AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録・後日譚
まえがき・註
「AIで紡ぐ」という触れ込みですが、本文は全て人間が執筆しています。各章各節について、AI(GPT-4)に都度感想を求めながら書き進め、また画像生成AI(DALL-E3およびMicrosoft Copilot)により各シーンに適切な挿絵画像を生成しました。文章の発案、構成、および執筆はすべて人間によるものながら、画像生成と監修を含めた総体的な作業はAIとの協業の側面があるため、表記の通りのタイトルとしました。
なお、30万字以上の保存ができなかったため、前後編に分けております。
第1話『少女たちの夏休み』
アカデミーを中心に、魔法社会全体を巻き込んで展開された『天使の卵』事件は、パンツェ・ロッティ教授、リセーナ・ハルトマン、マークス・バレンティウヌ、そして、アカデミー最高評議会議長の死亡という形で幕を下ろした。彼らこそ、その事件の黒幕であったが、表向きは、アカデミーに突如襲来した異形の天使群から、学徒達を守るために尊い犠牲になったという欺瞞に基づいて処理され、真実は闇から闇へと葬られたのである。この事件に直接関与したウォーロック、ウィザード、ソーサラー、ネクロマンサーの4人と『アーカム』の関係者である貴婦人及びアッキーナ・スプリンクを除いてその真相にたどり着いたものはなかった。唯一、リセーナの姉、カリーナ・ハルトマンだけは、妹の死にパンツェ・ロッティが深く関与していることに確信に近い疑念を抱いていたが、彼女をしても、高次元空間にまで至ったあの一連の経緯のその全てを覚知することは、さすがに不可能であったようである。結局、アカデミーの最高評議会議長が実はパンツェ・ロッティであったことさえ公式には伏せされ、議長は、彼らとともに学徒とアカデミーを守って殉職したものと報じられた。魔法社会は、彼らの尊い犠牲の上に、事件は解決したという言説をその落着として受け入れたのである。
当然、アカデミー全域が未知の存在に突如襲撃されるという事態の深刻性に鑑みて、真相を徹底究明すべきであると求める声が皆無であったわけではないが、幸いにして学徒には犠牲がなかったこと、パンツェ・ロッティ達の行動が英雄的に報じられたこと、なにより、魔法社会全般の世論形成に大きな影響力を持つ『魔法社会における人権向上委員会』の代表理事、キューラリオン・エバンデスが、彼らの行動と犠牲について、学徒達の生命と人権を守った滅私的で、崇高なものであったと評する声明を早々に打ち出したことから、彼らを優れた教育者の鏡として称える声が速やかに主要な世論を形成していき、批判的な声はその下にかき消されていった。
学徒と学園を守り抜き、未曾有鵜の事件を解決に導いた英傑として、最高評議会議長、パンツェ・ロッティ教授、リセーナ・ハルトマン、そしてマークス・バレンティウヌのための『アカデミーによる葬送』が聖堂においてしめやかに挙行された。
* * *
午前中に行われた葬送の儀式の後、シーファ、リアン、カレンの3人の少女たちは、ウィザードの執務室に呼び出されていた。葬送の儀式の日は、午前の講義は全休講となる。そのため、3人は寮からウィザードのもとに駆けつけていた。時節はいよいよ夏期休暇に入ろうかという頃であり、3人も帰郷の準備を始めていた、そんな日のことであった。
「呼び出された理由は分かるか?」
ウィザードが問う。
「ミリアムの件だと承知しています。」
シーファのその答えに、他のふたりも頷いた。
「その通りだ。自覚があって大変よろしい。カリギュラ退治の後で、あたしが厳命した内容を覚えているか?」
毅然と言い放つウィザード。
「はい。何事も軽挙妄動に出る前に報告せよ、とおっしゃいました。」
そう答えるシーファ。
「なるほど、君たちに耳はあるようだな。では記憶する頭がないのか?あるいは、その首の上に座っているものはかぼちゃなのか?答えたまえ。」
ウィザードが叱責の声を強める。
「申し訳ありません。」
まっすぐにウィザードを見てシーファが答えた。
「後から謝るようなことは最初からしない、という賢明な判断を今後は期待したいと思うが、どうか?」
「はい、ご期待に沿えるように鋭意努力いたします。」
素直に応答するシーファ。
「よろしい、他のふたりはどうか?」
「異論ありません。お言いつけを守れるよう最善を尽くします。」
姿勢を正して、リアンとカレンも声を揃えた。
「結構。しかしだ。深夜の古城でのこと、カリギュラ退治、そして今回の一件と、諸君らは既に三回約束を反故にしている。異国の言葉に『仏の顔も三度まで』というのがあるそうだが、あいにくあたしは三度も黙って目をつむることができるほどの長い堪忍袋の緒を持ちあわせていない。それでだ。諸君らにはその罰として、夏休みを返上して『南5番街22-3番地ギルド』の仕事を引き受けてもらう。その仕事を無事に終えてなお、夏期休暇の期日がまだ残っているなら、そのときは自由に休みをとってよい。」
3人の少女たちの顔色が変わる。2週間そこそこしかない夏休みを返上せよと目の前の教師は命じるのだ。結局にしていつも暴発するシーファのあおりを食う格好になっているだけのふたりには、実のところ気の毒な話であった。
「先生。」
と、シーファ。
「何かね?」
「先生もすでにお気づきのことと思いますが、これまでの件は全て私の無責任な独断専行が招い結果です。リアンとカレンのふたりは私に巻き込まれたにすぎません。」
「ふむ。それで、どうだというのか?」
「ですから、罰としてのギルドの依頼は私一人でお引き受けいたします。ふたりには何卒寛大なご処置をお願いいたします。」
彼女は、そう懇願した。
「だめだ。」
少し意地悪そうにウィザードが言った。
「お前たちは半人前どころか、三分の一人前だ。三人揃ってようやく一人前のひよっこであることは、今日までの経験でよくわかっただろう?であるからして、シーファ君の申し出は却下する。これは連帯責任だ。夏休みを満喫したければ、迅速に職務を完了したまえ。よろしいか?」
三人は互いに顔を見合わせてから返事をした。
「かしこまりました。仰せの通りにいたします。」
少女たちはどうやら観念したようだった。
「実に結構。では、職務の内容を説明する。」
居住まいをただすウィザード。
「実はな、先日『スターリー・フラワー』のリリー店長から私に連絡があってな。お前たちにこの夏アルバイトに来るようにと頼んでおいたのに、一向に連絡がないとそう言うのだ。どうも、諸君たちに正式に依頼したいことがあるらしい。まあ、彼なら気心も知れているのでちょうどよかろう。あたしのギルドからの仕事というのは、要するに、スターリー・フラワーに赴き、リリー店長の用を引き受けて、それを無事に済ませてくるとだ。これには君たちに対する懲罰であるから、異論は認めない。すぐに出かける用意をし、明日には同店に出向きたまえ。以上だ。」
そういうと、ウィザードは表情をやわらげた。
「いいか、シーファ。お前の自信と勇気は高く評価している。だが、後先を考えないのはよくない。その場の全員の安全を見通すことができるようになってこそ一人前だ。勇気と蛮行は違う。それをいつも胸に刻むんだ。いいな。」
シーファはウィザードの茜色の瞳をまっすぐに見つめている。
「それから、リアン。お前に必要なのは自信だ。自分を疑っていては、何事もなす前に終わってしまう。反省は、やって後からするもので、行動の前にするのは躊躇いでしかない。もっと自分を信じてやることだ。いいな。」
リアンはこくこくと頷いて答える。
「最後に、カレン。お前のことは本当に頼りにしている。こいつらふたりと一緒にいたのでは気が休まらないだろうが、うまくコントロールしてやってくれ。それから、あまり自分の言葉を飲み込むな。いざとなれば、シーファをぶん殴ってでも止めろ。それが大切なときもある。頼んだぞ。」
「はい、ありがとうございます。」
そう言って、カレンは大きく頷いた。
「あたしからは以上だ。何か質問はあるか?」
「ありません。」
声を揃えて答える3人。
「では、リリー店長にはあたしの方から連絡しておく。諸君たちは『全学職務・時短就業斡旋局』に寄って所定の事務手続きを済ませたまえ。では、いきなさい。」
「失礼いたしました。」
そう言って3人は、ウィザードの執務室を後にした。その若い3人の背中を、ウィザードがあたたかいまなざしで見送っている。
* * *
「夏休み返上かぁ。リアン、カレン、本当にごめんね。」
全学職務・時短就業斡旋局に向かう道すがら、ふたりにそう謝るシーファ。その声は本当に申し訳なさそうだ。
「いいんですよ。シーファ。大丈夫なのですよ。」
リアンは特段気にもかけていないようだ。彼女にとってみれば実家で退屈に夏休みを過ごすよりもアルバイトの方が興味を引くのかもしれない。
「そうよ、気にすることはないわ。なんだかんだで、これまでのことはみんなで解決してきたんだもの。連帯責任というのはその通りだと思うわ。」
カレンも、これまでの出来事を大切な思い出として受け入れているようだ。
「でも、カレン、本当に殴るのはなしよ。」
そう言うシーファ。
「どうかしら?先生のお墨付きもあるから、今度はほんとに殴ってあなたを止めるかもね。」
カレンは、いたずらっぽく舌を出して見せた。
そんな会話を繰り広げているうちに、3人は当局の事務所にたどり着き、そこで、ウィザードに言われたとおりに事務手続きを済ませた。任務のための休暇申請は全部で10日。補習の残りの3日と、あとの7日は夏休みに食い込む格好だ。実にその半分を犠牲にすることとなる。ウィザードは意地の悪いことに、休みは減っても課題は減らさないと釘を刺していた。3人は改めて今年の夏のこの先を思いやらされていた。
「受け付けは完了しました。先生のお話では、職務の詳細は指定場所で直接指示を受けるようにとのことです。その職務に関する報告書を書面で提出することで、先生の依頼をこなしたこととなさるそうです。何かご質問はありますか?」
当局の事務職員が、確認を促す。
「大丈夫です。お手数をおかけしました。私たち3人は明日朝、指定場所に出向きます。」
代表してシーファが答えた。
「わかりました。道中および職務中はくれぐれも安全に配慮してください。報告書には指定の様式がありますので、これをお持ちください。」
「ありがとうございます。」
事務職員から書類一式を受け取って、3人はその場を後にした。『スターリー・フラワー』に出向いて、『カリギュラ退治』を敢行したのはわずか10日ほど前のことだが、それからもうずいぶんと日が経ったような気がする。ニーアの事件、『天使の卵』の摘出、最期にはミリアムの異変と天使もどきの襲撃、先生たちの様変わり、さまざまな事件に矢継ぎ早に襲われていた。特にミリアムと天使もどきの一件は、驚愕であった。3人は、ウィザードの咄嗟の指示の通りに、学徒達に中央尖塔に続く道を避けさせてアカデミー裏門へと誘導する役目を実に立派に果たしていたのであり、大規模な襲撃事件であったにも関わらず、学徒たちに犠牲が出ずに済んだ背景には彼女たちの決死の活躍があったことは言うまでもなかった。
「それじゃあ、明日、7時にゲート前で会いましょう。」
「うん。」
「わかりました。今日は準備をしっかりね。」
そう言って3人は分かれた。
時刻は既に夕刻に差し掛かっていたが、8月初旬の陽は長い。確かに、夏の真っ盛りの頃に比べれば、太陽は幾分か西に駆ける速度をはやめてはいたが、それでもまだ夜までには十分な時間が残されていた。太陽が石畳を照り付け、あたりを蒸し返している。照り返しがあつい。通路を吹き抜ける風はまだまだ夏のそれであった。
* * *
あくる朝、3人はゲート前に集合した。魔法具店でのアルバイトという建前ではあったが、どのような職務内容になるかは行ってみるまで詳細が分からないため、あらゆる可能性を考慮して、最低限のキャンプは可能な装備を用意して行こうということにしていた。シーファとカレンのふたりはこうした準備に慣れていたが、リアンはまだまだ加減が分からないのか、今回も彼女なのか荷物なのか分からない格好でゲートに現れた。
「まぁ、リアン、今回もずいんぶんな大荷物ね。」
カレンが微笑んで言った。
「何日か分のキャンプの用意をしてきただけです。ふたりはそんなちょっぴりで大丈夫なのですか?」
不思議そうに問うリアン。
「ええ、こう見えて往復4日の行程には耐えられるわよ。」
そう答えるシーファは大きめのリュックと、いくつかの荷を腰に下げているだけで、リアンとは対照的な荷物の少なさであった。それを見てリアンは不思議でならないという顔をしていた。
「さぁ、いきましょう!」
シーファの掛け声にあわせて、3人はアカデミー前の大通りを西に進路をとった。『サンフレッチェ通り』はマーチン通りを北に抜けたその先にある。『スターリー・フラワー』に至るためには、特別の仕方でそのサンフレッチェ通りを抜ける必要があった。それは一種の道順暗号になっていて、橋の欄干の途中に設置されているガーゴイルの像までは橋の右端を、そこから鳳凰像までは左端、その先は橋の中央をまっすぐ抜けるというものである。3人はその魔法の暗号をよく記憶していて、的確にこなしていった。鳳凰像に差し掛かるあたりから、あたりには俄かに霧が立ち込め、夏の湿度をどんどんと増し加えていった。この霧が立ち込めてくると、あたりの気温はいくばくか下がるのであるが、8月中旬を見据えるこの時期の厳しい暑さのもとでは、わずかな気温低下よりも湿度の増加による不快感の方がはるかに上回っていた。3人は、顔から首にかけて大汗をかき、上着をびっしょりにしながらその暗号を踏襲していった。橋の中央を歩いているときには、周囲を覆う霧は一層濃くなり、湿度はいよいよ高くなって、その不快感はひどいものであった。舌が出るような思いで、3人はリリーが経営する『裏路地の魔法具店』を目指していく。暑さと荷物の重さに疲労感を隠せないリアンの荷物を、後ろからシーファとカレンが支えていった。それでもリアンはずいぶん苦しそうだ。ようよう橋を渡り終えようかというところに差し掛かる。いよいよ霧は濃くなり、周囲はほとんど視界が効かなくなっていた。
リアンは荷物とともに腰を下ろして、肩と胸を大きく上下させている。カレンは橋を行き切った左手にあるはずの魔法具店の看板を探していた。やがて霧の中にそれは見つかった。
「あったわよ。さぁ、行きましょう。」
そう言ってカレンが扉に手をかけた。金属製のノブがひんやりと心地よい。ドアを押し開けると呼び鈴のベルが鳴り、奥から声がした。
「いらっしゃい。」
その声は、確かに聞き覚えのあるこの店の店長のものであった。会計用のカウンターの裏で何事かしていたらしい店長が、ゆっくりと戸口に来て3人を見とがめる。
「あら、あなたたちだったの?いらっしゃい。よく来てくれたわね。」
店長がそう言った。
「先生、いえ、『南5番街22-3番地ギルド』から、リリー店長さんに御用事を仰せつかって、それを果たしてくるようにと言われてきました。」
シーファが代表して用件を伝える。
「ありがとう。アルバイトに来てくれたわけね。歓迎するわ。ついて来てちょうだい。」
そう言うと、リリーは3人をホールの先の特別展示エリアを更に越えたところにある従業員控室に案内した。
「かけてちょうだいな。」
3人を長椅子にかけさせるリリー。
「それで、お仕事とはどのようなことでしょうか?」
そう問うシーファに、
「あわてなさんな。その前にこの書類を読んで、下にサインしてちょうだい。仕事をしてもらうにあたっての就業規則と、あと保険関係の書類よ。」
そういって、それぞれに1枚ずつ書類を手渡した。それは、名前や連絡先など自己に関する情報を記入する欄から始まり、その下には蟻のような字で書かれた就業規則と保険の約款が羅列されており、それらへの同意を確認するための署名欄で締められていた。3人は、必要事項を記載して、それぞれにリリーに渡した。
彼は、それらの書類を一通り見やってから、言った。
「なるほど、『カリギュラ』退治をやってのけるだけのことはあるわね。あなたたち見かけよりずっと優秀なのね。」
それから、3人に向かいにの席に着いた。
「仕事というのわね。『カリギュラ』退治をやってのけたあなたたちを見込んでぜひともの頼みごとなのよ。」
「それはどのようなことでしょう?」
カレンが訊ねる。
「『ハングト・モック』を捕まえて、といっても生死は問わないから、それを持って帰ってきて欲しいの。」
リリーはそう答えた。『ハングト・モック』というのは『カリギュラ』同様、魔法社会からドロップアウトした邪悪な『裏口の魔法使い』が主に小間使いとして召喚する魔法生物で、巨人のカリギュラとは対照的に身の丈1メートルほどの小人であった。ただその体躯は屈強かつ頑丈で、斧の扱いに長け、魔法も使いこなす危険な存在でもあった。
彼らは金を見つけ出すことに長けており、それを秘密の場所に人知れず蓄えることで知られていた。彼らの秘密の隠し場所を突き止めることは容易ではなかったが、その場所は彼らの瞳に刻まれるとのことで、『ハングト・モックの瞳』は、一獲千金を夢見るものが追い求める一種の生きた金鉱山としての意味合いを持っていた。リリーはその瞳の持ち主を生死を問わず連れて来いというのである。
「もちろん、あなたたちも知っての通り、あたくしの狙いは『ハングト・モックの瞳』よ。だから、生死は問わないけれど、かならず頭部は無傷で送り届けてちょうだいね。」
そういってリリーは片方の口角を上げて見せた。
「それはかまわないのですが、『ハングト・モック』はなかなかその存在をつかめない魔法生物です。リリーさんには心当たりがあるのですか?」
カレンが問う。
「ええ、もちろん。お馴染み『ダイアニンストの森』に生息しているわ。そのことは確認してあるのよ。ただ、あたくしはこのお店があるから直接に捕まえに出ることができなくてね。人を雇うにしても、こんな性質のお店じゃいろいろと面倒で。それであなたたちを頼ったわけなのよ。」
そう言って、魔法タバコの赤紫の煙をくゆらせた。
「お願いできるかしら?」
そういって、3人の顔をのぞき込むリリー。3人は互いに顔を見合わせてから、うなづいてシーファが代表して答えた。
「わかりました。お引き受けします!」
「そう、ありがとう。じゃあお願いするわね。」
そう言って、彼はふと視線を虚空に仰いだ。
「お給金は、3人で3人分で出来高払い。必要経費は折半ね。届けてくれた『ハングト・モック』の状態次第ではボーナスを弾むわ。条件はこれでどうかしら?」
「わかりました。問題ありません。」
そう返事をするシーファを見て、ふと、リリーが変なことを言う。
「そうそう。あなたたち、当然に報告書は書くわよね?」
「ええ、そうすることになっています。」
その返事を聞いて、ちょっと考えてからリリーが続けた。
「お給金のことだけど、先生には3人で2人分と報告してもらえないかしら?払うのはちゃんと約束通り支払うから、格好だけね。」
「それは、できないことはありませんが、でもまたどうして?」
合点がいかないシーファ。
「実はね、昔あなたたちの先生を雇った時に、給金を半分に値切ったことがあるのよ。急に気前良くなったら後で何言われるかしれたものじゃないでしょう?」
そう言って、リリーは再び片方の口角を上げて見せた。
「そう言うことでしたら…。」
「頼んだわよ。偶然壊れるのは仕方ないとしても、トサカにきたあなたの先生にこの店を焼かれるのだけはごめんだもの。」
そう言って笑顔を見せるリリー。
「わかりました。ではそのようにいたします。」
「よろしくね。で、出かけるにあたって必要なものはあるかしら?必要経費扱いにはなるけど、役に立ちそうなものがあるなら持って行っていいわ。」
リリーは店内をぐるりと見せた。
「わかりました。それでは『急速魔力回復薬』を3人分お願いします。」
そう申し出たのはカレンであった。
「いいでしょう。持ってきてあげるからちょっと待っててね。」
リリーはホールを販売所まで戻って、陳列棚をごそごそやっている。しばらくして戻ってきた。
「半額は、報酬から引くわね。一応約束だから。」
そう言って、伝票に記録をつけるリリー。
「ありがとうございます。これがあれば心強いです。」
カレンは謝礼を告げた。
「他にいるものはある?非常食や魔法瓶詰もあるけど…。まあ、その準備なら大丈夫そうね?」
リアンの大きな荷物を見ながら、笑いをこらえるようにしてリリーは言った。
「はい、『ダイアニンストと森』までであれば、用意した荷で補給なくキャンプができます。最悪は帰路の『タマン地区』で必要物資を買い足しますので。」
「そう、じゃあ、まかせたわよ。連絡は、通信機能付魔術記録装置で。マジック・スクリプト(相手を指定する番号のようなもの)はお互い知ってるものね。」
リリーはそう言って、カレンにウィンクを送った。
「はい、大丈夫です。必要なことは逐次連絡します。」
「よろしくね。」
「では、いってきます。」
3人はそう言って、さっそくにリリーの店を後にした。夏の陽がゆっくりと天上付近に差し掛かっている。店を離れるほどに霧はどんどんとはれていくが、暑さはひどくなる一方だ。来た時同様の大汗をかきながら、3人は、サンフレッチェ大橋とマーチン通りを南下し、今度は、南大通りをタマン地区に向かって、南に進路をとっていった。
肌にまとわりつく暑さと湿気、そして絶え間なく滴り落ちる汗がうっとうしい。リアンは早々に荷物の下敷きになりそうだ。その大きな荷物を先ほどと同じように、シーファとカレンが支えながら、疲れた足を前へとかいくり出して行った。
* * *
その日の夕方少し前、3人は南部の『タマン地区』に入った。太陽はまだ地平線のいくばくか上空をゆらゆらと漂っている。日暮れまでに『ダイアニンストの森』に入ることもできないわけではなく、その入り口でキャンプを張ってはどうかとの提案もあったが、一日中歩き詰めであること、不要な荷は宿に預けた方が任務をこなしやすいことなど、いくつかの理由によって、3人はこの街に一夜の宿を求めることにした。また、帰還するまでの間、その宿に荷を預けておくことにした。宿に入ってフロントにその旨を伝えると宿の者は快く彼女たちの申し出を引き受けてくれた。1泊の料金と、おそらく数日分になるであろう荷物の預け賃は頭の痛い問題であったが、何よりも確実に仕事を完了することの方を優先して、3人はその選択をすることに決めた。とにかく前進しようとするシーファを強く諫めたのはカレンであったことは想像に難くない。リアンは、その文字通りの重荷から解放されて、やれやれという面持ちであった。
大きな荷はすっかりと宿に預け、手荷物だけを持って宿の部屋に入った3人は、それをベッド脇に放り出すと順にシャワーを浴び、一日中流しっぱなしであった汗を洗い落とした。熱いお湯と、その湯気にのって立ち込めるシャボンの香りが心地よい。最後にシーファが浴室を出てくると、テーブルに食事が準備されていた。その日は、この『タマン地区』の名産の野鳥の骨付きのグリル焼きで、それに野菜スープが添えられていた。
一日中歩き通して腹ペコだった3人は、テーブルに並べられた食事をめいめい美味しそうにほおばった。リアンは山鳥にグリルが、カレンは野菜スープが、シーファは食事に添えられていた蜂蜜レモン水が特に気に入ったようだった。
3人は食事を楽しみながら、酔ったわけでもないのに、一緒に懐かしい童謡やアカデミーの校歌などを歌って親交をあたためた。リアンはよほど疲れたのか、歌いながらうとうとと船を漕ぎ始めた。
「あら、リアン。眠いの?」
そう訊ねるシーファ。ぼんやりとした瞳を彼女の方に向けて、こくこくとリアンが頷く。それを見て、カレンがリアンを床に連れて行った。ベッドに身体を横たえて布団をかぶったかと思うと、それほどの間もしないうちにすーすーと静かな寝息が聞こえてきた。シーファとカリンは、その後もしばらくお茶を傾けながら、今日までに起こった不思議のことについて言葉を交わしていた。
「あの天使、というかそれらしいもの、いったい何だったのかしらね?」
肩肘をテーブルについて首をかしげながらシーファ言う。
「よくわからいけど、とにかく大変でしたね。あの時先生たちが来てくれなかったら、私たちは今ごろ…。」
しみじみとその瞬間を思い出すカレン。
「本当に危機一髪だったわ。卵を持っていて本当によかったもの。」
「ほんとうです。『あなたたちの身体から出てきたものだから』と先生たちが持たせてくれたことが功を奏しましたね。九死に一生でした。」
グラスの蜂蜜レモン水を傾けるカリン。
「でも、あのとき先生たちは確かに、天使になったはずでしょ!?」
「ええ。」
「ところが、あの翌日、何食わぬ顔で学園に現れたわよね。びっくりしたわ。」
「ほんとうね。私、先生たちとはもう会えないかもとそう感じたもの。」
「天使になった後も、相変わらず厳しいけどね。」
「ほんとうに。」
そう言って、ふたりは笑いあった。彼女たちが視線をリアンの方にやると、リアンはもうすっかり夢の中に沈んで、先ほどと同じように、静かな寝息を立てている。
「私たちも休みましょう。」
「そうですね。」
ふたりも床に入った。その後も何事か言葉を交わしたようにも思うが、何を話したかも分からないうちに、ふたりの精神を深い睡眠が閉ざしていった。疲労と満腹感が心地よい眠りを誘う。朝は瞬く間に訪れた。
* * *
翌朝目覚めた3人は、出発の準備を行った。宿が用意してくれたトーストとコーンスープにコーヒーを流し込み、その後、二日分のキャンプに堪える装備と食料、水、水薬、そして得物を忘れずに準備した。もちろん、リリーに用意してもらった『急速魔力回復薬』をローブのポケットにしっかりと仕舞ったことは言うまでもない。
その日も空は抜けるような晴天で、ぎらぎらと照り付ける夏の太陽は、朝の早い時間帯から、3人の肌を焼き尽くさんばかりの勢いであった。荷物の預かり証はシーファがしっかりと荷物の中に仕舞い、『ダイアニンストの森』へ向けて更に南に進路をとって行く。
石畳の街道は、進むにつれて舗装は乏しくし、次第に土を剥きだした獣道のようになって行った。あたりをうっそうとした木々が取り囲みはじめ、やがて、そのなけなしの細道も途絶えて、3人の足音はざくざくと落ち葉を踏みしだくものに変わっていった。
あたりを取り囲む木々の数は一気に増し、『ダイアニンストの森』が再び彼女たちを取り囲み始めている。あれだけギラギラと照り付けていた夏の陽は厚い森に阻まれてなりを潜め、ただあたりを取り囲む湿気と蒸し暑さだけがその存在を思い出させていた。森を抜ける風は、石畳に覆われた市街地をめぐるものよりはましな心地よさがあったが、それでもこの時期のそれが汗をどっと誘う熱量を備えたものであるこに違いはなかった。
カレンは、目印となりそうな木々に、今回も慎重に目印を刻んでいる。3人は、深い森の中で、金を蓄えると言われる魔法生物の小人の痕跡を探していた。
第2話『森を駆ける少女』
シーファ、リアン、カレンの3人は、お馴染み『ダイアニンストの森』深くに分け入り、金を貯えるという魔法の小人『ハングト・モック』の足跡を探している。依頼主は神秘の魔法具店『スターリー・フラワー』の店長リリー・デューで、そこに差し向けたのは彼女たちの教官であるウィザードであった。夏休み返上で、3人の少女たちは深い森の中を彷徨っている。丁寧に足跡を記録してくれるカレンの取り計らいによって、帰り道に迷うということはなかったが、広大な深い森の中でめったに邂逅できない魔法生物をどう発見したものか途方に暮れていた。
先を行くふたりの後ろで、ふと、リアンが何かごそごそとやっているのに気が付いた。その所作を注意深く見守ってみると、彼女は一定間隔に金貨を置いているようである。
「何をしているの?」
そう訊ねるシーファに、
「『ハングト・モック』の好物は金ですから、金貨をまいているんです。これを狙って来ないかなと思って。」
リアンはそう答えた。
「それは、いいアイデアですね。」
カレンはその発想に関心ひとしおだ。
3人がこれまでたどってきた道筋の彼方を振り返ってみると、その金貨の軌跡が続いているのであろうその遥か先の茂みが微かにガサガサと動くのが見て取れた。
「気が付いた?」
「ええ。どうやらリアンの計略は当たったようです。」
シーファとカレンは顔を見合わせている。リアンは得意そうだ。
3人は、そばの木立に身を隠し、その茂みの動向を注意深くじっと見守った。確かに何かがごそごそと動きながら、こちらに近づいてくるようだ。やがて3人の視界はその姿を捉えた。
「いましたね。」
小声で言うカレン。
「そうね。『ハングト・モック』に違いないわ。」
徐々に近づいてくるその影をシーファもしっかりと見据えている。リアンは身を乗り出してその動きを見据えている。身の丈1メートルばかりのその人影は、あちこちを見やりながら、斧を携えているのとは違う方の手で一心不乱に金貨を拾い集めては、腰につけた袋に放り込んでいた。その袋はもうずいぶんと重そうにして、その腰元にぶら下がっている。リアンは相当な量をまいてきたらしい。
それは同じような動作をしきりにくりかえしながら、3人のもとへどんどんと近づいてくる。生死を問わずにその身柄を捕獲してくること、それが今回の3人への依頼だった。肝心なのは、金の隠し場所が刻まれているというその瞳で、頭部は傷つけないことという条件が付加されていた。捕獲時の状態が良ければボーナスを弾んでくれるという約束は、3人の少女のやる気を大いに喚起していた。木立の奥に身をひそめながら、彼女たちは捕獲の機会を静かに見計らっていた。
いよいよ手に届きそうな位置にまで、その小人の影が差し迫ってくる。3人に緊張が走った。相手は膂力(りょりょく)に優れるだけでなく、魔法も巧みに操る力の強い魔法生物だ。その自由奔放なふるまいからして、召喚者の制御はとうに失われていることがうかがわれた。その姿が、3人の姿を隠している木立の直前にまで迫ってきた時であった!詠唱を始めるカレン。
『閃光と雷を司る者よ。我が手に光の投網を成せ。それをけしかけて、かの者を捉えん。光の網:Light Web!』
手にしたオパールの短刀から蜘蛛の巣状の光の網が繰り出され、足元の金貨収集に夢中になっている小人の身体を捉えようと襲い掛かる!しかし、小人はその気配を鋭く察し、すんでのところで身をひるがえした。光の投網はその足元の地面に衝突して霧消してしまう。失敗だ!
