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AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第5集その3『月夜の晩に』

 『マジカル・エンジェルス・ギーク』での一件をレイ警視監に報告した後、シーファたちは六名の特別の応援を付けてもらって、自分たちを含めた計九名の人員によって、定例の夜回りの際、部活棟と寮棟周辺を重点捜査する体制を整えた。すなわち、毎夜3名ずつ、交代でそれらの場所を徹底的に見張って、相手が何らかの動きを見せるのを待ち構える寸法だ。

 部活棟を訪れた日からすでに数日を経ている。今日は美しい月夜の晩だ。シーファ、カステル、セラの三人は今、部活棟を見回るために中庭を歩いていた。

 天上まで抜けるような漆黒が続く秋の夜を、満点の星座と、模様までくっきりと見えるように白く輝く月光が青く彩っている。照らし出される石畳を探るようにして、三人は部活棟の三階をしきにりに見やっていた。

「あそこだな。どうする。使い魔でも放つか?」
 カステルが問う。
「それもよろしいですけれど、見つかれば一層警戒されるだけではなくて?」
「確かに、その通りだな。今のところは、何らか現行犯で押さえる必要がある。こちらの出方を知られるのは得策とは言えんだろう。」
「全くですわ。」
 カステルとセラのそんな話を耳にしながら、何かいい方策を提案できないものかとシーファも思案を巡らせていたが、なかなかこれという考えを思いつけずにいた。

 『アカデミー治安維持部隊』による深夜の見回りは毎夜のことなので、特段姿を隠す必要はないのだが、できれば、部活棟が重点監視対象となっていることをトマスたちに感づかれるのだけは避けたかった。そんな思いが、三人の体をおのずから小さくしていく。

 秋の夜風に木立が枝をさわさわと揺らす。それが月明かりに白く光る石畳の上に影を落として、少女たちの姿を見え隠れさせていた。
 部活棟の三階に視界を釘づけるようにしてあたりを慎重に見回っていくが、1度目の見回りの際にはこれといった動きを確認することはできなかった。

「特に変わった様子はないようだな。このまま寮棟の方へ移動しよう。」
 カステルの指示に従って、三人は部活棟のわきを抜け、寮棟に向かう。もうすぐ日付が変わろうかという時刻に差し掛かっていたが、まだ多くの部屋には明かりが灯っていた。多くの学徒が勉学などに励んでいるようだ。時期的に『全学魔法模擬戦大会』も近い。その準備にいそしむ者も少なからずいるのであろう。
 初秋の生暖かくも乾いた風を身に受けながら、シーファはかつてその大会で起こった騒動のことを思い返していた。それは戦慄するような恐怖の体験であり、しかもそれと同じことが遠からず自身の身にも起こった、まさに脅威であったが、しかし少しずつ、当時の細やかな機微は追憶の彼方へ消えつつもあった。

* * *

「これだけの部屋に明かりがついている状況で、犯行に及ぶ愚か者もおりませんわ。もう少し遅い時間に改めて見回る必要がありますわね。」
 寮棟の方を見やりながらセラが言った。
「同感です。もう一度、部活棟を見回ってはどうでしょうか?」
 そうシーファが提案する。
「そうだな。再度、部活棟に戻ることにしよう。」
 三人は、今来た道を引き返し、一段小高くなっている場所を下って再度寮棟を目指して歩き始めた。

 秋の月は美しい。その光が、闇夜を進む少女たちの肌を虚空のキャンバスの上に白く流麗に描き出していた。足音が時を刻んでいく。

 再び寮棟をその目にとらえる。三階を見ようと、下から視線を上に送っていくとき、ふと二階に続く階段の途中付近に何か動く物陰のようなものが見えたように感じられた。足音は確かに聞こえる。
「しっ。気づいただろう。だれか客人がいるようだ。」
 後に続く二人の足音を止めるように静止を促してしてカステルが言う。
「確かに、階段を上がっていくようですわね。」
「ついに動きを見せるのでしょうか?」
 全身に緊張が高まるのを感じつつ、シーファが言った。
「まだわからんな。とにかく後をつける価値はありそうだ。これから静かに尾行する。足音に細心の注意を払ってな。」
 そういうと、カステルは『浮遊:Float』の術式を三人分行使した。少女たちの体が、地面から数センチふわりと浮き上がる。これは足跡と足音を殺すのにうってつけの術式だが、直接地面を踏みしめるのではないため、歩きづらいのが玉に瑕だった。不器用に足を搔い繰るようにして、三人は階段を静かに登って行った。各階の踊り場でに出ると、三人の影が月光に延びる。影の行方と動きにも十分に注意を払いながら、なおも階段を昇って行った。怪しい人影との距離が近づくにつれ、それが立てる足音がよりはっきりと耳に届くようになってきた。

