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AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第2集その9『それぞれの想い』

「こちらが、問題の魔法拡張空間への入口です。」
 2階の長い廊下の突き当たりにある、総鏡張りの壁面を前にウィザードが説明をした。そのガラスの壁面の秘密を知らない者は、その言葉に驚きを隠せないでいる。
「と、おっしゃいましてもですな。どうみてもこれはただの鏡で、それに手前の景色が映っているにすぎません。触ってみてもですな、ほれ、この通り、鏡があるばかりです。この先に魔法拡張空間があるなど、にわかには信じられませんが。」
 リック事務長は相変わらず手にした手ぬぐいで額の汗を頻繁に拭いながらいぶかしがっている。
「それでは…。」
 そう言うと、ウィザードは昨晩リアンが教えてくれた方法を実践してみせた。鏡に一度背を預けてから5歩前に進み、左に180度向きを変えてから、一気に鏡に向かって突き進む。彼女の身体が鏡面に接したその瞬間、水面に広がる波紋のような魔法光が同心円状に走った後、彼女の身体はその中に吸い込まれて消えていった。その光景を初めて見る者たちは驚きの声を上げている。
「それでは、今ご覧になったのと同じ方法で、皆様にもこの中に入っていただきます。」
 アカデミー治安部隊の分隊長らしき少女が言った。
 まずは、リアン、カレン、ネクロマンサーと、あとから合流した、ソーサラー、アイラ、ユイアが鏡の中に入り、その後をリック事務長と同行した事務次長が、更に続いて、アカデミー治安部隊の半数が続くという順に進んでいった。事務長たちは、鏡面に触れる瞬間、ぶつかるのではないかと一瞬怯みを見せていたが、やはりその身体はウィザードがしてみせたのと同じようにして鏡の「向こう側の世界」に吸い込まれていった。
 治安部隊の半数は、入口に残って、そこを守るようである。シーファはそちら側にいた。

* * *

 朝だというのに、鏡像の世界の中は薄暗く、青白い魔法光が怪しくあたりを照らしていた。また気温は、今が秋であることを考慮しても、不似合いに寒く、みな身体を小さくして両腕をさすっている。
「ここは、ちょうど現実の病院を映し鏡にしたような左右反転の鏡像の世界になっています。これから、こちらにある手術室まで向かいます。」
 威厳のある声でウィザードが話す。皆はその後をついて行った。事務長と事務次長は、自分たちが勤務する病院にこのような魔法空間が存在したことに驚きひとしおのようで、しきりにあたりを見回している。特に事務次長の女性は、気でも失わんばかりの驚きを示していた。

 角を曲がり、やがて手術室に繋がる長い廊下に出た。そのずいぶん先に何かうずくまる人影のようなものが見える。リアンとカレンにはそれにしかと見覚えがあった。歩みを進めるにつれて、やがてその人影が近づいてくる。

「これが、我々の押収した決定的な証拠の一つです。」
 ウィザードがそのうずくまる人影を片手で指し示した。
「エヴリン師長!」
 声を上げたのはリック事務長だった。人影の姿は変わり果てたものであったが、しかしこの病院の看護師長の制服を身に着け、その ID カードを確認すると、それは間違いなく、当該人物がエヴリン師長の成れの果てであることを示していた。
「しかしなぜ、こんなことに…。だれがこんな酷いことを。」
 リック事務長が声を震わせる。
「誠に残念ながら、実のところ酷いのは彼女の方だったのです。ご覧になってお気づきになりませんか?彼女の様子は明らかに尋常ではありませんし、この大きな傷の切断面はもはや人間のものではなく、人為的なものです。彼女は怪異に姿を変えて、この病院の隠された鏡像の空間において悪事に手を染めていたのです。」
「しかし、なぜ師長が…。」
 事務長は当惑を隠せないでいる。
「それはこれからの査察によって明らかになるでしょう。その動機と目的についても、こちらは既に彼らが残した資料によって把握しています。」
「なんということだ…。」
 リック事務長は、手ぬぐいを額に当てて天を仰いでいる。

