AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第５集その５『天幕と聖典と』
シーファ、カステル、セラの三人は今、赤いローブの怪しいアンデッドが逃げ込んで行った、古代地下墓地の入り口の階段をゆっくりと下っている。土と埃、黴とすえたような油臭い匂いに不快な金属臭が重なって、それが地下から吹き上げて来る、この真夏の時期とは思えない冷たい風に乗って嗅覚を激しく刺激する。ひどい腐臭がするという訳ではなかったが、地下墓地内部は耐えがたい複雑な匂いの入り混じる異様の空間であった。
あたりは真っ暗で、手に魔法を灯すシーファが先頭を行き、カステルはそのシーファのすぐそばに寄りそい、更にその後ろをセラがついてくる格好となっていた。
「あの。カステル警部、どうかなさったのですか？」
あまりに自分の方に身を寄せて歩くカステルを不思議に思ってシーファが訊いた。
「こう見えて、この人、こういうのが苦手なのでしてよ。」
それに応えたのはセラだった。
「誰にでも苦手というものはある。ここのいかにも何か出てきそうな雰囲気は耐えがたいとは思わんかね？二人はよく平気でいられるね。」
「まぁ、カステル警部も肩なしですわね。そんなんじゃ前を行くシーファさんが歩きにくくて仕方がなくてよ。しゃんとなすって。」
檄を飛ばすセラに苦笑いの表情を向けて、カステルは相変わらずシーファに今にもしがみつかんばかりの格好で地下墓地入り口の石段を降りて行った。もうずいぶんと歩いているがまだ下に着く様子がない。相当深い位置に作られた地下墓地なのだろう。石段は深く苔むしていて、巧みに三人の足音を隠していた。
シーファの手にする小さな魔法の灯火だけが、彼女たちの美しい顔に光と闇に揺らぐ境界線を刻んでいく。
その時だった。
「あの…。」
何かを察したようにして絞り出すような小声でシーファが言う。
「気づいたかね？」
「はい。」
「後ろに誰かおりましてよ。」
「つけられているのでしょうか？」
そう言って後ろを観ようとするシーファに、
「振り返らないで。このまま静かに進もう。相手は我々に気づいているのかもしれないが、我々が感づいていることを知られない方がいい。」
そう言って、カステルがたしなめた。シーファは小さく頷いて、なおも足元を照らしていく。やがて、長かった石段も終わり、三人の眼前に地下墓地の埋葬部が姿を現した。
あたりの温度は入り口よりも一層下がり、汗をさらう湿度の多い冷たい風が全身に震えを催してくる。地下墓地は度重なる盗難にでもあったのであろう、その内部は随分と荒れていて、剥き身のしゃれこうべがあちこちに散乱していたり、丁重に閉じられていなければならないはずの重い石の棺のふたがだらしなく開いているところがいくつもあった。ところどころにろうそくを燃やしているところがある。今ここで、何者かが何事かを行っているのはその様子からして明らかだった。
少しずつ慣れてきた目を凝らして遠くを見やると、埃と苔、泥と砂利にまみれたその比較的広い通路の奥に一層開けた広間のような場所があり、そこに明かりの群れが見える。耳を澄ませると、そこからは何か祈りのような、呪いのようなものを念じる音が聞こえてくるように感じられた。
「幸い、足元は泥と苔だ。足音を消すには好都合だな。このまま静かにあの明かりに近づいて行こう。」
カステルが、足元を慎重に確認しながら言った。
「そうですわね。真夏の真夜中にこのような場所にいるなんてごめんですけれど。」
「そういうな。それは私も同じことだよ、セラ。」
「まぁ、素直でよろしいことですわ。」
カステルとセラがそんな軽口をたたいる。この状況でも熟練エージェントの二人には余裕というものがあるようだ。一方のシーファは、周囲をとりまく不気味な冷たさと、のどを刺す不快な香りに苛まれながら、緊張による汗を額から流し、手にも握っていた。
三人が歩みを止めると、後ろをつけて来ていた者も歩みを止めるようだ。彼女たちを監視しているのだろうか？カステルはその招かれざる客にも細心の注意を払いながら、しかし一向に気づいてはいないという体で少しずつ奥へと歩みを進めていった。転がっているしゃれこうべは何かで磨いたような不思議な輝きを放っているものもあれば、土くれに還りつつあるものもあった。そこかしこの、何者かが配置したろうそくの小さな明かりの中で、かつての生命の持ち主は、干からびて黄ばんだ姿を闇の中に晒している。
