘調査は続きます。。
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