 こと切れたエヴリン師長の亡骸を訝しげに眺めている人物がいた。リアンとカレンだ。特にカレンは強い違和感を感じていた。なぜなら、彼女は未明、確かに彼女の首を討ち落としたはずであったが、そこに転がっていなければならないはずの首が見当たらなかったからだ。リアンも同じことに考えを巡らせていた。何者かが持ち去ったのであろうか?しかし、いつ、何のために?脳裏をめぐる疑問を内心に押し込めるようにして、リアンとカレンは一同に続いて行った。程なくして手術室が視界に捉えられる。

* * *

「ここが、重大な証拠の提供源となった手術室です。すべての証拠物件は既にこちらで押収していますので、室内は空ですが、一応ご覧いただきます。また、手術室の前室に設置されていたであろう実験的な培養施設について、心当たりがあれば教えて下さい。なお、入口が狭く危険なのでご注意を。」
 ウィザードはそう言って、一行を先導した。その入口は昨夜アイラが術式を駆使して無理矢理にこじ開けた様子をありありと伝えていて、力任せに引き裂かれた重い扉が、手狭な入口を開いていた。体格の良いリック事務長は身体をよじるようにしてそこをくぐり、その後に事務次長の女性が続いた。治安維持部隊の面々は手術室の入口で待機するようだ。
 入室した一同は、手術室の前室を奥へと進んでいく。

「まず、手術室の前室にこのような研究スペースが設置されていること自体が甚だ不自然です。ここで何らかの非人道的な実験が繰り返されていたことは明らかというべきでしょう。」
 ウィザードが糾弾する。
「いや、先生方には先生方のお考えがありますから…。それが直ちに不正ということはないのではないかと思われますが…。」
 驚きを押し殺すようにして取り繕ってみせる事務長。
「では、表の手術室の前室にもこのようなスペースがお有りなのですか?」
 流石に、その言葉にはぐうの音も出ないようである。
「確かに、ございません…。」
 そう答えるのが精一杯のようであった。
「我々が押収した証拠資料によると、ここで行われていたのは、主に精神科にご入院されていた患者様からの、器質的には健康な脳髄の摘出です。」
 ウィザードのその言葉に、事務長たちはいよいよ目を丸くする。事務次長に至っては本当に気を失ってしまいそうだ。
「そんな馬鹿な!先生方が一体なんのためにそのようなことを…。まったく理解が追いつかんのですが…。」
 事務長は激しく狼狽している。
「そうお感じになることについては全くの同感です。しかし、彼ら、すなわち、シン・ブラックフィールド医師、アブロード・シアノウェル医師、そしてエヴリン・シンクレア師長がある目的をもってここで非道に手を染めていたことは間違いありません。それが今回の緊急査察の理由です。」
「よくわかりました…。確かにこれは一大事です。しかし、先生方の目的というのは一体何なのですか?」
 おそるおそる事務長が訊ねた。
「彼らの目的については、魔法社会全体の安全、ひいては国防に関わる一大事に繋がる可能性のある内容を含みますので、ここでお話することはできません。場合によっては、厚生労働省もしくは国防省の方から説明があるかもしれませんが、それまでの間は事実のみを把握いただき、しばらくお待ちいただければと存じます。」
「はぁ、まあそれはよろしいのですが…。しかし、先生方がこんなことをなさっておられたとは…。いやはや言葉がありません。とにかく、今後はアカデミーによる査察に当病院としても全面協力することをお約束いたします。ただ、お調べいただけばわかることだと思いますが、この計画に病院全体が加担していた訳では断じてありません。あくまで先生方の独断と専行によるものですから、病院に対する処分としては何卒寛大なご配慮をお願いいたします。」
 観念極まったという口調で神妙に述べる事務長。
「ご要望は承りました。貴院に対する行政処分は、厚生労働省からなされると思います。アカデミーはあくまでも査察の初動を担当するにすぎません。独自に証拠物件を分析した後で、捜査それ自体と今後の措置については当局に引き継ぐことになっています。もっとも、貴院のご希望は当局にも伝達します。」
「ご配慮感謝します…。」
 そう言って事務長は深くうなだれた。
「ところで、ここに何らかの培養施設が設置されていたことは明らかです。」
 ウィザードは床から天井まで棚が設置されている壁面を指さして言った。
「今後、貴院でも内部監査が実施されるものと思いますが、この棚に設置されていたのものがどのような試料であり、どこに持ち去られたかが判明したときには是非その情報を共有してください。事と次第によっては、貴院の処分に対して特段の配慮を求めるように厚生労働省に口添えしましょう。」
 ウィザードは取引を持ちかけた。それくらいにここにあったはずの試料は事件の解明にあたって重要な意味を持つのだ。シン医師らが大慌てでそれらを持ち去ったことからしても、それは明らかに知られることであった。
「わかりました。ご協力しましょう。ご配慮に期待します。」
「承知しました。」
 そう言って、ウィザードと事務長は会釈を交わした。どうやら話はついたようだ。
「それでは、表の空間に戻りましょう。」
 ウィザードのその掛け声に従って、一行は手術室の入口で待機する治安部隊のメンバーと合流した後、長い廊下を逆順にたどっていった。この鏡像の世界を出るのは簡単で、同じように廊下の突き当りに設置されている大きな鏡の壁面にそのまま飛び込むだけで抜け出ることができた。帰り道には、道順暗号は施されていなかったようである。

