AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第6集その7『旅路の先に』
『タマヤの洞穴』の最奥にあるポータルを抜けたキースとライオットは、今、秋に彩られた荒野に佇む太古の神殿の前にいる。そこは、ディバイン・クライム山を更に南に越えた先にある荒野で、既に人々からは忘れ去られた場所であった。そこには『時空の波止場』の管理者、ブレンダを守るその夫、戦神ハーマが待つという。
ふたりは今、静かにその入り口の門に手をかけた。それは石のようでありながらも、よく見ると非常に古い錬金素材でできた大きな扉である。ライオットのお供である『アンデッド・オートマタ』が両手で押すと、その大きな門扉は地響きを伴ないながらゆっくりと内側へ開いていった。神殿の中は美しく整頓されており、それが太古から続く場所であることを忘れさせるかのようである。
広い絨毯引きの一本道を奥に進んで行くと、ひときわ天井の高い、広い部屋に出た。そこに独りの大男が佇んでいる。どうやら何事かあって傷んだ神殿の装飾の一部を修繕しているようだ。来訪者に気が付いたのか、手を止めてゆっくりと視線をこちらに向けた。
「おお、こんなところに客が来るとは珍しい。ルクスの言っていた時空の旅人か?ここに何の用だね。」
そう声をかけてきた。
「あの、俺たちは訳あって『時空の波止場』の使用権を求めに向かっている。あなたがその管理者なのか?」
キースが訊ねた。
「いやいや、『時空の波止場』の管理者は我が細君、黄金のブレンダ君である。わしは、ここで彼女のことを守っているにすぎない。自己紹介が送れたが、わしはブレンダの夫で彼女の守り手、戦神ハーマである。」
大男はそう名乗った。
「どうも。突然の来訪、申し訳ない。俺は魔法アカデミーの学徒で、権威:Expert 第2学年のキース・アーセン、こちらは同じく権威:Expert の第1学年のライオット・レオンハートだ。御細君のブレンダ殿にお会いしたいのだが、お取次ぎ願うことはできないだろうか?」
そう応じるキース。ハーマは小気味よい笑い声を上げて言った。
「これはこれは、このわしを見ても物おじせんとはなかなか見どころのある若人だ。もうひとりの、おなごがおのこか分からん者も実に興味深い。わしは戦神などといわれているが、争いは好まぬ。それに、我が妻の話では、彼女らの首魁のルクスと、君たちの代表者との間では話がすでについていると言うではないか。従って、わしとしては特段お前たちの行く先を妨げるつもりはない。」
そう言うと、ハーマは戦意はないというようにして、手にした巨大な戦斧の刃を下に向け、それを地面と接触させた。
「では、どうすれば、御細君のもとへ案内いただけるだろうか?」
キースは率直に訪ねた。
「そうだな…。実は君たちも気づいておるとは思うが、わしは今この神殿の修繕に少しばかり手を焼いておる。それでその手伝いというか、人手が欲しい。見たところ君たちは非常に面白い連れを伴なっておるではないか?それをわしに譲ってもらうというのではどうだろうか?」
ハーマは、ライオット謹製の『アンデッド・オートマタ』の方を見てそう言った。一目見てこのオートマタの機能と性能に気づいたのはさすがといえばさすがであろう。しかし、それを相棒としてこよなく重宝しているライオットがどう言うかである。確信の持てない眼で、キースはライオットの顔を見た。
ところが、ライオットは、まったくもって何食わぬという顔をしていた。
「いいっすよ。おっさんの役に立つならあげるでやんす。ただ、こいつはちょっと造りがデリケートでやすからメンテナンスが面倒っすけど、それでもいいでやすか?」
そう言ってのけるではないか?
ハーマは満面の笑みを浮かべて応えた。
「ははは、なんということはない。我が奥方は錬金術の卓越者であるからな。その程度は造作もない。それでは、それをもらい受けてよいのだな?」
ライオットの意思を確認するハーマ。
「もちろんでやんす。道具はそれを必要とする人の役に立つのが一番でやんすよ。それが今はおっさんだというのであれば、こいつはおっさんが使うべきでやんす。今、制御を書き換えるでやすから、ちょっと待つっすよ。」
そう言うと、ライオットはオートマタの体躯に設置された制御用のメダリオンに刻んである自分の名を短刀の刃先で削り取った。
「おっさん、名前はなんでやしたかね?」
なんと、彼は実に著名な三戦神の一柱、ハーマの名を再度訊ねるではないか!
