見出し画像

AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第2集その3『模索の先に』

 翌日もリアンとカレンは日勤で、昨日と同じ5名の患者を担当する。ただ、昨日日勤であったリンダは、その日準夜勤であったため、今日ふたりの面倒を見るのはエヴリン看護師長ということになった。といっても、師長は医局全体を管轄する立場である関係上多忙を極めるため、昨日のリンダように、二人とずっと行動を共にするということはもちろんできないわけである。それは、二人にとって、患者に対する聞き込みを実施する絶好の機会を得たことを意味していた。朝の申し送りに参加し、その日の午前中の予定に耳を傾けながら、二人は顔を見合わせて小さく頷いた。いよいよ本格的に怪異の調査を始めなければならない。そう思うと緊張が走り、握る手に汗がにじんだ。
 申し送りが終わった後、カレンが通信機能付携帯魔術記録装置の着信を確認すると、ネクロマンサーから次のような内容の文字通信が送られてきていた。まずはその内容を紹介しよう。


カレンさん、リアンさん、お疲れ様です。
 今、脳神経外科における朝の申し送りが終わりました。私は昨晩夜勤のシン医師の手伝いましたが、気になる点がいくつかありましたので、それを伝えておきます。

  • シン医師からは脳の断層魔術記録の画像解析を依頼されることが多い。

  • 病理的な分析よりも、脳における魔術的作用箇所について訊ねられる機会が頻繁である。

  • シン医師は、脳の魔術的活動状況と精神活動との連関を調査していると言う。精神疾患の治療に役立つ可能性があるのだそうだ。

  • 見せられる脳の断層魔術記録にはほとんど病変は確認できず、健康体と思しきものが圧倒的に多い(気になる点である)。

  • 脳の断層魔術記録に添付されるカルテは圧倒的に精神科から回付されたものが多い。

  • シン医師は、精神的疾患を罹患する患者の脳の器質的な変異と、その病変に対する魔法による治癒的アプローチに強い関心があるようだ。

  • 脳を生理的に摘出して、ひとつの臓器として外科的または魔法的に治療できる可能性があるかについての話があった。

  • 生理的に摘出された脳だけで、魔法制御が外的に可能かという話題がもち出されたことがある(脳を魔法制御装置として使うことを考えているようにも聞こえた)。

  • 施錠された書類キャビネットの管理に細心の注意を払っている(私の前でそれを開錠することを決してしない)。

  • エヴリン看護師長を通じて精神科と頻繁に連絡を取っている。

 初日に特筆すべきと思料した事項一覧の共有です。万一の場合に備えて、私の端末からは上記の情報を削除するので、みなさんの記憶にしっかりと留めておいてください。懸念事項については、外部に漏れることのないように十分に注意して。以上。


 リアンとカレンは、それぞれの端末で上記連絡事項を確かに確認した旨をネクロマンサーに報告した。脳神経外科では、既に調査が進み始めているようである。
 通信を終えた後、二人は担当すべき5人の患者のもとを回った。朝の挨拶に始まり、検温、脈診、終了した点滴の報告、問診を行い、最後に朝食の摂取具合と排尿排便の様子について尋ねると、ひとつのルーティンが終了である。聞き取りと各種医療器具の操作はカレンが行い、その結果を魔術式電算装置を用いてリアンが巧みに記録していく。二人のチームワークは、にわか仕立ての看護チームにしては手際のよいものであった。
 マーク氏のもとを訪れた時、彼から、午前中に外を車椅子で散歩したく、できれば二人に同行してほしい旨の申し出があった。二人にとってそれはまさに渡りに船で、その機を活かしてマーク氏から精神科で起こっている患者の失踪について、できる限りの情報を聞き出してみようということに決まった。