小人はあたりをしきりに見回して、自分の悦楽を邪魔した者の姿を探している。まだ3人の姿には気づいていないようであるが、木立の後ろに違和感を感じるようで、のぞき込むように身を乗り出しては視線を送ってきた。金の隠し場所を刻んでいると言われるその瞳が妖しい魔法光を放って3人の少女に迫っている。彼女たちは木のうねりに身体を添わせるようにしてその視線をかわしつつ、その動向をなお目で追っていった。
小人の身体が、シーファの目の前ににゅっと伸びてきたその時だった。彼女はさっと身を乗り出して、その小さな体を捉えようと両腕を伸ばし掴みかかった!小人は非常に繊細な感覚を備えているのであろう。その気配を素早く察し、巧みな身のこなしで彼女の両腕の間を潜り抜けると、木立との間に距離をとった。まだその先に金貨があるとにらんでいるのか、すぐに逃げ出す気配はない。木立をはさんで3人と小人はにらみ合う格好となった。
金貨集めを邪魔されて頭に来ているのであろう、小人は手にした斧を両の手に構えて臨戦態勢をとる。どうやら邪魔者を排除する気のようだ。その意思は少女たちにも伝わってくる。彼女たちもそれぞれ手に得物を携えて、構えを成していった。
* * *
その見合いの緊迫を最初に破ったのはシーファだった。小人の足元に向けて『火の玉:Fire Ball』の術式を繰り出す。その火の玉は目にもとまらぬ速度で迫るが、小人はその隆々とした脚部の筋肉を複雑に躍動させてさっと後退し、見事にそれをかわした。そもそも的が小さい上にこの素早さだ。捕獲には相当の困難が予測される。得物を手にする3人の手に力がこもり、額から首筋にかけて緊張の汗が走った。
今度は小人の手に魔力がたぎる。それは斧を術式媒体として、強力な『衝撃波:Shock Wave』の術式を繰り出してきた!大きな衝撃音とともに、両陣営を隔てていた木立の幹が粉々に砕け散る。根の少し上が粉砕され、その上の部分が三人の少女たちに覆いかぶさるように倒れてきた。
「逃げて!」
シーファの声に合わせて、三人はそれぞれにさっとその場を離れた。轟音を立ててその場に横たわる巨木。間一髪であった。なおもその邪悪な魔法生物は斧を介して魔力をたぎらせる。今度は『砲弾火球:Flaming Fire Balls』の術式だ!よほど力の強い魔法使いに召喚されたのか、それが手にする魔法の斧は非常に優れた性能を有しているようだ。10個ほどの大きな火球が彼女たちに襲い掛かってくる。それぞれに走り回って回避を図りながら魔法障壁を繰り出してしのいでいく。しかし、カレンとリアンはいくつかの火球をあびてしまった!ローブの一部が焼け、焦げ臭い匂いがあたりに放たれた。火傷は大したことはないようだが、それでも身体を走る痛みは相当だ。うずくまってそれに耐えるリアンの身体を覆うようにして、シーファが障壁を展開して彼女を守っていた。
その刹那、あたりが俄かに暗くなったかと思うと、天上を覆いくる魔法の雲から、幾筋もの稲妻があたりにほとばしった。カレンが『帯電の雲:Thunder Cloud』の術式を放ったのだ!小さな獲物は、その屈強な脚部を巧みに操ってそれらをひらひらとかわしながら後退していく。その身軽さは3人の予想をはるかに超えるものであった。
「まずい、逃げられるわ!」
そう声を上げるシーファの身体の下で、リアンがその小さな体をかいくって術式を放った。『魔法の道標:Magic Beacon』である!それは見事に獲物に命中し、3人は今後の追跡の手がかりを残すことができた!その3人の少女たちをよそ眼にして、獲物は深い森の中へと瞬く間にその姿を隠していった。あたりに静けさが戻り、木々の高いところでさえずる小鳥の鳴き声が再び耳に届くようになってきた。予想以上に強力な相手を前に、3人は詳細な作戦立案を余儀なくされていた。
「思った以上に手ごわいわね。」
顔の汗をぬぐいながらシーファが言う。その下からリアンがはい出てきた。肩口に火の玉を浴びたようで、痛々しいやけどの跡がローブの下にのぞいている。ずいぶんと痛むようだ。そこにカレンがやってきて、回復術式でリアンと自分の傷を癒していった。さすがは看護学部の学徒である。その術式行使は見事で、完治とまではいかないまでも、その傷はずいぶんと癒えて、当座の行動には支障ない状況を取り戻すことができた。
「これで大丈夫よ。」
そういうカレンに、リアンはこくこくと頷いて謝意を伝える。
「これから、どうするの?」
そう訊ねるリアンに、即答できないシーファとカレンのふたりは顔を見合わせる。
「何らかの作戦を考えないといけませんね。」
「そうね、力任せでは相手の方が上だわ。この森のことも熟知しているし。」
「とにかく、動きを封じないといけないですよ。」
そう言うリアン。
「その通りだわ。でも具体的にはどうする?」
「古典的ですが、落とし穴はどうですか?」
カレンの提案に、シーファは何かを思いついたようだ!
「それよ!!リアン、まだ金貨はある?」
その問いにリアンは頷いて答えた。
「落とし穴を作って、そこに誘導するようにもう一度金貨をまきましょう!」
「それはいいですね!ただ、頭部を無傷に保つ必要を考えると、落とし穴の中に竹槍などのブービートラップを仕掛けることは難しいですよ。あの機動力ですから、ただ落としただけでは容易に抜け出られるかもしれません。」
カレンが現実的な懸念を表明した。
「もっともだわね。罠を仕掛けて頭部を台無しにしたのでは、意味がないもの…。」
そう言ってシーファは首をかしげた。3人の間にしばしの沈黙が訪れる。
* * *
「じゃあ…。」
沈黙を破ったのはリアンだった。
「とにかく、あの脚を止めないといけないです。ですから、落とし穴のそばにシーファと私が姿を隠しておいて、ハングト・モックが穴から飛び出してきたところをふたりがかりで斬りつけるというのはどうですか?とにかく、脚を狙うんですよ。シーファはレイピア、私はこのショートソードで。リーチがあるのは、私たちふたりですから。」
「私はどうすればいい?」
その提案にカレンが問いかける。
「カレンは、離れたところから『光の網:Light Web』を放つ機会をうかがってください。シーファとの連携が無事成功して相手の動きを封じることができたら、その隙をついて捕獲してほしいのです。」
リアンがこれほどまでに堂々と自分の考えを口にするのは以前にはなかったことだった。彼女なりに、出発前にかけられたウィザードの言葉を実践しようとしているのかもしれない。
「そうね、いい案だと思うわ。リアンの言う通り、魔法より剣の方が脚を止めるという意味では確実かもしれないわね。」
「私もそう思います。動きを止めるか、せめてもう少し緩慢にできれば、魔法でその動きを捉えることもできないではないでしょうから。」
ふたりともリアンの提案に合理性と可能性を感じたようだ。どうやら手はずはそれで整った。木立に囲まれた場所にあって、落とし穴を作りやすい開けた場所、3人はそんなところを探して森の中を進んで行った。
やがて、うってつけの場所が見つかる。そこは3本の木立が獣道を取り囲むようにして生えており、そのちょうど真ん中に落とし穴を形成し、木立の裏にシーファとリアンが、少し離れた岩陰にカレンが身を隠すことによって、先ほどの打ち合わせをよく実践できそうに感じられた。
「ここにしましょう!」
そういうシーファに、ふたりは頷いて答えた。3人は、2本の立ち木のちょうど中央付近に、『衝撃波:Shock Wave』の術式などを駆使して、1メートル半ばかりの深さをもつ落とし穴を形成した。魔法だけでなく時々はそれぞれがもつ得物も駆使して、どうにかこうにか穴を掘り進めて行ったのである。やがて、それは獣道の途中にぽっかりと口を開けた。カレンはその穴の口を覆うように、キャンプ用の大きなシートをかぶせ、その上に小枝や落ち葉を盛って、穴を巧みに隠して見せた。苔の生えた土なども使うことで、そこに穴があることは一見して分からない設えができあがる。
「こんなものでいいでしょう。」
そう言って額の汗をぬぐうカレンの手際の見事さに、ふたりの少女は感心の眼差しを向けていた。
「じゃあ、リアン。もう少し向こうのあたりから、金貨をまいて来てくれるかしら?」
「わかったのです。」
シーファの促しを受けて、リアンは100メートルほど先まで移動してそこから手前に金貨をまきはじめた。穴のちょうど真上にはこんもりと金貨を盛ったのは言うまでもない。不自然にならないように、その先10メートルほどにわたっても金貨を少しまいておいた。リアンが先ほど相手に打ち込んだ『魔法の道標:Magic Beacon』の信号をたどってみると、獲物がまだ付近をうろついていることが確認された。これで準備は完了だ。あとはこの罠に食いついてくれるのを待つばかり。シーファとリアンは穴の両脇そびえる巨木の裏に身を隠し、カレンはその道の続く先の脇にあるこんもりとした岩場の影に潜んで、その到着を待った。
夏の太陽が、天上をゆっくりと西に位置を移していく。緊張と周囲の暑さで汗が止まらない。額と首筋だけでなく、全身が汗に濡れていた。身体にまとわりつく衣類が心地悪くてならない。立ち木の影から慎重に獣道の先を見やるシーファとリアン。やがてその耳にチャリチャリと金属の擦れ合う音が届いてきた。どうやら獲物が食いついたようである。その音はゆっくりと近づいてきた。『ハングト・モック』は先ほどと同じようにして、斧を持つのとは違う方の手で、軽快に金貨を拾い集めながら近づいてくる。それが罠であるとはまだ気づいていないようだ。3人、とりわけ、その足を止める役目を担うシーファとリアンのふたりに緊張が走る。野兎が飛び跳ねるようにしてそれはいよいよ近づいてきた!
* * *
その小さな魔法生物が、ひときわ積み上げられた金貨の小山に飛びかかったその刹那である!足元の地面が崩れ、枯れ枝や枯れ葉の立てる乾いた音を響かせながら、最後にドスンという大きな音を立てて、そいつは穴に落ちた!
「やった!」
はやる気持ちをぐっと押しとどめて、状況を見守り機会をうかがうシーファとカレン。得物を握る手にいっそうの力が入る。穴の中でしきりにもがく音が聞こえてきた。魔法生物は穴の底で必至に体勢を立て直しているようだ。次の瞬間の出来事に意識を研ぎ澄ませながら、ふたりが身構えたその時だった。穴の中からその影がさっと飛び出してきたのである!やはりハングト・モックにとって、身の丈の1.5倍程度の深さの穴をひとっとびで飛び出すことは容易であったようだ。その身体が再び大地を踏みしめようとしたその瞬間である!脇の木立から小さな体をさっと繰り出して、リアンが手にしたクリスタルのショートソードで、その脚を狙い薙ぎ払った!その切っ先は見事に足首を捉えて、魔法生物特有の青紫色の血のしぶきがあたりに散らせた。小人は痛みに呻き、その場にうずくまる。その隙を逃さず、シーファはその手のレイピアをもう片方の太ももに突き立てた。小人はますます大きな叫び声を上げ、あたりかまわず『砲弾火球:Flaming Fire Balls』の術式を繰り出した。踵を返して、その法弾への対処をするシーファとリアン。逃げ惑うふたりを火球が容赦なく襲い掛かる!しかし、小人に動く気配はない。斬りつけられた足を繰り出すことができないでいるようだ。
その時、道の先の岩陰から光の群れがその身に襲い来る!カレンが放った『光の網:Light Wab』の術式だ!彼女は念入りに、2重に網を放っていた。小人は、小柄な体躯をよじって1段目の網をかいくぐったが、大きく脇にそらしたその身体を2段目の網が見事にとらえた!けたたましい鳴き声を上げながら、ハングト・モックは網の中でもがき苦しんでいる。
「仕留めたわね!リアン、見事よ。カレンもね。」
「あなたこそ、お見事よ、シーファ。」
「3人の勝利なのです!」
網の中に捉えられた得物を取り囲んで、少女たちは歓喜の言葉を交わしてお互いを称えあう。3人の内の誰が欠けても実現しない、そんな成功であった。
* * *
カレンは、通信機能付光学魔術記録装置を取り出して、リリーに連絡を取っている。通信機の向こうのリリーも喜んでいた。彼は、3人に対して、生け捕りにできたのであれば、光の網に捉えられた状態のまま『転移:Magic Transport』の術式でそれを店まで転送してほしいと、そう依頼してきた。話がまとまって、リアンがまさに転送を開始しようとクリスタルのショートソードを構えた、その時であった。誰もいないはずの森の奥から、聞いたことのない声が3人の聴覚を捉えた。
「おやおや、小娘3人に先を越されるとは、私もやきが回ったもんだねぇ。」
その声の方を見やると、40そこそこの険しい顔つきをした女性の魔法使いが姿があった。その風体からして、この森に潜む『裏口の魔法使い』のひとりであることに間違いなさそうである。
獲物を奪われないように、それを取り囲むようにしてシーファとカレンが前に出て身構える。術式の詠唱を中断して、リアンもそれに続いた。
「おやおや、若いのにずいぶんと血の気が多いじゃないか?このキャシー・ハッター様とやろうなんて、度胸だけは見上げたものだね。」
その魔法使いはくっくと笑いながら、3人の方に近づいてきた。
「その『ハングト・モック』はあたしの方が先に目をつけていたのさ。悪いけれど譲ってもらうよ?なに、ただとは言わないさ。あんたらは何者かに雇われたんだろう?それ以上の額を出すからどうだい?」
思いがけない取引を彼女は持ち掛けてきた。しかし、
「それはできません!」
シーファは持ち前の正義感で、邪な申し出をきっぱりと断った。あとのふたりもその甘い口車に乗る気はないようである。魔法使いは顔つきを一層険しくして言った。
「何さ、本気でこのあたしとやる気なのかい?馬鹿な小娘たちだねえ。もう一回だけ機会をやるよ?どうだい、あたしと取り引きしないか?」
3人は、首を横に振ってそれを拒んだ。
「そうかい…。」
そう言うと、魔法使いは何か怪しげな詠唱を始めた。やがて周囲に赤みを帯びた桃色の煙が立ち込めて来た。襲い掛かってくるというわけではなさそうだが、身構えつつ様子を見守る少女たちをその煙が妖しく濃く取り囲んでいく。やがて、リアンの身に異変が生じた。その瞳は俄かにうつろになり、焦点の定まらない様子で彼女はその場に弱々しくへたりこんだ。その瞳を見ると、煙と同じ気味の悪い赤桃色の呪印が妖し気に浮かんでいる。その意識はすでに失われているようで、どこを見ているのか分からないまま、不安定に虚空を仰ぐばかりとなっていた。魔女が語り掛けて来る。
「この子は人質だよ。あんたたちのどちらかが、リーダーなんだろう?どちらに決定権があるのかは知らないけれど、この子の全身の血が燃え盛る前に賢明な判断をすることさね。さぁ、どうするね?」
ルビーのレイピアを構えなおそうとするシーファを魔法使いが咎める。
「ばかなことはおよしよ。あんたはだいぶ短慮なようだね。それだと、リーダは奥の子ということになるのかい?」
その言葉を聞いて、シーファは口元をかみしめた。己の欠点を見透かされた悔しさと、リアンの安全を考えずに行動に出ようとした自身を戒めているのだろう。
「おやおや、あんたも馬鹿というわけでないようだね。」
そう言うと、魔法使いは手にした杖を繰り動かす。今度は、煙がシーファの身体を色濃く取り囲んでいく。やがて、シーファの瞳にもカレンと同じ呪印が浮かび、その焦点が定まらなくなった。彼女は夢遊病者のようにして、その場にふらふらとたたずんでいる。
「さぁ、これで人質はふたりだよ。あたしはいつでもこいつらを体内から丸焼きにできるんだ。一番賢そうなあんたにはその意味が分かるだろう?さぁ、この哀れな小人を運ぶのを手伝いな。」
魔法使いがそうカレンに迫ってきた。やがてシーファとリアンのふたりは操られるようにして、カレンの両脇を取り囲む。その瞳に浮かぶ呪印は、放つ魔法光を一層強くして、ふたりの正気をいよいよ奪っていくように見えた。
「どうするね?そこで3人揃ってまる焼けというのでも、あたしは一向にかまわないんだよ。仲良くあの世行きというのもおつなんもんさね。」
不気味な笑みを浮かべる魔法使い。カレンは決断を迫られていた。
「わかりました…。」
そう言って、小人の方に向きを変え、カレンはそこに近づいて行った。
「それでいいんだよ。素直なのは結構なことだ。」
魔法使いは勝利を確信して、その不気味な笑みの表情を一層深めていく。その時だった。
「だめよ、カレン。早く、リアンを正気に戻して!」
その声の主はシーファだった!彼女は煙の中に消えゆきつつあった自我を懸命につなぎとめるために、手にしたレイピアで自分のつま先を貫いていたのだ。彼女の身に付けた魔靴の先から、痛々しく赤い血が流れ出ている。彼女はその痛みを味わうことで自らを正気に戻したのだ!その美しい顔は絶え間なく襲いくる激痛に耐えて歪んでいる。
「馬鹿をおやりじゃないよ!」
そう言って、術式を繰り出そうとする魔法使いよりも早く、リアンにとりつくと、カレンは治癒術式を繰り出した。リアンの瞳に浮かぶ呪印が輝きを失っていく。シーファは、ふたりをかばうように防御障壁を展開して周囲にたちこめる煙を押しやった。煙の影響がようやく遠のいたのであろう。魔法障壁の内側でこほこほと咳をしながら、リアンも正気を取り戻した。
「ほぅ。このあたしの催眠術式をはねのけるとは、たいしたもんさね。でも、遊びはここまでだよ!」
手にした杖に魔力を大いにたぎらせて襲い掛かってこようとする裏口の魔法使い。障壁こそ展開しているが、手負いのシーファと目覚めて間もないリアンを抱えて後がない。なにより、せっかくの獲物を傷つけられるのは何としても避けたいところだ。窮する3人に魔法使いの術式が容赦なく放たれようとした、その時だった。
* * *
キャシー・ハッターと名乗った邪悪な魔法使いに、幾筋ものまばゆい閃光が撃ちかかってきたのだ。少女たち目掛けて魔法を放とうとするその手を止め、防御と回避に専念することを余儀なくされる格好となった。しかし、その実力は本物のようで、回避行動と障壁の展開を駆使して、彼女はとうとう巧みにその閃光の襲来のすべてからその身を守り通して見せた。
「ちくしょう、あと少しというところで、邪魔をしてくれる!」
いまいましそうにするキャシー。
少女たちとの間にできたいくばくかのスペースに『転移:Magic Transport』のものと思われる魔法陣が展開されて、そこからもうひとり、魔法使いが姿を現した。
「あいかわらずの悪行ね、キャシー。」
そう語る姿に3人は見覚えがあるようで、思いがけない再開に目を丸くした。
「おやおや、そういうあんたは、いけすかないユーティ・ディーマーじゃないか?おたくも『ハングト・モックの瞳』が狙いかい?」
不敵な表情を崩さないキャシー。ふたりの熟練魔法使いが対峙する。
「あなたは…。」
そう言いかけたシーファに、
「話は後よ。今の内に、小人を転送なさい。」
記憶にあるその魔法使いはそう声をかけた。
「そうはさせるものかい!」
襲い掛かりくるキャシーともうひとりの魔法使いの間で、術式の応酬が繰り広げられた。互いが撃ち放つ、火球や閃光、稲妻や衝撃波があたりを飛び交う。大きな音とともに、土と落ち葉、木くずが巻き上げられ騒然となる。キャシーは転送を阻止しようとして奥にいる少女たちに狙いを定めているようであったが、ユーティと呼ばれた魔法使いは、キャシーの魔の手から3人を守ってくれているようで、その影響が少女たちのもとまで届くことはなかった。
「いまのうちです!」
そういうカレンの声に促されて、リアンが大急ぎで『転移:Magic Transport』の術式を実行した。そうはさせじとキャシーは、少女たちめがけて一層の術式を矢継ぎ早に繰り出すが、間に立ちはだかるユーティがその狙いをことごとく不確かなものにしていた。やがて、小人の全身を魔法光が包み、その足先から光の粒になって中空に消え始めた。転送が始まったのだ!ハングト・モックの小さな体は瞬く間にその頭頂までが虚空に消え去っていく。転送は成功したのだ!大切な役目を終えて、3人の少女たちも戦線に加わって身構えた。
4人と、キャシーはいっとき真正面からにらみ合う格好となったが、多勢に無勢を悟ったのか、邪な裏口の魔法使いは苦々しい舌打ちを残して、その場から逃げ去って行った。緊迫の連続であったあたりに、ようやく落ち着きが取り戻されてきた。
「お小さい方々、お久しぶりね。」
ユーティが3人に声をかける。
「あなたは確か…。」
そう言いかけたシーファに、
「そうよ。以前、ここであなたたちに声をかけて荷物を預けた魔法使いよ。そのレイピア、役立ててくれているようで嬉しいわ。」
ユーティはそう言って3人に笑顔を向けた。
「確かに、あの時お会いした方とお見受けしますが、今日はずいぶんと印象が違いますね。」
カレンはそう訝しがって見せる。
「よく憶えているのね。賢い子たちだわ。あの時はちょっと事情があって、私の正体をあなたたちに知らせることが難しかったのよ。それであんな話し方をしてたの。改めて自己紹介するわ。私は、ユーティ・ディーマー。この森に隠れ住む『裏口の魔法使い』よ。それから、あのときは大切な荷を届けてくれてありがとう。お礼を言うわ。」
そう言って手を差し出した。初めて会ったユーティは初老にも感じられる老けた印象で、その語り口も今とは随分と異なるものであったが、全体的に見て同一人物であることは間違いなかった。今、目の前にいるのは、40そこそこのまだ若さを幾分か残す美しい女性で、その語り口も年齢相応のものに改まっていた。
「こちらこそ。今日はあなたに助けられました。感謝の申し上げようもありません。」
その手を取って礼を述べるシーファ。
「あなたの精神力と勇気は見事なものだったわよ。」
ユーティは握手したシーファの手を優しく離すと、その足元にしゃがみこんで、回復術式を行使し、その傷を癒してくれた。その手際からして彼女が相当手練れの魔法の使い手であることは間違いなかった。あたたかい魔法光に包まれたシーファの傷は、瞬く間に、跡ひとつ残さずに完治した。その技量は優れた回復術式の使い手であるカレンのさらにその上をいく見事なものであった。
「これで歩けるでしょう。痛みは引いたかしら?」
「はい、ありがとうございます。もう、大丈夫です。」
「そう、それはよかったわ。」
ユーティは、膝についた落ち葉と泥を払い落としながら立ち上がると、そう言ってシーファにあたたかい笑みを向けた。
「それで、あなたたちはこれからどうするのかしら?」
そう問う彼女に、
「タマン地区を経由して、依頼主のもとへ戻ります。」
カレンがそう答えた。リアンはようやく完全に目覚めて、ひとごこち就いたようである。
「そう。勇敢なあなたたちにまた出会えてうれしいわ。ゆっくりお茶でもしたいところだけど、この森はあなた方が思う以上に危険な場所よ。そろそろ陽の傾きが大きくなってきた。キャシーのこともあるから、早くここを去った方がいいわね。縁(よすが)があれば、またどこかで会うことができるでしょう。」
そう言って、ユーティは地平線に近づく太陽を見やった。彼女の言う通り、8月の陽はやや駆け足気味であるようだ。
「私たちももっとお話ししたいですが、この場は貴重なご忠告に従います。」
深々と頭を下げるシーファの後に、あとのふたりも続いた。
「いつか『アーカム』で、あなたたちに会える日が来たら素敵ね。」
そう聞こえたかと思うと、ユーティの姿はもうその場から消えていた。まったくにして神出鬼没の人である。ダイアニンストの森を住処とするユーティ・ディーマーという優れた能力をもつ魔法使い。どのような事情があって彼女ほどの洗練された存在が『裏口の魔法使い』としてこんな深い森に身を落としているのか、興味が尽きなかった。キャシー・ハッターという邪悪な魔法使いの存在もまた気がかりだ。3人はさらなる危険に襲われる前に、この地を離れることに決めた。
この場所に至るまでの間、カレンがずっと木々に刻み続けてくれていた目印の呪印を逆順にたどって、少女たちはその深い森を後にした。徐々に足元の道はしっかりとし始め、あたりを覆う木々はまばらになっていった。やがて、道は石畳の舗装を取り戻してくる。太陽はすでに地平線にその大半を隠し、空と大地の境界線を真っ赤に燃やしていた。天上付近はすっかり濃紺の宵闇に覆われて、夕焼けを大地の裏側へと追いやっている。そのせめぎあいの狭間で、星々の煌めきを認めることができた。どうやらこのまま進んで行けば、夜が深まる前にはタマン地区に戻れそうだ。疲れた身体を引きずりながら、3人は足を前へ、前へと繰り出している。
リリーに作戦成功を告げるカレンの声だけが、その場でひときわ大きくこだましていた。
第3話『小さな凱旋』
魔法の小人『ハングト・モック』の捕獲に無事成功し、不思議な魔法使いユーティー・ディーマーとの共闘によって邪悪な『裏口の魔法使い』キャシー・ハッターを退けてから『ダイアニンストの森』を後にした3人が『タマン地区』に戻ってきたのは、その日の夕方7時を少し回った頃であった。一日中森の中を駆けまわったことで、身体も服もどろどろで、少女たちは一刻も早くシャワーを済ませて着替えをしたい心地であった。特に、ハングト・モックの放った火炎術式によってローブを傷めてしまったリアンとカレンはその繕いもしたいと感じているようだ。宿に到着するや、すぐに宿泊の手続きを済ませると、部屋に駆け込んだ。シャワーは、リアン、カレン、シーファの順に浴びることとし、ふたりが入浴している間に、シーファがその日の料理の注文をしておくという段取りに決まった。シャワーを最後までお預けとなる代わりに、メニューは何でも彼女の好きにしてよいという特典付きだったようである。
やがてシーファの番となり、彼女が浴室に入る。するすると乾いた音を立てて着衣をほどくと、あたたかいお湯を全身に浴びた。一日中かきっぱなしだった大汗が、流れる湯にとけて行く。べたつきがとれ、肌にさわやかな手触りが戻ってきた。若く美しい肌は、水滴を見事にはじいていた。シャボンを使って頭のてっぺんからつま先まで、汚れを洗い落としていく。キャシーの魔の手によってもうろうと消えゆく意識をつなぎとめるため、決死の想いで自ら刺し貫いたつま先の傷は、ユーティの卓越した回復術式のおかげで、跡形なくすっかり完治していた。痛みももう全く感じられない。シーファは今日一日の出来事を反芻しながら、あたたかく心地よい湯あみに身を委ねていた。綺麗なタオルで身体の水けをぬぐい、着替えを済ませて浴室を出た彼女を、先ほど注文したタマン地区の特別料理が出迎えてくれた。先に着替えを済ませていたリアンとカレンのふたりは、その料理を前にして、シーファの戻りを待ちわびていたようである。
その日のメインディッシュは、お馴染みタマン地区特産の野鳥の刺身 ― 実際には一度湯引きをした後で、刺身の切り身のような恰好に鶏肉を切り分けたもの ― で、新鮮な野鳥が取れた時にしか味わえないというその限定料理は、若い3人の関心を大いに引いていた。