* * * 

 一同は再び、表の世界で集合した。彼らが鏡像の世界に入っていた間、表の世界において特段の異変がなかったことが、待機していたシーファたちによって報告された。
「それでは、今日のところは、押収した証拠資料をお預かりしてアカデミーに引き上げます。」
 ウィザードが事務長に告げた。
「わかりました。今後、当院でも速やかに独自の院内調査と監査を勧めます。結果は逐次共有いたしますから、先程のご配慮につきまして何卒よしなにお取り計らいください。」
「心得ています。ご協力に重ねて感謝いたします。」
 そう言って、ウィザードと事務長は握手を交わした。事務長の手は汗でぐっしょりと濡れている。よほどの驚きと緊張に見舞われたのであろう。
「今回の一件の解明に協力してくれたアカデミーの関係者も我々と同時に引き上げさせますが、よろしいですか?」
「ネクロマンサー科の先生と、リアンさん、カレンさんのことですか?」
「左様です。」
「それは…。ただでさえ一気に3人も人員を失って厳しいところに、支援派遣員の方まで失うとなると、当院にとっては相当の痛手ですが…。しかし、シン先生らのお姿が見えない以上、病棟をすぐに従前同様に機能させることができないのも事実です。こちらの体制が整うまでの間、一時帰還していただいてよろしいかと思います。」
 あきらめとも嘆息ともつかない口ぶりで、リック事務長は言った。
「ご理解いただきありがとうございます。それでは、我々は事務室に寄って押収物件を回収してから帰路につきます。ありがとうございました。」
 ウィザードは、軽く頭を下げた。彼女のその言葉に続いて、治安維持部隊の分隊員は速やかに事務室を経由して、病院の正面玄関前に整列した。その一団を引き連れて、ウィザードが帰路につく。リアン、カレン、アイラ、ユイアもそれに続いた。その後姿をリック事務長と事務次長が、呆けたような顔で見送っていた。

 秋の陽は高く、それはわずかに西に傾きかけていた。心地よい風が、一同のまとうローブを揺らしている。治安維持部隊の面々は重そうに、めいめい証拠物件を抱えていた。シメン&シアノウェル病院の怪異をめぐる一連の事件はこうしてひとまず幕を下ろした。姿を消したシン、アブロードの両医師は今どこで何をしているのか?持ち去られた試料は今後どうなるのか?いくつもの謎を残す形での終焉とはなったが、しかし、この査察の日以降、精神科の患者の突然の疾走や、病状推移と関わりない突然死の報告は一挙に途絶えたという。今、アカデミーでは、魔法学部を中心として、当該事件に関する更なる追求が進められようとしていた。

 秋がゆっくりと深まっていく。

* * *

 ところかわって、査察を終えた次の日の夜、ウィザード、ソーサラー、ネクロマンサーとユイアは久しぶりに『アーカム』に顔を揃えていた。いつものカウンターに腰掛けてアルコールのグラスを傾ける4人を、神秘の魔法光と香の匂いが包んでいる。その向かいにはいつものエメラルドの眼差しがあった。しかし、貴婦人は今日はこちらにはいないようだ。