* * *

 すべての患者のもとを回って詰め所に戻った時、時刻は午前10時半に差し掛かっていた。エブリン師長がちょうど昼の申し送りの為に詰め所に戻ってきていたため、早速にカレンが彼女に話しかけた。
「師長、朝の患者さんの訪問が一通り終わりました。情報の転送も完了しています。」
「あら、二日目なのにずいぶん手際がいいですね。」
 そう言って、エブリン師長は手元の魔術式電算装置を操作し、リアンが入力した情報を確認した。
「確かに。特段の問題はなさそうですね。ありがとう。何か、気になったことなどはありましたか?」
 その師長の言葉に、リアンが答える。
「はい。マークさんが午前中、昼食までの間を使って中庭を車椅子でお散歩なさりたいとおっしゃっていたですよ。できれば私たち二人に随行してほしいとおっしゃるですが、行ってきても構わないですか?」
 エヴリン師長は手元の端末と予定表を確認して言った。
「ええ、この様子ならおふたりが病棟を離れてもお昼までは問題ないでしょう。抑鬱症状の患者さんにとって日光浴と外の空気を吸うことは特に重要ですから、ぜひお願いします。」
「はい、わかりました。それではこれから中庭に行ってまいります。」
 カレンはそう答えた。
「お願いするわね。ただ、1時間もすれば昼食前の忙しい時間に差し掛かりますから、30分以内には帰ってきてください。また外は刺激も多いので、あまり長時間の暴露も好ましくはないのです。どんなに遅くとも11時20分までには病棟に帰ってきてください。」
 そう言うと、エヴリン師長はマーク氏の外出票に10時40分~11時10分と記入して、その写しをカレンに渡した。
「それでは、マークさんをよろしくお願いします。無理のない範囲でいろいろお話ししてあげてください。それも重要な治療の一環となります。車椅子は、シャワー室の隣の機材室にあるのを使ってくださいね。」
 二人にそう案内すると、師長は忙しそうに詰め所を後にした。
 リアンとカレンの二人は顔を見合わせて小さく頷き、機材室を経由して車椅子を準備してからマーク氏の病室に向かった。

「マークさん、お待たせしました。」
 車椅子を押すカレンがマーク氏に声をかける。
「これはどうも。無理を聞いてもらってすみません。」
 申し訳なさそうにマーク氏が頭を下げた。
「お気になさらないでください。ずっと病室では息が詰まるでしょう。今日は幸い御覧の通りの秋晴れです。きっと風も気持ちいですよ。」
 そう言ってカレンは微笑んで見せた。その笑みに呼応するように、マーク氏はぎこちなく口元をゆがめる。
 リアンは、ベッドに付随している魔術装置を操作して背もたれを起こし、マーク氏が立ち上がりやすいようにベッドの位置を調整していた。背もたれが立ち上がり、ベッドの高さが低くなったところで、マーク氏は身体をベッドから話して、自ら車椅子に腰かける。リアンがその所作を介助し、カレンは、車いすが不安定にならないように、ハンドルとブレーキを慎重に操作していた。
 マーク氏が足を車椅子の足置きに自ら置いたところで、カレンが声をかける。
「さあ、それでは行きましょう。」
 リアンもこくこくと頷いた。マーク氏は、腰かけたままうつむき加減に足元の空間を見つめている。
「お願いします。」
 目線を上げることなく彼はそう言った。
 病棟に設置された魔術式昇降装置に乗って5階から1階まで降り、非常口を通って病院の裏庭に出た。
 カレンの言う通り、その日は美しい秋晴れで、天の陽は空高く、澄み渡った青空の中で乾いた心地よい風をゆすっていた。3人はしばらくは言葉を交わすでもなく中庭をめぐる小径を、車椅子に随行しながら進んで行く。頬を撫でる秋の風は優しく、涼しいその肌触りは実に心地よいものであった。