「もうすぐだな。案の定、奴さんの目的は三階のようだ。」
 カステルがささやいて示す先を見ると、確かに黒い人影が、三階の廊下を奥に向かって進んでいる。それは周囲をずいぶんと警戒しているように見えた。お互いの息遣いが聞こえるほどの静寂の中、視線をその影に釘づけにしていると、案の定、それは『マジカル・エンジェルス・ギーク』の活動部屋の前で止まった。何やらカチャカチャという金属音を立てている。どうやら鍵開けを試みているようだ。やがてカチャリという小さな音を立ててその戒めは解け、影が部屋の中に消えていく。

 ドアの閉まるのを確認してからそっと近づいた三人が部屋の周囲の様子を見ると、ドアの隙間や鍵穴から微かに魔法光がこぼれてくるのがわかった。部屋の中で何事かしているようだ。三人は、中の人物が再びドアの外に出てきたところでその身柄を抑えるべく、カステルとセラは扉の裏側となる場所に、シーファは出口を正面に見据える箇所に陣取って、それが再び開いて中から人影が姿を現すのをじっと待つ。のどを鳴らすのもためらわれるほどの緊張が大いに高まって来るのがわかった。
 それほど大掛かりなことをしているわけではないのであろう。部屋から漏れ聞こえてくる音はほとんどなく、中に人がいることをかろうじて感じさせる程度の気配だけが感じらていた。
 やがて、ドアの隙間から漏れていた魔法光が消え、黒い境界線に変わる。

* * *

「来るぞ!」
 カステルのささやきに、あとの二人も身を構える。やがて、ドアが無造作に開いた。
「今だ!取り押さえろ!」
 あたりは暗いが、差し込む月あかりで、人影とドア、互いの位置関係は如実にわかる。シーファは、距離をずんと一気に詰めると、片手をとり脚をかけてそれを薙ぎ払うようにして人影を引き倒した。それを見定めたカステルとセラが、暴れないように取り押さえる。

「大人しくしろ!我々は『アカデミー治安維持部隊』のエージェントだ。こんな深夜にいったい何をしている?」
 問い質すカステルの声に合わせるようにして、セラが魔法光を灯してあたりを照らす。シーファとカステルに取り押さえられていたのは、『マジカル・エンジェルス・ギーク』の副部長、キース・アーセンだった。

「おやおや、君はここの副部長殿ではないか?こんな夜更けにどうしたね?」
 居住まいを正してカステルが訊く。
「どうもこもうもない。部室に学徒証を忘れたから取りに来ただけだ。ここは俺の部室だ。別に問題はないだろう。痛いから放してくれ!」
 キースは、後ろ手に腕を組み伏せられた痛みに耐えながら言った。
「そうか、それはすまなかったな。シーファ君、放してやってくれ。」
 そう言って、カステルが手を放すと、シーファもまた、それに倣った。
「こちらは三人だ。逃げようなどとは考えるなよ。」
 キースとの距離を慎重に測りながら言うカステル。
「なぜ逃げる必要がある。遅い時間なのは間違いないが、自分の部室に自分の持ち物を取りに来ただけだ。やましいことなんてないんでね、追及される覚えはないさ。」
 足元の土ぼこりを手で払いながら、キースはふてぶてしく言った。

「鍵を見せていただけるかしら?やましいかどうかはこちらが判断することでしてよ。」
 そう言うと、セラは鍵を差し出すように求めた。
「ほらよ、好きなだけ見ればいいさ。」
 そう言って、鍵を投げ渡すキース。もう片方の手に灯した魔法光にそれを照らしてセラは念入りに確認した。

キースが投げ渡した部室の鍵。

「確かに、正規の鍵に間違いないようですわね。」
 その声は、若干残念そうな音色を載せていた。
「だから言っただろう。何もやましいことはないって!」
 キースはいらだちを隠さない。

「それでは、君が取りに来たという学徒証を念のため見せてくれるかな?それを取りに来たというののだから、まさか持っていないことはあるまい?」
 探るようにしてカステルが訊ねた。
「当たり前だ。これで文句はないだろう。」

キースの学徒証。

 差し出された学徒証を慎重に確認するカステル。
「よかろう。君の言葉に間違いないようだ。」
 やはりその瞳に若干の落胆の色が見えた。

「ついでに部屋の中を見せろとは言うなよ。前に言ったように、これ以上俺たちと関わりたいなら令状をもって来てからだ!」
 そう言うと、キースはカステルの手からひったくるようにして学徒証を取り返すと、ポケットに押し込んだ。
「それは心得ているよ。しかし、いらぬ疑いをまぬかれるためにも、今後はこんな夜中に出歩かないように願いたい。忘れ物の回収なら翌朝の講義前でも事足りるだろう?」
 カステルのその言葉に、
「そんなことは俺の自由だろうが!まったく、俺が何をやったって言うんだ。これだから権力は…。」
 そう言ってその場を去ろうと彼が踵を返しかけたその時だった!