＊ ＊ ＊
しばらく近づくと、その広間のようなところから漏れ聞こえてくる声がよりはっきりとしてきた。どうやら何らかの儀式を執り行っているようだ。墓石の影に身を隠しながら、目を凝らしてその明かりの方を見ると、古代墓地の中に設えられた聖所とでもいうべき場所に赤い血染めのローブを身にまとった、一見人間とは思えぬほどに小柄な生物らしきものが中央の祭壇を囲って一心不乱に祈りを捧げているようであった。これは、総合的な儀式なのであろう、式次第のような進行の声がしたかと思うと、よくわからない古代の言葉のような不思議な音律を持つ歌声のようなものも聞こえてくる。楽器の音は魔法的な方法で演奏されているのであろうが、それはまさに魔法社会で毎週日曜日に行われる天使への賛美のために開催される礼拝の儀式のようであった。そこに集う赤いローブの面々の頭上には、何か薄衣を集めて作られたかのような天幕が張られている。
「一体何をやっているんだろうな？」
「私に聞かれても困りますが、ろくな儀式でないことだけは間違いございませんわね。」
カステルとセラがそんなやり取りをしている。シーファは恐怖にわらうひざと懸命に格闘しながら、喉元を駆けあがってくるようにして迫りくる恐怖心と戦っていた。シーファが少しばかり手元の魔法光を大きくすると、奥のその聖所らしき場所の様子がもう少しはっきりと見てとれるようになった。
「いいぞ、シーファ君。コントロールを慎重にな。もう少し、もう少し明るくしてくれ。」
カステルが片手をあげてちょうどよいと思しきところを合図しながら明かりの量を調整していく。セラもその光の先に黄金色の瞳を釘付けにしていた。どうやら天幕の下には、祭壇が用意されているようだ。
しばらくその儀式の様子を見守っていると、人間と思しき背格好の、やはり血染めの赤いローブをまとった人物が、祭壇の上に何か書物のようなものを慎重な手つきで据えている。それが彼らの聖典なのであろうか？
不思議なのはその天幕で、一見、大きな一枚布を何枚か用いた天蓋のように見えるが、よくよく目を凝らすと違った面持ちに感じられる。シーファが慎重に手元の魔法光を大きく、そして明るくすると、やがてそれの正体が明らかとなった。
「！！」
「なんとまぁ、こんなことのために盗んだ肌着を使っていたのか？」
「どうにも恐れ入る趣向ですわ。若気の至りもびっくりですわね。」
そう、三人が驚くのも無理はない。その祭壇を覆う天幕は、なんとこれまでアカデミーの多数の女生徒と、若干の男子生徒から盗まれたとされる各種の肌着を縫い留めてひとつの天幕状にしたものだったのだ。肌着からなる珍妙な天幕の下で、祭祀らしき人物がうやうやしく聖典を扱って、何事が深遠な言葉を古代の魔術語で語っている。それは今ではすでに失われた時代の魔術語で、その場にいるシーファたちには意味を理解することができなかった。
祭司は、聖典を飾り台の上から下ろし、祭壇の上にそれをうやうやしく置くと祈りを始めた。しかし、やはりその祈りの言葉も古代の魔術語で、アカデミーで学習する古典魔術語とも異なる、それより一層古い時代の言葉のようで、それを聞く三人は耳に届くその祈りの意味を理解できないことにいら立ちを覚え始めていた。
「あの破廉恥極まる天幕の下で古代語を用いたこの荘厳な儀式とは…。」
カステルが思わず言葉をこぼす。
「まったく、正気を疑いますわ。変態というより、もう常人の理解はとても及びませんわね。」
セラも言葉を失っている。シーファは目の前の光景に理解がついて行かないようで、ただただ不安と怒りと恐怖の入り混じった複雑な感情を唾液と一緒に飲み込んでいた。その額からは汗がぽろぽろと流れていく。
その祈りの声は永遠に続くかのように響き渡っていた。祭司の周りを取り巻く小柄の存在もその祈りの声にこうべを垂れている。