とり肉に目がないリアンは、その美しい透き通る青い瞳をひときわ輝かせて、皿の中を覗き込んでいる。見た目は魚介の刺身のようにも見えたが、その口触りと味は間違いなく鶏肉のそれで、完全に生というわけではなく湯通しにより加熱された表面と、その内側の生肉の味が絶妙なハーモニーを口の中で奏で、3人は繰り出す手が止まらないでいた。ワサビやショウガなど、東洋の薬味を添えると、アクセントの効いたこれまた引き締まった味となって、少女たちの舌を大いに唸らせたのである。特に紅葉おろしという名の、トウガラシをちりばめた薬味との相性は絶品で、リアンはそれを夢中で頬張っていた。
「おしいわね。」
そういうシーファの顔を見ることもなく、リアンはいつものようにこくこくと頷きながらもその手を止める様子がまったくない。カレンはその愛らしい仕草をほほえましく見守りながら、同じくタマン地区の名産品である白桃を生絞りしたというジュースのグラスを傾けていた。濃いとろみのある甘さのそのジュースは、アルコールを加えたらさぞ美味いであろう、そんな味わいであった。リアンは、白ブドウの生絞りジュースを、シーファは先日よほど気に入ったのだろう、蜂蜜レモン水を注文していた。舌の上でおどる美食がその日の疲れをやさしく癒していく。おだやかで充実した時間であった。
3人は、翌日『スターリー・フラワー』のリリー店長をさっそく訪れることに決め、報告書を誰がどう分担してしたためるかを取り決めたあとで、早々に床に就くことにした。ずっと歩き詰めの上に、ハングト・モックの大捕り物、そして裏口の魔法使いとの思わぬ対峙と、目まぐるしく出来事がめぐっていった一日であったが、心地よいシャワーと偶然巡り合えた特別の食事は、再度英気を養うのに十分であった。
食事をしながら船を漕ぎ始めたリアンをカレンがベッドに連れて行って休ませ、それに続いてふたりも床に就いた。時刻はまだ9時をまわったばかりで、眠るには少し早かった。窓の外を見やると、雲に見え隠れしている三日月の周りを真夏の星座が彩っている美しい宵闇が目に届いてくる。やがて、その夜の帳が3人の精神をすっかり覆っていった。小さな勇者3人の眠りを妨げるものは、もうそこにはなかった。夏の夜は彼女たちをいたわるかのように、ゆっくりゆっくりと更けていく。
* * *
少しずつ、東の空が白み始める。朝が来ようとしていた。窓の外から小鳥の鳴き声が聞こえ始めた。リアンとカレンはまだ夢の中だったが、窓側で寝ていたシーファは外の薄ぼんやりとした白さに導かれるようにして、早朝に目が覚めた。真夏の朝ではあったが、日の出間もないこの時間は少しひんやりした感じがする。寝巻の上にローブを羽織って彼女は窓の外を眺めた。東の空が彩雲に彩られ、そこから朝が始まるのだということが感じられた。薄桃色の明けの空はなんとも美しく、昨日深い森の中で経験した妖しい赤桃色の呪われた煙の色と対照をなしている。またしても、軽挙妄動に出ようとしてしまった…。シーファはその時のことを思い出し、己の未熟をかみしめていた。なにより、自分の欠点ともいうべき特性を、出会ったばかりのキャシーに見透かされたことが悔しかった。まだまだ、外的にも内的にも己を鍛えていかなければならない。視野を広げ、状況をよく見やり、全体を把握する意識の広さ、その獲得を急ぐ必要がある!彼女は決意を新たにしながら、夜と入れ替わろうとして次第に昇って来る朝日の動きを追っていた。
「もう、起きてたの?早いですね。」
そう言ってカレンも起き出してきた。彼女もまた、寝巻の上にローブを羽織ってシーファの横に並び、窓の外を眺めた。
「綺麗ですね。」
「ええ、とても。」
「昨日は、ごめんね。またしてもふたりを危険にさらすところだったわ。」
カレンに謝罪の言葉を向けるシーファ。
「何を言っているんですか!あなたの勇敢さがなければ、危うく私は彼女の脅しに屈するところだったのですよ。リアンが言ったように3人の勝利です。」
「ありがとう。」
カレンの言葉に照れくさそうにシーファは礼を告げた。ふたりが窓の外を見やりながらひとつふたつ言葉を交わしていると、リアンも起き出してた。
「ふたりとも、ずいぶん早いのですよ。私はまだ眠たいです。」
そう言って、目をこするリアンに、
「おはよう、リアン。今日もいい一日しましょうね。」
シーファがそう声をかけた。カレンもあたたかい微笑みをリアンに向けている。
その時、宿の部屋に備え付けの通信機が着信のベルを鳴らした。カレンがそれに応答する。
「おはようございます。302号室です。」
「おはようございます。お目覚めはいかがですか?今朝は、朝食付きのプランでお泊りいただいておりますが、お部屋でのお召し上がりをご希望とのことでしたので、これからお持ちいたしたく存じますが、いかがでしょうか?」
通信機の向こうの声はそう訊ねてきた。
「朝ごはん、これからでいいかしら?」
そう訊ねるカレンに、ふたりは頷いて答える。それを見てカレンは応答を続けた。
「はい、これからで大丈夫です。よろしくお願いします。」
「かしこまりました。朝食にはタマン地区名産のあたたかいお茶がつきます。おいしいものですので、お楽しみになさってください。」
そういうと、通信が切れた。ほどなくしてドアをノックする音が聞こえる。
「朝食をお持ちしました。」
メイドが声をかける。
「開いています。どうぞ。」
カレンはそう答えて、メイドを迎え入れた。彼女は手押し式のカーゴに3人分の朝食とお茶の準備を整えて、部屋の中に入ってきた。あたたかい料理の香りが部屋いっぱいに広がる。その朝のメニューは、トーストとベーコンエッグ、そしてタマン地区特産のホットティーであった。
通常、職務で宿に宿泊するときは、食事は夕食だけを頼み、朝食は持ち合わせの非常食や魔法瓶詰で簡単に済ませるのが常であったし、その方が収支的にも有利ではあったが、前夜8時前に到着した彼女たちに、素泊まりのプランは残されておらず、仕方なく朝食付きプランを選択したわけであった。結果的には大成功である。3人は充実の朝食をゆっくりと楽しんで、その日一日のための活力を大いに摂取した。タマン地区特産のお茶というのは少し渋味と苦みの強いお茶で、一般的なお茶よりも薬草っぽい、独特の甘みの同居する不思議な味わいの飲み物であった。カレンはその風味を大いに気に入ったようであったが、シーファとリアンは少々苦手に感じたようである。
食事を終えた後、めいめい洗顔と着替えを行い、最期にローブを羽織った。結局昨晩は疲れと眠気に負けてしまいローブの繕いに手が回らなかったため、リアンのローブの肩口とカレンのローブの裾の部分に焦げた跡が残ったままであった。
3人は、手荷物をまとめるとエントランスに向かい、シーファが荷物の預かり証と荷物を引き換えてそれらを受け取った。リアンはまたしても荷物に押しつぶされそうな格好になっている。カレンが会計を済ませ、必要経費の精算のために領収書を受け取っていた。
「特別コースの夕飯に朝食付きプランなんて、リリーさんか先生のどちらかからお小言があるかもしれませんね。」
冗談ぽく言いながら、カレンはその領収書を慎重にローブのポケットにしまった。
「まぁ、必要経費よ!」
そういうシーファの顔をみながら、リアンもこくこくと頷いている。
「さぁ、出発しましょう!」
シーファの掛け声を合図にして、3人は揚々とタマン地区の宿を後にした。
太陽はまだ東の空にいて、そこから日脚を伸ばしている。雲が少しあったが、雨が降る気配はまったくなく、その日も暑くなりそうな、そんな空模様であった。宿から南大通りへ出ると、3人は『サンフレッチェ大橋』を目指して一路北に進路をとった。リリーの店までは、しばらく歩かなければならない。
* * *
南大通りを北上するにつれて太陽はその高度を天頂方向に高くし、熱気と湿度をもって小さな旅人の身体をとらえていた。早朝に比べると暑さははるかに増し、3人はまたもや上半身ぐっしょり汗にまみれる格好になった。汗で濡れた衣類が肌に張り付いてくるのが不快で仕方がない。ローブを脱ぐことも考えたが、せっかく背負った荷を一度おろして再び背負い直す面倒を考えると、このままリリーのもとまで行ってしまおうということになった。
南大通りをようやく抜け、マーチン通りにさしかかる。ここを北に抜けるといよいよサンフレッチェ大橋だ。『スターリー・フラワー』は少しずつだが近づいてきている。大荷物でぺちゃんこになりそうなリアンをふたりして後ろから支えながら、前へ前へと進んで行く。
ようようにしてマーチン通りを抜け、サンフレッチェ大橋に差しかかった。面倒だが、リリーの店に到達するためにはこの橋の上で道順暗号を実践しなければならない。右、左、中央というお決まりの進路を踏襲しながら、あたり一面に立ち込めて来る湿気たっぷりの濃い霧をかき分けるようにして、やっとその目的地にたどり着いた。リアンはその場にへたり込んで、肩と胸を大きく上下させている。その口はすっかり開いていた。
霧をかきわけ、かきわけ橋の突端の左手を探すと、その神秘の魔法具屋の看板は確かにそこにあった。
「さあ、行きましょう。リアン、起きてください。」
そう言ってカレンは扉のノブに手をかけた。シーファはリアンの手を引いて立たせ、カレンの後についていく。扉が開くと、その上に取り付けられた呼び鈴が鳴る。
「いらっしゃい。」
声こそするが、リリーの姿は見えない。おそらく、最奥の執務室にて何事かしているようだ。カレンは通信機能付光学魔術記録装置を取り出して、リリーに連絡を取った。
「あら、あなたたちだったの。あたくしは今ちょっと手が離せないから、奥のあたくしの部屋まで来てちょうだいな。」
リリーの促しを聞いて、少女たちは店の奥へと歩みを進めて行った。展示即売室からホールを抜けて、特別展示室の向こうに位置する従業品控室の更にその奥にリリーの執務室の扉はある。3人がそこを訪れるのは今度で2度目だ。シーファがその扉をノックする。
「どうぞ。おはいりなさいな。」
リリーが少女たちを迎え入れた。ドアをくぐると、以前と同じ非常に瀟洒で洗練された執務室が広がっており、案の定、その場所に極めて似つかわしくない醜い魔法生物が、今回は作業台の上に横たえられていた。どうやら、すでにそれはこと切れているようであり、頭部をみると、その片目はもうえぐり取られていた。リリーは今まさに、金の隠し場所が刻まれているという秘宝『ハングト・モックの瞳』を外科手術の方法で摘出したところだったようである。
「お疲れ様。」
3人の顔を見て、リリーはねぎらいの言葉をかけてくれた。
「状態はどうでしたか?」
そう訊ねるシーファに、
「極上よ!よくやってくれたわ。片目が無事なら御の字だと思っていたけれど、両目ともに無傷とは、お見事なおてまえだわ。」
上々の機嫌で彼は答えた。言葉を発しながらもその手はせわしなく動いている。
「摘出後はちゃんと保存しないと瞬く間に干からびてしまうから。面倒だけど後処理こそ手を抜けないのよ。摘出と保存さえうまくいけば、その瞳に刻まれた隠し場所をたどって金にたどり着くのは造作もないことよ。」
そういって、リリーは笑った。その間も、その手は巧みに魔法と錬金に必要な所作を繰り出し続けて行く。その手際は、『裏路地の魔法具店』の店主にふさわしい卓越したものであった。彼は、様々の魔法処理を施したその瞳を小ぶりの瓶に入れ、その中を保存液であろう液体で満たした。その瞳は持ち主の身体からくり抜かれてなお、神秘的な魔法光を放っている。リリーの説明では、特別な方法で保存されたその瞳を覗き込むことで、金の隠し場所の情景が立体地図のように浮かび出るのだとのことであった。その立体地図を手掛かりとして無事に隠し場所に行き当たることができれば、一獲千金できるのだと彼は得意げに語る。
「リリーさんのお店の経営は順調に見えますが…。」
彼の美しく整えられた部屋を眺めながら思わずそう口にしたカレンに、
「あら、それほどでもないのよ。世の中、物の値段は上がるばかりだしね。かといって商品を値上げしたら売れなくなっちゃうでしょ。困ったものよ。そんなわけで、お金はいくらあってもこまらないの。お嬢ちゃんたちも、高等部になればいよいよ差し迫って実感するようになるわよ。」
そう言って、リリーはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
魔法社会では、アカデミーに所属する者は位階(学年)が進むにつれて、徐々に実務をこなして経済的に自立することを求められる。初等部ではごく例外的に、中等部ではアルバイトやパートタイムとして実務と関わるようになり、高等部に至ると、基本的には専攻科と関連の深い職能ギルドと契約を取り交わして、定期的な依頼を引き受けるようになる。またその他には、『アカデミー治安維持部隊』や『漆黒の渡烏』といった、アカデミー内部の警察や軍事部門に職を得るエリート・コースも用意されていた。実は、今年のウィザード科の1年生の中で最も優秀なシーファは、非常勤ではあるもののアカデミー治安部隊員エージェントの資格を持っており、その自負が彼女を必要以上に正義的行動へと突き動かしている側面があった。プライドは時に勇気や活力を大きく喚起するが、また別の場面では、焦燥や軽挙、過信の温床ともなる諸刃の剣としての側面も併せ持っていたのだ。まだ10代前半と幼さの残るシーファは、自己の使命感と大局的判断との間のバランスの獲得がいまだ完全ではなく、その牽連関係の中で人知れず悩みを抱えることも多かったのだ。
* * *
やがて、せわしなく動いていたリリーの手が止まった。瓶のふたはしっかりと閉められ、不思議な保存液の中で、魔法光を放ちながら『ハングト・モックの瞳』がゆらゆらと揺蕩っている。
「さて、おまちどうさまでした。」
そういうと、リリーは作業台の奥から手前に出てきて、3人を従業員控室へと案内した。
「かけてちょうだいな。」
少女たちを長椅子にかけさせる。
「あなたたちには感謝しているわ。精算をしましょうね。まずは、必要経費の領収書を出してちょうだいな。」
その案内に従って、カレンが2枚の宿の領収書を手渡した。リリーはそれをまじまじと見やる。
「往路はまぁいいとして、復路よ!あなたたちタマンの名物をしこたま堪能したようじゃない?しかも、朝食付きなんて、ずいぶんとまぁ豪遊したものね。」
案の定、小言を言い始めたリリー。
「すみません。宿への帰りが遅くなってしまって、そのプランしか部屋が残っていなかったんです。」
申し訳なさそうにシーファが事情を説明する。
「まぁ、プランはいいわよ、プランは。そういうことはあるものだから。しかし、この日の夕食の豪勢さは、わざとでしょう?」
そういって、口角を上げるリリー。
「はい、その日偶然用意可能な特別メニューということだったので、つい…。」
シーファはしおらしくこうべを垂れた。
「まぁ、いいわ!それも含めてお仕事よ。腹が減ってはなんとやら、って異国でも言うしね。約束通り、半分はこちらで負担しましょう。」
そう言うと、リリーは引き出しから札束とコインを取り出して、その領収書の記載額のちょうど半分をシーファに手渡してよこした。
「すまないけど、領収書にサインをよろしくね。」
シーファは、リリーが差し出した領収書に金額を書き入れ、自分の名を署名する。
「ありがとう。こんな場末の法具屋でもね、最近は何かとうるさいのよ。世知辛い世の中になったものよね。」
そう言いながら、更に引き出しから札束を取り出し、それを3束に分けて少女たちの前に差し出した。
「よくやってくれたわ。両目とも無傷だったから、もちろん満額お支払いするわ。それから、あなたたちの勇気をたたえて、あたくしからの気持ちを乗っけているわ。約束の1.5倍ね。受けっとたらそれぞれ領収書にサインをお願いね。」
その札束は、3人の予測を遥かに超える額であった。
「こんなにたくさんはいただけません。」
シーファが首を振って、リリーの顔を見る。
リリーは彼女の美しい瞳をまっすぐに見て、
「何を言っているの。それは温情でも施しでもないのよ。あなたたちがやり遂げた仕事の対価です。何を遠慮することがあるというのかしら?自分たちの仕事と労力に誇りを持ちなさい。あなたたちは立派よ。」
そういうリリーの眼差しはあたたかだった。
「ありがとうございます。」
めいめいに、それを受け取り、代わりに署名した領収書をリリーに渡した。
「ただし、報告書には3人でふたり分とするのを忘れないでね。計算はそちらに任せるわ。それから、もう一つボーナスがあるのよ。ちょっと待っててちょうだいね。」
そう言って、自室に入っていった。3人は何事かと顔を見合わせている。
彼はすぐに戻ってきた。その手には、法具らしい小ぶりの斧が握られている。
「これはね、『エレクトの斧』という法具よ。あの『ハングト・モック』のやつ、こんなものを持ってるなんて相当の手練れに召喚されたようね。商品にすればいい値段で売れるけれど、あいにくあたくしのお店にはこういう無骨で野蛮なものは似合わないのよ。こういった強い術式媒体はいくらあっても困らないでしょ?なんならお金に変えたっていいんだし。あなたたちにあげるわ、もっておいきなさいな。」
そう言うと、リリーは複雑な魔法光をたたえる小さな斧を3人の前に差し出した。リアンはそれに興味があるようで、さっそく手に取って眺めている。
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えてちょうだいします。」
「どうぞ、どうぞ。」
カレンとリリーがそんな言葉を交わした。
* * *
「それじゃあ、これにて一件落着ね。」
リリーは3人に席から立ち上がるように促した。
「本当にありがとうございました。感謝しています。」
そう言うシーファに、
「あたくしこそ、すっかりお世話になったわ。」
ウィンクで返すリリー。
彼は少女たちを出口まで送っていき、ドアを自ら開いてやった。3人は振り返ってお辞儀をし、もう一度感謝の言葉を告げて店を出ようとしたその時だった。その背中に向かって、リリーが声をかける。
「ああ、そうそう。実は近いうちにもうひとつお願いしたいことがあるのよ。あの気の短い先生に連絡するから、よかったらまた手伝ってちょうだいな。」
そう言って見送るリリーの方を振り返ってめいめいに会釈した後、彼女たちはサンフレッチェ大橋に煙る霧の中に消えて行った。
夏の陽は西に傾きかけてたが、やはり夜までにはまだまだ十分に時間があった。橋を南に下るに従って神秘の霧ははれ、見慣れた姿を取り戻しながら更に南に続くマーチン通りと接合した。ここを下ってアカデミー前の大通りに出れば、学園はもう目と鼻の先だ。
すっかりあたたまった懐を大事に抱えながら、仕事をやり遂げた充実感に満たされて岐路を急いでいく。この仕事のために10日の予定を組んでいたが、往路1泊、復路1泊のわずか二泊三日で凱旋することなったのだ。その日は奇しくも夏期補習の最後の日、すなわち夏期休暇の前日であった。これで夏休みに間に合った!その感動が彼女たちの小さな胸中を大きく占めていた。
暑さはなお厳しく続いていたが、内心がさわやかな晴れやかさで満たされた少女たちの足取りは軽いものであった。リアンもその小さな体で、軽々と荷物を背負っている。
* * *
アカデミーに帰着した3人は、一度帰寮しようかとも相談したが、折角なので職務完了の報告だけは済ませてしまおうということにして、その足で『全学職務・時短就労斡旋局』の事務所に直行した。担当職員に、職務が無事に完了したことを告げ、帰着日を記録簿につけてから、報告書は後日提出に来ると伝えてその場を去ろうとした時だった。職員が3人を呼び止めた。
「先生から、皆さんが帰着次第連絡するように仰せつかっていますので、しばらくお待ちください。」
そう言うと担当職員は事務所備え付けの通信装置でウィザードに連絡をした。
「すぐに先生がおいでなるそうです。面談室でお待ちください。」
3人は同局の面談室に通され、そこでウィザードを待つことになった。面談室の中は魔法空調が効いており、外に比べるとずいぶん涼しい。リリーの店にいた時の他はずっと歩き通しだった3人のあつく火照った身体を、そこは心地よく冷やしてくれた。体中からあふれていた汗が次第に引いていく。身体にからみつく衣服の気持ち悪さからもようやく解放された。
3人がようよう人心地ついたところに、ウィザードが入室してきた。席から立ち上がろうとする少女たちにそのままでよいという仕草をしながら、
「なんだ、お前たち。もう帰ってきたのか!」
「はい、無事に職務は完了しました。帰着の連絡と報酬の概要だけ事務局に伝えました。報告書は後日提出いたします。」
そういう、シーファに、
「それはなんとも結構なことだが、今日はまだ夏期補習の最終日だぞ。夏休みは明日からじゃないか。これだと、お前たちに休暇を満喫されてしまう。それじゃあ罰にならないだろう!なんてやつらだ。」
やれやれという調子で言い放つウィザード。しかし目元はあたたかさを称えていた。
「よく無事に戻ってきた。詳細は報告書を読んでからになるだろうが、様子を見る限りそれほどデタラメな無茶をしたというわけではなさそうだな。多少のゴタゴタはあったようだが…。」
そう言って、リアンとカレンのローブの焼け焦げに目を移す。
「何にせよ、大ごとがなくて何よりだ。お前たちを誇りに思うぞ。」
その言葉を聞いて、3人の顔にようやく安堵の表情が浮かんだ。
「約束通り、明日からの夏期休暇は自由に過ごしていい。しかし、どうするんだ?予定通り帰郷するのか?」
ウィザードのその問いに、3人はどうしたものか、という顔をしている。最初に口火を切ったのはシーファだった。
「当初は帰郷する予定だったのですが、まったくその準備ができていません。ですから家族に連絡して、私は、今年の夏は休み明けまで学園で過ごそうと考えています。」
「そうか、それもよかろう。」
頷くウィザードに、リアンも口を開いた。
「シーファが残るなら、私も残るのです。家に帰っても退屈なだけですから。ここにいる方がいろいろ面白いのです。」
その言葉を聞いてカレンも意を決したようで、
「そういうことなら私も残ります。私の故郷は少々遠いので、今から準備をするというのも少々気が引けるのは本当のところです。寮で過ごします。」
「そうか、わかった。君たちには自由に夏期休暇の残日を消化してよいと約束した。めいめい思うように過ごすといい。」
「はい、ありがとうございます。」
3人は声を揃えて返事をした。
「しかし、ずっと寮生活というのも息が詰まるだろう。何なら3人で、ビーチにでも繰り出してはどうか?南の海は、今年はとりわけ美しいそうだ。よければ検討してみたまえ。何にせよ、ご苦労だった。報告書は明後日までに提出したまえ。早いのは特段構わない。『南5番街22-3番地ギルド』としての報酬は、報告書の提出後に改めて支給するから、この事務所で受け取りなさい。では、よろしく頼むぞ。」
そう言うとウィザードは3人を残して面談室を後にした。
期せずして、今年の夏休みを共にアカデミーで過ごすことになった3人。リリーからの再度の依頼とやらも気になるところだが、明日から始まる夏期休暇をどう過ごすか、3人の頭はそのことでいっぱいになっていた。
窓の外では、太陽が大きく西に傾き、橙色を帯び始めた光が斜めに差し込んでいる。それは3人の少女たちの顔を誇らしげにいつまでも照らしていた。彼女たちの夏休みが始まる。
第4話『夏の浜辺にて』
アカデミーに帰着した翌日、『ダイアニンストの森』での一件に関する報告書を書き上げた3人は『全学職務・時短就労斡旋局』の事務室を訪ねていた。偶然そこに居合わせていたウィザードが、彼女たちに声をかける。
「よう、無事に報告書が書きあがったようだな。直接預かるよ。」
そう言うと、シーファから報告書を受け取り、ウィザードはそれに目を通した。
「3人で2人分か…。リリーも相変わらずだな。」
経費の計算をしながらページをめくっていく。
「収支については、まぁ、これでいいだろう。リリーの加減については大目に見てやる。森ででくわしたキャシー・ハッターという『裏口の魔法使い』が気になるところだが、今の時点でできることはほとんどないだろう。今後注意して目を光らせるしかないな。」
彼女は3人の方を見た。
「3人ともよくやった。これであたしからの依頼も完了ということにしよう。報酬はここに預けてあるから、あとで受け取って帰ってくれ。それから、お前たちにちょっとしたボーナスがあるんだ。面談室で待っていてくれるか?」
面談室の利用可否を同局の職員に確かめてから、少女たちにそこに入って待つように指示した。3人は、その促しに従って面談室に入室し、めいめい腰かけてウィザードの戻りを待った。ほどなくして扉をノックする音が聞こえる。
「すまないが、誰かここを開けてくれて。」
ウィザードの声だった。カレンが立ち上がってドアを開いた。そこには何やら大きな布ものを抱えたウィザードがいて、カレンが明け広げてくれているドアをかいくぐって中に入ると、テーブルの上にその荷物を広げ、3人を見やって言った。
「お前たち、この前の仕事でローブを駄目にしていただろう。もう直したんだろうとは思うが、これはあたしからの心ばかりのボーナスだ。よかったら使ってくれ。」
それは、海水浴などでの日よけにも使える夏場用の薄手のローブで、繊細で華奢なしつらえではあったが、魔法特性には優れた品物のようでもあった。縁取りや袖口などに複雑な呪印が見事に施されている。
「いただいてよろしいんですか?」
そう訊ねるカレンに、
「ああ、いいとも。立派な仕事のボーナスだと思って、気兼ねなく受け取ってくれ。シーファには新しい魔靴をと思ったんだが、夏休みに使えそうなものと言えばこっちの方がいいだろうと思って、3人お揃いにしたよ。好きなのをそれぞれ選んでくれ。」
そう言って、微笑みかけた。ウィザードは、シーファの魔靴に傷ができていたこともちゃんと把握していたのだ。
「ありがとうございます。」
少女たちは深々と頭を下げた。
「それで、夏休みの予定は決まったのか?」
「はい。明後日から、『シーバス海岸』に海水浴に行こうと計画しています。」
シーファがその問いに答えた。
シーバス海岸とは、南大通りを経て『タマン地区』に入った後、南西に進路をとると行きつくことのできる、魔法社会でも有名な海水浴場で、目の細かい美しい白砂の海岸と透明に輝く透き通った海で知られる一大観光地であった。3人はそこへ海水浴に出向こうと計画していたのだ。
「それは、ちょうどよかった。こいつをぜひ役立ててくれ。」
そう言って、相変わらず両目の動くぎこちないウィンクをして見せるウィザード。
「はい、活用させていただきます。」
そう答えて、3人は再度謝意を告げた。
「この季節の海は何かと誘惑が多いからな。気をつけろよ。まぁ、お前たちに関心を寄せる物好きはいないと思うけどな。」
いたずらっぽい表情で、ウィザードは3人の顔を見た。