* * *

「きゃあああ!!!痴漢!!!泥棒よー!」
 そう叫ぶ声が、透き通るような秋夜の漆黒を貫くようにして耳に届いてきた!
「シーファ君、ここは頼んだ。念のため、彼をまだ返さないでくれ。我々は声の方に行く。行くぞ!セラ!!」
 そういうが早いか、カステルとセラは声のする寮棟の方に駆けていった。急ぐ必要があるのだろう、『浮遊:Float』の術式を切って全速力で走っている。石の階段を下る足音が闇の中で甲高く響いた。シーファが、キースを逃がすまいとして彼の腕をとると、彼はその手を乱暴に振り払って言う。

「なんだっていうんだ!俺への疑いは晴れたんだろう。どうしてまだここに残らないといけない?」
 苦々しく言うキース。
「この時間に寮棟をうろついているだけで十分に問題です。」
 シーファは咎めるようにして言った。
「だから、それはもう済んだだろう!ただ忘れ物を取りに来ただけだ!」
 キースはいらだちを隠さない。
「それはわかりますが、カステル警部の許可が出るまでお返しすることはできません。大人しく従ってください。」
 シーファも負けていないようだ。
「従わないと言ったらどうなるんだ?」
 彼女を下級生と思ってから、侮るような口調でキースが言う。
「公務執行妨害として、改めて身柄を拘束するまでです。」
 シーファは毅然と言い放った。

 その言葉を受けてさすがに観念したのか、キースは両手をすくめてやれやれという格好をして言った。
「で、あんたは現場に行かなくていいのか?」
 そう言われてシーファははっとする。
「え、ええ。ではご同行願います。」
「はいはい、どこへなりとも。」
 そう言って、二人はゆっくりと部活棟の階段を下っていった。再びシーファは彼の腕をとろうとしたが、キースは頑なにそれを拒む。
「しつこいぞ!ここまできて逃げはしない。どうせあんたたちの本命はあっちの方だろう?むしろ今晩のことで、俺が関与していないことがはっきりしたくらいじゃないか。」
 その嫌味な物言いに腹立ちを覚えながらも、シーファは努めて冷静を保ち、後ろから監視するようにして彼とともに寮棟の方へ歩いて向かった。

 名月はいよいよ白い光を強くして、あたりを青く照らし出している。闇と影が交錯するように、木々が枝を揺らしている。中庭の石畳を踏むカツカツという靴音が妙に耳に刺さっていた。

 進みゆくシーファとキースの目に、やがて寮棟が見えてくる。あれからかれこれ1時間ほどしか経過していないが、先ほど見回った時とは異なり、多くの部屋が明かりを消していた。しかし、そんな中、中等部棟の一角に煌々(こうこう)と明かりを灯している場所があった。

「きっとあそこです。こちらへ。」
「はいはい、どこへでも。」
 シーファの声にだらしなくキースが応える。

 そこは中等部生であるシーファにはよく見知った場所であった。その中にドアの開いた部屋が見える。おそらくそこが現場であろう。少し足を速めるように背中側からキースを促して、シーファはそこを目指していった。

 近づくにつれて話し声が耳に入ってくる。その声にはカステルとセラのものが混じっていた。

* * *

「君が眠ろうとベッドに入って、ふとベランダの方を見ると、そいつはいたのだな?」
 カステルが少女に向かって話しかけている。彼女はよほど怖い思いをしたのだろう、泣きべそをかいて、その質問にただ頷いて答えている。
「で、君が気づいて窓の方に近づくと、そいつは君の洗濯物をとって逃げたと?」
 やはり、少女は頷く。騒動を聞きつけたあたりの部屋が明かりを灯しだした。窓を開け、ドアからのぞく姿もあるようだ。
「カステル、ここでは野次馬に聞かれてよ。ひとまずあがらせてもらいましょう。」
 セラがそう耳打ちする。
「そうだな、そうしよう。すまないが、部屋の中でもう少し話を聞かせてくれるか?」
 そう言ってカステルが被害者であろう少女の部屋に上がろうとしたところに、シーファたちが追いついた。