「お二人にこんなことをさせてすみません。重くはないですか?」
 裏庭の植え込みの垣根の角を曲がろうとしたところで、不意にマーク氏がそう言った。その声は力なく、いかにも申し訳なさそうな心細い響きを奏でていた。
「大丈夫ですよ。こんなに美しい秋の陽をご一緒できて私たちも嬉しいです。」
 そう言うカレンの言葉を受けて、リアンも隣で頷いている。マーク氏は気恥ずかしそうに目線を下げていた。
「そういえば…。」
 切り出したのはリアンだった。
「最近、こちらの病院では転院の勧めがよくされると伺ったのですよ。マークさんにもそうしたお話はあったのですか?」
 その言葉を聞いたマーク氏は、初めて視線を上げてリアンの青い瞳を見た。
「確かにそうした話を持ち掛けられる方もいらっしゃるみたいですね…。」
 そう話始めるマーク氏。
「ただ、転院の話がされる患者さんには、事前に脳神経外科で脳機能の器質的な画像検査がされるようですね。」
 意外な言葉が飛び出した。二人は注意深く彼の話に聞き入る。
「なんでも、脳神経外科の有名なお医者様であるシン医師が、精神的な病態と脳の器質的な病変との関連にとてもお詳しいとかで、その検査で何らかの結果が出た患者さんは魔法的な治療アプローチを実施するためにそうした術式を得意とする別院への転院を進められるのだとか聞いたことがあります。」
 なるほど、精神科と脳神経外科に何らかのつながりがあるのか。二人は昨日紹介された医師と看護師の顔ぶれの妙を思い出していた。これは覚えておいた方がよいだろう。
「へぇ、そうなのですか。マークさんは医療技術にもお詳しいのですね。」
 内心を取り繕いながら、カレンは彼の言葉をそう受けた。
「そういうわけでもないんですが。僕も以前は魔法鍛冶の技師でしたから、魔法技術にはいろいろ関心があるんです。もっとも、こんな状態になってしまったら、もう一線に復帰するのは難しいでしょうけれど…。」
 マーク氏は自虐的な表情を浮かべて視線を足元に戻した。
「そんなことはないのですよ。」
 そんな彼にリアンが言った。
「私はまだ子どもですから分からないことも多いですが、好きなことや関心のあることは、その気にさえなればいつでもできるのです。」
 その言葉には妙に熱がこもっていた。マーク氏の視線は変わらない。
「不自由にはいろんな形があるのです。格式、家柄、秩序、責任、病気や怪我もそうなのです。でも、それはどれも外形的なもので、外から私たちを縛ることはしますが、それらに責め立てられても私たちの心の内側はいつだって自由なのです。だから、マークさんが魔法技術へのご興味を失われない限り、きっとまた臨むことができる時はくるのですよ。」
 リアンの言葉は、明らかに彼の現状に対する配慮を欠いた無責任さを伴っていた。マーク氏は視線を伏せたまま、目を閉じている。それを感じとったカレンが慌てて言葉を紡いだ。
「マークさんごめんなさい。この子ったら、何もご事情を知らないで失礼なことを。悪気はないのでどうかお気を悪くなさらないでください。」
 その言葉を聞いてマーク氏は視線を上げて言った。
「いえ、大丈夫ですよ。ありがとう。実は、病気になる前のこと。まだ元気で思うままに仕事ができていた時のことを思い出していました。確かに、リアンさんの言う通りだなぁと。人間は、ついつい現実を言い訳にして心に蓋をするものです。しかし、それをやめれば、もしかするとまだ僕にもできることがあるのかもしれないと、ふとそんな風に思ったんです。」
 そう言うと、彼はリアンの顔を見た。リアンは何も言わずに、その視線に応えている。
 秋の陽はいよいよ天上高くで輝いている。その陽は夏のそれとは違い、包み込むような温かさを携えていた。肌にあたる光が、風と共に体中を包むようなそんな錯覚を感じさせる。
「私は、マークさんに元気になって欲しいです。」
 リアンが言った。
「またこの子は勝手なことを…。」
 そう言いかけたカレンの言葉を遮るようにして、
「ありがとうリアンさん。あなたの前向きさは、僕のような患者には重たくも感じられるのは確かですが、それでもまっすぐにそんな言葉をかけてくれた人は久しぶりです。皆、気遣ってくれますがそればかりで…。それはそれでもちろんありがたいことなのですが、しかしいつまでもそこに揺蕩っているわけにはいかないのも確かで、それは僕にもわかっているんです。これまではとてもそんな気にはなれませんでしたが、少しこれから先のことにも想いを馳せてみようと思います。リアンさん、ありがとう。」
 そう言って、マーク氏は軽く頭を下げた。
「こちらこそです。」
 リアンは、小さな声でそう答えた。
「本当にごめんなさい。」
 カレンがそう言うと、
「ありがとう、カレンさん。あなたの心遣いは本当にありがたいです。」
 マーク氏は再度会釈をした。

