東浦路を歩く〜網代ー宇佐美(3回目)外伝

外伝はおまけ。頭がパンクしてしまうくらい情報過多な深掘りや、遠慮会釈もなく、思ったままを率直に、歯に衣着せぬ記事です。

宇佐美コミュニティセンターに戻って来ました。烏骨鶏とチャボのMIXであるコロ助が、卵を産む場所を求めて山林を歩く姿は、それはそれは可愛すぎて。遠くへ行きすぎて見失ってしまい、トンビは猪など獣に襲われていないか心配になってしまったり。

今回の古道に関して、一番気になったのは宇佐美の春日神社で伊東自然歴史案内人会の山本勝さんから聞いた塞の神の件。

頭を撫ぜるのではなく、頭を引っ叩くと、塞の神が喜んでくださるというのです。
その話を受けて、伊東市池に在住の画家の竹内香ノ子さんも塞の神を火で燃やすお祭りがある?(と言ったように聞こえた)その会話の時、まんが日本昔ばなし『伊豆いこう』にも登場したオオクスに意識が向いていた私は注意分配が足りず、池のお祭りのお話は真偽は曖昧なのですが、山本勝さんの話はまだ続きがありました。

「子どもは神に捧げるお供えもの。
だから、『子』を『供える』と書いて『子供』と読むんだ。」

この話を聞いて、私は旧約聖書の神様がアブラハムに一人息子イサクをいけにえとして捧げるように命じた創世記22章のお話が浮かび上がりました。最終的には、全焼の生贄を捧げるためイサクの上に刃物を振り上げた瞬間、天から神様の御使いが現れてアブラハムのその行為を止めたのですが、この話はアブラハムが模範的な信仰者としてユダヤ教、キリスト教、イスラム教で讃えられています。

当時のカナン地方に住むイスラエル民族以外では、モレク崇拝やバアル信仰による人身御供の習慣があったのです。その事を考えると出元は同じような気がしています。

塞の神は「あの世」と「この世」との境界と言われてる賽の河原が由来だそうです。賽の河原は三途の川の手前にあり、親よりも先に亡くなった子供達がいて、石を積み上げて石像や石塔を作っています。 できあがる前に鬼がやってきて壊してしまうため、子供達はまた最初から石を積み上げていきます。 そこにお地蔵様が現れて、子供達を開放してくれるそうです。伊豆極楽苑の地獄の入り口で見た光景がトラウマのように記憶の倉庫に残っています。

その真偽を確かめるべく、古道を歩き終えたその足で伊東市教育委員会の金子浩之さんのいらっしゃる文化財管理センターへ向かおうというその道中、元交番の建物を再利用している観光案内所『伊東観光番』の前を通ったら、知ってる顔の人が外にいる!西谷雅治さんです。急きょ車を停めて、初めて観光番に入ります。日本の造船の父・肥田浜五郎の情報が観光番の裏あたりで知ることができる。そんな話も聞いてるので、今年五月には肥田家を深掘りしてた私は裏手が気になりつつも、それはまた次の機会に。

3年前、文化庁の支援事業によりはじめてやってきた伊東市で、一番はじめにお世話になった西谷さん。一時はダイビングインストラクターとして東北へ行っていましたが、今の時期は戻って来ていると噂を聞いていました。地域に入り、いざ企画を推進していくと、補助金に群がる人、セコい我田引水、お隣の熱◯市を羨むのにアイデアなし、的を得てない観◯課の取組み、、ついつい都内のクライアントと比較してしまい、空いた口が塞がらなかったあの頃。当時は、大室高原にある西谷さんの別荘をお借りして活動していたのです。ルール(生きてく価値)の違う人たちと呼吸が合わなかった私は、たくさんのご迷惑をおかけした事でしょう。それでも暖かく見守っていただけた事改めて感謝です。

はじまりを意識する冬至の日にお会いできるなんて。伊豆半島ジオパーク推進協議会とジオガイド協会の関係性、歴史文化案内人会とジオガイド協会それぞれの特性、目指す姿や近況などを情報交換させていただきました。

伊東市は約6万8000人しかいない小さな地域なので、知り合いの知り合いはだいたい知り合いだったりする。その特性を活かしつつ、二次情報を真に受けず、出る杭となり、ロマンを追求して推進したいと思います。それにしても利益を求めない行動はそんなに疑わしいのでしょうか。頭の中に組み立てる材料は揃って来ました。まだまだ書き慣れてないので稚拙な文章ですが、活動記録は恥を忍び実践あるのみ。発信を習慣化していきたいですが、関わる人が希望を見出せるよう、そろそろ仕組み作りを着手していきたいと思います。

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