祭司の荘厳なる声は、いよいよ高みに達し、願いと希求を天に委ねるようなひとしきりの昂揚を見せた後で、次第に穏やかさを取り戻し、囁くような声になったかと思うとようやく途絶えた。
張り詰めた空気が緩むのがわかり、小さき者達も身体からも力が幾ばくか抜けているようだ。
それから祭司がゆっくりと上体を起こしてその目を開いた。
＊ ＊ ＊
祭司は、視線をシーファたちのいる通路の方に向けるとおもむろに口を開いた。
「ようこそ。『アカデミー治安維持部隊』の方々。よくぞこの神秘の儀式においでくださいました。」
その声に三人が驚いたのはいうまでもない。慎重に慎重を期して見回りにあたっていたつもりであったが、ここにいることを見透かされていたのだ。
「そんなに驚くことはありません。墓地での騒ぎのあと、あなたたちが追いかけてくるのは分かりました。ぜひ、あなたがたにもこの尊い儀式にご参加いただきたくて、それでお招きしたのですよ。」
「それはどういう意味かね？」
カステルが問う。
「そのままの意味ですよ、カステル警部。」
祭司は言った。
「！？君は、私の名前を知っているのかね？」
訝しがるカステル。
「もちろんですとも。捜査のためとはいえ、しかし我々の嗜好や興味に基づいて巧みに話を誘導できるあなたは、場合によっては我々のよき理解者となる可能性を秘めておいでですから。」
祭司はよく分からないことを言った。
「それはなかなか難しい相談であろうなぁ、祭祀殿。しかし、こんな夜更けに、地下墓地のこんなところでいったい何をしているのか、ぜひ教えていただきたいものだ。この天幕を見るに、君たちがアカデミーを騒がす泥棒だと思って間違いないのだろうね？」
その言葉を聞いて、祭祀はますます分からないことを言い始めた。
「ここは、花と花が実を結ぶための尊い在り方を称賛し、新しい生命が紡がれることを賛美し喜ぶところですよ。花は美しい。それは見事な花弁、放たれる芳醇な香り、その麗しい手触り、それだけではない。その美しさは実を結ぶための一連の営みそれ自体の中にありありと息づいている。その営みは快楽にあふれ、快楽は心の悦びと繋がりを生み出し、そしてそれは新しい実をつける。その実はやがて新たな生命を芽吹くのだ。これほどに素晴らしい営みが他にあろうか？あらゆる苦痛から離れ、相互理解と受容、自我の融解と混成、花と花が一つとなり快楽の先に新しい萌芽をもたらす。ここはその麗しい摂理を体現する場なのですよ。あなた方もぜひ、その美と快楽の極致を知るとよろしい。」
そう語る祭司の声は歌うようでありながら呪うようでもあり、陶酔と狂気にからめとられた不気味な独白であった。
「あなたは何を言っているのですか？」
その言葉を遮ったのはシーファだった。
「こんな破廉恥な天幕をぶらさげて、花と実を語るなんて。まるで、快楽愉快犯そのものではありませんか！あなた方の行いはアカデミーの禁に触れます。いますぐに異常行動をやめ、我々に同行しなさい！」
彼女は毅然と言い放ったが、祭祀は歯牙にもかけていないようだった。
「ああ、美しいもの、快いものを認められないとはなんという狭隘（きょうあい：せまいこと）な心の持ち主なのだ。それほど美しい花を咲かせながら、実をなすことを拒もうとは！カステルさん、あなたになら、僕の言うこと、すなわち、美しい花が紡ぐ命の実の尊さがわかるでしょう？」
祭司は話をカステルに振り向けてきた。
「確かに君の言わんとすることは分からないではない。我々はそれ自体が美しい存在ではある。しかし、美しいもの同士だから即座に交わって実をなせばよいという訳でもあるまいよ。君の言う通りだとすれば心の美と願いはどこに行くことになるのだろうか？ただ快楽の海におぼれて、実をなせばそれでよいのかね？」
カステルもまた、歌うようにして祭司に応える。
「ああ、やはり君には我々を理解する素質があるよ。どうだろう、快楽を通じて花を交えてみないか？きっと素晴らしい熱情によって君の言う心もまた麗しさと愛で満たされるはずだ。快楽には人を苦痛と苦悩から解き放ち、生へと立ち戻らせる根源的な力がある。快楽は善であり、すべての感情の母なのだから。花と花を快楽の中で交えることで、心身は満たされ、ひとつの悦楽の中にとけていく。そんな素晴らしい経験をしてみたいとは思いませんか？」
