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嵯峨野の月#99 軛

第4章 秘密16

くびき


行表和尚ぎょうひょうおしょうの十五回忌が大安寺で執り行われた弘仁三年の春、この日初めて最澄が法要に姿を現した。

あれが天台宗を興した最澄和尚か。

なんだ、滅多なことでは山を降りぬし、論戦では絶対折れぬ頑固者だと思っていたが随分大人しそうな人ではないか…

と薄青色の帽子を被った背の高い最澄の清冽、とも云える澄んだ眼差しや挙措端正な佇まいは参列した僧たちに、
最澄は天台宗の戒壇という僧侶にあるまじき権限を求める野心家。という先入観さえも忘れさせる程のものだった。

今までの最澄は、
「正僧になってたった三ヶ月で奈良から逃げ出し、せっかく戒を授けて下さった師に対し顔向けできない」

と法事への参加を拒んでいたが、あれからもう二十七年も経ち、四十五になった最澄は最近病がちになり、我が人生もそろそろ。という思いがあったのかもしれない。

と挨拶もそこそこに弟子たちを連れて帰って行った最澄が面やつれし、背中が少し丸まっているのに気付いた勤操は思うのだった。

もしもあの夜、最澄の身に起こった出来事が無かったら…

いまこの大安寺を取り仕切っているのは間違いなく自分ではなく最澄なのに。

そう勤操に思わせる程優秀な人材を奈良仏教は内部の腐敗により失ったのだ。

桓武帝の命により出身の近江国分寺を廃され、最澄が師の行表和尚と共に大安寺に移って来た時の彼の、
「修行至らぬ身ですがどうか宜しくお願いします」というはにかんだ笑顔が今でも忘れられない。長い下まつ毛が印象的な、人見知りだが勤勉そうな好青年。

という最澄の当初の明るさは突然の一方的な暴力で奪われてしまった。

事を知った勤操は加害者の僧侶らに骨を一、二本折るくらいの制裁を加え、すぐさま寺から追い出した。

東大寺の実忠和尚にだけ仔細を報告すると実忠は憤怒を滲ませた声で「そいつら全員破門だ」と告げた。

実忠亡き今、最澄が逃げ出した本当の理由を知るのは今や自分だけとなってしまった。

皮肉なもんや。と勤操は思う。

あの事件が無かったら最澄は比叡に山籠もりしなかったし、素晴らしい願文を書き上げて和気清麻呂に推挙される事も桓武帝に抜擢されることもなく

天台宗も生まれなかったかもしれないのだから。

さて、年月とともに最澄の心の傷も少しは癒えてくれいればいいが…

今年五十八になった勤操は霞みがかった空の下で盛大なくしゃみをし、
「わしも年取ったなあ」とぼやいた。


春とはいえ比叡の山頂はいまだ寒く、火鉢の炭が燃え尽きたのに気付いた泰範が慌てて身を起こすのを「よい、泰範」と師の最澄が彼の首に腕を絡めて止めた。

「今はお前の温もりで十分だ」

と泰範の裸の胸に頬を押し当て最澄がうっとりとした声で囁く。
「なれどお風邪を召しますよ」
二人は朧月夜の光が差し込む室内で一つの白衣にくるまり裸で身を寄せ合っていた。

壁にもたれた泰範がしょうがないなあ、とまるで我が子をあやすように老境に差し掛かった師を抱きすくめ、額から瞼、そして首筋と順に唇を付けていく。
その間、弟子の練絹のような肌を最澄は撫でまわしている。

弟子の愛撫に陶然と目を閉じる最澄は泰範に唇を吸われ、そのまま三十六の男盛りの弟子の若いからだに組み敷かれて彼の昂ぶりと断続的な熱い動きを受け容れた。

泰範がこうして師をお慰めするようになったのは比叡山寺に来てひと月後の事。

師の部屋からうめき声が聞こえるのでもしや急な発作か?と思って覗いて見たものは…歯ぎしりしながら悪夢にうなされる最澄の姿だった。

「やめてくれ…やめて!」
と床の上で両脚を踏ん張り、何かを必死で振り払っている。

慌てて揺り起こすと寝汗で衣を濡らした最澄は大きく息を付いて、
「済まなかった…」としばらく震えた。
「大層怯えておいででした。どのような夢を?」
と尋ねても「いやなんでもない」と師は首を振るばかり。