「ははは、これはいい。実に面白い青年と出会えたわい。わしはハーマ、ブレンダの夫で『時空の波止場』の守り手である。こんな具合でよいのかな?」
ハーマは屈託なく答えた。
「おっさん、肩書はいいっすよ。名前だけ刻めばこいつはおっさんのいうことを聞くようになるっす。」
神をも恐れぬとはまさにその通りで、ライオットはそう言い放った。しかし、そうした磊落をハーマは嫌いでないらしく、ついでに愛妻ブレンダの名も刻んでおいて欲しいと、そうライオットに要求していた。ライオットは、古式ゆかしい屍術の作法に則って、ハーマとブレンダの名を制御用メダリオンに刻印していく。それをオートマタの体躯に戻すと、これまでとは違う色の、ちょうど、ハーマやブレンダを思わせるはちみつ色の魔法光が、柔らかくオートマタの全身を包んだ。
「おっさん、これでいいでやんすよ。何なりと使ってやってくれでやんす。メンテナンスの時には奥方のいうことを聞くように言いつけてあるでやんすから。」
「そうか、それは助かる。では約束だ。ブレンダのもとに案内しよう。といっても難しいことではない。この神殿の最奥、ちょうどわしの真後ろだ。そこに黄金のポータルがあるだろう?そこが『時空の波止場』に繋がっている。ブレンダはちょうど『星天の鳥船』の搬入作業に立ち会っているだろうから、港の方を探してみるといい。すぐに出会えるはずだ。それでは、わしはこの神殿の修繕を再開するとするかな。若人よ、会えて楽しかったぞ。」
「こちらこそでやんす、おっさん。」
「ありがとう、ハーマ。」
ライオットとキースはそう感謝を告げてから、ハーマが示してくれたポータルの中へと姿を消していった。はちみつ色の光に包まれ、渦を巻いた後で、二人は光の粒となってその中に消えていった。
気が付くと、二人は雲の海にかかる桟橋の脇のポータルの出口にいた。
* * *
「すげえ、雲の上を船が行きかっているでやんすよ。本当にここから星天の海に旅立つことができるんでやんすね。」
ライオットの瞳が好奇の色に輝いている。
「夢幻(ゆめまぼろし)のように思っていたが、実際にこうして目の当たりにするとさすがに驚きだな。トマスの奴は本当にこんな方法を自分一人で発見したのだろうか?」
キースも驚きを隠せない。
「それはトマス兄に会えばわかることでやんすよ。今は先を急ぎやしょう。ブレンダさんとやらに会わないと。」
そう言って、ライオットはキースのローブの袖口を引くようにして先へと進んで行った。
「ハーマのおっさんは、ブレンダさんは港の方にいると言ってやしたから、きっと向こうの方ですよね。たくさんの船が出入りしてるでやんすよ。」
「ああ、出入りというより、空から飛んできて降り立っているな。文字通りの鳥船だ。こんな技術が魔法社会にあったとは知らなかったぜ。」
「そうでやすね。おいらたちの住んでいる現代魔法社会では、近頃開発された錬金自律駆動車がせいぜいの最新技術でやんすよ。まあ、魔法使いは『虚空のローブ』があれば空は飛べるでやんすから、空飛ぶ船がそもそも要らないといえばそこまでな訳でやんすが。」
「まあ、確かにな。でもさすがに初めて見ると言葉を失うぜ。まして時空を行こうってんだからな。」
キースの心はすっかり眼前の奇跡的な情景に奪われていた。
そんな二人の目の前に、ひときわ大きな船が入港してくるのが見えた。
それは、魔法光で撚られた係船索(けいせんさく)で岸壁に繋がれ、魔法的な力によってその場に浮遊している。見て確認できる限りでは左右に2枚の大きな翼が広がっており、その下部には魔法制御式の内燃機関と思しき機構が4つ接合されている。しかしよく見ると、その左右の翼は更に展開して4枚になりそうな構造を持っているようにも見えた。
「あれが『星天の鳥船』じゃないすっかね?」
ライオットが訊いた。
「よくわからないが、様子からしてどうもそのようだな。とにかくあのあたりに行ってみよう。」
キースはそう号令して走り始めた。桟橋に繋がれた船に向かって駆けていくと、それが遠目に見ていた時よりも遥かに大きいものであることがわかった。
「めちゃくちゃでかいっすね。」
「そうだな。」