「誌的なのか下劣なのかわからぬ口説きをありがとう、と言うべきなのかな。君は肉欲的な快楽から愛が紡がれるのだと主張するが、あいにくとして私はそうは思わんのだよ。愛は純粋に内面から沁み出ずるものだ。愛情なき快楽など麻薬とかわらぬ。我々は快楽を伴なわなくても愛を紡げると、私はそう信じている。」
カステルの声が幾分かの厳しさをその響きに乗せる。
「おろかなことを…。精神のみの交流では実はつかぬでしょう。我々が肉という檻に捕らわれた生き物である以上、究極の愛の形は実を結ぶ仕方です。快楽はそれを後押しし、心を悦楽で満たし、その末に新しい生命を紡ぐ。それこそが自然であり摂理。それを理解できぬとは、残念きわまりない。この私も、そこにいる君たちも、すべてそうした快楽の末の産物なのだということを否定するというのだろうか！？」
俄かに祭司の言葉遣いが変わる。
「なるほど、それは否定しえぬ事実であろう。しかし、快楽と花の交わり、それがなければ実を生じないことは認めねばなるまい。しかしだよ、心の内から熱く燃え滾る相手への尊崇の情が愛を誘引し、それが原動力となって快楽が生じ、その結果麗しい喜びと情熱の発露の中で実が結ばれてもよいのではないかね？我々は人間だ。相互に思いやり、愛しむ存在でなければならない。それを一足飛びにして、ただ快楽で糊塗（こと）してしまおうというのは乱暴であるし、我々の精神の本質に反するのではないかね？」
カステルはそう続けた。カステルのその言葉を聞いて、祭祀はそのフードをゆっくりとはぐってその顔を見せる。
「やはり、君はブルックマンであったか。」
どうやらカステルにはすでにその正体が見えていたようであった。
「僕の名前は、トマス・ブルックリンだよ。でもまぁ、そんな些細なことはもうどうでもいい。カステル・ウィンザルフ。君とは愛の何たるか、快楽の後の麗しい実りについて語り合えると思ったのだが…。しかしどうやら、君とは見ているものが違うようだ。僕は、美しいものを、麗しいものをそのままに愛しいつくしみたいと願っている。しかし君はそこに裏切りや疎んじといった汚らわしい人間の精神性を持ち込もうというのだ。なんといじましいことか。これ以上、僕たちが分かり合えることはないだろう。残念だよ。僕たちの先生はその点で純粋であられた。肉欲を喚起するその耐えがたい美を、隠すことなく心底から純粋に賛美なされたのだ。美しいものは美しい。それが分からぬというのなら、ここを見られた以上、君たちには静かに姿を消してもらわなければなるまい。」
そういうと、トマスの周囲は夥しい魔力のオーラに包まれた。どうやらかれは魔法使いとしても相当の使い手のようだ。
対峙する三人の手にぐっと力がこもる。
＊ ＊ ＊
その時、三人の背後からひとりの人影が現れた。キース・アーセンだ。息を切らしながら彼はトマスに言う。
「トマス、もうこんなバカなことはやめるんだ。どんなに君が追い求めても、ロッティ教授はもう帰ってこない。」
落ち着き払ったトマスと対照的に、息を荒げるキース。
「そんなことはないよ。先生の足取りをずっと追っていて気が付いたんだ。先生の魂は今高次元空間に漂っている。」
「なんだって！」
驚きの声を上げたのはキースだが、その場に居合わせた三人も同様の感情を隠せない。
「先生の、いやかつて先生だったものの魂の欠片は、時にとらわれたリセーナ・ハルトマンとともにあることも分かった。それを取り戻せば、先生を僕たちのもとへ連れ戻すことができるんだ。」
「高次元空間！？時にとらわれたリセーナ・ハルトマン！？いったいお前は何を言っているんだ。時空の外になんて出られるはずはないだろう！」
キースにもトマスの言葉の意味は俄かに理解できないようだ。
「それがあるんだよキース。先生はこの聖典の中に、神秘に直接接触して高次元空間をいわば『航行』する方法を記しておられた。あの方は実に素晴らしい人だよ。」
「何が素晴らしい人だ！ロッティ教授は結局初恋に敗れた心痛をぬぐい切れずに、リセーナ・ハルトマンとふしだらな関係におぼれただけじゃないか。そんな人間の何が素晴らしいと言うんだ。肉欲の穢れが欲するままに快楽をむさぼりあうだけ、そんなもののどこが愛だっていうんだ。そんなもののどこに美しさがあるというんだ。目を覚ませ、トマス！」