それが三日に一度の頻度で起こるではないか。
師の過去に何があったのか最澄の一番弟子、円澄に思い切って尋ねてみると、

「和尚は東大寺の僧侶たちに暴力を受けてこの山まで逃げた、とだけ聞かされた事があるが」

兄弟子のその言葉と師の寝言の内容で元は色子だった泰範は、ああ、我が師は…複数人の僧侶に強引に犯されたのだ。と容易に察することができた。

そしてある夜、いつもの悪夢で苦しんでいた師にすがり付かれた泰範は…

今苦しまれているこの方を私なりのやり方でお救いしよう。
と決心し、

「いま助けてあげますからね」

と蒼白になった師の下唇に親指を当て、残り四本の指で頬から首筋を撫で回してからもう一方の手で優しく抱きすくめ、自分の持てる技量全て使って師を慰めた。

母親にもされたことのない優しく温かい抱擁と僧侶には禁じられている肌と肌の触れ合い。

得もいわれぬ心地よさに最澄は脱力し、泰範に抱かれて幾度も死ぬのではないか?というくらいの仙境を味わった。

二時後ふたときご
師と弟子は汗ばんだ裸身を離して仰向けに床に寝転がった。

「許して下さい最澄さま」
息をついて詫びる弟子に最澄は、

「いや、男に抱かれるのはこれが初めてではない」

と意外な告白をした。
「近江の国分寺でひととおり嗜んできた。幼い内から寺に入れられるとはそういうことなんだ」
「ご両親はあなたがそのような目に遭うと解っていながら寺に入れたのですか?」

ああ、と最澄は腕で目を覆いながら答え口元にひきつった笑いを浮かべた。
「貧しい農家が一族を食べさせるには子を寺に入れて出世を望むしか途がない。仕方なかったのだ」

…それでは私と同じ、売られたようなものではないか!

とその時は心から師に同情し、一夜限りの関係のつもりがもう十八年も続いている。

最初は三日おきだったのが十日に一度、月に二度、今は月に一度くらい。最澄さまももうお年であられるよ。

身繕いを済ませた泰範は既に西に傾いている朧月の、恐いくらい大きな光を見つめながら、

僧侶にさせられた我が身を別に儚んではいない。子供の頃より俗世の生々しさ汚さを見てきた自分としてはむしろ清々した心持ちだった。

しかし、密偵として入った比叡山寺で事もあろうに最澄さまと情を交わし合う仲になるとは。

我が身もこの寺では古参となり自分の今の立場に満足している。が、弟子たちの間では

一体お上はいつ天台宗に戒壇の認可を下さるのか?
最澄さまもそう長くはないだろう。今の内に後継者を決めていただかないと。

やはり一番弟子の円澄どのか?
それとも唐まで同道された義真どのか?
それとも…

と我を見る僧たちの嫉心の目線がこの頃痛くてたまらない。

長年最澄さまにお仕えして十八年尽くしてきたのに比叡山に真の居場所を見つけられなかった。

師への情ひとつで何処にも行けないでいる泰範は文机の上でひとり頭を抱えた。

所詮、我が身も朧…


弘仁三年(812年)の夏、空海は内裏に呼び出され嬉しそうなお顔で唐の最新書体の手習いをする嵯峨帝に、

「お前が作らせた狸毛の筆だが、実に使い易い。最初は固くて大丈夫か?と思ったが成程、顔真卿《がんしんけい》の力強い書を倣うにはこれが丁度よい」
とお褒めの言葉を戴いた。

顔真卿とは玄宗皇帝の頃の政治家兼書家であり、安禄山の乱に対して義軍を挙兵し、唐王朝を守った英雄と称えられる。
が、その最期は敵に捕えられて投降を迫られたが断固拒否し、処刑された。

そんな彼の剛毅さが表れている顔真卿の書体が留学時の唐の最新流行であり、当時日本には無かった狸毛の筆を帰国後、筆匠の坂名井清川さかないのきよかわに楷・行・草・写経用の狸毛筆りもうひつ四本を作らせ、弘仁三年(812分)六月七日、嵯峨天皇に献上していた。

「まことありがたきしあわせ…なれどそれは筆匠の腕が確かだからです」

と空海が答えると「解ってる、清川にも十分な褒美を取らせる」と笑った後に

「最澄の具合が良くないと聞いているが」

と筆を置いて空海に向き直り、思案顔をした。

「確かにわしと最澄さまとは経典の貸し借りと文の遣り取りをしていますがそれも使者を通してでもう一年近くもお会いしておりません」
と肩をすくめる空海に「なら、文を書け」と嵯峨帝は急に命じた。