そんな感想を交わしながらも、ブレンダらしき人物を探す。すると、ちょうど繋がれた船の船尾のあたり、桟橋の突端が雲の海に対して切れるあたりに、はちみつ似た黄金色の魔法光を放つひとりの女性が立っていて、何事がを指図しているようであった。
「あれじゃないっすかね?」
「行ってみよう。」
二人はその人物のもとに近づいた。
* * *
「すまんでやんす。」
その威厳ある太古の魔法使いの姿に、臆して声をかけそびれたキースに変わって、ライオットが声をかけた。その魔法使いは作業の手を止めて、ゆっくりと声の方に向きを変える。
「なんでしょう?あら…?」
そういって、何か得心行ったような表情をした。
「あなた方が、ルクスの言っていた方たちですね。ハーマがここまで通したということは、私にとってはもはや客人です。お話を伺いましょう。」
そう言って、魔法使いは神秘の笑みを浮かべて見せた。
「私は『時空の波止場』の管理人、人は私のことを黄金のブレンダと呼びます。ハーマの妻でもありますわ。」
「どうもでやんす。おいらとアニキは魔法アカデミーから来たでやんす。実は訳あって『星天の鳥船』で時空を航行しなければならなくなったでやんす。それにはおいらたちの大切な友人も関わっているでやんす。だから、どうしてもこの『時空の波止場』の使用許可を与えて欲しいでやんすよ。」
ブレンダの神々しい威容に圧倒されるキースとは対照的に、ライオットは友達にでも話すかのようにして話題を進めていく。
「おやおや、今日はまたずいぶんと時空を旅したいお客様が多いですわね。」
そう言って、ブレンダは笑みを浮かべた。
「それはどういうことだ?」
思わずキースが訊ねた。
「いえ、あなた方がいらっしゃるほんの少し前、あなた方と同じようなことをおっしゃって『時空の波止場』の使用権を求めた人物があったのですよ。その者はハーマを力で退けたとかで、神殿があちこち傷んだと夫はふくれておりましたわ。」
なるほど、それでその傷んだ神殿の修復に勤しんでいたということだったのか。先に来た人物とはだれか?思い当たるのは…!
「もしかして、その人物というのは、トマス、トマス・ブルックリンという名ではなかったか?」
キースが訊いた。しかし、ブレンダは首を横に振って言った。
「いいえ、そのような名前ではありませんでした。彼は自分を『天の川を船で翔ける偉大なる使徒』と名乗っておりました。もちろん本当の名も明かしてくれましたが、あなたのいうお名前ではありませんでしたわ。」
「そうか…。なあ、ライオット。今の二つ名を聞いたことがあるか?」
「いや、おいらはないでやんす。トマス兄とは別口かもしれないっすね。」
「だといいんだがな。タイミング的にはぴったり過ぎて少々気になるな。」
「たしかに、そうでやんすね。」
「それで、その偉大なる使徒とやらは使用権を得たのか?」
キースが確認した。
「ええ、彼は非常に特別な契約書面を持っていましたし、持ち込んだ時空航行船にも問題ありませんでしたから、許可を与えました。」
「その人物に会うことはできないか?」
「残念ながら、波止場の使用許可を得るとすぐに出航してしまわれました。小型の高速艇でしたから、今から追ったのではもう間に合わないでしょう。お知り合いなのですか?」
「いや、今の時点ではなんとも言えない。せめてそいつの目的地を教えてもらえないか?」
「残念ですが、お客様のプライバシーに関わることですのでみだりにお教えできません。何か、せめてあなた方との縁(よすが)をお示しいただければ別ですが…。」
少し申し訳なさそうに、しかし毅然とブレンダはキースの申し出を断った。
「そうか…。」
それ以上、キースは何も言えなかった。
「それより、あなたがたのお話をしませんか?ルクスの話では『星天の鳥船』による時空航行のために『時空の波止場』の使用許可が欲しいのですよね?」
大きく頷いて応えるキースとライオット。
「あなたがたは夫に好かれたようですし、あなた方の代表者とルクスとの契約も正式に締約されたようですから、私としては拒む理由はありません。」
「じゃあ!」
「ええ、『時空の波止場』の利用を許可します。