「警部!」
「おお、シーファ君。来たかね。後ろにいるのはキッス君だね。」
「俺はキースだ。」
 憮然として言うキース。しかし、カステルは気にもかけない様子で続けた。
「私とセラは奥で彼女から詳しい話を聞く。シーファ君とキッス君は玄関で待っていてくれたまえ。よろしいかな?」
「かしこまりました、カステル警部!」
 そう言うと、シーファは部屋の奥へ進んでいく二人の上司と少女の背を見送りながら、入り口のドアを閉めて中から施錠した。

 やがて、奥で事情聴取が始まる。奥で繰り広げられる会話は、シーファの予想以上に玄関までよく聞こえた。今後のためにと彼女は耳を研ぎ澄ませる。

「ずいぶんと怖い思いをしたね。もう大丈夫かな?」
 カステルが少女に声をかける。少女は、チリ紙で涙をぬぐい、鼻をかんでから、少しずつその恐怖の現場について話し始めた。
「物音に気付いて、ベランダの方を窓越しに見ると、そこで私の洗濯物をあさる人影がいたんです。月明かりではっきりと見えたわけではありませんが、それは血染めのような赤いローブを身に付けていたようでした。」
 声を絞るようにして、少女は言う。

少女は窓越しに血染めのローブの小柄な人影を見たという。

「血染めのローブか。昼間ならさぞ目立つだろうな…。」
 そうこぼすカステル。
「そいつの体格はわかるか?」
「あの、とっさのことだったのではっきりとは言えませんが、ずいぶん小柄な人影に見えました。」
 そう語る少女の肩はまだ小さく震えている。セラがそれを慰めるようにして、背後から両肩にそっと手を置いた。
「血染めのローブを身にまとった小柄な人物か…、ふむ。」
 カステルは腕を組み、片手を顎に当てるようにして思案している。
「その犯人は、あなたの声を聞いて、おどろいて逃げ出したというわけですわね?」
「はい。」
 セラのその問いに、少女はうつむいて答えた。
「そう。何にしても許しがたい犯行ですわ。こんな時間に寮棟に忍び込んでくるとは許せませんわね。」
 そのセラの言葉に反応して、玄関の方から声が聞こえた。

「しかし、その許しがたい輩というのが俺たちでないことは、これではっきりしただろう?犯行のまさにその瞬間、俺はあんたらの勘違いで取り押さえられていたんだし、トマスは知っての通りあの大柄だ。その子の言う犯人像とはてんでかけ離れている。つまり、俺たち『マジカル・エンジェルス・ギーク』とは無関係であることが証明されたわけだ。もう帰っていいか?」
 それはギークのものだった。冷たく皮肉な声が小さな部屋にこだまする。少女はそれが恐ろしいのか、また肩をすくめて泣き出しそうだ。そこに触れるセラの手に優しい力が入る。

「確かに君の言うことは一理ある。しかし、体格だけで判断することはできんよ。」
 皮肉を皮肉で返すようにしてカステルが言った。
「どういうことだ?」
「どうもこうも、君とてこの魔法アカデミーで魔法を学習しているのだろう?ならば、体格をある程度自由に大小できる術式があることは知っているはずだ。それに、『魔法従者』を使う方法だってある。小人の召喚と使役もしかりだ。まだまだとても君たちが完全にシロと決まったは言いきれん。そうは思わんかね?」
「くそ!」
 カステルの指摘に、キースは舌を打ち鳴らすようにして言い捨てた。

「しかしだ。いずれにしても、俺の無実だけは明白だろう。あんたたちに拘束されて以来、俺が魔法を使っていないことはこの嬢ちゃんが証明してくれるはずだ。嘘つきでなければな!」
 その言葉にシーファの眉間が険しくなる。

「私は嘘などつきません。あなたのいう事は、残念ながら事実です。必要なら証言しましょう。」
 毅然に言い放つその拳は、怒りで小刻みに震えていた。
「私の部下を侮辱するのはやめたまえ、キッス君。今宵の顛末についてだけ言えば、君は間違いなく無実だ。あの時間に寮棟をうろついていたことは感心しないが、確かに違反や犯罪というわけではない。君は自分の部室に自分の私物を取りに行ったに過ぎないのだから。ただ…。」

