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雨と匿名のアーティストとミャンマーの思い出

art space tetraで行われていた展覧会「匿名の女性たち」に参加していたミャンマー人アーティスト二人が、私が今秋立ち上げようとしているスペースを訪ねてくれた。
私たちがこの場所でやろうとしていることを説明すると、tetraもそうだが福岡のアーティストたちが自力で自分たちの目指すものをやろうとしている姿勢に刺激を受けたと言ってくれる。
ミャンマーの政治状況から彼女たちの名前も顔もネット上に掲載することができず、クーデター後内乱状態にあるという彼国の状況を直接的に耳にし、痛ましいことこの上ない気持ちになる。
なるが、アーティストであることで互いの状況を理解し、古くからの友人のように話ができたことは本当に幸せな時間だった。

彼女たちはこれから東京のArt Center Ongoingに行くというが、大きな荷物を抱えていて雨の中博多駅まではそれなりに道のりがあるため、車で送り届けることにした。
本日彼女たちをアテンドしていたJ野はかつて福岡アートシーンのパフォーマーとして最強の名をほしいままにしていた生きる伝説だが、今日のJ野はホスピタリティあふれるただの柔和なアートおじさんであって、別れ際美女たちにハグされていてとても照れていた。

アーティスト二人と熊本から通訳に来てくれていた大塚さんを車に乗せて、博多駅に向かう途中の車内でわーわーミャンマー語と日本語とBGMが行き交う時間は、私がミャンマーに滞在した時に一日タクシーをチャーターして、モーラミャイン周辺を観光して回った時間を脳内に甦らせてくれた。
あの時、友人のアーティストのミン・ティエンソンはタクシーで色々な場所を案内してくれたが、太平洋戦争時に日本軍が強制労働を行い多くの犠牲者を出した泰緬鉄道の終点や、連合軍兵士の墓地も連れて行ってくれた。
あの日のことを思い出そうとすると、たくさんのことがするすると飛び出してくる。
モーラミャインの街のどでかいショッピングモールで動画を撮っていたら、子どもたちが集まってきたこと。
仏像の光背屋があって、全部LEDでビカビカだったこと。
タクシーのおじさんちでトイレを借りたら、洗濯機が日本語表記だったこと。
そのタクシー運転手が帰り道に何故か道を間違えてチェッカミーという海沿いの寺院に向かってしまった時は、尼さんたちが本気で怒り始めて私は笑いが止まらなかった。

今年はから梅雨ですかねぇなんて話をしてた矢先に、福岡は数日前に梅雨入りし、今日は朝から梅雨らしくしとしと雨が降っている。
彼女たちを無事、駅に送り届けて握手して別れて、雨の博多からアトリエに帰る道すがら何とも言えない幸せな気持ちになった。

2014年の年末にミャンマーに行ったとき、その時は乾季だったが一日だけ夜寝ている間に雨音が聞こえた。
私は僧院の硬いベッドで寝ていて、激しい雨音が窓の外から聞こえて目が醒めて、とても平和な気持ちになった。
そして僧院から出発する朝、タクシーで一緒だった尼さんの一人が雨季のミャンマーもいいからまた来てねって言ってくれたことを思い出す。

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