「え?」

「昔、朕がまだ親王であった頃に読んだ聾鼓指帰ろうこしいき。あれを読んだ朕は大いに感動し、機会あればお前を登用しようと心に決めたのだ。

あれを越える位の筆力とお前の変幻自在の書体で最澄の心を動かして比叡山から下ろさせるのだ。疾く書け!」

「はっ、はい!」

こうして

風信雲書自天翔臨
披之閲之如掲雲霧兼
恵止觀妙門頂戴供養
不知攸厝已冷伏惟
法體何如空海推常擬
隨命躋攀彼嶺限以少
願不能東西今思与我金蘭
及室山集會一處量商仏
法大事因縁共建法幢報
仏恩徳望不憚煩勞蹔
降赴此院此所々望々忩々
不具釋空海状上
   九月十一日
東嶺金蘭法前
         謹空

たなびく雲のような美しい筆跡が天より舞い降りた、そのような貴方からの風のようなお手紙を開きこれを読むと雲霧が晴れる心地がします。

併せて「止観妙門」の経典を頂き有り難うございます。

授かり御仏に捧げております。このことは身の置き所もないくらい恐縮しております。

今日この頃は気候を寒くなりましたが、貴方様の御身はお変わりございませんか?

私、空海は相変わらずです。ご命令に従い、比叡山に躋攀せいはん(よじ登る)したいと思っていますが、

私の方では日・時間の期限付きで願いの行をしなければならず、あちこちで歩くことができません。

今考えますことは、我が同志の最澄様と奈良室生寺の僧侶と私が一つ所に集まり、

仏の教えの大切なところ、その因果関係をよく考え、皆で法の御旗(法幢ほうどう)を建てて仏の恩に報いたいと願っています。

私の望むところは、苦労をいとわず貴方様が私の寺院に暫く逗留していただきますよう切望してやみません。

私はそれを望みます、それを望みます。

急ぎのお便りで、十分に意を尽くしておりません。

僧侶の空海が書面で申し上げます。

九月十一日(812年9月11日)

比叡山の最澄様、親しく固い友情に結ばれた同志の交友の御前に

この処から、貴方を敬い白紙で残しておきます

という内容の文をしたためた空海は早速使者を持たせ比叡山の最澄に送った。

後に風信帖ふうしんじょうと呼ばれるこの手紙は一通目は緊張感溢れる王羲之風、忽披帖こつひじょうと呼ばれる二通目は力強い書体でさらに三通目の忽恵帖こつけいじょうは枯淡の境地に達した草体である。

五回に分けて文を送った空海は、わしの真心を筆に乗せて書き尽くしたつもりや。

これをお読みになられた最澄さまが動くかどうかは
「全ては大日如来のお働きのままに」
と合掌瞑目する空海であった。

この年の秋、右大臣藤原内麻呂が病で倒れた。

昨年弘仁格式の事業を息子の冬嗣に受け渡してから体の衰えを自覚し、子供たちへの財産の贈与などの身辺整理を行っていたが、いよいよ枕から頭も上がらなくなり、

妻子たちに別れの言葉をかけた後、最期に病床に呼び寄せたのは長男真夏、次男冬嗣、そして桓武帝皇子、良岑安世の三人。

皆、内麻呂の最初の妻であった百済永継が生んだ息子たち。

「死ぬる前に一言だけ本音を言おうと思ってな」

元々色白だった顔からさらに血の気が引いて蒼白になっている。
「永継を後宮に入れたのは帝がご所望なさったからで決して我の本意ではなかった」

桓武帝がご即位された当時は白村江の戦い以降隣国の新羅とは緊張関係が続いていた。

「桓武帝は当時日の本に帰化していた百済の女人を後宮に集めて妻にする事で『我は百済王族を擁してるから手を出すな』という新羅への体外政策を取ったつもりだったのだろうが…外国の女人たちを盾にするとは気の小さな帝よ」

桓武帝の百済系の女人の蒐集は若い娘に留まらず人妻であった明信や内麻呂の妻永継にまで及んだ。

「本音は永継を手離したくはなかったが断れば宮中への出世の途は絶たれる。
半身を千切られる思いで我は永継をお出迎えの車に乗せたよ…代わりに我は五位を給り殿上人となった。
そうだ冬嗣、父はお前の母を売って出世のきっかけを作った。今さら言い訳はしない」