 紅葉の季節にはまだいくぶんと早いが、それでも秋の深まりは確実に感じられた。しかし、それは冬に向かう単なる黄昏というのではなく、夏の苛烈を凌いだ後にもたらされる一種の安堵と豊穣の気配を孕んでもいた。
 3人は、裏庭をもう一回りしたところで、病棟の裏口から5階へと戻った。時刻はちょうど11時を少し回ったところで、師長との約束には十分な余裕があった。
 マーク氏を病室に送り届け、二人は彼の身体をベッドに戻した。静かにベッドに身体を横たえたマーク氏は、肘をついて上体だけを起こし、二人の方を向いて言った。
「今日はありがとう。秋の陽を楽しむことができました。どうかこれに懲りずに、また散歩に付き合ってください。」
 窓から差し込む秋の陽を移すその目には、かすかに生命の火が戻っているようにも感じられた。
「こちらこそ、拙いことで申し訳ありませんでした。ぜひまたご一緒させてください。」
 カレンはそう言って深々と頭を下げた。その横で、リアンは車椅子をたたんでいる。
「お昼ご飯をもってまた来るですよ。」
 リアンの言葉の後、再度目礼で挨拶を交わしてから、二人はマーク氏の病室を後にした。

* * *

 二人は詰め所に戻ると、先ほどのマーク氏とのやり取り、とりわけ脳神経外科と精神科との転院をめぐる連携について、その記録をネクロマンサーに文書で送信した。以下はその内容である。


先生、お疲れ様です。
 若干ながら、しかし重要と思われる収穫がありましたのでご報告します。精神科にご入院中のマーク氏のお話によると、精神科から他院への転院案内の前には、脳神経外科による何らかの脳器質の画像検査がされるそうで、その検査の結果によって特定の患者さんが魔法治療に長けた病院への転院の話を持ち掛けられるのだということがわかりました。
 実際に転院が行われているのか、転院先がどこであるかに関してはは今のところ情報はありません。ただ、転院に際して精神科と脳神経外科との間に何らかの連携があることは明らかです。
 引き続き、情報収集に努めます。

2日目午前 カレン


 カレンが上記をネクロマンサーに送信している傍らで、リアンが自分の通信魔術装置に見入っている。どうやらネクロマンサーからの着信があったようだ。以下はその内容である。


リアンさん、カレンさん、お疲れ様です。
 これまでに分かったことを共有します。内容を保存したら、その旨を私に教えてください。こちらでは形跡を残さないように皆さんにお伝えした内容は逐次削除していきます。
 実は、今朝、重要なことがわかりました。
 この病院全体について、魔法生物の召喚可能範囲を検索したところ、物理的にアクセスできる病棟領域よりも広い範囲に空間が存在することを見つけたのです。この病院は不自然に領域が魔法で空間拡張されています。何らかの機関があるのかと思い、それとなくシン医師に訊いてみましたが、そんなことはないという返事が返ってきました。魔法的な処置を第一にする診療施設でないので、魔法的な空間拡張の必要そのものがないということでした。しかし、実際に魔法拡張されているのは確かで、実際に拡張されていると思われる空間に対して死霊の召喚を試みてみたところ、召喚可能であることがわかりました。残念ながら、現時点でその拡張空間にどこからアクセスするのかは分からず、それがどこにどのように広がっているのか、そこが何に用いられているのかも不明ですが、存在することだけは確かで、この病院に何らかの大きな秘密があるのは間違いありません。
 今のところ、魔法的拡張空間を検知したことについては、それを病院関係者には知られないように、私の気のせいで間違いということで取り繕ってあります。私の方でも入り口を探しますから、お二人の方でもそれらしい場所、または印を探してみてください。
 なお、このことは病院スタッフおよび患者さんには絶対に他言無用でお願いします。私たちが、病院の秘密に接近しつつあることを気取られるわけにはいきません。秘密の存在が明らかになった今、これまで以上に慎重な行動が求められます。お二人に期待しています。