「はい、節度を守って休暇を満喫します!」
優等生の返答をするシーファ。
「それは、結構だ。じゃあ、気をつけてな。あたしは先に行くよ。」
そう言って、ウィザードは面談室を後にした。
3人の若人たちは、思いがけない海水浴用のプレゼントに気持ちが高まったようで、これから若者の街『フィールド・イン』に出向いてそのローブに合う水着を新調しようということになり、色めきだっている。午前10時を過ぎたばかりで、ランチを兼ねて買い物に出かけるにはうってつけの時間帯であった。
面談室を出てすぐに同局の事務室によって、今回の件について『南5番街22-3番地ギルド』からの報酬を受け取った。ウィザードもまた3人の働きに満足であったようで、予想以上の報酬を包んでくれていた。彼女たちの懐はいよいよあたたかくなり、これから繰り出すショッピングに胸をときめかせていた。時は8月中旬を間近に控える、そんな時節であった。
朝の太陽が東の空と天頂との間に位置して、若人たちのこれからを明るく照らしていた。いよいよ彼女たちの夏休みが始まる。
* * *
その翌日、久しぶりに、ウォーロック、ウィザード、ソーサラー、ネクロマンサーの4人は、『アーカム』に顔を揃えていた。思えば、4人がここに集うのは、パンツェ・ロッティ教授を見送った後で、高次元空間からこちらの世界に戻ってきたあの時以来かもしれない。いつものように、お茶を囲んで和気あいあいと言葉を紡いでいる。
「そう言えばよ。」
と、ウィザード。
「シーファたちが明日からシーバス海岸へ海水浴に行くらしいんだよ。」
「へぇ、そうなの?さしずめ、先生の贈ったローブを身に着けてバカンスというわけね。」
事情を知っているらしいソーサラーが言う。
「若いっていいよな。」
ふとそんなことを言うウィザードの茜色の瞳が、珍しく虚空を仰いでいた。
「あら、どうしたの?教え子たちに触発されちゃった?遠き青春の日々を見つめるなんて、あなたにもそんな感傷があるのね?」
ウォーロックがころころと笑っている。
「あら。だってこの人は永遠の乙女だもの、ね?」
意地悪くそう言うソーサラー。
「ちげぇよ。そんなんじゃねぇし。乙女って、いつの話をしていやがるんだ。」
ウィザードは憮然としてふくれてしまった。
「じゃあ、失われた青春を私たちも取り戻すというのはどうですか?」
思いがけない提案をしたのはネクロマンサーだった。3人はその顔をまじまじと見入る。
「青春を取り戻すって、どうするの?」
ウォーロックが訊ねた。
「ほら。私たちにはこれがあるじゃないですか。」
そう言って、ネクロマンサーは胸元を少しはだけて見せた。そこには、天使から人間の姿に戻るために飲み込んだ、姿を自由に変えられるというあの『アッキーナの卵』が、肌の下からほんのりとエメラルドの魔法光を輝かせていた。
「確かに、これがあれば、年齢も性別も外観は自由自在だものね。」
ソーサラーも自分の胸元を見やっている。
「いい考えだわ!」
ネクロマンサーの突飛な提案に興味をくすぐられたのはウォーロックだった。
「これを使って若返り、私たちもシーバス海岸に繰り出しましょう!」
その声に力がこもる。
「いいかもしれないわね。」
ソーサラーもまんざらでないようだ。ウィザードだけは、勘弁してくれというような顔をしている。
「私もそれには賛成なんですが、若返ると言ってもどのくらいにするんですか?」
現実的な疑問を呈するネクロマンサー。
「そうねぇ…。」
少し考えてから、
「せっかくだから、彼女たちと同じ年齢にしましょう!同い年なら、仲良くなるのもすぐのはずよ、ね、先生!」
そう言ってウォーロックがウィザードの顔を見つめた。
「バカ言えよ。あいつらをいくつだと思ってるんだ。まだ13だぞ。あいつらの歳になるにゃ、あたしら10近くも鯖読みしなきゃなんねぇ。そんなことできっかよ。」
ウィザードは当惑の様子を露わにしている。
「いいじゃない。お友達になれば、学徒達の新しい一面を発見できるかもよ?教育熱心な教授先生にとっては千載一遇の機会なのじゃないかしら?」
そう言って詰め寄るウォーロック。ウィザードはいよいようつむいてどうしていいか分からないような様子だ。
「無茶言うなよ。あいつらとお友達なんて。あたしゃこう見えても一応アカデミーの教授なわけでな。その、立場があるんだよ。いろいろと…。」
なおもウィザードは言いよどむ。
「じゃあ、彼女たちをこっそり覗き見ることにする?伝統ある教授のやり方を模倣して、あの時みたいにさ?」
あたふたするウィザードがよほど興味深いのか、ウォーロックはいよいよいじめにかかった。
「勘弁してくれよ。あたしにパンツ野郎よろしく学徒をのぞき見をしろっていうのか?ありえねぜ。だいいち…。」
「光学魔術記録装置ならありますよ。」
思いがけないことを言ったのはネクロマンサーで、かなり値の張りそうな光学魔術記録装置を取り出して、カウンターの上に置いた。それを見てウィザードはほとほと困っている。
「これどうしたの?」
そう問うソーサラーに、
「最近、ちょっと頼まれごとがありまして。死霊の姿をさまざまの魔術記録に収めて欲しいと言われて、それで思い切って新調したんです。いいものですか、きっとお役に立ちますよ?」
そう答えてから、ウィザードの顔を見た。彼女はいよいよ大混乱だ。
「いや、あたしは断じてそんなものは使わねぇ。あたしの学徒達に対する愛情は本物なんだ。そりゃ、教授も教授なりの愛情を持ってはいたわけだが、それは理解するにしても、あたしのはそんなに歪んでねぇし、汚れてねぇ。」
とうとう泣き出しそうな面持ちになっていく。
「ごめん、ごめん。冗談よ。」
そう言って、ウォーロックがウィザードの手に自分の手を重ねた。4人は肩を寄せ合う。
「まぁ、どれだけ若返るかは後々考えることとしても、海へ出かけるというのは悪くないんじゃない?」
そう声をかけるソーサラー。
「そうですよ。4人揃っての青春はありませんでしたから、それを取り戻しに行く、ということならどうですか?」
ネクロマンサーも静かに語る。
そうなのである。ウォーロックが、高等部進級後まもなく『裏口の魔法使い』としてアカデミーを追われることとなったため、それ以降、いわゆる少女としての交流を4人揃って経験する機会を持てないままであったのだ。その空白を埋め合わせようというのである。
「確かにあたしら、ある時から4人揃って遊びに出かけるとかできなかったもんな。青春か…。」
ウィザードは再び虚空を仰いだ。茜色の瞳が美しい。
「わかったぜ。あたしらも海へ繰り出そうじゃないか!」
意を決したように彼女が言った。
「乙女の決断ね!」
なおも意地悪を言うソーサラー。
「もう、それは勘弁してくれよ。」
そう言って4人は大いに笑いあった。穏やかで平和な時間が流れて行く。その姿をエメラルドの瞳が優しく見守っていた。
ところで、ウィザードについて少々補足しておかねばなるまい。パンツェ・ロッティ教授が名誉の殉職をしたとして『天使の卵事件』が幕引きした後、魔法学部長の席と魔法学部教授の席が空席となった。学部長にはベテランの教授が就任したが、教授の席を射止めたのは、なんと、日ごろの教育熱心が高く評価されたウィザードだったのだ。彼女は二十代前半というその若さで、実に魔法学部長の座におさまったわけである。前例がないというわけではなかったが、それでも異例の大出世であることに違いなかった。
* * *
その翌日、シーファ、リアン、カレンの3人は、シーバス海岸を目指して南大通りを南下していた。仕事で『ダイアニンストの森』にでかけるときとはうってかわって、小ぶりなリュックサックに着替えと水着、ローブその他身の回りものだけを詰め込んだ軽装で、足取り軽やかに通りを進んでいく。サマーニットとデニムのショートパンツに身を包んだその姿は、いかにも今様の若者らしいいでたちであった。
『タマン地区』を南西に抜けたところにある『シーバス海岸』までは、アカデミーからは少々距離があった。タマン地区で一泊して、朝早くにビーチにたどり着けるようにしようとの案もあったが、折角ならシーサイドの豪華な宿のオーシャンビューの部屋に泊まろうということで話がまとまり、往路は少々遠道にはなるが、少し早くに寮出て歩いて向かおうと決まった。そんなわけで、今3人は道中にある。
太陽はまだ東の空にあって、天頂に向けてゆっくりと移動していた。タマン地区に入って、『デイ・コンパリソン通り』を目指す。そこから南西に移動すれば、シーバス海岸はまもなくであった。
待ち受けているビーチでの楽しいひと時を考えると、彼女たちの足は自然にどんどんと前に繰り出されていた。ウィザードがくれた日よけのローブのこと、それに水着をどのように合わせたのか、その日の晩は宿でどうすごそうか、そんなことを話しているうちにあっという間に3人の鼻腔を潮の香りが捉え始めていた。遠からず、視界に青く美しい海と白く輝く砂浜が3人の視界に広がってくる。時刻はまだ朝の10を少し回ったくらいで、十分に海を満喫できる時間が残されていた。
更衣室を見つけると3人はそそくさとそこに向かい、さっそく水着に着替え始めた。シーファはオレンジと白のピンストライプのワンピース、リアンは大型のパレオ付きの純白のワンピースで、カレンは美しい濃紫のワンピース水着であった。胸元を金糸の刺繍が縁取っている。
シーファとカレンは水着を買いに出かけた際、今年の流行はビキニだからと積極的に進める店員の声に真剣に耳を傾けていたが、やはり、公衆の面前で大胆に肌を露出するのには少々抵抗があったようで、結局は上記の選択に落ち着いたようである。
着替えを済ませてから、3人は早速波打ち際に繰り出し、そこでバシャバシャと水をかけあって戯れ始めた。
「準備運動…。」
と言いかけたカレンの言葉はそのまま波の音にかき消され、当のカレンもその海水の心地よさと楽しさに何を言おうとしたのかすっかり忘れ、その戯れに夢中になっていった。足元に寄せては返す海水と、お互いにかけあう水の冷ややかさが、照り付ける8月の太陽の熱気との間で絶妙なコントラストを醸し出していた。リアンも、小さな手で懸命に海水をすくっている。観光地として有名なシーバス地区の白い砂浜はまぶしいほどに輝き、そこにかぶさる海水はキラキラと光の結晶を散りばめて輝いていた。
* * *
「やあ、ずいぶん楽しそうだね。」
波打ち際で、水遊びに興じる3人に突然声をかける一団がいた。声の方向を見ると、そこには4人の少女がいて、年恰好は3人とほとんど同じであったが、身に着けている水着はどれも洗練されたもので、遊び慣れたちょっとした大人の不良少女といった面持ちであった。さすがはビーチである。
はじめに声をかけてきたのは、ダークブラウンの髪に茶色がかったオレンジ色の瞳が美しい、これぞ美少女という感じの少女だった。彼女は濃紺にプリント柄がちりばめられた流行りのスタイルのビキニで、ローライズのアンダーが何とも大胆なシルエットを描いていた。
「よかったら、一緒に遊ばない?」
美しい銀髪の少女がそう話しかける。こうした経験にとんと疎い3人はすっかり身構えてしまっていた。銀髪の少女は、ハイレグの黒のワンピースにデニムのショートパンツを合わせた洗練されたスタイルで、黄金色に輝く瞳がなんとも美しい。
「みなさんは、アカデミーの学生さんですか?」
そう訊いてきたのは、黒髪に黒い瞳が美しい少女だった。黒のビキニにパレオをまいて、その上に深エンジ色の布を更に巻き付けている。
「あ、あたしらは、この近所の、そう、タマン地区のもんだ、のです。」
最後に、なんともぎこちない口調で自己紹介らしきことをしてきた少女は、ウェービーなブロンドの髪の間から、茜色の瞳を輝かせる美しい相貌をしていた。3人は、その姿に何か不思議な親しみを感じていた。彼女は、白地に青色のボーダー柄を黄色のアクセントが彩るビキニを身に着け、日よけ用のローブをその上から羽織っていた。
「3人だけじゃつまらないでしょ?私たちも退屈してたのよ、年も近いんだし、ね?」
オレンジの瞳の少女が返事を促してくる。
「おぅ、人数が多い方がきっと楽しいに違いねぇ、ですわ。」
茜色の瞳の子はどうにも挙動が不審だ。
しかし、夏休みにおけるこうした非日常の場というのは往々にして人の警戒心を解くものである。シーファたちは顔を見合わせてしばらく思案したが、驚いたことに、3人の中でいつもなら一番慎重であるはずのカレンが、
「私は、カレン。こちらがシーファ、そちらはリアンです。」
そいう言って自己紹介を始めた。これには、誰よりシーファとリアンが驚くべきであったが、なぜか挙動不審なブロンドの子もまた妙な驚きの表情を浮かべていて、おかしかった。
「シーファです。」
「リアンです。」
3人は、4人の少女たちと挨拶を交わしていく。
「私たちは、13歳の、『アデプト:熟練』の1年生です。みなさんは?」
カレンが少女たちにそう訊ねた。
「奇遇だな、ですねわね。あたしたちも13歳だ、わよ。」
相変わらず素っ頓狂な語尾でブロンドの子が答える。彼女を見てほかの3人の少女はこらえきれないという様子で笑っていた。いきなり声をかけられてびっくりしたが、悪い人というわけではなさそうだ。特に、銀髪の少女の洗練された物腰と、黒髪の少女の穏やかで丁寧な様子が3人に安心感を与えていた。
合流した7人はしばらく、一緒に波打ち際で水をかけあったり、リアンが隠し持っていた水鉄砲で遊んだりと楽しいひと時を過ごした。カレンと黒髪の少女は意気投合したのか、砂浜にそれはそれは見事な砂の城を建築していた。
プロンドの少女は、シーファに妙に関心があるようだったが、相変わらずの不審者ぶりにシーファの方はすっかり警戒してしまっていた。
「あなたって、私の先生にどことなく似てはいるんだけど、先生はあなたみたいに変な人じゃなくて、尊敬に値する立派な方よ。」
そう言うシーファに、
「へ、へぇ、そうなん、だ。君、じゃなくて、あなたはその先生が好きなのか、ですわ?」
と、ブロンドの少女は相変わらずぎこちない言葉を発する。
「大いに尊敬はしているけれど、好きかと聞かれると難しいわね。だって、その先生ずいぶん厳しいのだもの。今回だって私たちから夏休みを取り上げようとしたのよ。ひどいと思わない?」
シーファの言葉に、彼女はずいぶんと苦い顔をしていた。
リアンは、オレンジの瞳の少女と銀髪の少女にすっかり懐いたようで、手にした水鉄砲でふたりのあとを懸命に追いかけまわしていた。嬌声を上げながら、走り回る、リアンとそのふたり。楽しい時間はどんどんと過ぎて行った。
太陽が天頂に差し掛かり、時刻はまさにお昼となって、午前中を遊びつくした7人の胃袋はすっかり悲鳴を上げていた。海の家の方に移動して、一緒に昼食をとろうということになった。よせては返す波の音が耳に心地よい。その場には多数の海水浴客たちがいて、にぎやかな喧騒がやむことなくあたりを取り囲んでいた。波が少しずつリアンと黒髪の少女の傑作を蝕んでいく。
* * *
大所帯であったが、海の家に到着すると、ちょうどうまい具合に大きなテーブルがあいて、7人は待たずに席を確保することができた。いらっしゃいませと声を駆けながら、店員がそそくさとテーブルの上を片付けている。濡れた水着のまま着席するのが気持ち悪いのか、みなもぞもぞとやっていたが、やがて落ち着いたようであった。
しばらくして、テーブルの片づけを終えた店員が、注文を取りに戻ってきた。
「とりあえずビール!」
と言いかけたブロンドを、銀髪の少女が慌てて止めた一幕はほほえましいものであった。シーファたち3人は、いきなりアルコールを頼もうとした彼女に怪訝な視点を送っている。店員もまた同様であった。
こういう店で頼む料理と言えば、南方の香辛シチューをかけたご飯か、焼きそば、あるいは中原地方の茹で面と相場は決まっていた。タコの切り身を入れて丸く団子状に焼き上げた一種の菓子も定番で、めいめいに好みの一品とそのタコ菓子を何皿か注文することにし、あとは炭酸水を人数分頼んだ。
「いただきます!」
そう声を揃えてから、食事を始めた。道中歩きづくめだった上に午前中いっぱい海水浴を満喫した3人と、途中で合流して共に時間を過ごした4人の少女たちは、どちらもお腹ペコペコで、食事は大いに進んだ。タコ菓子は途中で数が足りなくなり、2皿ほど追加注文するほどに、彼女たちの食欲は旺盛であった。やはり食事というのは大人数で摂る方が楽しい。7人は様々な話に花を咲かせながら、手を止めることなく目の前の料理を胃袋に放り込んでいった。そんな中で、ブロンドの少女だけは相変わらず、ぎこちない話し方をずっとしていて面白かった。
そんな彼女たちのテーブルの少しばかり向こうの、1人用のテーブルで食事をとる中年の女性がいた。なぜかシーファがその顔を注意深く見入っている。
「どうしたんだ、のです?」
相変わらずの調子でブロンドの少女が話しかけると、静かにするようにと手で合図をして、シーファはなおもその中年女性に視線を送る。黒髪の少女と話をしながら食事を勧めるカレンの肩をたたいて、そちらを見やるように促した。それに従って、カレンもそちらを見やる。格好や雰囲気が違うのではっきりとは分からなかったが、ふたりはその姿に見覚えがあるようだった。しばらく見入っていると、不意に顔を上げたその女性と目が合ってしまった!
どうやらその中年女性もシーファたちに思い当たる節があったらしく、席を立ってゆっくりと近づいて来た。
「おやまぁ、ずいぶんとけったいなところで出会うじゃないかい?」
その中年女性が話しかけてきた。シーファたちだけでなく、4人の少女たちもその顔を見やった。
「おや、お忘れかい?威勢がいいわりに物覚えの悪い小娘だね。」
その嫌味な言い回しに、シーファたち3人はハッとした。キャシーだ!ブロンドの少女がどうしたのかとシーファに訊ねる。
「黙ってて!」
小声でとがめるシーファに、ブロンドの少女は面食らっていた。
「あたしだよ。キャシー・ハッターさ。あの時はずいぶんとなめた真似をしてくれたじゃないか?まさか忘れたとは言わせないよ。」
髪を下ろし、水着を身にまとっているその姿からすぐにそうと分からなかったが、言われてみれば、それは確かに『ダイアニンストの森』でシーファたちから『ハングト・モック』を横取りしようとした『裏口の魔法使い』キャシー・ハッターその人であった。
「かわいい学…、この子達に手出しはさせねぇ、のことですわよ!」
相変わらずの素っ頓狂のまま立ち上がって前に出ようとするブロンドの少女を押しとどめて、シーファが立ちはだかった。リアンとカレンも席を立つ。
「何の用か知りませんが、あの時決着はついたはずです。おとなしくしていれば危害を加えるつもりはありません。黙って引き下がってください。」
カレンが忠告する。それを聞いて、
「ずいぶんとまぁ、小娘が生意気な口をきくじゃないか?あんたらのおかげであたしは大損さね。憂さ晴らしにビーチに出向いたところで、どういうことだ、運が向いてきたじゃあないか。ここであんたらを締め上げて『ハングト・モックの瞳』のありかを吐かせるというのも一興だよ。」
「3対1ですよ。勝ち目はありません!」
「あたしらもいるしな、ですわ。」
シーファとブロンドがともにキャシーと対峙する。
「おやおや、あんたは相変わらず血の気が多いね。しかも今日はまたずいぶんと変なのを相棒に連れてるじゃないか?しかし、今日は多勢に無勢とはいかないよ!こっちにはとっておきがあるんだ。」
そういうと、キャシーは怪しげな術式の詠唱を始めた。どうやら召喚術式のようだ。
『邪悪なる海の生物よ。今汝に力を授けよう。我と契約せよ。その欲望を露わにして、破壊と混沌をもたらせ。召喚!海の邪悪:Summon of Evil Jelly!』
詠唱が終わると、ついさきほどまで穏やかに砂浜を往復していた波が俄かに荒々しくなり、高波を寄せるようになってきた。そのただ中で、渦を巻くように何者かが蠢いている!やがてそれは不気味なその姿を現した。
「さあさあごらんなさいな!ビーチに狂乱をもたらす最高傑作さ。こいつはちょっと骨が折れるよ!」
そういって、キャシーはくっくと高笑いしている。その脅威が海中から砂浜へと迫ってきた!
第5話『浜辺の大激戦』
キャシー・ハッターが召喚した異形の怪物は、穏やかだった海をかき分けてそのおぞましい姿を現すや、砂浜へとその魔の手を伸ばしてきた。その姿を見とがめた観光客たちが逃げ惑っている。不気味な笑みを浮かべているキャシー。その脅威は刻一刻と迫ってきた。
「とにかく、ここではだめよ!大きな被害が出てしまうわ!」
オレンジの瞳の少女が、その場の全員に海の上から離れて浜辺に場所を移すように指示した。それぞれ、水着の上にローブを着こみ、それとの対戦に備える。近づけば近づくほど、その怪物の気味い醜悪な姿が明らかになってきた。
それは身の丈十数メートルはあろうかという巨大なクラゲのような体に、細かく指の別れた腕のような触手を何本か持ち、残りの触手をかいくって歩水中から砂浜を歩くように移動してくる。その全身が怪しげな魔法光を称え、その頭部には巨大な透明のクラゲの傘が乗っており、その下で、オレンジ色の魔法光を放つ目が不気味に輝いていた。海水浴場にいた人々は一目散に逃げだしていき、砂浜の一角において、7人の少女たちとその怪物が正面から対峙する格好となった。キャシーはその様子を遠巻きに高みの見物と洒落込んでいるようだ。
怪物は、幾本も身体から生える触手の内の一本を、シーファとブロンドの少女目が変えて繰り出した!ブロンドは、咄嗟にシーファの身体を横に突き飛ばし、自分がその不気味な触手に捕らえられた。怪物は彼女の身体を高らかと掲げていく。不思議なのは、その触手と接触している部分の衣類から、小さくしゅーしゅーという音がして、煙のようなものがでることであった。ブロンドの少女が身に着けていた日よけ用のローブは瞬く間に、溶けるようにして一部がなくなって、彼女を水着だけにした。
「おい、気をつけろ!ですわ。この触手には衣類を溶かす作用かなんかがあるようだ、のです。下手をするとまるはだかにされるぜ、かもです!」
そう言うと、ブロンドは、手から『砲弾火球:Flaming Fire Balls』の術式を放って、自分の身体を捕えている触手の1本に集中して複数の法弾を浴びせかけた。その効果はてきめんで、怪物は触手を大きく振り回して呻いている。その先に縛り付けられているブロンドは、空中でぶんぶんと振り回され、その急な動きに堪えることを余儀なくされたが、怪物はすぐにその身体を触手から振り払った。ブロンドの身体が、砂浜に打ち付けられる!
背に強い痛みが走るが、幸いにしてよく整備された目の細かい砂粒の砂浜であったため、大きなけがは負わずに済んだ。彼女がまとっていたローブは既にずたずたで、水着だけがかろうじて彼女の肌を覆っている格好だ。
「やりやがるな、ですわ。こいつはパンツ野郎以上の筋金入りの助平野郎だ、なのでございますことよ。」
相変わらずの素っ頓狂で注意を促すブロンドの少女。
「怪我はありませんか?」
彼女を気遣って、傍にやってきたネクロマンサーに、
「うかうかしていると、怪我より大変なことになるぜ。嫁に行けなくなりそうだ。」
ウィザードはそう言っていつものウィンクらしきものを送った。
シーファたちは、その怪物の巨体に圧倒されながらも、その困った性質の触手と十分に距離を取りながら、攻撃の機会を狙っている。相手は水生生物だから、閃光と雷の魔法効果が高いに違いない。しかし、巧みにうねらせ、くねくねと予測不能な軌道を描く、リーチの長い触手がやっかいでならない。しかもそれにはおまけまでついている。そうこうしてにらみ合っているうちに、怪物が詠唱をらしきものを始めるた。たちまちに、局地的に酸性の雨が降り始めた。『酸の雨:Acid Rain』の術式だ。どうにも溶かすことがお好きな怪物のようである。7人はめいめいに火炎防御性(水と氷に耐性がある)の防御障壁を展開してその雨を凌いでいく。幸い、触手の物理的な脅威に比べれば、放ってくる魔法術式の威力と効果は大したことのないようであった。武具として使用できる術式媒体が手元にあれば、あの煩わしい触手に対して有効に対抗することができそうであったが、そこにいるほぼ全員がそんなものを手元には用意していなかった。
唯一、黒髪の少女だけが、ロードクロサイトの杖をパレオにまいた布の中に隠し持っていたようで、召喚術式を行使して、死霊を呼び出していった。呼び出された死霊は十分に力の強いものではあったが、不味いのは時刻だ!5体ほどの死霊が怪物にとりつき、数多ある触手のいくらかを無効化してくれるが、ビーチを照り付ける夏の厳しい日差しが、死霊をどんどんと灰化させていくのである。結局、十分な効果が得られないままに、死霊たちは胡散霧消してしまった。
シーファたちも奮戦している。カレンが、『招雷:Lightning Volts』の術式を放った。高く掲げた彼女の手の上空に俄かに暗雲が立ち込め、あたりを薄暗く変えたかと思うと、目を開けていられないほどの幾筋もの閃光を伴って、稲妻が怪物を襲う!その稲妻の群れは的確にその巨大な身体を射抜き、やはり、数多ある触手の幾本かを引きちぎった!しかし、困るのは触手の多さであり、怪物はなおも触手を複雑に動かして、予測不能な軌道を巡らせて少女たちの身体を捕えようと襲い掛かってくるではないか。
そのうちの1本がリアンの身体を捕えた!その小さな体は瞬く間に空中に持ち上げられて、身に着けた水着が煙を上げ始める。リアンを助けようと応戦するシーファを、背後からその厄介のものが襲い掛かる。彼女もまたたちまちの内に宙づりにされた。溶け始める水着。あたりは大混乱である。
泣き出しそうな表情のリアンに、
「大丈夫よ。そんなにすぐに何とかなるわけじゃないわ。とにかく次の手を考えましょう!」
とは言ってみるものの、その身体を覆う布の面積はどんどんと小さくなるばかりで、こちらが泣き出さねばならない事態に陥りつつあった。
なおも怪物は触手を繰り出し、とうとう、カレン、黒髪の少女、ブロンドの少女までがその餌食となってしまう。なくなっていきそうな水着をつなぎとめるためにみんな必死で、反撃の機会を十分にうかがうことができない。オレンジの瞳の少女と、銀髪の少女は健在だが、複数の人質を取られる格好になって、有効と思われる強力な術式を繰り出すのにためらいがあるようだ。
「あの光の剣はないの?」
そう訊ねる銀髪少女に、
「あるわよ。更衣室においたカバンの中にね。」
皮肉をきかせるオレンジの瞳。
「あなたこそ、あのファイン・アーティファクトの氷の剣はどうしたのよ?」
「ご同様よ!」
「やれやれ、私たち揃って役立たずね。」
顔を見合わせるふたりの間で、やるせない会話が展開されていた。そうこうしているうちにもリアンは丸裸にされてしまいそうだ。高みの見物をしていたキャシーが十分に距離をとったところで盛大に高笑いしている。
「まいったわね。」
そういって、健在のふたりが顔を見合わせた時だった!
