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EP016. 絶対はない、だから固定観念なんて捨てればいい

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「いらっしゃいませー!」

スタッフの元気の良い声が響き渡る。

「ご予約のお客様ですね。承知しました。こちらへお越しください。」

ここは私が勤める美容室。
週末になると人気でお客様が絶えない。

私は美容師の経験が浅いのでたくさん経験を積みたかった。
経験を積むには多くのお客様に接することが大切。接すれば接するほど経験値が上がる。そのためには人気店に入店する必要があった。

この美容室、人気なだけあって業界ではとっても忙しい店として有名。ここを乗り切られたらどのお店でも頑張れると言われるくらい。そんな噂を聞くととても不安になるけど、出来るだけ多くの経験をしたくて志望した。

たくさんのお客様に接する上で難しいことは、お客様の多種多様なリクエストを正しく理解して実現すること。接客はもちろん大変だけど、様々なリクエストに応えるには確かな技術とセンスが要求される。

ある日の閉店後のこと、私は雑務を終えてからカットの練習をしていた。どうしても上手く出来ないカットを克服したかった。何度も何度も練習してきたけど、どうしてもあのカットだけは納得出来ない。基本的なカットなのに納得出来る結果にならないことが歯痒くて仕方なかった。

今日も上手く出来なかった。
頭では理解しているのに、思い通りにハサミを動かせていないことが悔しくて悔しくて、バックヤードで泣いてしまった。

完璧主義な私は固定観念がとても強い。
出来るはずのことは「絶対」出来なくてはいけない。だからこそ納得出来ない基本的なカットがあることは、私には「絶対」に許せないことだった。

「出来ないこともあるよ。」

先輩が声をかけてきた。

「苦手なら練習を続ければOK。いつの間にか出来てる自分に気付けるよ。」

「先輩…。でも…、あれは基本カットです。基本なんだから絶対に出来ないと…。」

私にはポリシーがあった。
私はプロ。お客様からお金をいただいている以上、最低限のクォリティは守る必要がある。出来るべきこと、すなわち基本カットは絶対に出来ないといけない。それを避けることはただの甘えだ。

「プロとしてお客様を担当するからには、絶対に満足していただかないといけないんです!絶対なんです!基本的なことで出来ないことがあっては絶対いけないんです。それが私のポリシーなんです!」

「熱いねー。お客様に対するその想いはとっても大切だね。素敵だよ。」

熱くなる私を前に、とっても優しい笑顔で先輩は続けた。

「実は『絶対』って不可能だって分かるかな?絶対は、断じてとか、どんな条件にも関わらずって意味だよね。だとすると『絶対する』は『何を差し置いてもする』になる。実際にはできないこともあるし、そんなことは無理。すると言いながらしないこともあるってことは、ある意味無責任な言葉だよね。」

「んー、禅問答みたいで難しいです…。」

「ごめんごめん。こういう風に考えてみるとどう?君は…、こうしないといけない、ああしないといけない、こうすべき、ああすべき、そんな固定観念に執着して縛られていると思うんだ。ボクはね、『絶対』ではなくて『ベスト』を追求した方が良いと思うけどね。絶対はない、だから固定観念なんて捨てればいい。」

「ハッ!」とした。
自分が「絶対」に執着し過ぎていることに気付いた。
完璧主義が行き過ぎていたようだ。

「今はまだ出来ないことがあってもいい。もっとライトに考えていいんだよ。」

「絶対でなくてもいいんだ…。」

パッと目の前が広がった気がした。

「もちろんお客様のリクエストに応えるためには技術力が高くないとね。だからボクらは腕を磨き続ける。もちろん君にもそうして欲しいよ。」

「私のベストか…。」

それからは「絶対」に執着しないようにしてみた。
少し視野が広くなって柔軟に物事を捉えられるようになった気がする。
すると肩の荷が降りたのか、悔しくて泣くようなことがなくなった。
頑張る自分を楽しめている。
例の先輩にも「表情が明るくなったね。」と言ってもらえるようになった。

ただ、今の私は「絶対」には執着しなくなったけど、今度は「絶対に執着しないこと」に執着しているようだ。

「私って、不器用だなー。」

そんな風に不器用な自分を認められるようになった私は、僅かでも完璧主義から遠ざかれたのかも知れない。

「少しは成長出来たのかな…。」

不器用ながらも変化出来ている自分。
自分のこれからが楽しみだ。
とても気分が良くなった。

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