「まったくよう。あんたら、頼むからあんな場所で茶化すのは勘弁してくれよ。」
 ウィザードがほとほと困ったというような調子で言う。
「あら、茶化してなんかないわよ。ただ、新鮮で驚いただけ。かっこよかったわよ。見直しちゃった。」
 そう言って、にやにやとした表情を向けるユイア。いや、ここではウォーロックと呼ぶべきか。
「私達、長い付き合いだけど、あなたのあんな姿見たことないもの。」
 ソーサラーも話に加わった。
「あたしにもよう。一応魔法学部教授としての立場ってものがあるからな。まして公式の査察だろう。そりゃよそ行きにもなるさ。」
「へぇ~。毎朝『クソ銀髪が~』ってずいぶんな剣幕でかかってきてたあなたにも、よそ行きがあったなんてびっくりだわ。」
 黄金色の美しい瞳を懐かしさにうるませながらソーサラーが語る。
「また、ずいぶんと昔の話をしやがる。けど、あの時はまさかこうして一緒に酒を酌み交わす日が来るなんて思ってもみなかったよな。」
「そうね。人生って、本当に不思議なものだわ。奇妙な縁だわ。」
 そう言って、一緒にグラスを傾けるウィザードとソーサラー。ふたりの仕草をウォーロックがやさしい視線を注いでいる。

「そういえば、あなた折角教授になったのに学則の8条6節をまだ残しているのね?昔はあんなに腹を立ててたのに、どうしてすぐに改定しないの?」
 ウォーロックがふとそんなことを訊ねた。
「ああ、あれな…。」
 ウィザードは、茜色の瞳で虚空を仰ぐようにして言葉を紡ぐ。
「あれ、とっとと変えるべきだとは思ってるんだよ。けどな…。」
 そう言って、視線を下に移す。
「けど、どうしたの?」
 ウィザードの顔を覗き込むようにして訊ねるウォーロック。
「あれは、今思えば教授の、パンツ野郎の唯一の形見だから…。」
 彼女は驚くようなことを口にした。ウォーロックとソーサラーもその言葉の意外性に目を丸くしている。
「あなた、そんなこと考えてたの!?あんなに、パンツェ・ロッティのこと嫌いだったのに!?」
 驚きを禁じ得ないウォーロック。
「まぁな。あんたらが驚くのはわかるよ。けど、最近良く教授のことを思い出すんだ。無茶苦茶な人だったけど、なんていうか人間の本質についてはまっすぐで純粋な人だったと思うんだよ。もちろん、そのやり方や表現方法は出鱈目の局地だったけどな。最期はあんなんなっちまったし…。けど、あたしが教職についてから、教授はよく面倒を見てくれたし、教え子たちのこともいつも気にかけている人だった。まぁ、不適切なところは山ほどあったけどな。でも教授は人間という存在の意味を、そしてそれを大切に慈しむことを、絶対に忘れることはなかった。それは間違いないと思うんだ。だから時々懐かしくてな。どうにも、教授の痕跡をこの世界から全部消しちまうのには忍びなく思えて仕方ないんだよ。」
 そう言って、静かにグラスを傾けた。神秘の魔法光がその姿を優しく照らし出している。
「パンツェ・ロッティ教授かぁ、本当に懐かしいわね。」
「まだ、あれから3ヶ月位しか経ってねぇんだけどな。もう大昔のことのように思えるぜ。」
「私達もみんな天使になっちゃたしね。」
 ウォーロック、ウィザード、ソーサラーの3人がめいめいに言葉をかわす。
「破天荒な人だったけど、でもあなたの言う通り、教授は結局無垢で純粋な心のあり方を求めていたのよね。」
「ああ、やってたことは本当に支離滅裂以外の何物でもなかったけどな。でも、あれだけ純粋に、まっすぐに他人を想えるっていうのは、なかなかできることじゃない。その意味では感心するし、尊敬すらするんだ…。」
 酔いが回ったせいだろうか、茜色の瞳はいつも以上に美しい輝きをたたえていた。
「教授、だーいすき。」
 突然、ウォーロックがそう言ってウィザードに抱きつきた。
「わたしもー、バカ金髪大好きよ。」
 反対側から同じようにしてウィザードに抱きつくソーサラー。3人は互いに肩を寄せ合っている。
「よせやい。照れるじゃねぇか。ったく、あんたらほんとにめちゃくちゃだな。勘弁してくれよ。」
 そう言って、ウィザードは頬を赤らめた。
「あら、私は混ぜてもらえないんですか?」
 少し離れたところから、ネクロマンサーが冗談ぽく声を掛ける。あたたかい連帯がその場の空気を和らげていた。

