電波戦隊スイハンジャー#26

第三章・電波さんがゆく、グリーン正嗣の踏絵

分水嶺4

2年前の4月の終わりだったと思う。確かハナミズキが散ってた頃だから。


その日は午前中授業だったので光彦は12時半には自宅兼医院に着いていた。


自転車を軒下に置いて裏口に向かって歩いた。

途中に診察室の窓があった。いつもは閉まっているが窓がなぜかその時開いていた。


春の嵐の突風が吹いてカーテンが巻き上がり、診察室内が露わになった。


光彦は見た。院長である自分の父親と、新米看護師の黒木さんがキスをしているのを。


自分の生活に亀裂が入って壊れ始めるのを感じた。


「2、3秒で終わる慌ただしいキスだったよ。

見られちゃヤバいって感じの…『ああ、この2人不倫してんだ』って妙にアタマは冷静だったよ。胸は裂けそうなのにな。

オレは見た事をどうしてもお袋に言えなかった」


1週間後くらい後に両親が夜中罵り合っているのを、光彦は聞いた。


黒木さんは5月の終わりに辞めて行った。それから父親の外泊が増えて、母親が一人で涙ぐむのをよく見るようになった。


「それまでは自分の家族が仲いいと思ってた。親父は忙しい人だけど、小学校の頃は年に2回家族旅行に連れて行ってくれた。


北海道にも沖縄にも、ハワイにもオーストリアにも行ったよ。なんかイヤミに聞こえるかなぁ…」


正嗣がくれた箱ティッシュの紙を何枚も使って泣きじゃくって話し、光彦はすん、と鼻をすすった。


「いや、イヤミには聞こえないよ。医者の家って余裕あるんだなあ…だが、ご両親の問題はそれで済んだのか?」


「マサ、済んでないから離婚すんだよ…


マジメ過ぎて時々ズレてないかい?そんで夏休みになって、お袋はオレたち兄妹連れて熊本市内の実家に帰った」


「お前の母方の実家って熊本市内の藤崎外科だったな。確か、じーちゃん先生の具合悪いから夏休みだけ帰るって言ってたっけ?」


「なんてのは真っ赤なウソ。じーちゃんはピンピンしてるよ。


75だけど老人扱いすると怒るよ。精神的に具合悪かったのはほんとはお袋。緊急避難だったんだよね。


お袋も落ち着いて阿蘇に何度かドライブ連れて行ってくれて、それなりに気楽な夏休みだったよ。でも夏休み終わりに近い夜中、オレだけお袋に起こされてドライブに誘われたんだ」