声を張り上げ、懇願するように言うキース。狭い地下墓地にその声がいつまでもこだまする。
「キース、君にも分からないなんて残念だよ。美しいものは美しい。それは我々の肉欲を捉え、理性の箍を解放することで我々は快楽という耽美へと沈むことができる。それは夢であり至上の悦びだ。その末に新しい生命まで紡ぐことができるというのだ。これこそ愛といわずしてなんといおう。愛とは快楽、快楽とは悦び、喜びとは至福、そして至福とは人生の究極だ。」
そう一息で言ってから、トマスはふうと息を整えた。
「もういいだろう。わからないのなら、仕方がない。血筋よりも遺志の方が強いこともあるということなのだろうな。キース、今日までありがとう。そしてさようなら。」
そう言うと、トマスは右手に電を滾らせて、それを一気にキースに向けて撃ち出した！
「あぶない！！」
シーファはとっさに横っ飛びして、キースの身体を横倒しにする。足元に散らばる白骨のむくろががらがらと音を立て、その一部は崩れるように砕けていった。間一髪、トマスの放った雷は的をそれて石畳に着弾し、はじけ散る。
「大丈夫ですか！？」
「ああ、なんということはない。トマス！本当にもう分かり合えないのか！？」
胸を手繰るようにして言葉を絞り出すキース。その顔を横目で見ながら、トマスは言った。
「命拾いしたなキース。安心しろ、先生の意志は僕が継ぐ。君の役目はここまでだ。『アカデミー治安維持部隊』の諸君、君らにもここで行方不明となってもらう。僕にはまだやることがあるのでね。相手はこいつに任せることにするよ。」
そう言ってトマスが石床に大きな魔法陣を描くと、そこからひときわ大きな骸骨のアンデッドが姿を現した。それは身の丈５メートルはあろうかという巨漢で、キースと同じ血染めの赤いローブを身にまとっている。右手に、魔法光を滾らせ、左手には巨大な杖を携えている。その周りを小さな者たちが取り巻いていた。
「お前たち、何をしている。仕事はミニオン（従者）に任せて我々はいくぞ！」
トマスがそう声をかけると、小さき者たちは去り行くトマスの後を追いかけていった。
「待て！」
その背を追おうとするが、巨大なミニオンが体いっぱいにその通路をふさいで邪魔をする。その巨躯が杖を一振るいすると、あたりの柱や壁が崩れ去り、がらがらとけたたましい音を立てて地下墓地の空洞を塞ごうとする。
「大きすぎますわ。このまま暴れられましたら、皆揃って生き埋めですわよ。なんとかなりませんこと？」
セラが言った。
「そうだな。とっておきだが、これを使うか！」
そう言うと、カステルはローブの裾から一つの錬金爆弾を取り出した。シーファは落ちてくる瓦礫を避けるようにして、キースを連れて洞窟の入り口方面へと退避している。
「まあ、また爆弾ですの？」
「そりゃあ私は錬金術師だからね。これは『重力子爆弾』という特別製さ。まあ、見ていたまえ。」
セラの嫌味をそうかわすと、カステルは安全ピンを抜いて、その爆弾を見人めがけて投げつけた。放物線を描いて飛ぶ爆弾。ミニオンの巨躯と接触した瞬間、それはまばゆい魔法光を放って中から黒く重い重力体を生み出して、魔法光と共にその巨体を押しつぶしにかかった。黒い球体を中心に魔法光が幾重にもその身体を取り囲み、四方八方から絶え間なく重力をかけ続けて押しつぶしにかかる。
ミシミシ、ギシギシという音とともにその巨躯は球体と周囲の魔法光に圧縮され、５メートルはあったその身体は２メートルばかりに縮められた。
「まぁ、お見事ですこと。相変わらずあなたの技術は変わったものばかりですわね。」
驚きを隠さずにセラが言う。
「君のように優秀な者にそう褒められると気恥ずかしいものだな。」
「まぁ、よくおっしゃいますこと。」
そんなことを言いながら、小さくなったミニオンに向かって、セラが詠唱を始めた。
『水と氷を司る者よ。法具を介して助力を請わん。我は汝の敬虔な庇護者なり。今我が手に偽りの生命を形作らせよ。氷を積み上げそこに息吹を吹き込もう。アイスゴーレム召喚：Summon of Ice Golem！』