2日目午前


 どうやらネクロマンサーの方でも、何らかの核心に近づきつつあるようであった。彼女は、病院内に魔法的に拡張されたと思われる空間に死霊の召喚を試みることで、その実在を確かめたわけであるが、残念なことに隠された空間がどこにどのように存在するかまでは辿り着けずにいた。死霊は、それ自体が座標を持つわけではないため、「どこに召喚されたか」まで把握できなかったのである。何としても、秘密の魔法空間の座標と入り口の場所を把握しなければならなかった。その文面を呼んで、カレンはどうしたものか途方に暮れていたが、リアンはなぜか昨日の夕方していたのと同じように、魔法書のあるページと通信装置の画面を交互に、熱心に見入っている。
 昼食の準備のためにほかの看護師たちが詰め所に戻ってきて、何やら熱中しているリアンを不思議に思い始めたため、カレンは慌ててそれを中断させ、昼食配膳の準備へとリアンを強く促した。リアンは、あとちょっとなのにという渋い顔をしながらも、魔法書と通信装置をローブの大きなポケットにねじ込み、カレンの後についていった。

* * *

「ちょっと、リアン。私たちが病院の秘密を探っていることを知られてはいけないのだから、詰め所では行動に注意してくださいね。」
 先ほどの一幕を受けて、カレンがリアンに注意を促す。
「ごめんなさいです。ちょっと夢中になってしまったですよ。」
 そう言って、申し訳なさそうにするリアン。
「それで、何かアイデアがあるのですか?」
「はい。先生のお話によると、大切なのはこれから隠された拡張魔法空間への入り口とその座標を把握することです。そして、その空間には精神科と脳神経外科のスタッフが何らか関わっている可能性が高いです。少なくともマークさんのお話はその可能性を強く示唆しているですよ。だから、ちょっと考えていることがあります。とにかく、その前に昼食の配膳を済ませてしまうですよ。」
 そういうリアンの表情は自信と確信に満ちていた。その様子にちょっとした驚きを感じつつ、カレンはリアンの促しに従って、急ぎ担当の5名の患者に対する昼食の配膳を終えた。そこにマーク氏が含まれているのは言うまでもない。

 そして今、配膳作業を終えた二人が、人目をはばかるようにして、例の鏡張りの廊下の突き当りにいる。
「それで、どうするのですか?」
 訊ねるカレン。
「こうするのですよ。」
 そう言うとリアンは詠唱を始めた。
『水と氷を司る者よ。生命と霊性の安定を司る者とともになして、我が手に魔法の営みを授けん。法具を介して助力を請う。小さきものを形作って我が命に従わせよ。使い魔創生:Create Familiar!』
 リアンは、詠唱とともに、氷でできた透明の使い魔を形成した。

高度な錬金術式を行使して氷の使い魔を形成するリアン。

 その使い魔は氷でできた小鳥のような姿をしており、その体表は透明かつ鏡のように周囲の光をゆがめ、まるで光学迷彩のように巧みにその姿を周囲の視線から隠していた。
 リアンはさらに続けて、その使い魔に『魔法の道標:Magic Beacon』の術式を撃ちこみ、それをさながら動く座標検知装置に仕立てた。
「これでよいのですよ。この使い魔にアブロード医師とエヴリン師長を監視させるです。」
 そういう彼女の手元には、既に2体の使い魔が用意されていた。その鮮やかな術式行使にカレンは目を丸くしている。
 リアンは、その使い魔を放ち、それぞれをアブロード医師とエブリン師長のもとに遣った。光学迷彩を施されたかのようなその使い魔の外観は、よく見ればその周囲の光が不自然に歪んでおり、そこに何者かがあることを感じさせてはいたが、そうとは知らない限り、ほとんどわからないというほどにその姿を巧妙に周囲の空間に溶け込ませていた。
「驚いた!いつの間にこんな術式を身に着けたの!?」
 カレンは、全く信じられないといった調子である。
「私もいつまでもカレンやシーファにおんぶにだっこというわけにはいかないのですよ。」
 そういって、リアンは微笑んで見せた。
 カレンが早速『魔法の道標:Magic Beacon』の座標を追跡すると、アブロード医師とエヴリン師長の現在地がつぶさになった。アブロード医師は1階にある精神科の外来診察室に、エヴリン師長は5階の詰め所にいる。これならば、もしその二人のどちらかが病院の秘密に関与していて、拡張された魔法空間に侵入した場合、その場所を特定することができる!その仕込みをしたリアンよりもカレンの方がすっかり興奮してしまっていた。
「とにかく、これで様子を見るですよ。使い魔の存在がバレないことを祈るのです。私の睨んだとおりであれば、アブロード医師かエヴリン師長のどちらかが秘密の空間に侵入するはずなのですよ。」
 そう言いながら、リアンはカレンが広げている魔法地図上の道標の位置を目で確認していく。