「ありがとう!」
「助かるでやんす。」
二人は大任をやりおおして肩の力が抜ける思いだった。
「しかし、こうしてご覧いただけるように『星天の鳥船』は入港し係留されてはいますが、動力と燃料、それから起動用の鍵がまだこちらに届いていません。ですから、それらが届くまでしばらくここでお待ちいただく必要があります。それは構いませんか?」
「ああ、もちろんだよ。俺たちの方としても使用権をもらえたことを各所に連絡する必要があるから、居場所を与えてもらえると助かる。いろいろ感謝するよ。」
「そうですか。では、港の奥にある第7船員室を臨時にお使いください。船旅を終えた船員が次の出航までの感、日々を過ごす場所ですから、必要な家具一式は揃っています。機材の搬入がすべて終わるまで、そちらでおくつろぎください。私は、あなた方が無事に到着されたこと、それから使用権を授与したことをルクスたちに伝達しておきます。そう遠からず、必要なものは届くでしょう。それまではしばしご休憩です。では、この後はご自由にどうぞ。」
そういうと、ルクスはキースに署名入りの証書のようなものを渡してくれた。
「それが、使用権を証明する証書になります。紛失にお気をつけくださいますように。それでは、私にはまだ搬入作業が残っておりますのでこれで失礼いたします。」
そう言って、ルクスは踵を返すと『星天の鳥船』の船尾の方に向かって歩いて行った。その後を美しい黄金の魔法光がゆらゆらと付き添っていく。
「アニキ、それじゃあ一服といきやしょうや。」
「そうだな。皆が集合するまで、一足先に休ませてもらおう。」
キースとライオットはそう言って、用意された第7船員室の中へと姿を消していった。船の動力や霧笛、荷を積み下ろしする音が絶え間なく神秘の港を彩っている。
* * *
一方、シーファ、リアン、カレン、アイラの4人は、『バレンシア山脈』にそびえる喜望峰の奥深くに隠されていると言われる『アインストンの工房』をめざして、インディゴ・モースの街を経由して東方街道から東の荒野を進んでいる。そこは、かつて抑えきれぬカレンへの恋慕から手長翼竜の目を求めて進んだあの行程と同じであった。しかし、そこを行くリアンの横には、今はそのカレンが同行している。4人は秋一層深まる9月末の荒野をずんずんと東に進路を取っていた。そこは万年雪を戴くバレンシア山脈から吹き降ろす北風によって、この時期にはもう冬の寒さで、ローブの胸元を固く締め、枯草をかきわけるようにして進んでいかねばならなかった。
4人の進行方向とは真逆に進む太陽の光は瞬く間に届かなくなり、影ばかりが進行方向に長く伸びて、それもやがて宵闇の中に同化していった。『バレンシア山脈』の、喜望峰の登山口にとりつくにはまだいくばくかの距離があったが、あたりが急速に明るさを失いつつある中、これ以上の進行は危険であった。
「今日はこの辺りまでにしましょう。ずいぶん風が出てきましたし、もう陽がありません。」
そう言ったのはアイラだ。
「そうね。アイラの言う通りだわ。かろうじて西の空に夕日があるうちにテントを張ってキャンプの用意をしましょう。」
シーファの応答に、リアンとカレンも頷いて応えた。
リアン、カレン、アイラの3人でテントを立てることとし、ウィザードであるシーファは火おこしを担当した。山から吹き降ろす夜風は想像以上に冷たい。かじかむ手をこすりながらなんとか手指を駆使してテントを立てていく3人、その横でシーファは集めた薪に魔法の火種を移していた。やがて、赤い火がともり、その場に明るさと熱が戻る。テントもどうにか設営できたようだ。めいめい、その中に荷を下ろし、夕飯の準備を始めた。といっても魔法瓶詰くらいしかなく、味なものを期待するのは難しかった。
「お口に合うかどうかわかりませんが。」
そう言ったのはアイラであった。
「この時期、お店には秋野菜とキノコの魔法瓶詰が入荷するんです。といっても普通のものとそれほど変わるわけではありませんが、この時期ならではの味覚を楽しむことだけはできると思います。それと、僅かですが、乾燥魚介を持ってきましたから、それを使って料理を作りましょう。材料が材料ですから、味の保障はできませんが、魔法瓶詰だけ食べるよりは温かいだけでもましだと思います。」