* * *
おそらくにしてかなり高位の雷と閃光の領域のものであろう術式が行使され、上空から、幾筋ものレーザー光線のように鋭い、その一筋一筋が光の刃であるかのようない稲妻が、怪物の上に降り注いだ!
それらの光の太刀筋は、瞬く間にその怪物に残るほとんどの腕を切断して、囚われた少女たちを地上に解放した。とはいえ、差し迫った諸事情を抱える少女たちはすぐに動ける状態にない。
しかし、オレンジの瞳の少女と銀髪の少女にとって、人質解放は大きかった!ブロンドの彼女は急いで、シーファとリアンのところに向かい、自分の身に着けていたズタボロのローブをひとまず目隠しにかけてやっていた。同じことが、黒髪の少女とカレンの間でも行われている。
何にせよ、人質がいなければ、こちらのものだ!遠慮なく大出力の術式を繰り出すことができる。オレンジの瞳の少女は、『光の剣:Photon Blade』の術式を繰り出して、その光の剣を真水平に薙ぎ払い、怪物の上半身と下半身を切断した!上半身がずるりと砂浜の上に落ちてきて、その醜悪な頭部をふたりの目前に晒した。それは禍々しい魔法光を称える瞳を見開いて、なお眼前に立ちはだかるふたりの魔法使いを威嚇する。砂浜全体を激しくゆするような、地響きのような唸り声をあげるが、銀髪の少女はお構いなしに、その頭部に向かって、殲滅性の高い『恐るべき氷の杭:Deadly Ice Sting!』の術式を至近距離から放って、そのおぞましい頭部を貫き粉砕した!やがて、その怪物の全身を覆っていた魔法光がなりを潜めて、その潰れた頭部に、その上の透明の傘がだらしなくのしかかっていく。それはぴくりともしなくなった。
とどめを刺したふたりは、急いでキャシーの姿を目で追ったが、彼女たちが捉えたのは、『転移:Magic Transport』の術式を駆使して逃げ去るキャシーが断末魔のように残した魔法光だけであった。
怪物の触手に捕らえられた者たちは、身に着けた水着がすっかり駄目になってしまったので、身を寄せ合ってその姿を隠すように更衣室まで移動して、着替えを済ませることにした。
オレンジの瞳の少女と銀髪の少女は、そういえば、先ほど人質を解放してくれたのは誰だったのだろうかとあたりをうかがった。すると、更衣室から少し離れたところに、彼女たちと同じ年恰好の、美しい銀髪にサファイアの瞳をたたえる少女と、ブロンドの髪にエメラルドの瞳が映える少女がよりそって立っているではないか。彼女たちはこちらを見て、笑みを浮かべている。
怪物にとどめを刺した少女たちは、その人影の所にかけて行った。
「先ほど人質を解放してくれたのはあなたたちですね…。」
と、そういいかけたところで、オレンジの瞳の言葉が驚きに変わる!
「もしかして、エバンデスさんとアッキーナなの!?」
思わず上ずる声に、ふたりの少女は答えた。
「そうよ。やっぱり若作りしてもバレるものね。」
サファイアの瞳の持ち主は、その目を細めて笑った。
「この前『アーカム』で、今日あなたたちがビーチに繰り出すと聞いていたんで、私たちも来ることにしたんです。結果的にはよかったですね。」
そう言って、微笑むアッキーナ。彼女は、少女とも婦人とも違う、ちょうどその中間の13歳くらいの年恰好に姿を変えていた。長い付き合いだったが、そのアッキーナを見るのは、ふたりとも初めてだった。
「とにかく、みなさんご無事でよかったわ。」
安堵の言葉を口にするマダム・エバンデス(の少女版)。
「それはそうですけれど、エバンデス婦人、その格好は?」
オレンジの瞳が訊いた。
「私もあなたたちに触発されて若さを満喫しようと思ったの。若いってやぱりいいわね。」
そう言って、その美しい目を一層細める。
「そうかもしれませんけれど、そのお姿にはびっくりしました。」
声の主はオレンジ色の瞳を大きく丸くしていた。
「あら、私にもこんな時があったのですよ。」
エバンデス婦人は笑顔を絶やさないでいる。
「一件落着した様ですから、私たちは『アーカム』へ引き上げましょう。」
いつもよりちょっと大きな少女アッキーナが促した。
「そうね。それじゃあお先に。」
「はい、また『アーカム』でお会いしましょう。」
オレンジの瞳がそう言うが早いか、ふたりは『転移:Magic Transport』の光の中に消えて行った。
「みんな、バカンスが好きね?まぁ、そう言う季節なんだろうけど。」
銀髪の少女も笑みを浮かべている。
そうこうしているうちに、すっかり布きれになってしまった水着から普段着に着替えた面々が姿を現した。
* * *
「まったく、ひどい目に合ったぜ、ですわ。」
ブロンドの少女は相変わらずの調子だ。
「本当ね。せっかく新調した水着が台無しだわ。『フィールド・イン』まで繰り出して買ってきたものだったのに。」
シーファも憮然としている。
リアンとカレンは、とりあえず衣類を身に着けることができて安堵しているようだったが、ウィザードからもらったローブをすっかり駄目にしてしまったことを気に病んでいるようだった。
「せっかく先生がくださった、ローブを駄目にしてしまいましたね。」
カレンが言う。
「でもそのおかけで、素っ裸にはされずに済んだのです。」
リアンはやれやれといった調子だ。
「帰ったら、お小言かしらね?」
そう言うシーファに、
「あたしは、そんなに短気じゃねぇ、ですわよ。」
ブロンドの子がそう言った。シーファは、なぜあなたが出てくるの、といった不思議な表情をしている。
「あなたの気が長くてもダメなのよ。さっきも言った通り、先生は厳しい方だから、きっとまた罰をお与えになるわ。」
先が思いやられるといった調子で言うシーファ。
「心配いらねぇ、んじゃないかしら?よくわかんねぇ、ですけれど。」
「あなたって、本当に面白い人ね。」
そう言って、ふたりは笑顔を交わした。思いがけない珍客の乱入で、散々なことになった海水浴であったが、一般観光客への被害もなかったようで、とりあえず一件落着である。
7人は、再度海の家に戻って、めいめい冷たい飲み物を再注文し、一大事に乾いたのどを癒した。ビーチにとっての突然の脅威を勇敢に退けてくれた少女たちへのせめてもの感謝であるとして、その飲み物は店からのおごりということになった。ひんやりと冷たい液体がのどを越すその瞬間がなんともいえず心地よい。太陽により熱せられた身体から、こもった熱気が一瞬解き放たれるような、そんなひと時であった。
夏の太陽が、少しずつ、西に傾き始めている。わずかに、西の空が橙色に色づいてきた。
* * *
水着自体は海水浴場で購入することもできるため、再度海辺で遊ぼうかという話にもなったが、陽が落ち始めていたことから、それならいっそ花火でもしようということになり、先ほど着替えなかった組も更衣室に戻って、着替えを済ませて再び集まった。水着の綻びについて特段心配することのなかった、オレンジの瞳の少女と銀髪の少女はゆっくりと冷水シャワーを浴び、潮のべたつきを取ってから着替えたようで、ずいぶんすっきりとした顔をしている。
そうしている間にも、陽はどんどんと西に傾き、水平線付近が夕日で赤く燃える一方で、天頂付近には濃紺の帳がおり始め、赤と濃紺の境目のグラデーションを彩るように星々が姿を見せ始めていた。あたりは一気に薄暗くなり、夏の夕刻特有の空模様が一面に描き出されていた。海が静かによせてかえしている。
ブロンドの少女と銀髪の少女のふたりが海の店の売店まで出向いて、花火をしこたま買い込んできた。手持ち花火から、線香花火、打ち上げ花火から黒い墨がにゅるにゅると蛇のように伸びて行く不思議な花火に、火をつけるや足元を激しく駆け回って最後にパンと音を立てる変わり種の花火まで、様々なものがそこに含まれていた。リアンは手持ち花火をもって、お気に入りのふたりの魔法使いを追いかけまわしている。あたりは暗くなる一方で、最初は見えていた花火が放つ煙も、宵闇に吸い込まれて、多彩に燃え散る火花の色だけが流麗な軌跡を漆黒のカンバスに描き出していた。カレンと黒髪の少女は、半分波にさらわれた砂のお城を囲って、線香花火に見入っている。ちりちりと音を立て、繊細で複雑な形でぱっ、ぱっと飛び出る火花が郷愁を誘った。シーファとブロンドの少女は、派手な簡易打ち上げ花火に興じていた。威勢のいい音ともに、小さな色彩豊かな小さな火球が夜空を彩った。あたりを閉ざそうとする夕闇に抗うかのようにして、彼女たちが灯す花火の瞬きと明るい声がその場をずっと支配していた。
波の音だけがいつまでも静かに一定のリズムを刻んでいる。夕方の潮風が運んでくる磯の香りが、彼女たちの鼻腔を捕えていた。
すっかり陽も落ちて、時刻はそろそろ夜8時に差し掛かろうとしていた。シーファたちには宿のチェックインの時間が迫っていた。
「あなたたちはこれからどうするの?」
オレンジの瞳の少女が3人に訊いた。
「私たちは、シーサイドエリアに宿を取ってるんです。」
そう応えるシーファ。
「あの、オーシャンビューで有名なところ?」
銀髪の彼女が興味を示す。
「そうです。ギルドの仕事を終えたばかりで、少し余裕がありましたから、思い切ろうということになりまして。」
カレンが事情を説明した。
「そりゃまた、ずいぶんと豪勢なことだ、ですわね。」
茜色の瞳も彼女たちの背伸びに関心があるようだ。
「一緒に、夜を過ごしたいところですけど…。」
そう言って顔色を曇らせるシーファに、
「気を使わないで。大丈夫よ。夜はあなたたちだけでしっかり楽しむといいわ。」
オレンジの瞳が言った。
「すみません。」
「謝ることなんて全然ないわよ。宿には宿の事情があるし。それに何より今日一日楽しかったもの。」
その言葉に、
「私たちもです。お会いできてよかったです。」
カレンがそう答えた。
「あの、また会えますか?」
心配そうな瞳で、リアンが訊ねる。
「ええ、きっとまた会えるはずよ。案外すぐ近くにいたりしてね。」
銀髪の少女が、ブロンドの少女の方を見ながら意味深に言った。
「そうだ、わね。また近いうちに会うだろうぜ、ですわ。」
ブロンドの少女は結局最後まで挙動不審である。
「私たちは、これで帰るわね。」
「縁(よすが)があれば、また会いましょ!」
「羽目を外しすぎないようにな、ですわ。」
「楽しい思い出をありがとうございました。」
4人はめいめいにそう言うと、『転移:Magic Transport』の光の中に消えて行った。その場に残されたシーファたちは、なんとも言えない寂しさを感じながら、消えゆくその魔法光を見送っていた。
* * *
「さぁ、私たちも行きましょう。」
その静寂を破ったのはカレンだった。
「すっかりお腹がすきました。」
彼女のその言葉に、リアンがこくこくと頷いている。
「せっかくの特別ディナーだものね。楽しまなきゃ!」
3人はそう言って事前に予約してあったシーサイドにある観光宿に向かった。そこは、それ自体がひとつの観光スポットであるらしく、非常い豪勢なたたずまいで、その洗練の具合はリリーの店を彷彿とさせるものであった。フロントでチェックインの手続きをし、部屋へと入っていく3人。あたためた懐から思い切って奮発した上階のオーシャンビューの部屋はそれはそれは見事で、さすがにコンドミニアムとまではいかなかったが、内装のしつらえといい、そこから一望できる景色と言い、極上の名にふさわしいものであった。部屋に大きな浴場が併設されていたため、その日は3人は一緒に入浴した。その浴場からも、シーバス海岸のほぼ全域を一望することができ、3人の興奮と胸の高鳴りは最高潮に達していた。浴室の大きな窓とガラス張りの天井からは、美しい8月の星座と月を満喫することができた。遠くでは、タマン市街区の街の明かりが、星々よりもずっと下の地上付近を、上空とはまた違う仕方で彩っていた。
浴室から出て、着替えを済ませた3人を極上の食事が出迎えてくれる。テーブルは、オーシャンビューの窓に平行に備え付けられており、3人は並んでその席に着いた。
その日の食事はコース料理で、冷製スープとサラダに始まり、新鮮な生の魚介と刺身の盛り合わせ、肉料理、最期はデザートとその素晴らしい食事に3人は大いに舌鼓をうったのであった。
「あのブロンドで茜色の瞳の女の子、先生に似ていませんでしたか?」
炭酸水の入ったグラスを傾けながらカレンが言う。
「確かにね。年恰好はともかく外見はよく似てたわよね。先生にもあんな頃があったのかしら?それにしても変なしゃべり方だったわよね。」
「ほんとうに、そうですね。どうしたのでしょう?」
カレンがくすくすと笑っている。
「案外先生だったのかもしれませんよ。」
リアンが面白いことを言いだした。
「いくら似ててもそんなわけないじゃない、リアン。」
シーファがその顔を見て言う。
「わからいのですよ。世の中には不思議なことがあるものです。」
妙に熱のこもった声で言うリアン。カレンは、新鮮な魚介の刺身をほおばりながら、ふたりのそのほほえましいやり取りを見守っていた。
夜はゆっくりと更けていく。毎度のことながら食事をしつつ船を漕ぎ始めるリアンをカレンがとこまで連れて行って休ませた。彼女は瞬く間にすーすーと静かな寝息を立て始める。シーファとカレンは、今日一日のこと、報告書の報酬の数字の改竄が先生にバレないでよかったこと、もしかしたら、バレていてあえて目をつむってくれていたのかもしれないこと、そんなことに言及しながら、瞼の裏に舞う銀の砂にとらわれて行った。やがて、彼女たちの精神は、美しい海と空を黒く染めるその宵の中に溶け込んでいった。窓の外でよせてかえす波の音だけが、いつまでも少女たちの耳をくすぐっていたが、彼女たちを眠りから引き戻すことはできないでいた。
職務を伴う冒険、その成功と想定外の報酬、偶然の興味深い出会い、そうしたことの数々が、少しずつ少しずつ、彼女たちを大人へといざなっていった。中には、身に着けた特別な力によって時間を逆繰りにした不届き者がいたりもしたが、彼女たちもまた、様々な事情の中で通り過ぎてしまった貴重な時間を、ほんのひと時、取り戻していたにすぎない。
夢のような海岸での一泊旅行を経て、なお彼女たちの夏休みは続いていく。この先どのようなことが待ち受けているのか。夢の中にいる3人はまだ、知る由もなかった。
規則的に響く波の音だけが、時間の経過を静かに物語っている。
第6話『新しい依頼、新しい仲間』
8月も早半ばを過ぎようとしていた。照りつける日差しは、まだまだあたり一面を焼き尽くさんばかりの明るさと熱量を保っていたが、しかし、取り巻く空気や時折吹き抜ける風の中には、かすかながらも確かに、秋の到来が五感を通してとらえられるようになり始めた、そんな時節のことである。
その日の朝もウィザードとシーファは、秋の『全学魔法模擬戦大会』に向けて、個人レッスンに取り組んでいた。海水浴から帰って来てからも、結局シーファたち3人は、結局帰省をしないで、アカデミーの寮で夏期休暇の全てを消化するとした当初予定通りに日々を過ごしていた。リアンとカレンは課題に勤しみ、毎日のようにして寮とアカデミー中央図書館を往復していた。
その日も、酷暑の中での厳しい教練が終わった。練習用フィールドの真ん中で、シーファとウィザードは滝のような汗をかきながら、大きな息をついている。額を伝う汗がしきりに目に入って、視界を保っておくことが難しかった。ローブの裾で、汗をぬぐいながら、ウィザードが言う。
「いいだろう。今日はこのへんにしようじゃないか。ずいぶん、魔法の制御と輻輳の使い方がうまくなったな。力一辺倒に傾きがちな癖がうまく抜けてきている。その調子で、威力、速さ、数と制御のバランスを磨いていけば、今年の個人戦優勝は大いに狙えるぞ。うまくすれば、上級生相手の無差別級試合でもいい成績を残せるだろう。このまましっかり仕上げて行こう。」
ウィザードにもかなりの疲労が見える。それは、この時期の酷暑だけが原因ではなく、シーファの力量が着実に向上していて、その相手をすることが彼女にとって容易でなくなってきたことをも意味していた。彼女は、天を仰ぐようにしてフィールドに座り込み、肩で大きな息をしている。シーファはその対面で、前屈姿勢で息を整えていた。
「そういえば。」
ウィザードが言葉を続けた。
「リリー店長から連絡があった。またお前たちに頼みたいことがあるそうだ。今回は懲罰というわけではないから、引き受ける引き受けないはお前たちの選択次第だが、あたしの方にもちょっと事情があってな、できれば引き受けてもらいたい。リアンやカレンとも相談して、今日の午後にでもあたしの執務室を訪ねてくれないか?あたしの新しい部屋は、3階の角部屋だ。頼んだぞ。」
シーファは、なかなか落ち着かない息を抑え込みながら、答える。
「わかりました。ふたりは中央図書館にいると思いますから、後ほどつかまえて先生のお部屋にお伺いします。お時間は何時ごろがご都合よろしいですか?」
「そうだな、無理がなければ、2時に頼めるか?」
「わかりました。そのお時間にお伺いします。」
「休み中にすまんな。報酬ははずむから、よろしく頼むよ。」
「かしこまりました。」
そういって、ふたりはいったん別れた。天頂に向かって駆けあがる太陽の落とす陽はどんどんとその熱量を増していく。全身を覆う汗が、留まるところを知らない。ひとまずシーファは寮の自室に急ぎ、部屋に戻るやシャワーを浴びた。ウィザードもまた同様であった。その日の朝の教練は、そうしてようやく一段落を見たのである。
* * *
シャワーを浴び、着替えを済ませると、シーファは通信機能付光学魔術記録装置を手に取ってカレンに連絡をとった。案の定、彼女はリアンとともに中央図書館で資料収集の真っ最中であった。図書館内での通話ははばかられるということで、15分ほどしてから、カレンからの折り返しの着信がある。
「シーファ、ごめんね。今、図書館を出たわ。どうしたの?」
「ありがとうカレン。こちらこそ、課題で忙しい時にごめんね。実は先生からまたも私たちに頼みごとよ。依頼主はリリー店長だって。どうする?報酬は弾んでくれるそうよ。」
「そうね、毎日寮と図書館を往復して課題をこなすばかりというのも飽きてきたところだし、正直、海水浴ではちょっと贅沢しすぎちゃったから、このあたりで仕事を引き受けるのはいいかもしれませんね。」
カレンは乗り気のようだ。
「リアンにも聞いてみるから、ちょっと待ってね。」
そう言って、カレンは傍にいるリアンに話しかけた。
「先生が、また私たちに頼みごとがあるんだって。私はやってもいいとおもうんだけど、リアンはどうかしら?」
「私も行きたいのですよ。こうも課題ばかりではつまらないのです。」
「なら、決まりね。」
「もしもし、シーファ。リアンもOKです。あなたがよければ、一緒にやりましょう!」
「ありがとう。私ももちろんその気よ。じゃあ、先生が今日の午後2時に新しく移動した執務室に来て欲しいとおっしゃるから、1時45分に教員棟の入り口で待ち合わせましょう。」
「ええ、わかったわ。じゃあ、その予定で。後ほど会いましょうね。」
カレンの言葉に、リアンもこくこくと頷いている。
「さあ、お仕事よ。」
「はい、頑張りましょう!」
「じゃあ、私はひとまず借りてきた資料を部屋までもって帰るわね。あとで落ち合いましょう。」
「はい、なのです。私はこれから食堂で食事を済ませてくるのです。」
「わかったわ。じゃあまた。」
「はい!」
そういって、ふたりは別れた。
小高い丘になっている中央図書館の入り口前の通りを一陣の風が吹き抜ける。その風は湿気を多分に含んだ生暖かいものではあったが、夏真っ盛りのものとはわずかに違っていた。季節は少しずつではあるが、しかし確実に秋の入り口を捕えているようである。
* * *
約束の時間が到来した。3人は、今教員棟の入り口に集合している。
「先生も、ついに魔法学部の教授にご出世なされたのよね。私たちも鼻が高いわね。」
シーファが言った。
「そうですね。先生は優秀ですし、熱心な方ですから。ある意味当然のことと思います。」
そう応じるカレン。
「それにしても、この前海で出会った、ちょっと変わった子は先生にとっても似てたですよ。あんなにそっくりな人っているんでしょうか?」
リアンが、過日の海水浴の陽のことを思い出していた。
「いくら、先生でも若返るのは無理でしょ?他人の空似よ。」
シーファはそう言うが、
「わかりませんよ。先生は私たちの目の前で天使になったことがありますから、案外、あれは先生のいたずらだったりしたのかもしれません。」
カレンが何やら意味深に言った。
「確かに、あれはすごかったわね。天使の先生か…。つい先日のことだけど、ずいぶん懐かしい感じもするわね。」
そのシーファの言葉に、リアンも頷いて答えている。
そんな言葉を交わしながら、3人は、ウィザードに指定された3階の角部屋に向かった。その部屋が、ウィザードとその仲間たちにとって因縁浅からぬ部屋であることは彼女たちは知らない。そんなわけで、3人は当然にして、ドアをノックしたのである。
「おう、すまんな。入れ。」
ウィーザードの声がする。ドアを開けて中に入ると、ウィザードとひとりの少女が3人の到着を待っていた。かつて、破廉恥極まる魔術記録が散乱していたあの机の上はすっかり整頓され、今では数冊の魔法書と、何通かの書類が整然と置かれていた。ウィザードはその執務机の奥の席に着き、3人を応接用のソファに座らせた。もう一人の少女は奥の椅子に腰かけている。
「よく来てくれた。」
ウィザードが話を始めた。
「シーファには朝練の時にかいつまんで伝えたが、リリー店長からあたしのところに連絡があってな。お前たちにまた仕事を引き受けて欲しいそうだ。仕事内容は、ある意味、この間の続きだ。」
「そうおっしゃいますと?」
シーファが訊ねる。
「『ハングト・モック』の一件はまだ記憶に新しいだろう。リリー店長はその瞳から金のありかを突き止めたらしくてな、その採掘と回収をお前たちに頼みたいそうだ。詳細な場所は、情報漏洩を避けるために『スターリー・フラワー』を訪ねた時に、店長が直に伝えるそうだが、準備のために大まかな場所を伝えておかねばならないだろう。」
「遠くなのですか?」
そう訊くカレンに、
「ああ、そこそこ遠い。『ダイアニンストの森』を南東に抜けた先にある『ディバイン・クライム山』にある、とある洞穴だそうだ。」
ウィザードはそう答えた。
「ディバイン・クライム山ですか。それはまたずいぶん遠いですね。」
とシーファが応じる。
「そうだな。知っての通りディバイン・クライム山はタマン地域の最南端に位置する山地だ。それほど険しい山ではないが、店長の話では洞穴の方が少々厄介なのだということだ。まぁ、金を隠すのだから、それなりに険しい場所ではあるんだろうな。」
説明を続けるウィザード。
「あの地域は、野生動物や野良魔法生物が多い場所でもあるから、魔法使いだけでは少々骨が折れることが予想される。そこでだ。」
そう言うと、ウィザードは席を立ちあがり、奥に向かって手招きして声をかけた。
「こちらに来てくれ。」
その呼びかけに応じて、奥の席で待機していた少女がこちらに来た。年頃は3人と同じであったが、同級生の中で見かけたことのない姿である。編入生なのだろうか?