* * *

 二人は、隠された魔法空間を探し出すために、視覚的に非常に把握しにくい使い魔を放ったことをつぶさにネクロマンサーに伝えた。すると、彼女は、ぜひシン医師の動向もその使い魔によって監視してほしいと言うので、リアンはもうひとつ使い魔を生成して、それをシン医師のもとに遣った。今では、カレンの手元の魔法地図には3つの道標が記されている。幸いにして、二人が使い魔を放ったことは誰にも見られていない。知っているのは、彼女たちとネクロマンサーだけだ。万一、使い魔の存在が看破された時には知らぬ存ぜぬで突き通して、一度撤退しようという手はずになった。あとは、その存在が露見しないことを祈りつつ、相手が罠にかかるのを待つばかりである。

魔法地図に対象の位置が表示されている。3つは監視対象、あとの2つはリアンとカレンの位置である。

 リアンの話では、もう少し魔力に余裕があれば、使い魔の視点を魔法地図上に投影できるとのことであったが、3体分の使い魔の視覚情報を投影するにはたいそう骨が折れるということであったので、試みにシン医師を監視するために放った使い魔についてだけ、視覚情報を地図上に表示するようにしてみた。それを実現するためには、高価な急速魔力回復薬のアンプル1本と、エナジードリンク『真紅の雄牛』1本がリアンより要求されたが、それを提供するのに十分な価値をカレンは見出していた。手元の魔法地図に映し出される像を確認しながら、リアンは満足そうに『真紅の雄牛』をのどに送っている。
「いずれにしても、これで準備は整ったわね。あとは相手の出方を見守りましょう。」
「はい、なのです。」
 それからしばらく病院の職務に負われたのち、日勤を終えた二人は、与えられた私室に戻って魔法地図の監視を続けながら、ベッドに座してその日の日誌をつけていた。ネクロマンサーに言われた通り、魔術記録装置に送られたやり取りの内、病院関係者に知られてはいけないものを注意深く削除して、互いにその確実さを確認した。
 この世界の魔法では、異国でいうところのテレパシーのような魔法的念波を使って直接精神において会話をするということはできず(不可能であるわけではないが多大な魔力消費を要するため現実的でない。一般に、人の精神に直接介入する術式は多大な魔力が必要とされるので)、隔地通信には通信機能付魔術記録装置のような通信装置を使うのが一般的であった。そのため、他人に見られてはいけない通信については、面倒でも手動でその痕跡を都度消去する必要があった。
 めいめいに、秘密保持について十分な措置を講じた後で、二人は休むことにした。魔法地図の監視はなお必要であったが、これも病院関係者に見られるわけにはいかないことから、カレンの寝巻の上着の裏側に表示して、記録を取りながら監視を続けることにした。なかなかの念の入れようである。

 秋の陽が落ちるのは早い。あっという間にあたりは真っ暗になり、既に時は消灯時間に至っていた。魔法地図に今のところ顕著な変化はなく、監視対象の3人は物理的に認識できる空間に留まっているようだ。対象が魔法的空間に侵入したことを検知したら、その使い魔から魔法地図に信号を送信するように設定して、二人は早々に床に就いた。というのも、昨日、本日とは日勤であったが、明日は夜勤が予定されていたからである。

 一日の疲れもあって、二人の精神は瞬く間に瞼の裏に舞う銀の砂に飲み込まれていった。秋の夜の静けさが、その眠りを深く深く導いていく。病院での2日目が静かに終わった。

to be continued.

AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第2集その3『模索の先に』完


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?