荷物の中から、とりどりの魔法瓶詰を取り出し、それらを調味料と一緒に並べながら、手際よく段取りをしていくアイラ。奉公人時代、店の奥方に仕込まれたというその料理の腕はいつもながら見事であった。
乾燥魚介で出汁を取った後のスープの中に、魔法瓶詰の中から季節野菜とキノコ類は鍋に移されて、静かに煮付けられていく。やがてふつふつと煮え時が伝えられ、アイラは串を野菜に通してはその煮え具合を確認していた。鍋の真ん中には、魔法瓶詰用としては大ぶりのかぼちゃが鎮座しており、これに火を通すのは大変にも思われたが、アイラが繰り出す串はすっとその実を皮まで貫通し、よく火が通っていることを教えてくれた。アイラが鍋に胡椒とハーブを加えると、鍋からは胃の腑に刺さるような魅惑的な香りが一気に立ち上るようになった。リアンの青い瞳が視線を一心に注いでいる。
「よかったら、これも食べませんか?あらかじめ焼いてあるので、火を通すだけで簡単に食べられますよ。」
そう言って、荷から何物かを取り出したのはカレンだった。それは同じく秋野菜と果物をふんだんに使ったパイで、実においしそうであった。リアンが秋の果物を好物としているということを知って作ってきたのだそうだ。いつの間に二人はそんなに仲良くなったのか、シーファとアイラは少し妬けるような思いで、そのパイの登場の経緯を聞いていた。
「いいですね。一緒に焼きましょう。」
そう言って、アイラはパイも火にかけた。香ばしい匂いがあたりを包む。ほどなくしてスープとパイは食べごろとなった。
* * *
「いただきます!」
楽しそうな四重奏を奏でて食事を始める4人。穏やかな時間が流れていく。
「ねぇ。カレン、知ってる?あなたに会いに行くための旅をしているときのリアンの剣幕ったらなかったのよ。ねぇ、アイラ。」
シーファが少し意地悪っぽい調子で言った。
「そうでしたね。あのときのリアンには鬼気迫るものがありました。つい最近の出来事ですが、もうずいぶんと昔のことのようにも思えます。」
アイラが応じた。リアンはなんとも面はゆいという顔をしている。
「でも、みんなが会いに来てくれて嬉しかったです。もうずっと『アーカム』から帰れないのかと思ってましたから。」
そう言うカレンに、
「『みんな』じゃなくて『リアン』が会いに来てくれて、でしょ?」
シーファはそう返した。
「まぁ、シーファってそんなに意地悪でしたっけ!?私はみんなに会えて嬉しかったんです!」
そう言うカレンを、何か言いたげな目でリアンが見ていた。
「イノシシはなんでも猪突猛進で行けないのです。カレンの心は広いのですから、みんなの来訪が喜ばれたのですよ。」
「まぁ、どうかしら?」
深い橙色の瞳を細めてリアンを見やるシーファ。リアンはバツが悪そうにこめかみを人差し指でポリポリとかいている。
「でも、お姫様はやっぱり特別でしたよね。」
「アイラまで!!」
そんなやりとりがいつまでも続いていた。『アーカム』を探す一件があってから、リアンとカレンの間に特別の縁(よすが)が紡がれているのは誰の目にも明らかであった。しかし、それとは別に4人の間柄もまたその絆を一層強めているようである。
「やはり魔法瓶詰を使うと、ちょっと塩味が勝ってしまいますね。カレンのパイは絶品ですが。」
アイラがふとそんなことを言った。
「イノシシの胡椒効きすぎ料理よりは全然いいのですよ!」
「まぁ、生意気言っちゃって!」
「本当のことなのです。」
「ところで、リアンの言う、そのイノシシというのは何ですか?シーファを指しているのはわかるのですが。」
アイラが訊いた。
「先生が言ってたですよ。シーファはイノシシだって!まぁ、でもあの後、私たちも同じようなことしてこっぴどく叱られたりしましたが…。」
「それが馴れ初めだもんね?」
シーファのからかう口調はかわらない。
「だからそんなんじゃないのですよ。」
「じゃあ『どんなん』なのかしら?」
