見出し画像

東浦路を歩く〜網代ー宇佐美編〜(3回目)

冬至の朝。太陽の出番が最も短い今日を境に、また光が増していきます。陰が極まると、陽に転じる。新しく物事をスタートさせる、再度仕切り直してリスタートさせるのに、良い日だと世界各地で信仰されてますね。そんな一日のはじまりを太陽と月の合間で祈ります。

今日はしばらく歩けてなかった古道を歩きます。待ち合わせをしている伊東市の北部にある宇佐美コミュニティセンターへ。宇佐美江戸城石丁場遺跡・伊豆古道保存会理事長の森篤さんのお取り計らいで、伊東市議会議員の杉本憲也さんにアテンドいただき、伊東自然歴史案内人会の山本勝さんにガイドいただく事になりました。

そしてもうお一人、参戦するのは画家の竹内香ノ子さん。今月、伊豆高原のりんがふらんかギャラリーで開催されてる『竹内香ノ子絵画展 2021 winter』を観に行った際、在廊されていた竹内香ノ子さんと久しぶりの再会をきっかけにご一緒する事になりました。

古道を歩く前に、東浦路から一本細道入ったところにある春日神社をご案内いただきました。神社は氏子と呼ばれる住民が愛し感謝の祈りを捧げる、地域コミュニティの核となる、またパワースポットと呼ばれる聖なる空間であったりと、多面的な価値を持つ存在。そんな神社を全国数々を訪れてきましたが、神社は町の姿の映し鏡だと思います。宇佐美の春日神社からここに住まう人々の誇り高く、凛々しい生き様を感じました。

宇佐美には、将軍家光の命により建造された御座船 ・安宅丸の伝説が残る春日神社をはじめとして、平安・鎌倉時代から続く神社やお寺が多く残っています。まんが日本昔ばなし「伊豆いこう」は、安宅丸に由来するお話です。安宅丸はここ春日神社の境内のクスノキの大木で建造されたそうです。

古道を歩いていると道標となる石碑や道祖神。春日神社境内には、塞の神が外を向いて鎮座していました。元々古道にあった塞の神を移動させたのでしょう。古道あるあるの一つです。

イザ!出発です。車に乗り込み、網代方面へ向かいます。今回のコースは今まで歩いてきた伊豆古道・東浦路とは違う道を案内いただきます。多くの人が参考にしている『伊豆東浦路の下田街道』(加藤清志著)や東浦路調査報告書(伊豆歩倶楽部)で紹介されていない区間です。

「よし、このあたりで降ろしてくれ。」山本勝さんの言った場所は、私が以前に歩いた東浦路より一本東寄りでした。最新の研究では、こちらが本物であると云われている古道です。

本が出版された頃はまだ整備されていなかったそうで、とてもハイキングコースとして通れる東浦路ではなかったそうです。きっと、現在の八幡野ー奈良本区間のような整備されていないエクストリームな古道だったのでしょう。



ここで杉本憲也さんと分かれ、三名で出発です。山本勝さんを先頭に東浦路を往きます。「あ!同じだ!」今年の八月、富士山登頂ギネス記録を持つミスター富士山こと、實川欣伸さんから教わった歩幅とペースを思い出しました。

ペースと歩幅の事を尋ねると山本勝さんは「ビスタリー、ビスタリーだよ。」ネパールの山に行った際、そう教わったそう。ゆっくり、ゆっくり歩くのだそうです。

続けて話されました。「徳川家康の遺訓知ってる?〝人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず〟そう言って天下を獲ったんだよ狸親父は。」

人生にも通ずる大切な事を再認識。体の健康はもちろん、自然や文化や歴史など知識だけでなく、人生を豊かにしてくれる知恵があります。歩くこと、シンプルが故に奥が深いです。

突然に山本勝さんが道を外れてごろごろと大きな石がある斜面を登ります。石の下面を覗きこみながら登って行きます。「おーい!ここにあったぞ。懐中電灯照らしてくれ。」

ありました。紋です!1603年から30年間、江戸城改築のために伊豆半島から大量の石が江戸に運ばれました。作業主が誰なのかを示す紋(刻字や刻印)の石を見ることができます。日本全国の丁場の中で、これほど多くの紋が見られるのは伊豆の石丁場だけであり、いかに多くの大名が江戸城築城に関係していたかがわかります。

江戸城の基礎となる石垣用の石の大部分は伊豆から運ばれ、多い時は3000艘の船が、月に2度ずつ江戸と伊豆の間を往復したと伝えられています。宇佐美の山中には、こうした石を切り出した跡が殆ど手付かずのまま残されています。

石畳が現れました。これこそが東浦路である有力な証拠です。まもなく行くと峠の分譲地・別荘地区に出て来ました。以前に歩いている東浦路です。道が繋がりました。

左の奥に頭を出してるのが箱根山、右の奥に頭を出してるのが丹沢山です。お天気が良いので、三浦半島の奥には房総半島までよく見えます。

冠雪した富士山も頭を出していました。

標高310m。峠の入り口、大島茶屋跡に到着。東浦路の入り口です。道は整備の手が施されています。

山本勝さんの案内はここまで。一人で気ままに歩くのが好きだという山本さん、この先もお誘いしたのですが「ここからは知ってる道でしょ。」普段の山登りは連まず、ソロ活動なんだそうです。それでも分かれ際には「暖かくなったら、コース沿いにある離山・ナコウ山・朝日山を歩こう」と約束しました。

ここからの東浦路は竹内香ノ子さん、それからバッグの中に潜んでいた烏骨鶏とチャボのMIX・コロ助と三人パーティです。生まれた時から一緒にいるからか、とても人に慣れています。ただ、卵を産みたいようで少し気が立っていました。道中、どこかで産み落としてもらいましょう。

ここから峠の東浦路は伊東市のアダプトシステムが採用され、美宇佐美江戸城石丁場遺跡・伊豆古道保存会によって管理されています。東浦路内で比べても屈指の整備された区間であり、人の営みに直結した文化が、愛され、保存されてきた古道であることが分かります。約4kmの正にハイキングコースにぴったりな東浦路です。

大正時代、伊東市にある池小学校の遠足ではこの峠道を歩いたと作文が残っており、網代ー宇佐美間の主要な道だった事が想像できます。

コロ助は、卵を産む場所が落ち着くのに、行ったり来たり。途中、姿が見えなくなり不安になりましたが、どこかで無事に卵を産んだようでいつもの可愛らしい様子になって帰って来ました。

本日は、朝待ち合わせした宇佐美コミュニティセンターでゴール。

本日の東浦路
熱海市・網代ー伊東市・宇佐美
    距離 約7km/歩数 11,361歩/時間 約4時間




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?