話し疲れた内麻呂は真夏、冬嗣、安世の順に今まで見せたことのない労るような眼差しを向けた。

…ああ、これが父上の本来のお顔なのだ。

真夏と冬嗣は母を奪われ封印していた子供の頃の記憶を思い出し、出世のために今まで己を殺し続けてきた父を心底哀れんだ。

「安世さまをお呼びしたのはせめて永継の血を引く子供たちに看取られたかったため。許されよ」

「いいえ、内麻呂どのの後見が無ければ今の我はありませんでした。この際言いますが、実の父よりもお慕いしておりましたぞ」

そう言って涙を浮かべる安世の顔が一番永継に似ている…と内麻呂は思い、最期に

「真夏、冬嗣。生まれた時から全てを差し出す事を強いられる藤原の生き方は辛いぞ」
と言って右肘だけ付いて起き上がり、とても病人とは思えぬ力で、

「妻も!娘も!己の人生さえもっ…全て天皇家に捧げて来た!」

と寝床をばん、ばんと何度も強く叩き、血走った目で敷かれた布を握りしめた。

「よいか?奪われて苦しみたくなかったらやはり藤原を磐石にするしかないのだ…
必ずや北家を摂関家に」

疲れ果てた内麻呂は自分の代でなし得なかった野望を口にしてから息子たちのうなずきを確認すると目も口も閉じ、

永継。今から謝りに行くゆえ…と亡き妻が愛用していた香の匂いに包まれたまま息を引き取った。

弘仁三年十月六日(812年11月13日)
従仁位右大臣藤原内麻呂薨御。享年五十七。
贈一位左大臣。

桓武、平城、嵯峨の三朝に仕えて常に政の中心に居て決して失敗をしなかったのが彼の特筆すべき能力であり、また多くの子に恵まれ後の藤原北家繁栄の礎を築いた。

冬嗣は昔、藤原とは何だ?と義弟の三守に問うた事があるが、今なら解る。

藤原とは、血のくびきだ。

…と思っていたよりも安らかな父の死顔を見下ろしながら冬嗣は思った。

内麻呂の葬儀が終わった頃、吉野の麓の村に一人の青年が戻って来た。

約束の三年間の任期を終えた賀茂素軽である。
「ただいま、父上母上」
自分よりも背が伸びて少年から青年になった息子に修験者夫婦のたでかづらは「前より賢い顔つきになったな」「おかえり、お腹は空いてないかい?」と優しく迎え入れた。

「なんだなんだ、お前ソハヤを連れて来なかったのか?」

報せを受けて急ぎ山を降りて来た頭のタツミに向かって素軽は「この山では15過ぎたらどう生きるも自由ですよ」大人びた笑みを浮かべた。

素軽の答えにタツミはあ、つまりはそういうことか、と合点し「里の決まりだから仕方ないか…」とにやにやしながら顎を掻いた。


同じ頃、ひとりの青年が高野山の麓、天野の集落に現れた。
その青年は彫りの深い顔立ちをしており大事そうに細長い包みを背負っている。

「もしかして、ソハヤ?ソハヤなのか!?」

今は高野山の頂から降り、この里で暮らしている青い目の胡人たちが彼の周りに集まる。相変わらず筋骨逞しい胡人の長、波瑠玖はるくが騒速の前に歩み寄り、

「妹は物見台のところにいる」

とだけ告げた。毎日朝晩物見台に登っては騒速を待ち続けていたシリン姫が急いで梯子を降りて来る。

物見台の下で再会した二人はしばらく無言で見つめ合い、烏帽子を脱いだ騒速が差していた櫛をシリン姫に差し出し「名は…?」と問うた。シリン姫ははっとした目で彼を見つめ、涙を浮かべて「シリンよ」と嬉しそうに答えた。

これで名乗りが成立した。

その様子を遠巻きに見ていた里の人たちは若い二人が抱き締め合ったのを確認するとわいわい騒ぎ出し、

シリンの兄波瑠玖は、
「今宵こそシリンの婚儀だぁー!!」と全身で喜び両手を天に突き上げながら吼えた。

素軽二十歳、騒速十九歳。

都でのお仕め、というくびきから放たれた青年二人の人生は、

これから始まる。

後記
情という軛に苦しむ泰範
藤原という軛から逃れられない冬嗣

軛から放たれ人生を始めるソハヤとスガル。




























































































































































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