「紹介しよう、この子はアイラ。術士(スカラ・キャスター)であり錬金術師でもある実力者だ。今回、前衛としてお前たちに同行してもらおうと考えている。アイラ、自己紹介してくれ。」
「はい、先生。私は、アイラ。アイラ・ハルトマンです。よろしくお願いします。」
少女はそう言った。
「ハルトマンって、『ハルトマン・マギックス』のですか?」
驚いたような様子で、カレンが訊ねる。それを見てウィザードが言った。
「どうする、アイラ。あたしから事情を説明しようか?」
「いいえ、先生。大丈夫です。私からお伝えします。私は、この夏ハルトマン家の養子に入った者です。もともとは、お店に住み込みで働く錬金術師だったのですが、リセーナ様を亡くされたことに旦那様と奥様が大変にお心を痛められて、それでカリーナ様に新しい妹としてお仕えするようにということで、リセーナ様の葬送の儀式の日に、幼少のころからお仕えしていた私を養女として迎え入れてくださったのです。」
少女はその身上をかいつまんで3人に説明した。
「そういうことだ。彼女はこの夏期休暇明けから、アカデミーの『錬金学部』にも所属することになる。お前たちと同じ中等部の1年生だ。仕事仲間というだけでなく、学徒仲間としても彼女とうまくやってほしい。なにせ初めての学園生活を迎えることになるからな。よろしく頼むよ。それに、リセーナ女史とはあたしたちもちょっとした縁があってな。」
そう言うと、ウィザードはいつもの珍妙なウィンクをして見せた。
「わかりました。私はシーファ。こちらの濃紫の髪の子が、カレン、あちらの銀髪の子がリアンです。アイラさん、こちらこそ、よろしくお願いします。」
シーファが差し出した手を取って、
「ありがとうございます。改めてアイラ・ハルトマンです。お役に立てるように尽力します。」
少女はそう答えた。
ところで、術士(スカラ・キャスター)や錬金術士について説明しておく必要があるだろう。特に、前者はシーファたち魔法使いとは異なり、魔法ではなく魔術を主に扱う職能である。また、剣や斧といった物理武具の扱いに非常に長けており、魔力を消費しないやり方の力の行使を得意とする。そのため、魔法使いよりも継戦能力に優れるという際立つ特性をもっていた。魔法使いの行使する魔法は、破壊力や殲滅性には優れるが、何事につけても魔力を消費するため、長時間戦力を維持しておくことが難しい事情を抱えている。その欠点を補うために、継戦能力が求められる作戦には、術士が同行することが一般的なのだ。術士が行使する魔術は、自然科学と錬金術で説明がつく範囲の、摂理に限界づけられた範囲の力の行使に留まるものではあるが、それは、神秘の領域から力を引き出す魔法に対して一概に劣るものではなく、役割の違いであるという理解が妥当であろう。能力の高い術士は魔法使いに比肩する強力な殲滅術式を行使することもできるのだ。また、アイラは錬金術師でもあるため、魔術だけでなく魔法も一定範囲で行使できた。錬金術は自然科学と魔法の神秘の組み合わせによって、様々な薬品や魔法具を錬成するための技能なのである。
「彼女は、優れた能力の持ち主だから、きっとお前たちを大きく助けてくれるだろう。そこでだ、お前たちが先の仕事の報酬として持ち帰ってきた『エレクトの斧』はアイラに預けることにした。構わんだろう?」
そう訊ねるウィザードに、シーファは頷いて答えた。3人はすでにそれぞれが強力な術式媒体を持っていたし、物理特性に優れる武具の扱いという点では、魔法使いより術士の方がはるかに優れていることを了知していたからである。
「これで、話は決まりだな。リリー店長にはあたしの方から連絡しておくから、さっそく明日にでも出かけてくれ。頼むぞ。それから、入寮が正式に決まるまでは、アイラは『インディゴ・モース』のハルトマン・マギックス社から通うことになる。なので、待ち合わせ場所は『サンフレッチェ大橋』の南のたもとに設定するとスムーズだろう。吉報を待っている。何か質問はあるか?」
「待ち合わせ場所については、了解しました。明朝、何時に待ち合わせるのが都合がよいですか、アイラさん?」
シーファが代表してそう訊ねる。
「朝9時ではどうですか?」
応じるアイラ。
「わかったわ。では、その時間にサンフレッチェ大橋の南端で会いましょう。よろしくね!」
「はい!」
待ち合わせについても話がまとまったようである。
「では、お前たち3人は、『全学職務・時短就労斡旋局』に寄って必要な事務手続きを済ませてきてくれ。あたしはアイラと編入についてもう少し打ち合わせがあるんだ。明日から、頼んだぞ。では、行きたまえ、ですわ。」
思わず、妙な語尾になるウィザード。その顔を不思議そうにのぞき込む3人に、
「なんでもない、いいから早くいけ!」
そう言って、ウィザードは追い払うようにして、3人に室外に出るように促した。それに従い、そそくさと退散する3人。時間はゆっくりと3時を回ろうとしていた。
* * *
翌日は、やや薄暗い曇天で、重い鉛色の雲の裏で白い太陽がゆらゆらとその輪郭を揺らしていた。しかし、蒸し暑さは相当で、そこに集った4人の少女たちはすでに汗にまみれていた。彼女たちは、今リリーの店に至るために重要な意味をもつ『サンフレッチェ大橋』の南端に位置している。
「ここの道順暗号は知ってる?」
アイラに訊ねるシーファ。
「いえ、初めてです。道順暗号を行くということは『スターリー・フラワー』は『裏路地の魔法具店』なのですか?」
そう訊ねるアイラに、
「ええ、そうよ。リリー・デューという名の一風変わった店長さんが経営されているわ。『ハルトマン・マギックス』ほど大きなお店ではないけれど、そこそこに面白い物があるわよ。」
シーファがその店の概要を説明した。
「そうですか。幼いころからずっと、魔法具店と言えば、ハルトマン・マギックスしか知らないので、興味があります。」
そう言うアイラに、
「幼いころから、ということは『ハルトマン魔法万販売所』のころから、勤めているのですか?」
カレンがそう訊いた。
「ええ。なんでも旦那様と父が旧知の仲だったそうで、ノーデン平原の戦いで孤児となった幼子の私を旦那様が丁稚(でっち)として引き取ってくださったんですよ。それ以来、ずっとお店で生活しています。母は、私を生んですぐになくなっていまして…。」
「へぇ、それでついに養女になったわけね!」
「はい。といっても、カリーナ様の執事のようなものですが…。」
アイラは少し視線を落としてそう言った。
「生活はどうなのですか?養女となるといろいろ環境も変わったでしょう?」
そのカレンの問いに、
「ええ。旦那様も奥様も変わることなくかわいがってくださいますが、戸惑いがないと言えば嘘になります。何といっても、お店はこの魔法社会で一、二を争う大会社ですから、その経営者の一族に、義理とはいえ加わるということは何かと大変さがあります。」
「よくわかるのですよ。金持ちはめんどくさいのです。」
リアンは何か我が意を得たりというような面持ちでアイラに同情している。彼女もまた伝統あるソーサラーの血を引く貴族の嫡出令嬢で、経済的にこそ苦労はないものの、実家での生活には息苦しさを感じている節があるようだった。
そんな話をしながら、4人の少女たちは、ガーゴイル像、鳳凰像をすでに通り過ぎようとしていた。踏襲した道順暗号は適切で、あたりを濃い霧が覆い始める。気温はいつものようにわずかに下がりはするものの、この季節にあっては圧倒的に暑さの方が勝ってしまい、霧による湿度の急激な上昇は、4人の少女たちの舌を出させるのに十分なひどさであった。今回の仕事では、『ダイアニンストの森』を抜けて更に南下する必要があるため、最低でも片道3日(2泊)はかかる行程となる。そのため、今回ばかりは、シーファとカレンもそれなりの荷物をしょっていた。アイラもまた同様で、リアンに至っては、いつも以上の荷物達磨で、その小さな足をよたよたと前に繰り出していた。
橋の中央をまっすぐに抜けて行くと、霧が一層濃くなり、あたりは真っ白になってほとんど何も見えなくなった。いつもの情景である。ほどなくして、橋を越えた先の左手にカレンが看板を見つけた。
「ここです。」
そう言って、ドアの取っ手に手をかける。魔法金属のノブがひんやりと心地よい。呼び鈴の音を響かせながら、扉がゆっくりと開いていった。
「いらっしゃい。よく来てくれたわね。」
会計用カウンターのところで、お金の計算をしていたらしいリリー店長が、ちょうど入り口から真正面に4人を出迎えてくれた。
「あら、新しいお友達も一緒なのね。その格好からするに術士の子ね。これはなんとも頼もしいじゃない?」
リリーはそう言って、奥の従業員控室に移動するように促した。リリーの店は相変わらず、その展示のひとつひとつが瀟洒で洗練されており、同業のアイラの関心を大いに引いたようであった。彼女は、奥へと進みながら、展示の仕方や色遣いなどについて細かく視線を送っていた。
ホールを抜け、特別展示エリアの奥にある控室にやがてたどり着く。リリーは、4人を長椅子に腰かけさせていつものように書類を配った。
「毎度毎度で申し訳ないけれど、一応読んでサインしてちょうだいね。」
すでにその作業に慣れ親しんだ3人は、さっそく記入を始めている。リリーはアイラにどうすればよいかを説明していたが、アイラの店でもやはり同じようなことが頻繁に行われるのであろう。それを見知っている彼女は、手慣れた様子で、その書類への記入を済ませていた。リリーはその優秀さを高く買ったようである。
4人から預かった書類に目を通しながら、リリーが言った。
「これでいいわ。仕事の内容については、先生から聞いているとは思うけれど?」
「はい、大まかなことは伺っています。『ハングト・モックの瞳』が指し示す場所に金を回収に行くようにと。」
シーファが答える。
「その通りよ、場所は『ディバイン・クライム山』の中腹に口を開ける、『タマヤの洞穴』よ。その最奥にあのハングト・モックが隠した金があるわ。タマヤの洞穴の場所と、その中の金の隠し場所については、ハングト・モックの瞳が教えてくれるわ。」
そう言って、リリーは、その魔法生物の瞳を閉じ込めた魔法瓶を取り出して、少女たちに見せた。
「これをね、こうのぞくと具体的な隠し場所が浮かぶのよ。」
リリーはそう言って、シーファの目の前にその瓶を差し出し、彼女にそれをのぞかせた。瓶の中の瞳と視線を合わせるようにそれを覗き込むと、シーファの瞳を通して、その網膜に金の隠し場所が立体地図のようにして浮かびあがった。それは見ているというよりは、脳裏に立体地図が直接投影されるような不思議な感覚であった。
「あなたたちものぞいてごらん。」
そう言うと、リリーは他の3人の少女たちに、順に、その魔法瓶にとらわれた瞳をのぞかせた。皆、頭の中に浮かんでくる不思議な立体地図の投影に驚いている。
「あなたたちのおかげで、あたくしの手元にはもう一つあるから、この魔法瓶は持って行っていいわ。いつでもこれを見て場所を確認なさいな。金はきっと埋まっているのだと思うから、採掘してそれをここまで転送してちょうだい。よろしいかしら?」
片方の口角を上げるいつもの仕方で訊ねるリリー。
「わかりました。発見したらご連絡の上転送します。」
代表してシーファが答えた。
「心強いわね。それじゃあ報酬の話をしましょう。報酬は4人で4人分、発見、転送してもらった金の量の比例した歩合制ね。金が多いほど報酬ははずむわ。必要経費は折半、休憩はあなたたちの裁量で自由に取っていいわ。それからやり方についての指示は無し。報酬額はすべて金の量で決まる、そう思ってちょうだい。」
「わかりました。私たちはそれで大丈夫です。今回は、報酬額について特別な指示はありますか?」
「そうねぇ。今回はいいわ。あたくしが支払った分から必要経費を差し引いた額を、そのまま報告書には記載してくれればいいわ。」
リリーは、シーファの質問にそう答えた。
「それと、今回はボーナスを先支給してあげる。これをもってお行きなさい。長い道中になるからきっと必要になるでしょう。」
そう言うと、いつもの急速魔力回復薬のアンプルを人数分取り出してめいめいに渡してくれた。
「術士のあなたには必ずしも必要ないかもしれないけれど。見たところ、あなたは魔法を使った錬金もこなすようだからあって荷になることはないでしょう。予備だと思ってでもいいから、持ってお行きなさいな。」
「ありがとうございます。いただきます。」
アイラはそれを受け取って、ローブのポケットにしまった。
「さぁ、それじゃあこれで準備は完了ね?」
「はい、ありがとうございます。予定としてはこのまま『タマン地区』に移動して宿をとるつもりです。それで、明日早朝に『ダイアニンストの森』に入ってから、その日の内にそこを抜け、『ディバイン・クライム山』の登山口に取り付こうと考えています。」
シーファはそう答えた。
「そう。いい計画だと思うわ。くれぐれも無理はしないでね。なんとなれば、金のありかに『魔法の道標:Magic Beacon』を撃ちこんでくれるだけでもいいのよ。その場合、報酬はぐっと減るけど、命は大切にしてね。」
「わかりました。安全第一で職務にあたります。」
「頼んだわよ。それから、今の時期のタマンではちょうど猪肉のいいのが出るからおあがりなさいな。1食分、サービスしておくわ。あたくしのおごりよ。」
「ありがとうございます。では甘えて今晩宿でごちそうになります。」
リリーとシーファは握手を交わし、それからすぐに4人はその店を後にした。その背中をリリーがあたたかく見送っている。
* * *
4人が、サンフレッチェ大橋を南下するにつれて、道順暗号によってもたらされる霧ははれていき、やがて、それは南大通りと接合した。少女たちは更にその大通りを一層南下していく。タマン地区まであと少しだ。
太陽は静かにその位置を西に傾けていた。夕方前にはタマン地区に入れるだろう。曇天の空はその鉛色を一層濃くし、その厚い雲は雨を蓄えているように見えた。
4人は、先を急いでいく。
第7話『金を求めて』
リリーの店を出てから、4人がタマン地区に入ったのは、その日の夕刻少し前だった。まだ太陽は西の空、地平線よりも少し高い位置にあり、曇天の裏側でぼんやりとした輪郭を浮かべていた。空を覆う雲は一層厚くなり、湿度はどんどんと上がっていた。どうにも雨が近いようだ。湿気た土のにおいがあたりに立ち込めている。
タマン地区につくと、4人は早速その夜の宿を求めた。宿泊の受付を済ませて荷を預けてから、手荷物だけをもって部屋に入ったとき、時刻はようよう5時に差し掛かろうかという頃であった。4人はいつものように順にシャワーを済ませ、めいめいベッドやソファに腰かけて一日の疲れを癒していた。明日からは『ハングト・モック』が隠した金の探索に本格的に乗り出すことになる。今夜はそのための英気を存分に養わなければならない。シーファとリアンは、メニュー表にかじりついて、今夜の夕食についての相談をしきりにおこなっている。その日の食事は、リリーが奮発してくれることになっていた。空腹に駆られて、少女たちの夕食に対する期待はいやがおうにも高まっていく。
コース料理にしようという案もあったが、折角ならいろいろな味覚を楽しみたいということで、少女たちは猪肉料理をアラカルトで注文することに決めたようだ。
しばらくして、部屋に料理が運ばれてくる。テーブルに並べられたのは、猪肉のステーキ、揚げカツ、そして鍋であった。どれも、このタマン地区を代表する猪肉料理で、空腹の4人の少女の胃の腑を大いに刺激した。ステーキは、猪肉を豪快に焼いたもので、その地方の特産の野菜が彩りに添えられた、ソース仕立ての一品だった。シーファはこれがたいそう気に入ったようである。
揚げカツは、猪肉のフィレ肉に衣をつけて揚げたもので、サクサクとした外側と、ジューシーで柔らかな内側が絶妙なハーモニーを奏でていた。こちらは、アイラの心をしっかりととらえたようで、彼女は、添えられたレモンを絞りかけて、美味しそうにほうばっていた。
カレンとリアンの胃袋を掴んだのは、猪肉の鍋であった。鍋料理に猪肉を用いるのは冬の定番であったが、ここタマン地区では臨時に害獣駆除された猪肉が夏場でも豊富に提供されており、当然にして夏にもそれは提供されていたのである。特産の野菜とともに鍋の中で踊るその肉は柔らかく、舌の上でとろけるような味わいであった。こんなに美食を満喫してはあとでリリーから小言をもらうのではないかとの心配もあったが、彼の心意気に応えられるだけの仕事をして、十分な金を届ければそれでいいだろうということで、4人はどんどんと食事をすすめていった。
食後、あたたかい鍋を食べたことですっかり汗をかいてしまったリアンとカレンは、もう一度シャワーを浴びた。シーファとアイラは明日に備えて早々に床に就いて、1日中歩き詰めた疲れを十分に癒していた。
空模様はいよいよあやしくなり、とうとう雨が降り始めて、あっという間に雷雨になった。屋根や窓に打ち付ける雨の音と鳴り響く雷鳴が、少女たちの枕もとをに騒がしていた。シーファとアイラはすでに夢の中であったが、リアンとカレンはその音のためになかなか眠りにおちることができずにいた。
「ここひと月の間に、もう何度もここに泊まっているですよ。」
リアンがカレンに話しかける。
「そうですね。すっかりおなじみになりました。」
「明日の夜はきっとキャンプなのですね。」
アカデミーの行事外での、作戦執行中のキャンプにあまり慣れていないリアンは少々心細いようだ。
「大丈夫よ、リアン。みんな一緒ですもの。怖いことはないわ。」
その不安を察したカレンが優しく語り掛ける。
「私は、まだまだ力が足りないですから。みんなに迷惑をかけるかもです。」
力なくそう言う、リアン。
「そんなことはないわ。これまでに私たちは何度もあなたに助けられたもの。先生もおっしゃっておられたでしょう。あなたにとって大切なのは自信よ。大丈夫。勇気を出して、明日に備えましょう。」
カレンのその言葉を聞いて安心したのか、リアンの意識は次第に遠のいていく。カレンは、これまでのさまざまな出来事を思い出しながら、夏の宵闇にその精神を委ねていた。やがて、全ては闇に包まれ、屋外の雨音と雷鳴だけがその静かさを際立たせていった。
* * *
翌朝も雨だった。昨晩あれだけにぎやかに騒いでいた雷こそなりをひそめていたが、森を抜けるには少々難儀が予測される強い降りであった。宿にとどまって天候の回復を待つべきではないかという意見も出たが、話し合った結果、結局4人は、予定通り出発することに決めた。特段急ぐ理由があったわけではないが、夏期休暇を無駄に消費することはできれば避けたいという思惑が働いたようである。朝は、持ってきた非常食と魔法瓶詰で簡単に済ませ、宿の受付で、当面のキャンプに必要となる荷物を受け出してから、出発した。
4人はローブを頭からかぶり、荷を背負って雨で滑りやすくなっている街道の石畳へと繰り出していく。その上を雨が容赦なく降りつけた。『ダイアニンストの森』が近づくにつれて石畳は乏しくなり、ぬかるんだ泥道の上を進む格好となった。やがて4人の周囲をうっそうとした木々が取り囲み始め、道はいよいよ悪くなってくる。ぬかるんだ地面に足をとられてよろけるリアンの身体をカレンが支えるようにしながら、4人は深い森の中へと分け入っていった。獲物を探してこの森を彷徨い歩いたこれまでとは異なり、今日は、獣道のようになりながらもかろうじて刻まれている街道を南東方向へと進んで行く。その道は、木の根や散らばる石によって乱雑になっており、普段の人通りの少なさを物語っていた。そんな深い森の中にあって、あるはずのない人影に気づく者がいた。アイラである。
「みなさん、気を付けて。さきほどから我々の後をつけるものがいます。」
その言葉を聞いた少女たちに緊張が走った。注意深くあたりを見回すが、明らかな人影を視界にとらえることはできない。しかし、アイラの言う通り、何者かの視線を感じるのは間違いなかった。少女たちは各々得物を手にして周囲を警戒しつつ歩みを進めて行った。ここは、キャシーをはじめとする『裏口の魔法使い』が闊歩する森林であり、その魔法使いたちが放った邪悪な魔法生物がうろつく場所でもある。実のところ、何者が後をつけてくるか知れたものでもなかった。用心に用心を重ねて先に進むが、幸いにして、面倒ごとに出会うことはないままに、ようよう雨の森を抜けることができた。
ずっと雨に打たれ続けてきた4人はすっかりずぶぬれで、足元はどろどろになっていた。苔むした土の香りに嗅覚を支配されながらも、ようようにしてうっそうと茂る木々に別れを告げ、開けた場所に出ることができた。ここから、南に広がる海沿いに南東方向に進めば、『ディバイン・クライム山』の登山口に取り付くことができる。
陽はすっかり天上から西に傾き、鉛色の空の裏でその影だけをくすぶらせていた。南海へと注ぐ小さな川沿いにある開けた一角を見つけた4人は、そこでキャンプをすることに決めた。その周辺は砂利に覆われていて、雨の中にあっては比較的に足元がよく、水を補給可能な川も近くにあって見通しも悪くない場所であった。
シーファは早速、薪を集めて火おこしの準備を始めている。といっても、昨夜から降り続く雨で薪はずぶぬれになっていたので、まずは魔法の火でそれらを乾かすところから始めなければならなかった。薪とともに、いくばくかの枯れ葉を集めては、それらを乾かしていく。カレンは、川に水を汲みに行き、アイラとリアンはテントの設営にとりかかった。砂利の上は比較的水はけがよく、といっても降りしきる雨の中で作業は大いに難航したが、それでも泥の上よりは幾分もましで、どうにかこうにかテントを設営することができた。
シーファの火おこしも何とか成功したようで、薪が赤い炎を揺らしている。次にくべるべき薪をその火の周囲において乾かしながら、火に鍋をかける準備に取り掛かっていた。その夜は、昨晩食べきれなかった猪肉を宿の人に包んでもらったものと、野菜瓶詰の塩漬けされた野菜を煮込んだ簡易の鍋料理をこしらえようということになった。周囲に何本か生えている木々の枝の間にローブをひっかけてごくごく簡単な雨よけを作り、その下で4人は焚火を囲む。8月中旬のこの時期なので寒いということはなかったが、それでも1日雨に打たれた身体は汗と混じる湿気がなんとも心地悪く、焚火の火はその不快感をいくばくか取り去ってくれた。やがて鍋がぐつぐつと煮え時を知らせてくれる。
4人は、濡れた服を乾かしていたその手を止めて、食事を始めた。調理をしてくれたのはアイラであったが、その腕は大変によく、ありあわせの食材で実にうまい鍋を提供してくれた。聞くところによると、料理はハルトマン・マギックスの奉公人であった時に、その店の奥方から直々に仕込まれたのだそうだ。暖かい料理が、疲れた体に活力を取り戻してくれる。4人は、お互いの身の上や、まもなく始まる新学期についての抱負などをめいめいに語りながら、ゆっくりとその夜を過ごしていた。
相変わらず雨は降り続き、太陽はその姿を隠すようにして西の空に沈んでいった。やがてあたりは宵闇に覆われ、その静けさを木々の葉に触れる雨音が際立たせていく。早々にテントに入って、明日に備えて休もうかというその時だった。
奥に広がるダイアニンストの森から、何者かの気配を感じた。木立がガサゴソと揺れる音を立て、そこから姿を現す一団がいる。
* * *
音のする方向を注意深く見やると、魔法生物であろうオオカミの姿が目に入った。
「気を付けて。ソーサリー・ガード・ウルフのようです。」
アイラが、エレクトの斧を手に取って、慎重に様子をうかがう。あとの3人も各々得物を手にして身構えた。
ソーサリー・ガード・ウルフとは、魔法使いが野外キャンプなどを張る際に、見回り用に展開する魔法生物で、早い話が魔法の番犬である。こんなところにそれがいるとなると、彼女たちの他にこの辺りでキャンプを設営している魔法使いの一団がいるか、あるいは、かつて召喚された番犬が放置されて彷徨える野良魔法生物となったかのどちらかであった。いずれにしても、放置しておくことはできない。身構える身体に一層力が入る。
オオカミの方でも、鍋の匂いで獲物の存在を察知したのか、しきりにこちらを気にしているそぶりをみせていた。やがてそれらは群れを成してゆっくりと彼女たちの方に近づいて来る。
「どうやら、一戦かまえるしかないようですね。」
意を決したように言うアイラに続いて、3人も立ち上がった。その間数メートルという距離でオオカミと少女たちは見合っていた。威嚇の唸り声を上げながら近づいて来てくる狼たちのうちの数匹が、ついに彼女たちに襲い掛かってきた!
さっと散って慎重に距離を見計らう少女たち。いつもなら、ここでシーファとカレンの攻撃術式が火を噴くところであるが、今日は様子が違った。エレクトの斧を片手に襲い掛かる群れの前にさっと躍り出ると、巧みな斧さばきでアイラはオオカミに立ち向かっていった。魔法生物に普通の物理武具では効果が薄いはずであるが、彼女は、魔法を用いて斧を強化しながら、舞うようにしてそれらを次々と蹴散らしていく。魔術だけでなく魔法も駆使する術士、その華麗な姿に他の3人はあっけにとられていた。武具の拡張だけに魔力を使い、実効的な攻撃は武具によって繰り出すそのスタイルは非常に洗練されていて、魔力の消費効率が極めてよいものであった。
そのアイラを、3人は防御術式の展開と、武具拡張の術式によって支援してく。獅子奮迅とはまさにこのことで、瞬く間にあたりは蹴散らされた魔法オオカミで死屍累々となり、そのむくろは魔法光の粒となってたちまちに中空に消えて行った。
ひととおりの喧騒の後で、あたりに静寂が戻り、再び聴覚を雨音が取り戻すようになるまでにさして時間はかからなかった。斧がかぶった雨水を丁寧にぬぐってそれを仕舞うアイラ。その戦いは見事というよりほかなかった。
「すごいです、アイラさん!」
カレンが思わず声を上げた。
「そんなことはありません。みなさん、ご無事ですか?」
すっと一息ついてから語るアイラのその言葉に、3人は頷いて答えた。
「アイラ、かっこいいのですよ。ひとりでオオカミをやっつけちゃいました。」
リアンは興奮ひとしおのようだ。
「ありがとうございます。小さいときから武具の扱いは仕込まれてきましたので…。」
絶賛の表情を浮かべるリアンの前で、少し照れくさそうにするアイラ。シーファも目を丸くしてその戦いぶりに感心していた。シーファやリアンがそうであるように、この魔法社会では、魔法使いも剣や斧、槍といった物理武具を用いはするが、やはりあくまでも得手とするところは魔法であって、武具を直接に振るうことは滅多にないのであった。それに対して、術士は武具の扱いに長けている。奇しくも、アイラはその両者の役割の違いを、存分に実践してくれた格好となった。
「これで、当面の危険は去ったと言えそうですが、先ほどのオオカミたちは、完全に魔法の制御が切れているというわけではないようでした。彼らを使役している魔法使いがまだ潜んでいるかもしれません。今晩は交互に警戒にあたりましょう。」
そのアイラの提案に、みな頷いて同意した。アイラから初めて各々2時間づず、交代に見張りに立つことになった。夜が次第に更けて行く。雨はなおもう降り続き、テントを打ち付けていた。その横で火の番をしながら、アイラが余念なく周囲を警戒していた。真夜中をすぎたころ、ようやく雨が弱まり始め、雲の切れ目から少しずつ月や星々が顔をのぞかせ始めてきた。交代の時間となり、アイラはシーファと見張りを代わる。
「アイラ、ありがとう。代わるわ。ゆっくり休んでね。今日は本当にありがとう。」
「どういたしまして。あとを頼みます。おやすみなさい。」
そう言葉を交わして、シーファは焚火の所に移動し、アイラはテントに入って行った。シーファはいくらか薪をくべて火の勢いを強くする。あたりではフクロウの声がこだましていた。雨は少しずつだがあがっていっているよ様子である。眠気に抗いながらも、なお、シーファは見張りを務めていた。その後、カレン、リアンと順に見張りに立ち、リアンの番がいよいよ終わろうかというころ、夜が白んできて、太陽がその顔をのぞかせた。朝の到来である。リアンは少し眠そうではあったがそれでも元気だった。
4人は、川の水で顔を洗い、手拭いで身体を拭いてから、朝食の準備に取り掛かった。といっても、朝は持参した乾パンと干し肉、魔法瓶詰の野菜と果物だけで済ませることになるわけで、カレンが淹れてくれたあたたかいコーヒーが朝の活力を与えてくれる救いとなった。
一昨日の夜から降り続いた雨はようやくあがり、ずいぶん薄くなった雲の裏側で、太陽が白く光っている。まだ晴天とまではいかないが、雲はその後もはれていきそうな面持ちだった。テントを撤収して荷にまとめ、火の後始末を十分にしてから、4人は『ディバイン・クライム山』の登山口を目指して歩き始めた。その山は、それほど険しいものではないのだが、普段は基本的に人の行き来のない場所であり、剥き身の自然が4人を歓迎してくれていた。登山口にたどり着いたときには、すでに太陽は天頂付近に移動していた。身体にまとわりつく暑さと湿気がたまらない。ローブの襟元をぱたぱたとやって熱気を逃がしながら、ようよう登山口を前にした4人は、そこで小休止を取った。すっかりなまあたたかくなってしまってはいたが、それでも渇きを癒してくれる水筒の水がなんとも心地よかった。
一息ついた彼女たちの耳に、聞こえるはずのない足音が聞こえてきた。
* * *
4人は、得物を手にして、その足音の方を見やる。そこに現れたのはお馴染みのキャシー・ハッターであった。
「おやおや、やっぱりあたしの勘は大当たりだったね!」
不敵な笑みを浮かべながら、キャシーが言う。
「あんたらの後をつけてくればきっと金の隠し場所にたどり着けると思ったのさ。どうやら『ディバイン・クライム山』に向かってるようだねぇ。さぁ、悪いことは言わないよ。金の隠し場所を吐きな!」
そう言って迫りくるキャシー。4人は身構えて対峙した。
「無駄だよ。これまで何度もあんたらにゃ煮え湯を飲まされてきたが、いつまでも負けっぱなしというわけにもいかないんでね。今回もまたとっておきを準備してあるのさ。持ってるんだろう?怪我をしたくなければさっさと『ハングト・モックの瞳』を渡しな!」
「お断りします!」
シーファはきっぱりと言ってのけた。
「そうかい、そうかい。まあ、そうだろうと思ったよ。」
不敵な笑みを一層強めるキャシー。
「後悔しても知らないよ。素直じゃない小娘にお灸をすえるとしようじゃないか。」
そう言うとキャシーは詠唱を始めた。
『生命と霊性の均衡を司る者よ。我に力を与えたまえ。自然のありように声明の形を与え、我が前にそれを織り成せ。巨人召喚:Summon of Giant!』
彼女の前に大きな魔法陣が展開され、そこに山の巨人が呼び出される。4メートルはあろうかという巨体が、上からギロリと4人をにらみつける。
「さて、遊びはおしまいだよ。こいつに踏みつぶされたくなかったら、さっさと瞳をおよこし。」
「そのつもりはありません!」
再度シーファはその邪な申し出を拒んだ。
「まぁ、そうだろうね。いいだろう。恨むんなら馬鹿な自分たちを恨みな!」
そう言って、キャシーがその巨人をけしかけてきた!さっと距離を取って臨戦態勢をとる4人。その場に緊張が走る。
リアンが『氷礫:Ice Balls』の術式を繰り出した!輻輳の効いた多数の氷礫がその巨体をとらえる!しかし石造りのその身体はびくともしないようだ。続けて、シーファが『砲弾火球:Flaming Cannon Balls』を繰り出すが、先ほどと同様、わずかな石屑が散らばる他には芳しい効果を得ることができない。その傍で、キャシーが高笑いをしている。
巨人がその巨大な石の手を薙ぎ払った。それに吹き飛ばされる4人。防御障壁の展開によって直撃こそ免れるものの、その損害は甚大で、山の岩場に身体を強打し、4人は激痛に悶えた。
「どうだい?考えは変わったかねぇ?」
嫌な笑みを浮かべて問うキャシーに、シーファはきっぱり首を振ってこたえた。
「そうかい…。なら、あの世で後悔することだ!」
その言葉に誘われるかのように、巨人が『衝撃波:Shock Wave』の術式を繰り出す。それはシーファの身体をもろに打って、彼女に激しい痛みを与えた。かろうじて防御障壁を展開することこそできたものの、シーファはほとんど身動きできないほどの損傷を負ってしまっている。その傍にカレンが駆け寄ろうとするが、巨人の投げつける岩が邪魔をして、なかなか思うようにいかない。リアンも機会をうかがうが、好機をとらえられずにいた。シーファはしゃがみこんでぐったりとしている。
そのとき、巨人の前に立ちはだかったのはまたしてもアイラであった。彼女は、手にしたエレクトの斧に術式を行使している。その時だ!