* * *

「そうだ、あんたといえば、カレンのことだよ。」
 思い出したように、ウィザードはネクロマンサーの方を向いていった。
「あんた、ずいぶん厳しくカレンに接しているみたいじゃねぇか。いい加減勘弁してやれよ。このままじゃあいつ潰れちまうぜ。」
 その言葉を聞いて、俄に顔色を曇らせるネクロマンサー。
「あんただってわかってるんだろう?あの日、リアンは朝から監視のし通しで魔力も体力もすり減らしていたから、夜中には相当なランナーズ・ハイになっていたはずだ。そのリアンの異常な興奮がカレンを無理やり鏡像世界に引っ張ったのは間違いないし、少なくともあたしはリアンからそう聞いてるぜ。もう許してやれよ。」
 ウィザードはとりなしを試みていた。
「もちろん、それはわかっています。だからこそ、今は厳しく接する必要があると思うんです。」
 そう応じるネクロマンサー。
「リアンのことを絶対にあたしたちに言わず、自分で責任を取ろうとしてるのはカレンの優しさじゃないか。そこをわかってやってくれよ。」
 ウィザードは言葉を続ける。
「いえ、むしろその優しさが心配なんです。私は、カレンさんのその優しさがいつか彼女を取り返しのつかない危険に晒すときが来るのような気がして、それが怖いんです。だから…。」
 そう言って、ネクロマンサーは言葉をつまらせた。
「まぁな、あんたの言うことも確かにわかるよ。けど、カレンがあんたに寄せる信頼は本物だぜ。それを無碍にするのはあまりにも可愛そうってもんだ。ちょっとは考えてやってくれよ。」
 ウィザードは身体を伸ばして、ネクロマンサーの手を取った。ウォーロックも、彼女の肩を優しく抱く。
「みんな、優しすぎるのよ。もっと自由でいいんじゃない?気持ちのまま、感じるままに振る舞うことも時には大切よ。」
 そう言って、ウィンクをして見せるウォーロック。そのやり取りに黄金の瞳も朗らかな視線を送っていた。

 神秘の空間を穏やかな時間が流れていく。4人の魔法使いたちは、子どもの頃から続く懐かしい日々に各々思いを巡らせながら、明日から始まる現実にどう向き合うべきか、それに考えを巡らせていた。
 その姿を、エメラルドの瞳が静かに見守っている。秋の夜が静かにふけていった。

* * *

 翌朝、看護学部では秋の健康増進週間に向けて、全学一斉健康診断の準備が医務室において忙しく行われていた。当然にして、ネクロマンサーとカレンもそれに参加している。おのおの忙しく駆け回っていた。
 ネクロマンサーはカレンに対し、職務上の指示ややり取りには応じるが、従前の親しみとは打って変わって、厳しい態度を一貫させていた。カレンは、彼女に話しかけるときに相当の緊張を強いられるようで、そのたびに身体を小さく固くしていた。ネクロマサーはもちろんカレンのその様子に気づいてはいたが、心を鬼にしてその厳格な態度を維持していたようである。
 時間とともに準備は着々と進み、医務室には健康診断にあたって実施すべき各種検診のための簡易ブースが所狭しと出来上がっていった。
 午後も、またたくまに過ぎて、窓から差し込む秋の夕日は真っ赤に焼け、深く斜めに切り込むようにして医務室内に差し込んでいる。窓枠の落とす影が、床面に赤と黒のコントラストを刻んでいた。