詠唱と共にセラの眼前の中空に巨大な魔法陣が展開し、そこに氷のゴーレムが形作られる。ソーサラーでありながら、セラは召喚魔法もこなすようだ！魔法陣の上に集まる冷気が大きくなるに従って、ゴーレムは瞬く間に輪郭を得て、その身の丈は３メートルほどになって、対照的に身体を小さくされたミニオンと対峙した。
アイスゴーレムは固い氷の拳をミニオンめがけて繰り出すが、そのミニオンはよほど強力な魔法で生成されているのであろう、膂力（りょりょく）に優れるだけでなく敏捷で、その攻撃を悉くかわしてく。それどころか、ゴーレムの拳が外れるたびに、それをかいくぐるようにして手にした杖でその氷の身体を粉砕していくではないか！
ゴーレムの四肢は度重なる杖の打撲を受けてひびが入り、砕け散り、ずいぶんと細くなって、ついには片膝をついてしまった。腿から下は完全に氷が砕けてしまっているようだ。それでも負けじと氷の拳を振るうが、腕にも杖を受け、ついには両腕を砕きもがれてしまった。
「ほう、やるな！あいつを相手に格闘は不利だ。攻め方を変えねばならんだろうな。」
そう言うが早いか、カステルは身をひねって前に踊り出すと、ローブの裾からいくつもの爆弾を取り出して、それを一気にミニオンめがけて繰り出した！
それは先ほどの重力の力のものとは異なり、閃光と火の力を込めた爆弾のようで、その破壊力はいかにも高そうであった。爆弾の群れが、ミニオンに襲い掛かる。ミニオンは、その身軽い体で、爆発を巧みに避けながら時に杖でそれを払いのけていく。流れ弾はことごとく哀れなアイスゴーレムに命中し、結局粉々になったのはセラの力作だけとなった。
「ちょっと、よく考えて爆弾を繰り出してくださいましな！」
セラがヒステリックな声を上げる。
「どういうことですか？」
シーファが咄嗟に問うと、
「この方、錬金術士なのに得意が爆弾と来ているものですから、弾切れを起こすんですのよ。継戦能力の短い術士なんて冗談じゃありませんわ。」
セラがそう答えた。
「ならば、動きを止めればいいのですね！」
「それは、そうですけれど…。」
セラの言葉を最後まで待たずに、シーファは詠唱を始めた。
『火と光を司る者よ。法具を介して助力を請う。今、我が手をして火を長き蔦となさしめよ。我が敵を絡めとり、それを戒めん。炎の鞭：Flame Wip！』
シーファの手から一筋の炎の流れが鞭のようにして撃ち出され、ミニオンの身体をからめとる。その炎には蔦のような性質があるようで、ふるいのけようにも身体に絡みついて身動きをとれなくする。文字通り炎の鞭であった。
ぐああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ！！！！
自由を奪われ怒りに任せて咆哮するが、もはやミニオンは思い通りに手足を搔い繰ることができないでいた。
そのとき、カステルがにやりと笑って得物を手にする。
「セラ、いつまでも私を爆弾魔のように言うなよ！」
「どういうことですの？」
そのセラの瞳の先には、カステルが手にする、禍々しい剣が映っていた。それは環鋸のような刃を刀身全体にもち、あまつさえそれが刀身をなぞるように回転して動くというもので、凶悪な破壊力を秘めているのであろうことを物語っていた。
「私も学習しない訳ではないのだよ。」
そう言って、シーファの方を見て不敵な笑みを浮かべた。
「助かった、シーファ君。君のおかげで、最高のお披露目ができそうだ。」
そう言うと、彼女のその剣の周囲の刃は、けたたましい音を挙げて魔術光を放ちながら回転し始めた。飛び散る火花のように、刃の周辺に魔術光の粒が煌めく。
カステルはそれを水平に後ろ手に構えると、一気にそれを真横に降り出して、炎の鞭に捕らわれたミニオンの上半身と下半身を切断し、返す刀で首をもぎ取った。
地下墓地の苔むした石畳の上にミニオンの骸骨の首はごろりと転がり、その周囲に下半身と切り離された上半身がどしゃりと覆いかぶさって、着けていた赤いローブが、その凄惨を静かに上から隠した。
＊ ＊ ＊
襲い掛かる脅威を退けて、トマスたちを追おうとしたが、すでにその姿はなく、静寂を取り戻した地下墓地の祭壇にはなお煌々（こうこう）とろうそくの火が灯っている。