「ただ、何だ?それ以上に何がある?」
 キースの声から皮肉っぽさが消え、露骨ないらだちを見せた。

「ただ、私たちがちょうど君を取り押さえたところで、これまで決して現場を目撃されなかった犯人が姿を晒し、剰(あまつさ)え、さも君たちとは関係ないというような証言を引き出す絶妙な背格好をしていた。これは単なる偶然だろうか?どう思うね、キッス君?」
 探るようにカステルが言うと、キースは感情を隠さずに声を荒げた。

「知ったことか。それを調べるのがあんたらの仕事だろう。俺たちが収めた学業費でお前らの給金は支払われているんだ。四の五の言う前にそれに見合う仕事をして見せたらどうだ!」
「諫言(かんげん)、痛み入るよ。」
「とにかくだ。今晩のことは、少なくとも、この俺が例の泥棒騒ぎに無関係であることだけは如実に示しているだろう。これ以上拘束するのなら、綱紀委員会に訴え出るぞ。」
 キースの言は厳しさを増す。
「そうか、それはずいぶんと恐ろしいことだ。しかし、今宵のところは君の勝ちだよ、キッス君。我々にはこれ以上君を拘束しておく理由はない。深夜にうろついたことについては厳重注意するとして、今回のところはお引き取りいただいて結構だ。煩わせてすまなかった。」
 そう言うと、カステルはキースに軽く会釈をした。キースはふてぶてしい表情でその部屋を去っていく。ドアを閉める音が乱暴に響いた後、静けさが戻ってきた。

* * *

「あの人はいったい誰なのですか?」
 少女が恐る恐る訊いた。
「そうだな。教えてあげるべきなのだろうが、今夜は怖い思いをしたばかりだ。あまり気にかけない方がよい。あの男自身が言っていたように、無実の男だ。君に悪さすることはないだろうよ。」
 少女を安心させてやろうと努めるカステル。その言葉に、玄関先で控えるシーファもまた、あたたかいものを感じていた。
「さあ、被害届については後日『アカデミー治安維持部隊』宛に出してもらうことになるが、今日のところは早く休んで嫌なことは忘れるとよい。」
 そう言った後、カステルは現場のベランダの魔術記録をいくつか取得して、それから引き上げの合図を出した。めいめい、部屋を後にする。

 時刻はすでに午前2時に迫っていた。秋の夜風が冷たさを孕むようになっている。少しずつだが秋は深まっているようだ。

 寮棟の中等部棟と高等部等を隔てる十字路まで来て、カステルが言った。
「二人とも今宵はご苦労だった。犯人を現行犯で取り押さえられなかったのは残念だが、得るものもいくらかあった。明日からは赤いローブの不審者の捜索を最優先しよう。おそらく同じくらいの時刻にまた活動するはずだ。私はレイ警視監に報告して、夜回りの人数を増強してもらうとともに、今宵の情報を全部隊と共有することにする。とにかく、今日はもう遅い、詳しい話はまた明日ということにしよう。しっかり休んでくれ。それも仕事のうちだからな。」
「わかりましたわ。シーファさん、また明日お会いしましょう。」
「はい、カステル警部、セラ警部補、お疲れさまでした。失礼いたします。」

 そう言って、彼女たちは二手に分かれた。シーファは中等部棟の自室に戻り、カステルとセラは高等部棟のある方の闇の中へ姿を消していった。
 天上をなお一層美しい星々が彩っており、その間を白光を放つ大きな月が駆け抜けていく。秋の世は長く、夜明けまでにはまだずいぶんと時間がある。

 血染めのローブを身に付けた小柄な存在。今宵はそこまで迫ることができた。カステルの言う通り、これは『マジカル・エンジェルス・ギーク』の関係者が自身らの関与を否定するために弄した工作だったのか?それとも、本当に未知の存在が闇に蠢いているのか?真実はまだ、闇の中からほんの少しだけその一端を垣間見せたに過ぎなかった。
 しかし、少なくともこれまでは決して被害者に気取られることなく行われていた犯行が、被害者に目撃される形で行われるようになった。少しずつ、その毒牙は大胆さを増しているのかもしれない。

 部屋に戻り、シャワーを浴びながら、シーファは今宵の出来事を反芻していた。優秀な上司であるカステルとセラ。早くそこに追いつきたいという焦燥を洗い流すようにして、温かく心地よい流水に身を任せていく。湯気が彼女の美しい肌を潤していった。

 時計の針が静かに午前2時を超過していく。湯あみで体の温まったシーファの精神を夜の静寂がとらえるのは早かった。その場に動くものは、一定のリズムで時を刻む時計の針の音だけである。夜が更けていった。

to be continued.

AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第5集その3『月夜の晩に』完


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