エレクトの斧がいくつも複製され、ひゅんひゅんとあたりを飛び交いながら、群れを成して巨人に飛びかかっていった。術士が得意とする、『飛来する武具:Flying Weapons』の術式だ!
魔法により威力強化された斧が連続して巨人に襲い掛かっていく!その刃のいくつかは、その巨大な腕によって阻まれたが、それでもなお矢継ぎ早に次々と繰り出されて、その巨躯を捕えていった。石が砕けるけたたましい音とともに山の巨人の身体は徐々に崩れ、巨人はその場に膝をついた。なおも術式を繰り出そうとするが、しかしその身体はひとところにとどまっている。
「今です!」
アイラが、大きな声を出した!アイラの果敢な攻撃によって生まれた機会を活かしてカレンがシーファの傷を癒している!ようやく、動けるようになったシーファは、それとは対照的にその場でうずくまる巨人に対して詠唱を開始した。
『火と光を司る者よ。我が手に力を成せ。炎の力を凝縮し、弾丸として撃ち出そう!我が敵を砕け!貫通式火炎弾:Stinger Flame!』
彼女の両手の周りに高温の炎が集まり、どんどんと凝縮していく。刹那、シーファは圧縮された炎を、巨人の頭部めがけて一気に解き放った!
彼女の手から繰り出されたその超高温の火球は爆音とともに巨人の頭部に見事に命中して、それをすっかり粉砕した!岩でできたその頭部はがらがらと音を立てて崩れ落ち、頭を失った巨体はなすすべもなくそのばにくずおれた。刹那、その身体は魔法光に変わり、光の粒となって消えて行く。
カレンはすぐにキャシーを追おうとしたが、その姿はすでにその場にはなかった。今回もまんまと逃げられてしまったようだ。仕方なく、少女たちは傷ついた身体をカレンの回復術式と持参した水薬で癒しながら、登山の準備を進めていった。太陽はちょうど天頂付近に位置していたが、これから山を登れば、中腹にあるという洞穴を踏破するのは十分に可能であるように思えた。治療を終え、準備を整えた彼女たちは、登山口からゆっくりと登山道に足を進めて行く。暑さは一層ひどくなり、特にシーファは先ほど負った傷がまだ痛むようであったが、ローブの裾で汗をぬぐいながら、懸命に足を前に繰り出していった。
ごつごつと岩が剥き出すその登山道は、一昨日からの雨で滑りやすく、土の部分はぬかるんでいて歩きづらいことこの上ない。4人は、その山の中腹に口を広げるという『タマヤの洞穴』を求めて先を急いでいた。途中、カレンが何度か『ハングト・モックの瞳』を通して金の隠し場所を確認したが、脳裏に広がる魔法の立体地図は、その周辺の景色が間違いのないものであることを示していた。
雨上がりの蒸しかえる土のにおいが鼻をつく。雲が次第にはれ、あたりが俄かに明るくなりはじめた。同時に直射日光による暑さがどっと汗を誘う。にもかかわらず、足元の悪さはなかなか改善しない。濡れた落ち葉がすべりやすく厄介極まりない。そんな中を4人は黙々と前進していた。
第8話『黄金の価値』
キャシーの召喚した巨人の脅威を退けた少女たちは、『ディバイン・クライム山』の登山道を登っていた。降り続いた雨はあがっていたが、足元は悪く、岩場は滑る上に土はぬかるんで、足を繰り出すのを困難にしていた。うっかり濡れた落ち葉を踏もうものなら、足を取られて前のめりにこけてしまいそうになる。背に負った重い荷物に上半身を揺さぶられながら、悪路を進で行った。雲は次第にはれ、合間から太陽がその顔をのぞかせるようになったが、浴びる日差しは暑く、また足元の湿気を一気に蒸発させて周辺の湿度を高めて行く。汗が止まらず、むしむしとした不快感に舌が出るが、太陽がすでにゆっくりと西に傾きつつあることもあって、4人は先を急いで行った。陽はまだ十分に高いが、それでも時刻は徐々に午後へと差し掛かっていたのである。
シーファ、リアン、カレンの3人はキャシーと数度の面識があったが、アイラは初めて彼女と出会ったようで、まだその『裏口の魔法使い』の名を知らずにいた。午後の太陽は一層陽射しを強め、4人の足取りを重くする。1時間ほど歩き、ふもとからようやく1キロメートルほど進んだところで、少女たちはすこし開けた場所に出た。そこは、奥に向かって細まった広場のようなところで、その奥の岩場に、人がひとりがようやく通れそうな裂け目が、口を開けていた。
カレンが、リリーから預かった『ハングト・モックの瞳』をのぞいて場所を確認すると、そこが『タマヤの洞穴』の入り口に違いないことが確認された。4人は、入り口前に広がる広場で小休止を取ることにした。荷から手ごろな敷物を引っ張り出して木陰に敷き、そこに座って水筒を口元に傾けた。この暑さの中、水はすっかり生温くなっていたが、それでも、登山による渇きを癒すには十分であった。シーファとアイラは空腹を覚えたのであろう、いくばくかの乾パンと干し肉を口にしている。ぽろぽろとこぼれる乾パンの屑を、足元に集まってきた山鳥がついばんでいた。自然の野鳥にしては警戒心に乏しいようで、4人の足元をうろうろしながら、乾パン屑のお相伴にあずかっている。
木陰は、日向に比べるとその気温は幾分かましであったが、それでも、汗が一向に止まる気配を見せない。リアンとカレンは水筒の水で手拭いを濡らし、固く絞ってから、身体をぬぐっていく。風が吹くと、すっと心地よい感覚を一瞬感じられるが、すぐに夏の暑さは戻ってきた。めいめいに、身体と心の準備を整えた後、いよいよその洞穴内へと踏み込もうということになった。入り口は狭く、中からは生温い風が吹き出している。4人はシーファを先頭にして、身をよじらせながらその狭い通路へと入って行った。
* * *
洞穴に踏み入って、最初に気づいたのは、内部の異様な臭気であった。屎尿と腐った土を混ぜたかのような堪えがたい匂いで、また足元にはその匂いの発生源であろう粘着質の泥とも何ともつかない物体がねちゃねちゃと岩場に張り付いており、気持ち悪いことこの上ない。足を繰り出すたびにその粘着質のものが足元に絡みつき、それを搔い繰るたびに嫌なにおいが鼻をついて吐き気を催すほどであった。4人は、ローブがその粘着質を引きずらないようにたくし上げ、袖口で口元と鼻を覆いながら、慎重に前進していく。入り口は身をよじらなければ通れないほどの狭さであったが、ひとたび中に入ってしまうと、そこは比較的開けた空間で、足元の悪さと臭気の異様さを別にすれば、移動に苦労するということはかった。しかしあたりは完全な暗闇に覆われていたため、先頭を行くシーファは右手にルビーのレイピアを握りしめ、左手に『魔法の灯火:Magic Torch』の術式を展開して、あたりを照らし出していた。
幸いにして洞穴は一本道で、道に迷う心配はなさそうだったが、慎重なカレンは、今日も一定間隔ごとに岩壁に目印の呪印を刻んでいた。アイラはリアンの重い荷物を支えてやりながら、その身体が、異臭のする粘着質の上に倒れ込まないように面倒をみてやっている。洞穴の天井は高く、時折、上部の岩肌から水滴が落ちてきて4人の少女たちの身体を捕えた。ローブの上に落ちる分にはよいが、首筋や手といった個所に落ちてくるそれは、妙な粘り気を帯びているように感じられて気味が悪かった。
不快なたたずまいの洞穴を進んで行くと、少女たちはやがて一層開けた場所に出た。そこは、これまで歩いてきた通路の床面とは異なり、いささか清廉な岩肌が露出しており、あの異臭を放つ粘着質も見られなかった。たくし上げていたローブを下ろし、口元を覆う手をゆるめて、4人は更にその開けた石畳の上を進んで行く。先頭のシーファが、続く3人の足を止めたのはその時であった。
「待って!」
「どうしたのですか?」
足を止めて応じるカレン。
「静かに、誰かいるわ。」
シーファが魔法の明かりを前方に向けると、そこに倒れている人影があった。しかし、こんなところに行倒れがいるというのもおかしな話た。その人影にはまだ息があるようで、その肩はかすかに動いている。少女たちは慎重にその場に向かっていった。その人影を取り囲み、シーファがレイピアの柄でその腰元をつつくように押すと、人影は低い呻き声を上げた。聞いたことのある声である。上半身の方に近づいてその人物の顔を魔法の灯火で照らすと、それはキャシーだった。気を失っているせいだろうか、相貌から険が消え、いくぶんと穏やかな、これまでに見せてきたのとは趣の違う様子ではあったが、キャシーに違いなかった。
「キャシー、あなたここで何をしているの?」
シーファが声を上げる。キャシーは呻くばかりで、返事をしない。全身を見るとひどい傷を負っていた。
「これはまずいですね。相当の深手を負っています。」
そう言ってキャシーの脇にしゃがみこむと、カレンは彼女を抱き起すようシーファに指示した。それを受けて、シーファはキャシーの身体をあお向けにし、その上体を抱き起こした。彼女の身体にはあちこちに打ち身と切り傷があり、口元には血が滲んでいる。意識はないようで、ただ痛みに呻くばかりであった。
その上体を支えるシーファのそばにカレンはしゃがみこんで回復術式の詠唱を始めた。リアンとアイラのふたりはその様子を見守っている。
『生命と霊性の均衡を司る者よ。慈愛を与えよ。我が手を通して癒しの力を発動せん。傷を取り去り、痛みを和らげよ。拡張された癒しの光:Enhanced Healing Light!』
魔法威力と効果を拡張した回復術式が行使される。カレンの手元に暖かい魔法光が灯り、その光が傷ついたキャシーの身体を覆った。やがて、その打ち身、切り傷がいくばくか癒されていく。傷が閉じ、腫れが引いていった。痛みが和らいだことが奏功したのであろう、キャシーが意識を取り戻す。
「ううん…。」
「大丈夫?いったい何があったの?」
シーファがそう問いかけた。ゆっくりとキャシーの目が開き、唇が震えるように動いて言葉を紡ぐ。
「あんたたちかい…。あたしもすっかり焼きがまわったねぇ。こんなドジを踏んじまうとは…。」
「一体何があったの?」
「あの『ハングト・モック』の野郎、よほど力の強い魔法使いに召喚されたんだろうよ。金の隠し場所に番兵までおいていやがった。魔法生物が魔法生物を召喚するなんざお笑いじゃないか。そんなことは、このキャシー・ハッター様でも見通せなかったよ。」
そう言って、キャシーは口元に自虐的な表情を浮かべた。その言葉を聞いて、驚きの声を上げたのはアイラである。
「キャシー、キャシー・ハッターと言いましたか?もしかして、あなたはキャサリン・ハッターさんですか?」
その言葉を聞いて3人はアイラの顔を見る。
「こいつは、キャシー・ハッターという、『ダイアニンストの森』にすみつく『裏口の魔法使い』よ。」
そういうシーファの言葉に顔を振るようにしてアイラが言った。
「一度、お店でお会いしたことがあります。あなたは、『シーバス』海岸のほとりで病気の孤児たちのためのサナトリウムを運営しておられる、キャサリン・ハッターさんですよね?」
その言葉にいよいよ驚きを隠せない3人の少女たち。これまで何度も渡り合ってきた目の前の邪悪な魔法使いが、サナトリウムの運営者だというのだ。彼女たちの思考は俄かに混乱していた。
「それは、どういうこと。こいつは…。」
そう言いかけたシーファを遮るようにして、キャシーが言った。
「あたしもいよいよ年貢の納め時だねぇ。こんな小娘に正体を見破られるとは。まさか、あたしを知ってるやつがいるとは不覚だったよ。これでも巧みに変装していたつもりだったんだがねぇ。」
魔法を用いて施されていたキャシーの変装は、傷つき意識を失ったことによって、そのときはすっかり解除されていたのだ。
「それでは、あなたは本当に、シーバス海岸脇のサナトリウムの運営者なのですか?」
カレンが訊く。
「バレちまったらしょうがない。そうさ、あそこの運営は大変でねぇ。金がかかるんだよ。表立っての資金繰りには限界があるから、こうして『裏口の魔法使い』に身を落として、時々やばい仕事に手を染めていたとというわけさ。」
「それでは、あなたが金を欲しがったのは…。」
「そうだよ。あの子たちのためさ。この魔法社会は一見華やかで活気づいているが、病人や子ども、まして病気の子どもには冷たいもんだよ。アカデミーだって、健康な子どもや治療可能な子どもは福祉事業だのと称して迎え入れるが、不治の病にかかってる子や、五体満足でない子どものことはお構いなしだよ。そんな冷遇がたまらなくてね。あのサナトリウムをやってるのさ。でも、実情は火の車でね。善意だけじゃあ善行は施せない。時には残酷に手を汚さなければいけないこともある。あたしはただ自分の信念に従ってるだけだよ。」
そう言うとキャシーは目を閉じた。その目尻には涙が浮かんでいる。その場に重苦しい空気が流れた。私欲に取り付かれ、手段を択ばずに富を得ようとする強欲な『裏口の魔法使い』だと思い込んでいた人物に思いがけない側面があったのだ。そうだとは露ほども思わなかった少女たち、とりわけシーファ、リアン、カレンの3人は、心中で自責の念の疼きを深く自覚していた。
「言い訳はしないよ。」
キャシーが続ける。
「金欲しさにあんたらを殺そうとしたのは本当さ。さっきも言った通り、善意だけで誰かを救えるほどこの世の中は単純じゃない。手段を選んでいられない場合というのはいつもだよ。さあ、わかったら、さっさとあたしを始末しな。金はこの先にきっとあるよ。少々やっかいな奴が守ってはいるがね。あたしはかなわなかった。あんたらも命が惜しければよく考えることだね。あの魔法生物が戻ってくる前にここを出るのが賢明だ。」
そう言う彼女にカレンはなおも回復術式の行使を続ける。やがてキャシーの傷はずいぶんと癒え、シーファの助けなしで身を起こせるまでになった。顔にも血色が戻って来る。
「でも、どうしてここに金があると、先回りすることができたのですか?」
カレンがそう訊ねた。
「あたしも馬鹿じゃあないんでね。お宝がこの『ディバイン・クライム山』にあるとすれば、その隠し場所がこの『タマヤの洞穴』なのだろうことは容易に想像がつくさ。ここ以外、この山は何の変哲もないただの岩山だからね。頂上の固い巨石を穿って金を隠すようなもの好きもいないだろうよ。それだけのことさ。」
「そうだったのですね。もう立てそうですか?」
カレンがそう促すと、キャシーはゆっくりと立ち上がった。
「しかし、あんたらも奇特な人間だねぇ。あたしを助けたってろくなことはないだろうに。礼は言わないよ。さっきも言った通り、あたしには金が必要なんだ。なんなら、あんたたちに助けられたこの身体で、もう一度あんたらに牙だって剥くよ。」
強がってこそ見せるが、そのときのキャシーにはもう敵意は感じられなかった。
「それで、こんなにひどく、誰にやられたの?」
シーファが訊く。
「あの『ハングト・モック』が召喚した魔法生物さ。馬鹿みたいに強くてね。あたしひとりじゃあ歯が立たなかった。あんたらも欲の皮をつっぱらかすのはやめて引き上げた方がいい。冗談抜きで、相手が悪すぎるよ。」
キャシーがそう勧めている時であった。洞穴のさらに奥から、ひたひたと足音が聞こえてきた。
「さぁ、おいでなすったよ!逃げるなら今しかない。」
逡巡する4人の少女たちの前に、金の番人が姿を現した。シーファの灯す魔法の灯火の中で、その脅威は異形の姿をあらわにする。
* * *
それは、背丈こそハングト・モックと同じくらいの、1メートルそこそこの小人のものであったが、強健な一対の角を備えた牛の頭部に、人間の腕、牛の脚と尾をもつ異形で、腰巻の布で隠された部分の他は、流々とした筋肉をたぎらせていた。その両の手には巨大な斧が握られている。ミノタウルスだ!
それは少女たちをみとがめると、けたたましい鳴き声を上げた。戦慄するようなその声は、洞穴中に響き渡り、あたりの空気を激しく振動させた。キャシーをかばうようにして身構える4人。その距離はじりじりと詰まっていく。
「やるしかありませんね!」
そのカレンの言葉に、少女たちは頷いて答えた。めいめい、利き手に得物を携え、ミノタウルスとの距離を慎重にはかる。はじめに均衡を破ったのはシーファだった。彼女は十分に輻輳を効かせて威力と速度を高めた『火の玉:Fire Ball』の術式を繰り出す!火球は複雑な軌道を描きながら、ミノタウルスの身体を捕えようと飛びかかったが、なんとその異形は手にした斧で火球をかき消してしまった。
リアン、カレンが続けて、氷と雷の術式を繰り出すが、同様に斧でかき消されてしまう。どうやら、それが手にしている斧には魔法よけの特別な術式が施されているようだ。
「言っただろう。こいつを相手にするにゃ、魔法使いじゃ分が悪すぎる。」
少女たちの後ろで、キャシーが苦々しく言った。
「それならば!」
エレクトの斧を構えたアイラがさっと前に飛び出した。その後ろから、リアンが『武具拡張:Enhanced Weapons』の術式で援護している。耳を裂くような鋭い金属の衝突音がして、アイラの斧とミノタウルスの斧が衝突した。つばぜる双方の刃の間で、魔法光がまばゆい火花を散らす。離れては打ち、打っては離れるが、得物どうしがかちあうばかりで、決定打を得ることができない。その間にも、シーファたちは次々と術式を繰り出すが、その身体を捕えることはできず、魔法よけの斧に阻まれるばかりであった。打ちあうアイラにも疲れが見え始めた。
再度、アイラが距離を詰めて、下から救うようにエレクトの斧を払い上げると、ミノタウルスは大上段の構えから勢いよくそれに打ちかかった。再度、大きな金属の衝突音が響き渡って、両方の刃が激突する。アイラの手にするエレクトの斧は、上から力任せに振り下ろされた魔法よけの斧の衝撃に耐えられなかったのか、刃が粉々に砕けてしまった。斧を持つ手にひどい衝撃と痺れを感じながら、アイラは後方に宙返りをして、ミノタウルスからさっと距離を取った。優勢を感じ取ったのか、それはまたもや大きな咆哮を上げ、巨大な両手斧をぶんぶんと振り回しながら、少女たちに迫って来る。
その時だった!以前ダイアニンストの森で、シーファとリアンを人質に取った赤桃色の煙がその異形の周囲を覆ったのだ。ミノタウルスは、手にした魔法よけの斧でその煙を払おうとするが、四方八方から立ち込めるその全部を払いのけることはできないようで、次第に目がうつろになっていった。やがて、その目に怪しげな呪印が浮かび、斧を掲げる手をだらんとおろして、ひざをついた。
「何をやってるんだい!今だよ!」
少女たちの背中から、キャシーの声がこだまする。それを聞いてアイラは構えを新たにして詠唱を始めた。その拳が魔法光に包まれ、まばゆい光をはなつ光の塊のようになる。刹那、アイラはさっと身をひるがえすと、その拳を、動きの止まったミノタウルスめがけてまっすぐに繰り出した!骨の砕けるような鈍い音がした後で、その異形はしばらく痙攣した後、ひざからその場に崩れ落ちて、その後動かなくなった。武具を失ったアイラは、なんと魔法によって自分の拳を『武具拡張:Enahanced Weapons』したのであった。
異形の魔法生物の動きを止め、有効打の機会を与えてくれたのは、他でもないキャシーだった。彼女は、魔力枯渇を起こす寸前の状態でよろよろとしながら、4人を見やっている。
「ありがとうございます。」
思わずそう声をかけたシーファに、
「なんてことないさ。こういう術式は得意だからね。しかし、奴の動きを止められたところで、あんたらがいなきゃ、あたしひとりじゃとどめはさせなかった。おあいこだよ。」
そう言ってキャシーは笑った。怪物の意識を奪うには相当の魔力が必要だったようで、彼女は弱々しくそこに膝をつく。リアンは、リリーからもらった急速魔力回復薬を急いで彼女に与えていた。アンプルの瓶を割るとそれを一気に飲み干すキャシー。やがて彼女の身体に魔力が戻ったことを知らせるほのかな魔法光がともった。
「何のつもりだい。あたしたちは、金を奪い合う敵同士だよ。敵に塩を送るなんて、いったい…。」
その言葉をシーファが遮った。
「これでいいんです。ひとまず金を探しましょう。」
キャシーは驚いたようだったが、静かに頷いて答えた。
「カレン、調べてみてくれる?」
「ええ。」
そう言ってカレンが『ハングト・モックの瞳』をのぞくと、視覚に浮かぶ立体地図は、彼女たちがいるもう少し先を示していた。カレンはゆっくりとその場所に近づくと、
「ここです。」
と言って指さした。少女たちが、術式やら獲物やらを駆使して地面を掘ると、そこは何度も掘り返されたのでろう、土がさっくりと柔らかく、瞬く間に大穴が口を開けた。その中には、確かに金の山が鎮座していた。
「掘れば掘るほど出てきますね。」
その量にカレンは関心ひとしおだ。やがて、その全量であろうという金がその場に姿を現した。その場にいる誰もが、その光景にあっけにとられていた。驚きと沈黙があたりを支配する。その静寂を破ったのはシーファだった。
「で、どれくらい必要ですか?」
キャシーは最初その意味が分からないようだった。
「この金を私たちで山分けしましょう。サナトリウムの運営にはどれくらい必要ですか?」
再度訊ねるシーファ。それを聞いてキャシーは目を丸くして言った。
「あんたらは本物の馬鹿なのかい?目の前にこれだけの金があるんだよ。それをむざむざあたしによこそうってのかい?どうかしてるよ。」
「もちろん、全部お譲りすることはできません。私たちも仕事なので。でも、あなたと分け合いたいと思います。どれくらいご入用ですか?」
「おかしなことをいう小娘だよ。そうさね。半分ももらえれば数年は困ることがないよ。あんたたちとあたしとで折半、というのはどうさね?」
キャシーはそう提案してきた。半分というのは結構な量である。しかし、その使い道がわかっている今、少女たちにためらいはなかった。
「わかりました。そうしましょう。」
そう言うと、シーファは自分の荷物の中からおおぶりの革袋を取り出し、そこに金を詰めていった。金の量がずいぶんであるため、半分取り分けるには、一袋では足りなかった。リアンが、横からシーファに自分の革袋を差し出した。シーファは頷いてそこにも金を詰め込む。瞬く間に革袋ふたつが金でいっぱいになった。それでもまだ半分には届かない。カレンが自分の革袋を差し出そうとしたところで、キャシーが言った。
「それで十分だよ。ありがとう。あとはあんたらの取り分さ。持ってお行きな。」
「でも、まだ半分には届きませんよ。」
シーファのその言葉の通り、すでにずいぶんな量が革袋に移されていたが、それでもまだ半分には至っていなかった。
「いいのさ。あとはあんたらに対するあたしの謝罪だと思ってくれ。これまであんたらを殺そうとしたのは本当だからね。そのせめてもの詫びと罪滅ぼしだよ。いずれにしたって、これだけあればあの子たちに不自由はさせなくて済む。ありがとう。」
そう言うと、キャシーは革袋を二つを両手にぶら下げた。
「この世知辛い魔法社会に、あんたらみたいなのもいるんだね。少しばかり、人生というやつも悪くないと思えてきたよ。今更返せと言っても駄目だからね。これはもらっていくよ。」
キャシーはそう言うと、少女たちに向かって頭を下げた。
「いいんです。こちらこそ、あなたのことを誤解していていてごめんなさい。」
「よしてくれよ。誤解じゃあないんだ。あたしは本当に悪党だからね。誰にでも牙を剥く野獣みたいなものさ。ただ、あんたらに会えたことはよかったと思ってるよ。それじゃあ、悪いけどあたしはもう行くよ。腹を減らした子どもたちが待ってるんでね。」
そう言うと、キャシーは『転移:Magic Transport』の術式を展開して、その場から姿を消した。その魔法光が消えるに伴って、あたりに静けさが広がる。通路から漂ってくる不快な匂いだけが彼女たちの感覚を捕えていた。
* * *
「よかったんですか?」
カレンが笑顔でシーファに訊ねた。
「ええ、もちろん。でも、みんなの報酬がずいぶん減っちゃったのは申し訳なく思ってるわ。」
その言葉を聞いて、3人の少女たちは首を優しく横に振った。
「さぁ、では仕事をしましょう。リアン、残った金をリリーさんのところに転送してちょうだい。」
シーファの促しを受けて、リアンが『転移:Magic Transport』の術式を行使した。金の山は魔法光に包まれ、やがて光の粒となって中空に消えて行く。転送は成功だ!カレンは通信式光学魔術記録装置を取り出してリリーとの連絡をはかった。
「もしもし、ご苦労だったわね。」
機器越しにリリーの声が聞こえる。
「確かに金は受け取ったけど、ずいぶん量が少ないじゃないのさ。あなたたち、まさかネコババしたんじゃないでしょうね?」
「そんなことはありません。ここにある分はすべて転送しました。」
そう答えるカレン。
「『ここにある分は』ね?そう…、賢い子は嫌いじゃないわ。約束通り、報酬は金の量に比例した応分よ。それは覚えているわね。」
「はい、承知しています。それで構いません。」
「わかったわ。それじゃあ、気を付けて帰ってきてちょうだい。」
「はい。では、後ほど。」
こうして通信は終わった。
「じゃあ、帰りましょう!」
シーファのかけ声に従って、少女たちは、洞穴の入り口に向けて歩みを進め始めた。来た時と同じ異様な臭気が鼻をつく。足元の粘着質もあいかわらずであったが、それとは対照的に4人の心は晴れやかだった。
* * *
洞穴を抜けると太陽はもうずいぶんと西に傾いていたが、それでもふもとまで降りるには十分な高さを保っていた。山肌の足元の悪さはずいぶん改善し、むき出しの岩場の表面も、ぬかるんだ土も照り付ける夏の陽によって乾きかけていた。そのため、登りに比べれば、ずいぶん軽やかに下ることができた。ただ大荷物のリアンだけはふらふらよろよろとしていたが、アイラがその身体を後ろから巧みに支えている。ふもとでキャンプを展開して一泊した翌日、彼女たちは『ダイアニンストの森』を抜けて、タマン地区に戻り、更にそこで一夜の宿を求めてから、リリーの店に向かった。
リリーは、金の量にずいぶんと不満足の様子であり、報酬を半分近くにまで減額してきたが、事情を知ってか知らずか、それ以上は何も言わなかった。アカデミーに帰った4人は、ウィザードに提出する報告書を作成した。キャシーとの顛末について詳細は伏せることとし、ただ一言、「『裏口の魔法使い』キャシー・ハッターについては、以後の脅威は解消された。」とだけ記載することにした。
それを読んだウィザードは、4人とキャシーとの間に何事かあったのであろうことを察したようではあったが、あえて何も聞かずに報酬を与えた。もちろん、その額は大きく減額されていたわけだが、少女たちに悔いの表情は見られなかった。