夜中から明け方に移る時間だった。国道は車が2、3台しか見当たらなかったが、明らかにどの車も80キロオーバーして光の尾を引いている。


「怖いよ、お袋」と光彦はスピード運転する母親に言った。


「取り締まりが引く時間だからね、これぐらい走らないと煽られるよ」


箱入り娘とは思えない母親のセリフに光彦はぎょっとした。


やがて車は熊本港に着いた。フロントガラス越しに親子は明け方の海と、空を見た。


ブルーグレイの空に白い月が光っていた。波の音はお行儀よいくらい穏やかだ。


「オレとお袋は普通のお喋りしてた。突然お袋が、ハンドルに突っ伏して泣いて、言ったんだ。

お父さんは、患者の女性の何人かと関係があるのよ、って。


関係って、カラダの?とオレは聞き返したよ。


ええ、その中には家入先生の奥さんもいるの。って。


もう別れちまえよ、スッキリするぜ、とオレは言った。


お袋は首を振った。結婚した時は、お父さんはとても優しい人だったのよ。もう少し、もう少し頑張れば、お父さんも変わってくれるかもしれない、って。


それで話は終わりになった」


そういえば家入先生が急に情緒不安定になって正嗣に突っかかるようになったのはその頃からだった。


今学期を機に、家入先生は期限未定で休職する。


「女房に浮気されたのは同情するけど、あいつの攻撃的な性格は嫌いだ。

家入センコーがウツで休職するんだって?マサ、気楽になったじゃん」


「おい、光彦…」


「なんで知ってるの?って顔してるね。家入が家庭の相談した相手が悪い。日之出スーパーの奥さんだぜ」


ああ、町内一のスピーカー…。「おばさんの悪気のないおしゃべり」が一番怖い。


「んで、夏休みが終わって家に帰り、学校が始まると同時にクラスのみんなの、オレに対するシカトが始まったんだ」


泣き止んだ光彦の顔は冷静を通り越して冷徹にも見えた。


「原因は分からない。夏休みの間に親父の噂が広まったのかもしれない。

1学期は一緒にバカやってた奴らが急によそよそしくなるって、結構こたえるぜ。担任の小泉は知っててほっといてた」


その時は新任だった小泉先生。教え方が一方的と生徒からは不評である。


大学院に帰る事しか考えていない若者。アルバイト感覚の教員。


「1年の頃は直接ボコられるって事がなかったからなんとか耐えられて進級した。

2年になってクラス替えして、隣の席の狩野ちゃんが教えてくれた。

いじめののボスは安藤裕美だって。たむろっている林と平井は手下だって、狩野ちゃんが言った。


『あたしもシカト食らってるんだ。ハンドボールの仲間は味方だけどね』

って。寂しそうな顔してた。


狩野ちゃんは『下級生とかも、安藤たちにユスリ受けてるらしい。許せない、告発しよう』って。


狩野ちゃんとオレは勇気出して担任に告発した。でも、担任にまた恵まれてなかった。国語の高木。また新任だ」


高木先生は元ギャルの、自身もまだ幼いという印象の女性教師だった。今年の3月末に、急性ストレスで退職してしまった…


「よせばいいのに高木は特別学級会開いて、正論だけど、実に幼稚っぽく『いじめはいけない!』繰り返してた。


安藤たちはせせら笑ってたよ」


去年の4月に起こったその告発を、なぜか正嗣は知らなかったし、知らされてなかった。


どうしてなんだ?職員室の同僚教師たちの背中を正嗣は思い浮かべた。


職員たちの間にもなんと厚い見えない『壁』があるものだ…


正嗣の困惑した表情を見抜いてか、光彦が皮肉な笑みを浮かべて言った。


「オレの予想だけど、校長が高木に圧力かけて、他の教員に言わないよう脅したんだ。特に、マサのような熱血教師。上司から見るとうざったいタイプには、ね」


「どうして?」


「だって、安藤の親父は県議会議員の安藤裕一だぜ。

大物だ。校長は定年までに面倒事起こしたくないんだ。…結局、2年でもいじめは解決しなかった。


狩野ちゃんは『チクリ野郎』と言われてますます目の敵にされた。直接ボコり合う事は無かったよ。狩野はこの学校の男子より腕っぷしが強いからね」


去年の夏休み、狩野はコンビニ前で酔ったヤンキー男たちにからまれ、ママチャリをブチ投げて撃退した武勇伝があるのだ。


その事を思い出したのか、光彦は少しにやっと笑った。


「オレと狩野はお互い『共闘関係』だった。悪い事はしてないのに、大人に裏切られ、報われない。大人ってのはとことん役立たずだ。


却って立場悪くなる同志…3年になってクラス替えまで頑張ろう、ってさ。


そしてマサが担任になった。オレたちはマサに告発しようと、タイミングを待った。でも、こっくりさん事件が起こっちまった…」


クラスの女子の平井が、光彦の学生鞄からオカルト雑誌がはみ出しているのを見て、面白がって取り上げた。


「学年トップはこんな変な雑誌読むんだー」


小柄で足が速い平井は、すぐに安藤の所に走り寄って開いたページを見せた。


中3で肩までのストレートヘア、ばっちりアイメイクをした安藤は都会の女子高生のように見える。ちょうど「こっくりさん特集」のページの見開きを安藤は見た。


