EP008. すごいな、ずっと続けられるって
「今夜は会合で遅くなるから、お兄ちゃんと二人で食べとくんだよ。夕飯は用意してるけど、お兄ちゃんの分を温めてあげるのを忘ちゃダメだからね。」
そう言って、母はお店へと出掛けて行った。
両親は街の古い商店街で雑貨屋を営んでいる。店主たちの繋がりが強いからだろうか、最近では珍しく活気のある商店街だ。会合を口実に毎日のように集まっては呑んでばかりいるのだが、いくら活気の源だったとしても、高校生の私からするといかがなものかと疑問でしかない。
「もう、今日も部活なのに…」
部活を早めに切り上げて帰って来なくてはいけない。朝から憂鬱な気分になる。
高校へはスポーツ推薦で進学した。お世辞にも偏差値が高いとは言えない高校。
そう、私はよくいる、スポーツはできるんだけど頭は良くないタイプ。これといった特技はなく、ただ好きってだけで部活を続けてきた。
学校の学力は高くないけど、大好きな部活を続けられて、それもインターハイで1、2を争う実力の高校へ進学できたのだから、何も文句はない。むしろ嬉しい。
一方、兄はと言うと、私とは対照的でとても頭が良くて、東大合格率ランキングで上位常連の高校を卒業した。しかもイケメンでよくモテる。両親自慢の息子だ。
(その妹だから、もちろん私も見た目はそこそこだけど。)
両親に比べられることはなく、兄も私も平等に愛されているとは思っている。でも、誰に言われることなく頭の良し悪しで引け目を感じてしまっている。その引け目からか、兄といるといつも心は劣等感のどんより暗い雲に支配される。
いつからだろう。こどもの頃は兄といるのが大好きで、ずっと付いて周って、いつでも心は青空だったのに。
「お兄ちゃん、遅くなっちゃったー。ごめんー。」
部活が長引き帰りが遅くなってしまった。遠くで聞こえる兄の「お帰り」を耳に、急いで夕飯を温める。兄は超健康志向だから電子レンジは使えない。面倒くさい。
「できたよー。」
兄と向かい合わせに食卓に座った。正面に顔があるとちょっと気まずい。
「今日も部活か?頑張ってるね。」
兄が話しかけてきた。
とても嬉しくて私も話したいんだけど、劣等感が邪魔をして素直になれない。
「まぁね。」
素っ気ない態度が出てしまう。
「どうした?毎日遅くまで部活で疲れたか?」
優しい言葉が、逆にウザく聞こえる。
「そんなことないよ。別に。それにお兄ちゃんには関係ないじゃん。」
そんなこと少しも思ってないのに反抗してしまう。
「お前は良いよなー、打ち込めるものがあって。」
もうそれ以上言わないで…堪えなくちゃと思っても止まらない。
嬉しさと悲しさと情けなさがグルグル回って何が何だか分からなくなる。そして、そのグルグルは怒りのエネルギーの束になって、遂に爆発した!
「お兄ちゃんはイイよ!頭良いしさ。私なんて、部活を続けてることぐらいしかないし。頭悪いし。全然ダメダメなんだよ!」
半泣きで叫んでた。
「すごいな、ずっと続けられるって。」
(え?今すごいって言った?兄は怒らずに褒めてくれている?)
兄は落ち着いた声色で続けた。
「面壁九年(めんぺきくねん)とか、涓滴岩を穿つ(けんてきいわをうがつ)なんて言うだろ?続けるってことは、本当にすごいことなんだよ。とっても難しいから。それに、結果を残している人は、必ずどこかで努力して何かを継続しているしね。」
最初の方はよく分からなかったけど、兄が褒めてくれているのは分かった。
「オレにはできないよ。お前はすごい。本当に羨ましい。」
(頭が良くてイケてる兄が私を褒めてる!それもすごいって。羨ましいって。)
「オレは自慢できる妹がいて嬉しいよ。」
兄の言葉が私の心の中で響いた。
劣等感でガチガチに固まった心の壁に反射して、何度も何度も響いた。
私にはなんの取柄もない、部活しかないと思っていたけど、それが自慢だって。
胸を張って良いのかも。自慢して良いのかも。
「ありがとう、お兄ちゃん…」
声に出した…つもりだったけど、嗚咽で声にならなかった。
兄に嫉妬していた自分がカッコ悪かった。
こどもの頃と変わらない兄なのに、私が勝手に違う兄に仕立ててた。
「もう泣くなよ。ほら、ご飯が冷めるよ。」
劣等感のどんより暗い雲が広がっていた私の心が、すーっと青空に変わっていくのが分かった。
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