夏の終わりが近づいている。天空をかける太陽は西へと急ぐようになり、夕方には、茜色の光をまばゆく放ちながら燃え落ちるようにして沈んでいった。吹きゆく風はなお熱量を保っていたが、秋の訪れを感じさせる寂寥感を漂わせている。濃紺と紅がせめぎあう地平のかなたで、星々が白く光り輝いていた。夜空を星座と月が彩っている。もうじき夏期休暇が明け、新しい学期が始まるのだ。
価値あるものとは何であろうか?それはきっと、何を持つかではなく、何に用いるか、それにかかっているのであろう。満額の報酬よりも大きな何かを手にした彼女たちの背中を、3階の角部屋から茜色の瞳が暖かく見送っていた。
まもなく秋が来る。
第9話『帰ってきた青春』
ぼんやりとした魔法光の照明に照らし出される神秘の空間を、お香とアルコールの香りが包んでいる。今日はいつものカウンターでめずらしくウォーロックとウィザードのふたりがグラスを傾けていた。その向かいではエメラルドの瞳がやさしくふたりの世話を焼いている。
「ねぇ、先生。」
「なんだよ、急に。気持ちわりぃな。」
「まぁ、ずいぶんじゃない?」
ウォーロックは微笑んで、ウィザードの顔を覗き込んだ。
「いや。何ていうか、あんたには小さい頃から色々と世話になってきたからな。改めて先生なんて言われると面はゆいんだよ。」
「あら、そうなの?」
ウォーロックはころころとわらった。ウィザードはバツが悪そうにうつむいている。
「なんだよ、酔ってるのか?」
「少しね。」
「で、どうしたんだよ?」
「ねぇ、先生。私を高等部に編入させてくれない?」
ウォーロックは驚くようなことを言った。
「編入って、アカデミーの学徒になりたいってことか?」
「ええ、そう。知っての通り、私は高等部に進級してすぐに『裏口の魔法使い』としてアカデミーを追われることになったから。私の高等部生活ってば3か月しかなかったのよ!」
「それは知っているけど…。」
ウィザードは昔の日々を思い出していた。
「だから、もう一回、失われた青春を取り戻したいのよ。」
ウォーロックの言葉に力がこもる。
「そう言われてもなぁ。」
「ねぇ、先生。お願い、なんとかならないかしら。」
橙色の瞳は酔いと真剣さの間を揺蕩っている。
「でも、あんたアカデミーは嫌いだったじゃねぇかよ。中等部の時なんてさぼりまくりだったし…。」
怪訝そうに言うウィザード。
「そうね。大切なことって、失ってはじめてわかるものなのよ。あなたたちと一緒に過ごせる時間がどれだけ貴重なものであるか、当時の私には分からなかったわ。若かったのね。」
ウォーロックは神秘の空間の虚空を仰いで言ってから、大きく一つため息をついた。
「だからね。もう一度取り戻したいの。失ってしまった大切な時間を…。」
そう言う瞳には、酔いによるものとは違う潤みが感じ取れた。ウィザードは仕方ないとといった風に返事をする。
「わかったよ。約束はできねぇけど、やるだけやってみるさ。明々後日、あたしの執務室を訪ねてくれ。それまでにはなんらかの方法を見つけるよ。」
「本当!」
潤んでいた、その瞳がいっぺんに輝きを取り戻す。
「で、あなたの執務室ってどこかしら?」
「例の、3階の角部屋だよ。」
「まぁ、教授の部屋で執務しているの?」
「ああ、なりゆきでな。」
「それじゃあ、窓から入らないと失礼になるわね。」
ウォーロックはいたずらっぽく言った。
「バカ言わないでくれよ。それは駄目だ。ちゃんとドアから入ってこないと即刻退学にするからな!」
「ふふ、わかってるわよ。」
笑いあうふたり。ウィーザードが言葉を続ける。
「ただ、簡単じゃあないから、あんまり期待しないでくれよ。」
「うん、ありがとう。さすがは先生ね。」
そう言うと、ウォーロックはウィザードに抱き着いて、頬を摺り寄せた。
「よせよ。恥ずかしいじゃねぇか…。」
「いいじゃない。こうしていられる時間も貴重なのよ。」
「しょうがねぇな…。」
その光景を見守るエメラルドの瞳。神秘の空間では外とは違うかのようにゆっくりと時間が流れていた。まもなく9月を迎えようというそんな時節であった。
* * *
翌日の朝、ウィザードとシーファは練習場に出て朝の教練を行っていた。その日もずいぶんと熱がこもっている。シーファが何事かをウィザードに頼んでいるようだ。
「なんだって!空中戦がやりたい!?」
驚いた声を上げるウィザード。シーファはその茜色の瞳を真剣に見つめていた。
「はい、空中戦を会得して、エキシビション・マッチで高等部生に挑戦したいんです!」
シーファは自分の胸の内をきっぱりとウィザードに告げた。
「お前、自分の言っていることが分かっているのか?『虚空のローブ』を身に着けて空中戦をすること自体が、中等部生にとっては相当に骨の折れることなんだぞ。まして、それで高等部とやりあおうなんて、過信が過ぎるんじゃないか?」
言い聞かせるようにしてウィザードは言った。
「無茶は分かっています。でも、先生も中等部の時に、空中戦を展開なされたのでしょう?私も、自分の限界に挑戦してみたいんです。」
シーファは真剣そのものだ。
「確かに、あたしも中等部時点で空中戦をやったが、相手が稀代の天才であったとはいえ中等部同士の対戦だ。それをお前は高等部とやろうってんだろう?そんな無茶しなくたって、模擬戦では、お前が地上戦を選択すれば相手の方でそれに合わせてくれるんだから、無茶する道理はないだろうに?」
そう言って、ウィザードはシーファを諫めようとする。だが、シーファには厳然とした覚悟があるようだ。
「それではダメなんです。これまで何度か実践を経験してきてわかったんです。この魔法社会で本当に通用するようになるためには、もっともっと強くならなければならないということが。リアンやカレンとこれから一緒に仕事をしていくうえでも、私は力を磨いていかないといけないんです。」
そう語る瞳は、その決意が単なる思い付きではないことを示していた。
「まったく、どいつもこいつも無茶ばかり言いやがる!」
いよいよ困ったという具合にウィザードは言った。
「いいか。空中戦は地上戦とは全く違う。地上戦では平面的な空間把握で事足りるが、空中戦では自分の位置と相手の位置、それから繰り出される魔法効果の位置関係を立体的に捉えることができなければならないんだ。加わる軸は一つだけだが、考えることは段違いに増えるんだぞ。生半可な覚悟だと怪我をしてそれで終わりだ。分かっているのか?」
「はい!」
真剣な声でシーファが答える。
「しゃーねぇな。『虚空のローブ』を用いた飛行それ自体は他の学科できちんと学んでいるだろうから、飛ぶこと自体は問題ないだろう。とりあえず明日、現状のお前の空中戦の適性を見てやるから、話はそれからだな。」
「ありがとうございます!」
ウィーザードの提案を聞いて、シーファは深々と頭を下げた。
「とりあえず、『急速魔力回復薬』をいくらか用意してこい。空中戦の最中に魔力枯渇を起こして墜落したら大ごとだからな。」
「わかりました。」
幸い、シーファの手元には、これまでリリーからの仕事をこなす際に受け取った急速魔力回復薬がいくらかあったのだ。
「ありがとうございます、先生。」
シーファはそう言って、再度頭を下げた。
「無茶を聞いてやるのは今回だけだぞ。いずれにしても、明日お前の適性を見てからだからな。まずはしっかりと飛ぶ練習をしておけよ。」
「わかりました。きっと、ご期待に沿って見せます!」
そう言って、ふたりはその日の朝の練習を終わりにした。
秋の日はゆっくりと東から天上へと歩みを進めて行く。午前の講義の始まりはもうすぐだ。シーファは急いで着替えを済ませ、教室棟の方に駆けて行った。
アカデミーにおける年中行事の内でも最大の盛り上がりを見せる『全学魔法模擬戦大会』がまもなく9月に実施される。シーファとウィザードは、現在そのための準備に勤しんでいた。ニーアとの一件を経て、シーファは今年の中等部1年のウィーザード科の個人戦代表選手に選抜されていたのだ。通常、中等部の1年生は、飛行をしない地上戦を行うのが一般的であったが、シーファはその限界を越えようとしているのである。
9月になると同時に、新学期がスタートするが、そうすれば大会まではすぐであった。各科の練習フィールドのあちこちで、その教練の厳しさとそれに向かう熱量は大きくなっていた。
* * *
それから2日後、ウィザードの私室を訪ねる女性の姿があった。彼女は複雑な思い出の詰まったそのドアをノックする。
「入れ。」
その声に促されて入室した。その部屋は、以前に窓から忍び込んだ時とは随分違っていて、執務机の上に散乱していた破廉恥な魔術記録はすっかりなくなり、机上は清潔に整頓されていた。
「失礼します。」
「よく来てくれたな。」
ウィザードはその人物を面談スペースのソファに座らせた。
「ここも、ずいぶんと変わったものね?」
あたりを見回しながら、訪問者が言う。
「あたしが使う以上、あのままってわけにもいかないからな。」
そう言ってウィザードは笑って見せた。
「で、なんとかなりそう?」
「ああ、あんたの編入自体はできる。でもな…。」
「でも?」
「あんたは『スカッチェ通り南市街区の惨劇』の後にアカデミーによって抹殺されたことになっている。さすがにその記録は消しようがなくてな。それで、あんたが嘘を嫌いなのは知ってるんだが、申し訳ないけれど別人として編入してもらうことにした。」
そういうと、ウィザードはその人物の前に数枚の書類と1枚の魔術記録を差し出した。
「あんたの新しい名前は、ユイア・ハーストハート。ウォーロック科の高等部1年生だ。悪いけど、そういうことにして欲しい。」
「ありがとう。私のために、いろいろごめんね。」
ユイアと名付けられた少女はそう言ってウィザードに頭を下げ、謝意を伝えた。
「よしてくれよ。大昔、あんたに助けられた借りを今返しているだけなんだから、気にしないでくれ。」
「先生は本当に優しくて、学徒思いなのね。」
ユイアはその顔に笑みをたたえた。
「お世辞を言ったって何も出ないぜ。」
そう言って、話を続けるウィザード。
「ただ、あんたの編入にあたってはいろいろと条件がある。まず、いきなり正科生として編入させるのは無理だから、とりあえず3か月の留学生という名目だ。その後も続けて在籍したい場合は、すまないが編入試験を受けてもらう。」
「また、あれをやるの!?」
ユイアは目を丸くしてそう言った。どうやら彼女の試験嫌いはまだ治っていないようだ。
「そうだ。留学生なら無試験での在籍も可能だが、正科生ということになると、どうしても高等部編入試験を受けてもらわざるを得ない。でも、以前高等部に上がった時と基本的には同じ内容の試験だからそんなに難しくはないはずだぜ。」
「また、あれかぁ。正直気が重いわね。」
ウィザードの言葉にやれやれといった面持ちで返すユイア。
「3か月の期限付きを選択するもよし、試験を突破して正科生になるもよし。選択はあんたに任せるよ。」
「わかったわ。ありがとう。で、他にもあるの?」
「ああ。まだある。学内の行事には基本的に参加してもらえるが、まもなく開催される『全学魔法模擬戦大会』を含めて、魔法模擬戦への参加は制限付きだ。なんせ、あんたはバカ強いからな。一種のハンデだと思ってくれ。もちろん、一切参加できないというわけじゃあない。少なくとも、留学生扱いの段階では、エキシビション・マッチについてだけは参加できる、そう理解してくれるといいよ。」
「わかったわ。それはあなたの言うとおりにするわ。他には?」
「もう一つは、まぁ、あんたも当然心得ているとは思うが、正体を絶対に明かさないこと。『天使の卵』や『アッキーナの卵』のことが知られるのは面倒この上ないからな。」
「実はおばさんだって、ばらすなってことね?」
ユイアはいたずらっぽくそう言った。
「まぁ、そういうことだ。この辺りについてはあんたを信用しているよ。」
「ありがとう。で、あなたが私の面倒を見てくれるのかしら?」
「いや。魔法学の講義についてあたしが行うが、あんたの所属は基本的に暗黒魔導士科だから、担当科の教授があんたの面倒を見るよ。そんなわけで、細かい配慮はしてやれないから、特にあんたの正体についてはくれぐれも注意してくれ。頼むぜ。」
ウィーザードはそう言って念を押した。
「わかったわ。本当にありがとう。これで、もう一度失われた時間をやり直せるわ。先生、感謝してる。」
「おいおい、よしてくれよ。これであたしたち4人は、いろいろ立場は違うが、再度ここに集まったんだ。楽しくやろうぜ。」
そう言うと、ウィザードは手を差し出した。その手を取ってユイアは深々と頭を下げる。
「本当にありがとう。先生、よろしくね。」
「こちらこそ。ユイア・ハーストハート君。」
そう言って、いつものウィンクらしい合図をするウィザード。
秋の日がゆっくりと西に傾いていた。暑さはまだまだ一向になりを潜める気配がないが、それでも、空気の気配や吹き抜ける風の中に秋の到来が感じられるようになっていた。
まもなく、『全学魔法模擬戦大会』の開催日が訪れる。
* * *
そして、ついにその年の『全学魔法模擬戦大会』の当日が訪れた。
新学期からの編入生であるアイラとユイアについてであるが、錬金学部に所属するアイラはこの大会に選手として参加することはなく、観客として声援を送っていた。その傍には、リアンとカレンがいる。対するユイアは、ウィザードの計らいによって、全試合の結果が出揃った後に行われるエキシビション・マッチに参加する運びとなっていた。それは、高等部1年生以下の、各科各学年の個人戦の優勝者からの挑戦を受けるというものであった。
試合は、選手と観客の熱気に包まれる形でどんどんと進行していく。この試合のために教練を重ねてきたシーファは、決勝戦まで駒を進め、そこで、ソーサラー科のクレアという少女と対戦することになった。
その試合は実に見ごたえのあるもので、常時一進一退の接戦であったが、最後にクレアが放った大技が間一髪シーファの術式よりも早く彼女の身体をとらえ、シーファは惜敗したのである。
その後、クレアは捨て身の攻撃によって魔力枯渇を起こしたが、判定が確定してからのことであったため敗北とはならず、結局にして中等部1年生の個人戦は、クレアが優勝、シーファが準優勝となった。クレアが魔法枯渇を起こした以上、勝負としてはその攻撃を耐え抜いたシーファの勝ちであったが、ルール上、結果は変わらなかった。
そして、ついに、エキシビション・マッチの段を迎える。クレアの魔力枯渇は深刻で、すぐに戦線に復帰できる状態にはなかったため、繰り上げで、シーファがエキシビション・マッチの挑戦権を得ることとなった。そこで彼女は、高等部1年に編入したばかりのユイアを対戦相手として指名した。
今、両者は『虚空のローブ』を身に着けて、競技フィールドの中央に進み出ている。ウィザードの教え子であるシーファと、ウィザードの親友であるユイアとの対戦である。もちろん、ウィザードとユイア以外にその事実を知る者はいないわけであるが、今年のウィザード科のホープと、新学期になって姿を現した留学生ウォーロックとの対戦に、会場全体が大きくわいていた。まもなく、その戦いの火ぶたが切って落とされる!
「エキシビション・マッチ、無差別級!中等部1年代表代行対高等部1年留学生。一本勝負。用意!」
審判の声がこだまする。シーファとユイアのふたりは空中で身構え、次の声に備えている。
「はじめ!!」
そしてついに試合が始まった!
シーファは、後ろ手に大きく距離を取ると、高度を変えながらユイアの周囲を旋回するように移動している。かつてウィザードがとったのと同じ戦略を採用するようだ。高速旋回を続けながら、防御術式を幾重にも展開していく。ユイアはその動向を注意深く見守っていた。
最初に仕掛けたのはシーファだ。『砲弾火球:Flaming Cannon Balls』の術式を繰り出す。ウィザードとの練習の成果は着実に実を結んだようで、高い威力を維持したまま、輻輳の効いた十分な数の火球が複雑な軌道を描き、緩急の効いた速度変化を生じながらユイアに多角的に迫っていく。その動きは実に立体的で、回避は難しそうだ!
他方のユイアは空中の1点に静止して、回避行動を見せるそぶりがない。次々と多段的にシーファの繰り出した火球がその身を襲っていった!全弾が命中する、だれもがそう思ったその時だった。ユイアの周囲に小さな複数の障壁がいくつも同時に展開されて、幾重にも連続的に襲い掛かる火球をすっかり防いでしまった。その障壁はユイアの身体の周りを様々な方向に向かって円周を描くように動く、まばゆい魔法光を放つ魔法陣型のもので、それらは火球を迎え受け止めるように移動した。そこに命中した火球はそのエネルギーを奪われ、障壁の光とともに消失していく。いうなれば、それは多重的なピンポイント障壁の同時展開であり、大きな障壁でいくつかをとらえ、それで防ぎきれない分を回避で賄うという従来のアプローチとは全く異なる防御戦術であった。
「わあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
その見事な攻防に観客席から大歓声が上がる。中等部1年生とは思えないシーファの巧みな攻撃、それを予想外の方法によって防ぎ切ったユイアの卓越した防御、両者の思いもかけないやり方の駆け引きに観客は興奮を隠せないようだった。リアン、カレン、アイラの3人も各々大きな声を上げてシーファを応援している。
「あれが、シーファちゃんか…。やるわね。さすが、彼女の教え子だわ。」
ユイアはなおも空中を旋回するシーファの姿を追っている。
「今度はこちらの番よ!」
『閃光と雷を司る者よ。法具を介して助力を請わん。我が手に雷を成し、敵を撃て!拡張された招雷:Enhanced Lightning Volts!』
彼女が放ったのは、基本魔法威力を強化した『招雷:Lightning Volts』の術式であった。けたたましい雷鳴とともに、周囲は激しく明滅して、そのたびに幾筋もの稲妻がほとばしっていく。
シーファはきりもみ上に蛇行飛行しながら、その稲妻の襲撃をかわしていった。幾筋かはその身体をとらえるが、旋回中に展開していた多重障壁で防御する。しかしそれでも3筋ほどの稲妻にからめとられた。
魔法光掲示板が青字(ユイア側)で40と表示する。
シーファはなおも動きを止めることなく旋回を続けた。失われた防御障壁を更に多重に展開しているようだ。ユイアとの距離を近づけたり、遠ざけたり複雑で立体的な動きを繰り広げるシーファ。次に、彼女は一度ユイアと大きく距離を取ると、急加速して一気にその距離を詰めた!その利き手には得意の得物であるルビーのレイピアが握られている。白兵戦による奇襲を仕掛けたのだ!
不意を突かれたユイアに一瞬のためらいが見えたものの、彼女もまた手にした法具である雷のロングソードを携えてそれに応じた。金属のかち合う鋭い音がして、ふたりは空中で激しくつばぜりあう。観客席からの歓声が一層大きくなった。
次の瞬間、ユイアは剣を持っているのとは反対の手で『衝撃波:Shock Wave』の魔法を繰り出した。つばぜりあいに意識をとられていたシーファは防御が間に合わず、それを受けてフィールドに墜落する。直撃だった。魔法光掲示板が青字で70と表示する。やはりユイアは強い。シーファの顔に焦りが見えた。しかしその口元はかすかな微笑みをたたえており、彼女はこの戦いを存分に楽しんでいるようだ。
シーファは身体を起こすと、地上から上空のユイアめがけて術式を行使した。
『火と光を司る者よ。法具を介して助力を請う。我が手をして炎熱の光線をなさしめよ。それらを剣にかえて我が敵を打ち払わん。炎熱光線撃:Heating Light Laser!』
シーファの手に緋色の光が周囲から集まり、凝縮したエネルギー光を形作っていく。刹那、そこから堰(せき)を切ったように稲妻にも似た炎熱の光線が幾筋もほとばしり出た。それはその名の通り、光の速さでユイアに迫っていく!ユイアはまたしても複数の障壁を多層的に同時展開してそのほとんどを退けた。しかし、その炎熱光の貫通力は火球の比ではないようで、かち合った魔法障壁を重く押し破るようにして貫通し、その幾筋かは彼女の身体を打った。ユイアは防御行動をとりながら、地上のシーファを見つめている。
「ふふ、なかなかやるじゃない。お見事よ。油断は禁物ね!」
そういって、不敵な笑みを浮かべた。彼女もまたこの戦いに満足しているようである。
魔法光掲示板が赤字(シーファ側)で40と表示する。
「おおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
中等部の1年生が高等部生に攻撃を的確に命中させたことで、会場は大いにどよめいていた。リアンたちも固唾をのんで試合の行方を見守っている。汗ばんで握るその手には自然と力がこもっていた。
シーファは、地上から一気に加速して空中に舞い戻り、ふたたびレイピアによる白兵戦を仕掛ける!今度はその切っ先がユイアのローブをとらえた。わずかだが損傷が入る。
魔法掲示板は赤字で60と表示した。60対70、接戦だ。いずれにせよ。次に攻撃を直撃させた者がこの試合を制するだろう。対峙するふたりはもとより会場全体に緊張が走る!
シーファはこの夏ウィザードに言われたことを思い出していた。威力を制御と輻輳に割くのではなく、威力の上に制御と輻輳を載せること。輻輳は威力増強ではなく要素の数の増加に回すこと。そしてそれらを複雑巧みに制御すること、茜色の瞳は何度もそれを教え込んでくれた。
そのことを思い出し、一度ユイアから距離を取ると、彼女は詠唱を始めた。ユイアはシーファの出方をじっと見守っている。
『火と光を司る者よ。法具を介して助力を請う。我が手に数多の火球を成さしめ、それを円舞させん。踊り狂う炎の群れによって我が敵を焼き尽くそう。火球円舞:Dancing Storm of Flaming Bullets!』
詠唱が進むとともに、彼女の周辺に夥しい数の火球が生成され、その体を取り巻いていった。その数は『砲弾火球:Flaming Cannon Balls』よりもはるかに多数であり、それらは彼女の周囲を多重ジャイロのように複数の円周を描きながら回転してく。その様はまさに火球による円舞であって、複雑かつ緩急が効いており、その上に1つ1つの威力も十分に高く保たれていた。火球とそれが引く光の尾が、夕暮れに差し掛かったあたりに緋色の軌跡を美しく描き出していた。詠唱の終わりと同時にそれらの火球を一気に解き放つシーファ。火球の群れは、その名の通り、踊り狂うようにしてユイアに迫っていった。その速度は炎熱光ほどでこそないものの火球としては十分な速度あり、また緩急も多様で、多角的な立体軌道を描きながら対象に襲い掛かっていく。
ユイアは、今度は、小さな障壁を複数同時展開する代わりに、自身の周囲を完全に覆う球体状の巨大な魔法障壁を繰り出して防御にあたった。その防御術式は実に効果的で、圧倒的な数で休む間もなく連続的に襲い掛かって来る火球の狂乱を巧みに防いでいった。しかし、シーファの繰り出した火球の数はあまりに多く、その万全の障壁は次第に不安定になって綻びを見せ始める。だが、なおも火球の襲来は続く!やがて、障壁は部分部分が破損してそこから火球が侵入し、ユイアの身体を打っていった。そしてついに、その障壁は完全に崩れて、残った火球の全弾が彼女に命中した。空中で防御姿勢をとりながら、ユイアは結局その全てを受けきってなおそこに留まっていたが、しかし、魔法光掲示板は赤字で100を示していた!
「わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
会場全体が大きな振動をともなってどっとどよめく。シーファの攻撃によってユイアが撃墜されるということはなかったが、試合のルールとしては、シーファに軍配が上がったのだ!
シーファは肩で大きく息をしながらも、魔法光掲示板を見て、歓喜の表情を浮かべている。対するユイアは、驚きと満足の入り混じったような顔で、シーファを見つめていた。
観客席では、ウィザードが、その茜色の瞳を輝かせて、全身で喜びを露わにしていた。その目尻には熱いものが込み上げていた。シーファはこの夏の教えをよく守り、見事に実践して、試合形式であるとはいえ、事もあろうにあのウォーロックを撃退したのだ。その事実はウィザードの心の中に大きな感動をもたらし、教え子を誇り高く感じさせていた。
見ごたえ十分な試合を披露したふたりの競技者がフィールドの中央によって握手を交わす。すがすがしい光景だ。
「シーファちゃん、さすがは先生の教え子ね。見事だったわ。私の完敗よ。」
そう言って微笑みかけるユイア。
「いえ、あなたは結局全弾を耐えきりました。試合には私が勝ちましたが、勝負という意味では私の負けです。お強いですね。」
小さく首を横に振りながら、シーファはそう答えた。
「そんなことはないわ。もっと自信をもっていいわよ。今日はありがとう。」
再び固く握手を交わした後、ユイアがシーファの手を上に掲げる格好で、観客に向けて挨拶をした。会場がどっと大きな歓声が上がる。見事なエキシビション・マッチで、その試合はしばらくアカデミーでの語り草となった。
まだまだ日差しのもたらす熱は暑いが、それでも吹き抜ける風は確実に秋の到来を告げていた。西に沈む日は早く、そして一層赤さを増し、地平線の境界で燃えるような色を揺らめかせていた。
今年の『全学魔法模擬戦大会』が静かに終わりを告げて行く。あたりには、わずかだが秋虫の音が聞こえ始めていた。
* * *
ところ変わって大会後のアーカム。
ウォーロックとウィザードのふたりはまたしてもこの神秘の空間でともにグラスを傾けていた。
「なぁ、あんたが負けるなんて…。手加減したのか?」
ウィザードはそう訊いた。
「まさか、あなたの大切な教え子相手にそんな嫌味なことしないわよ。あれはシーファちゃんの努力と、あなたの指導のたまものよ。あの障壁で防ぎきれると思ったんだけど、思う以上に彼女の術式は強力だったわ。あの輻輳の効かせ方と制御の巧みさは、さすがあなた仕込みね。」
ウォーロックはそう言って、微笑んで見せた。
「そう言ってくれると嬉しいぜ。あいつはいい素質をしている。これからも伸ばしてやりたいと思うんだよ。」
照れくさそうにウィザードが言った。
「学徒思いのいい先生ね。」
「よせやい。」
そう言うウィザードの肩にウォーロックは自分の頭をそっと寄せた。
アーカムの不思議な空間があたたかい雰囲気に包まれていく。新しいメンバーを加えてアカデミーの新学期がスタートした。彼女たちを今度はどのような出来事が迎えることになるのか。
ふたたび運命の時計は新しい時を刻み始めていた。
その光景をエメラルドの瞳が優しく見守っている。
― 完 ―
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