「こっくりさん?やってみようじゃん」


痩せぎすの平井が、レポート用紙にマジックペンでこっくりさん呼び出し用の50音などを書き始めた。


「やめろよ、遊び半分で霊的なことやったら、ロクな事になんねぇぞ!」


「信じてんの?バカじゃね」安藤があごをしゃくって近くの男子たちに光彦を抑えさせた。


ちくしょう、こいつ直接攻撃に出やがったな!光彦は怒気をはらんだ目で安藤たちを睨みつけた。


「その目が気に入らねえんだよ…自分は間違ってないって目がさ」


美形だけど、メイクのせいで老けて見える顔を安藤は歪めた。


「るせえ、おばさん中学生。議員のパパはお前のやってること知ってんのか?」


「さあねぇー」安藤たち3人は10円玉に人差し指を置いた。


「メンツが足りない、ママチャリ狩野、あんたもやらないか?」


標的が狩野に向けられた。「いいよ」狩野はあっさり承諾した。


「狩野、マジでやめろって!」


「参加するけどさ、条件がある」


「何だよ」


「ミッツの言う通り、なんか起こったら、その厚化粧のツラ、1発殴らせてくんない?」


厚化粧と聞いて見ていた男子たちが吹き出した。が、安藤の目線に気づいて静まった。


「…わかったよ。どうせ何も起こらないしさ」


10円玉に指を置く直前、狩野は光彦を見た。


大丈夫だよ、ミッツ。そう伝えているような気がした。


クラスの女子4人は、一斉に唱和した。


「こっくりさん。こっくりさん、お入りください」


次の瞬間、赤黒い瘴気が教室内を包んだように光彦には見えた。


まず4人の女子、続いて見ていたクラスメイトが昏倒し、光彦の意識がそこで途絶えた。


「本当に…本当に恐ろしかったよ。マサが来るまでは。オレはネットで調べて知ってるんだけど、こっくりさんやって本当におかしくなっちゃうんだな…」


「そうだよ。20数年前に九州で起こった事件なんだ。全国ニュースにもなった。先生は思うんだ。


霊体の存在を信じる信じないは自由だが、信じない事と、粗末にしたり、オモチャにするのはイコールではない、と」


正嗣は思った。きっと周りの現実がろくでもないから、この子は見えない不思議な世界や伝承の世界にのめり込んでしまったのではないか。


この子が、生徒たちが2年以上もいじめに苦しんで耐えていたのに自分は生徒の闇が怖いと目をそらしていたではないか!


愚かなのは、私だ。


「よく頑張った、光彦」


正嗣は光彦の肩に手を置き抱き寄せた。光彦が再びひくっ、ひくっとしゃくり上げた。


「気付いてやれなくて本当に悪かった。

いや、本当は気づいていたかもしれないけど、現実を見たくなかったのかもしれない…」


「先生…オレのブログの記事読んだ?」


「友達が教えてくれたんだ。読んだ。本当に先生の特徴よく書けてた」


「記事は、削除するよ…先生に読んでもらいたくて書いたんだ」


「すまんな、仲間の事もあるから、そうして貰うと助かる。


後の事は先生に任せろ、もう耐えなくていいんだ。


お前のファミレス通いを教えたくれたのは狩野なんだ」


光彦が吐気を催し、正嗣が慌てて用意したゴミ箱の中に少年は嘔吐した。


ひーっ、ひーっと何度も痙攣を繰り返し、胃の内容物が無くなっても吐き続けた。手の先がぶるぶる震えている。


はっはっはっ、と短い息を続けて光彦は倒れた。


どうしたんだ!?正嗣は慌てた。


「ハイパーベンチレーションや!」


襖を開けて泰範が入ってきて、コンビニ袋をいきなり光彦の顔に押し当てた。


「おい、口を塞ぐなんて!」


「ええから、じきに収まりますよって」


泰範の言うとおり、光彦の呼吸が次第に規則正しいものになった。


「ハイパーベンチレーション、つまり過呼吸や。極度に精神的に興奮したときに、酸素吸い過ぎて起こすんや。袋かぶせて二酸化炭素吸わせたらええねん」


座布団を枕にして光彦は眠ってしまった。


「この子は溜まってしまった事ぜーんぶ正嗣はんにぶちまけて、体がやっと正直なSOS反応したんやなー」


教師と僧侶は、あどけなく眠る光彦の寝顔を黙って見た。


(七城先生!)


長い話し合いの後にいきなりのテレパシー受信で頭痛がした。


(次は、琢磨さんですか?何ですか?)


(前置きなしに言います。近藤光彦くんを保護してください!)


(どういうことだ?)


(不思議系ブログの管理人が次々襲われているんだ。光彦くんの記事は、スイハンジャーの特徴を書いている。

真っ先に狙われる危険大なんだ!僕もそちらに飛んで手伝います)


(その必要はないです。彼はここに泊まりに来て、眠っています)


(あ…そうですか…)琢磨の心の声は安心して脱力していた。


(どいつもこいつも、ボクのおでこを利用しやがって。ヤローはもう嫌だよ)


薬師如来ルリオが最後に不平をたれた。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?