祭壇にはトマスが祈りを捧げていた聖典らしきものが残されていた。
「ふむ、これが奴らの聖典なのだろうか？」
カステルが手に取って眺める。それは、厚手の日記帳サイズの書物で、表紙には『パンツェ・ロッティの閻魔帳』と古典魔術文字で書かれていた。表紙の下部にも何やら文字が記されていたが、それは古典魔術よりももっと古い時代の魔法文字で、カステルたちには直ちに判読することはできなかった。ただ、それよりも特徴的だったのは、その書物には２か所、厳重に鍵がかけられていて中を観られないようになっており、かつ、『透視：Scanning』の術式も通用しないように、何重もの障壁が懇切丁寧に施されていた。よほど見られたくないものがそこには記されているのだろう。
カステルは、隙間から中をのぞけないかとやってみたが、大小二つの鍵のうち、小さい方の鍵は実にきっちりと本を閉じており、僅かなりとものぞけるだけの隙間を作るということはできない念の入れようであった。
「『パンツェ・ロッティの閻魔帳』か…。これが亡きロッティ教授の遺品であることは間違いないが、こんなものに何の価値があるのか？」
本を片手に持ってあちこちと眺めまわしながらカステルが言った。
「まあ、開かないのではどうしようもないのではございませんこと。」
やるかたないという口調でセラも言う。
「ひとまず、あの天幕に用いられている盗品と一緒にこれを回収して帰りましょう。レイ警視監から魔法捜査研究所にまわして調査してもらえるかもしれません。今夜は逃しましたが、犯人も分かったことですし。」
シーファはそう提案した。
「そうだな。君の言う通りだよシーファ君。我々は今後も彼の足取りを追うこととするが、しかし、今日のところできることはこれ以上なさそうだ。どうやらこの奇妙な儀式やこの本については、彼も知らないようだしな。」
そう言って、カステルは、墓標の後ろに身を隠していたキースに視線をやった。
「それとも、何か教えてもらえることはあるかね？」
その言葉に、
「残念だが、俺もトマスが本当に何をしようとしているかは知らないんだ。あいつはロッティ教授の魂を呼び戻すことを考えている。でもそんなことできるはずがない。その本もあいつの持つ鍵がなければ絶対開かないようになっている。」
キースは観念したと言った口調でそう答えた。
「まぁ、そうだろうな。さきほどブルックマンと対峙したときの君に嘘があるとは思えない。」
そう言うカステルに、キースが言った。
「俺の知る限りのことは話すよ。トマスは…、あいつは俺を殺そうとしたけれど、それでも俺の友達なんだ。あいつを、あいつをあんたらに止めてもらいたい。」
そう語るキースの唇は震え、目尻には熱いものが込み上げていた。
「わかったよ、キッス君。これからは君の協力が不可欠になる。きっとブルックマンを止めよう。別れ際の彼は間違いなく狂気に捕らわれていた。まずは正気に戻してやらないといけない。そうだろう？」
「ああ、どうかよろしくたのむ。セラも、どうか。」
言い淀むようにしてセラの方を見るキース。
「まあ、ずいぶんと殊勝ですこと。よろしくてよ。これは我々エージェントの仕事ですから。気になさることではございませんわ。」
セラはそう答えて見せた。
「それから、君にも無礼ばかりを働いてすまなかった。改めて俺はキース・アーセン。どうか手を貸して欲しい。」
キースはシーファに手を差し出した。その手をとってシーファは言う。
「大丈夫ですよ。こちらこそ、今宵は大事無くてよかったです。事件解決に向けて、ご協力を感謝します。」
そう言って、残った方の手で敬礼して見せた。
＊ ＊ ＊
地下墓地の中を相変わらず薄気味悪い冷たい風が吹き抜けていく。それは今しがた目にした脅威と狂気を流水で洗い流すようなそんな面持ちにも感じられたが、しかし絶え間なく鼻を衝く黴とすえた油の匂いは、まだこの事件の入り口に立ったばかりであることを物語っていた。
厚い石畳の天上のはるか上を、中秋の名月が静かに宵闇を飾っている。
AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第５集その５『天幕と聖典と』完
本編後日譚第５集その５ 完