お酒でも入っているのかと思えるほどに今日のシーファは饒舌だ。彼女もまた年頃だ。普段は『アカデミー治安維持部隊』の非常勤エージェントとして肩の凝る仕事をしている彼女だが、やはり気の置けない間柄の中ではこうした話題に花を咲かせたいのだろう。
「そんなだから、シーファにはいつまでたっても恋人ができないですよ。」
「まぁ!リアンたらずいぶんじゃない?いいのよ。いざとなればアイラがいるから。ね?」
そう言ってアイラの方に視線を送るシーファ。
「考えておきます。」
お茶の入ったコップを傾けながら、アイラはさすがの大人な対応をして見せた。
月がゆっくりと天頂付近からキャンプの場を青白く照らしている。その周りでは色とりどりの星座が天球の中で踊っていた。
「さあ、リアンとカレンの蜜月について、もっといろいろ聞いてみたいところだけれど、明日も早いからもう休みましょう。」
そう言って、シーファは席を立つと食器の片づけを始めた。汲んできた清水で軽く食器をすすいだ後、手拭いでぬぐってそれらを荷に仕舞う。鍋や調理具にも同じ所作を施して休む準備に取り掛かった。
もうすこし『バレンシア山脈』に近づけば別だが、この東の荒野にはほとんど生き物がいない。フクロウの声も野犬の遠吠えもそこにはなく、宵闇の暗さとそれを切り裂くように吹き抜ける北風の音が、静けさを際立たせていた。
先にテントに入ったのはリアンとカレンだった。シーファとアイラは火の始末をしながら、あたりを警戒している。
「ねぇ、あの二人どこまで進んだと思う?」
思いがけないことをシーファが訊いた。
「さぁ、なんとも想像がつきませんが、私たちはまだ14歳ですから、それは知れてるんではないですか?」
アイラが見解を述べる。
「どうかしら。あのときのリアンの様子は本当に尋常じゃなかったもの。ひょっとして大人の階段を上ってたりしてね。」
「まさか!?あの冷静なカレンに限ってそんなことはないでしょう。まあ二人の間柄が特別なのはもう隠しようがないですけどね。それにしても、シーファ、ずいぶんふたりの関係に興味があるみたいですね。何か特別な関心でもあるのですか?」
アイラがそんなことを聞いた。
「ううん。そういうわけじゃないのよ。正直言うとちょっとうらやましいの。私はまだ誰かにそういう感情を抱いたことがないから、どんなふうなのかなって…。」
「シーファには気になる人はいないのですか?」
「尊敬する方はたくさんいるわ。魔法学部長代行先生に、レイ警視監、カステル警部にセラ警部補、みんな優れた人たちだわ。」
「でも、それとはまた別、ということですね?」
「そうね。まぁ、私自身がよく分からないんだけど。でも、リアンを見ていると本当にうらやましく思うの。あんなにまっすぐに誰かを想えるって素敵なことじゃない?いつか私にもそんな日が来るのかなって…。」
いつになく遠い眼で虚空を仰ぐシーファ。その瞳に数多の星々が映っていた。
「それは間違いないですよ。どういう形になるかは分かりませんが、きっと運命で結ばれた人がシーファの前に現れますよ。だから、今を一生懸命で、それでいいんじゃないですか?」
少しトーンをおとした優しい調子でアイラが言った。
「ありがとうアイラ。さっきの話、まんざらでもないからね。いざとなったら頼むわよ。」
シーファはそんな言葉をアイラに向けた。
「まあ、シーファ。今夜は酔ってますか?」
「お酒なしで酔えるほど変人じゃないわよ。そもそも飲んだことないし。」
「そうでしたね。」
そう言って、清々しい笑顔を交わしながら、二人もまたテントの中に入って行った。そこではすでに安らかな寝息の二重奏が奏でられていた。互いの手の小指だけをほんの少し絡めているのがほほえましい。既に夢の中にいるリアンとカレンを起こさないようにしてシーファとアイラも床に就いた。
天空を舞うひょうひょうという北風だけが、一晩中少女たちの枕もとで自然の歌を奏でていた。朝まではもうしばらく長い。彼女たちの精神は今夢に捉えられていた。
AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第6集その7『旅路の先に』完
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