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ビワと記憶のこと

 仕事を辞めてから、思ったことや考えていることを文章にしたり、それを外へ出す機会が減ってしまったので、はじめました。インスタやツイッターもあるし使ってるけど、インスタは少ないながらも知り合いばかりだし、逆にツイッターは孤独な壁打ちプレイング。ここはほとんどリハビリになる予定です。



💭



 昨日、車に乗って信号を待っているときに、木のそばで大きなハサミを持って立っているおばあちゃんが目に入った。それはたくさん実のなったビワの木で、おばあちゃんがビワを取りたいけれど取れずに立ちすくんでいるみたいに見えた。まあ実際はそうじゃなくて、しばらくすると木の中からおじいちゃんが出てきたんだけど。なんかちょっと安心した。

 それにしても、ビワって久々に見たな。

 私は、ビワを見たらおじいちゃんを思い出す。バスに乗って突然うちに来て、木箱に入ったビワをお土産にくれたおじいちゃん。

 おじいちゃんの家はわたしの実家から車で峠を30分くらい行ったところにあって、いつもはうちの方から訪ねるんだけど、たまにおじいちゃんの方からバスでうちに来ることがあった。母がそう言ってたのか、いつも突然来るおじいちゃんだなと子供心に思ってたのを覚えている。たぶん家を出る前に「今から行く」って連絡を寄越すような訪問スタイル。その日もおじいちゃんは突然家に来ると母に連絡をしてきて、私は家を出てしばらく歩いた曲がり角のところまで迎えに行った。その頃は竹藪だったところらへん。

いつものハットにジャケットのゴッドファーザースタイルで、手にはお土産らしき包みを持ったおじいちゃん。

今も実家にあるキッチンのサイドテーブルの上で開けた化粧箱と、その中できれいにならべられた橙色のビワ

ビワを見るとそんな光景が呼び起こされる。


 いま思えば、当時の私は小学校低学年で、給食ではじめて食べたビワのそのおいしさに、また食べたいとねだっていたのかもしれない。そのへんはあまり思い出せないけど、私が喜ぶだろうとわざわざバスに乗ってビワを届けてくれたおじいちゃんの優しさと、パックじゃなくて化粧箱入りのものを選んだおじいちゃんらしさが懐かしい。

 ビワみたいに何かから幼少期の記憶が光景として呼び出されることはたくさんあって、そのあまりのリアルさにゾッとすることすらある。その度に私は「思い出を食べて生きてるな〜」と、なんだか途方に暮れたような気持ちになってしまう。今をやり過ごしてなんとか生きていくために、いい記憶を保存食みたいにして脳みそのどっかに備蓄してあるのかもしれないな。

 その後何年かは毎年家にビワが届いてた気がする。あんなに好きだったのに不思議とそれ以来食べてないので、これを機に久しぶりに食べてみようと思う。


 でもまあ当然パックに入ったやつだな。

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