 健康診断の準備と片づけが終わって、皆めいめいに医務室を後にしていく。奥の薬室で薬瓶の片付けと点検を行っていたカレンが最後に残ることになった。奇しくも、施錠のために待っていたネクロマンサーと二人きりで対面することになったのだ。
 医務室の中に、ぎこちない緊張が走る。
「ご苦労さまでした。施錠しますから、先にどうぞ。」
 ネクロマンサーがそう声をかけた。カレンは、逡巡(しゅんじゅん)しながらも、声を振り絞った。
「先生…。」
 その美しい濃紫の瞳は言葉を紡ぐより早く、涙に潤んでいた。
「どうしましたか?」
 ネクロマンサーは調子を変えない。
「病院でのこと、本当にごめんなさい。決して、先生のお言いつけを裏切るつもりはなかったんです。結果的にそうなってしまったのは、本当にごめんなさい。以後、絶対にないようにしますから…。」
 その謝罪の声には、涙の色が濃く乗っていた。
 小さなため息を付いてから、ネクロマンサーは言う。
「私はあなたを信頼していました。だから、行動を起こす前にかならず私に連絡するようにとお願いしたのです。助けが間に合ったからよかったようなものの、あなたの軽率によって、危うくあなたとリアンさんは命を落とすところだったのですよ。」
 その声色は大いなる威厳をたたえていた。
「そのことは、本当に反省しています。もう、先生のご信頼に背くようなことは絶対にいたしませんから、どうか、どうか、私を嫌いにならないでください。先生、どうか…。」
 そう言うと、カレンは堰を切ったように泣き出した。その瞳からは、大粒の涙がポロポロとこぼれている。彼女は、その場に両膝をつき、身体を小さくしてただただ泣きじゃくっていた。

どっと涙を溢れさせるカレン。

 その姿を見て、ネクロマンサーはとうとう憐憫を垂れた。カレンのそばにしゃがみ、彼女の肩にそっと手をおいてやる。
「そんなことを心配していたのですか?」
 その言葉に、カレンは涙に溺れるようにしながら頷いて答えた。
 ネクロマンサーもまた、その黒く美しい瞳を潤ませる。
「私がなぜ、あなたに厳しくあたったのかわかりますか?」
「私が、先生のご信頼に背いたからです。」
 カレンが嗚咽をこらえてそう答える。
「それもありますが…。」
 少し意味深にネクロマンサーが言葉を継いだ。
「あなたを無理やり鏡像の世界に誘ったのがリアンさんであることはわかっています。でもあなたは最後まで私達にそれを言いつけるようなことをしませんでした。私には、それがあなたの優しさであり、善いところであるとわかっています。でも、その優しさが、あなたの善さそれ自体が、いつかあなたを取り返しのつかない危険に晒すかもしれない、その危険があることをあなたに自覚して貰う必要がありました。あなたには、もっともっと自分自身を大切にしてほしいんです。」
 そう言って、ネクロマンサーは泣きじゃくるカレンの小さな体を静かに抱きしめた。彼女の胸の中で、カレンは止まらない涙をしゃくっている。
「私も少し辛く当たりすぎました。そのことは誤ります。ごめんなさい。あなたがその優しさのために、その素晴らしい自己犠牲の心のために、その身を危険に晒すことが心配でならなかったんです。あなたを嫌いになるなんて、そんなことはありませんよ。あなたは私の大切な教え子なのですから。」
 ネクロマンサーは、両腕の力を強くして、その小さな体を包む。
「先生…。」
 涙にくれた声で、カレンはその胸に小さな頭をあずけて泣いた。

 秋の陽は、窓から差し込む角度を一層鋭くしながら、彼女たちの姿を照らし出している。物言わぬ自然は、二人の間に信頼と絆が回復したことを、静かに物語っていた。ネクロマンサーの温かい体温が、カレンの内を支配していた拒絶に対する冷涼な恐怖心を静かにほどいていた。

 それぞれの想いと絆を新たにしながら、皆、晩秋へと歩みを進めはじめていた。病院での怪異は一応の決着を見たが、しかしその背後でより大きな狂気と悪辣が渦巻いていることを彼女たちはまだ知らない。しばらくの平穏の後で、その呪わしい計画は、魔法社会全体に対して牙を剥くことになる。

 時だけが静かに、歯車を噛み合わせていた。

to be continued.

AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第2集その9『それぞれの想い』完


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