AIと紡ぐ現代架空魔術目録 本編第８章第１節『アッキーナ誘拐事件』
この魔法社会は、四大天使に対する信仰を秩序と倫理の根幹に据えている。火と光を司る厳格な大天使長ミカエル、生命と霊性の均衡を司る慈愛の大天使ガブリエル、時間と空間を司る友愛の大天使ラファエル、そして水と氷を司る自尊の大天使ウリエルの４柱である。かつては、それらの大天使を統べ、神秘それ自体を体現する『神』と称される存在があったが、それに対する直接の信仰は、今ではもう失われていた。そのため、神秘の探求は、四大天使への信仰を通して行われるものとされている。純粋無垢な穢れなき霊性をたたえ、現在・過去・未来の全てを見通す万能性と普遍の善性を備えた、時空をも超越する至高の存在『神』の姿は、すでに神話の彼方に忘れ去られていた。
しかし、その隠された神秘にたどり着き、自らの存在でもってそれを再現せんと試みる者がいた。その者は、事あるごとに自己の内面に鎌首をもたげてくる肉欲の穢れを大いに嫌悪し、それを拭い去って純真な霊性を手に入れたいと切望していた。そしてその実現のために、『神』の神秘を懸命果敢に追い求めていたのである。しかし、そうした信仰的熱狂は、往々にして狂気と一体をなしやいもので、その者もまた例に漏れず、生命の尊厳にあだなす恐るべき禁忌に、今まさに触れようとしていた。
＊ ＊ ＊
漆黒の闇の中をひとりの人影が駆けていく。その者はローブで全身を覆い、フードを目深にかぶり、ヴェールでしっかりと顔を隠して、深夜のアカデミーの前庭を、初等科の寮棟に向けて急いでいた。
いかに崇高な神秘を探求するためとはいえ、また、その霊性の純粋にたどり着くためとはいえ、無垢な子どもをその実験台にすることは許されざる悪辣である。そう考えると、握る手に力がこめられた。急いで救い出さなければ！また、その呪われた術式からその子を解放することができるのならば、何としてもそれを成し遂げなければならない。そう決意して、ある一室に向けその足をかいくっていた。
初等科の寮棟はすでに寝静まっている。明かりを灯した部屋はごくわずかであった。石畳を踏む足音を懸命に殺しながら、その子の眠る部屋へと近づいていく。あった、ここだ！戸に手をかけるが、入り口は当然にして固く施錠されていた。
『錬金の力を司る者よ。我にその技巧を授けよ。閉ざされたものを開き、開かれたものを閉ざせ！不触の鍵：Invisible Keys！』。
その者は囁くように詠唱して、その戸の鍵を開けた。カチャリという小さな金属音を奏でて、扉はその防備を解く。ドアノブに手をかけると静かに扉が開いていった。戸口に隠すようにして、その身体を中へと滑り込ませると、小さな魔法の灯火をその手に灯して、ベッドのある場所へと進んでいった。
やがて、寝室の隅に置かれた小さなベッドが目に入る。その上で、少女が安らかな寝息を立てていた。そこに静かに進み出て、少女の顔のあるあたりにしゃがみこんで肩口に手を伸ばし、小さな体を起こそうとしてゆすった。
「もし、起きてくださいな。」
「う、ううん…。」
少女が声を出す。
「さぁ、起きてちょうだい。」
そう言って、更にその身体をゆすった。
やがて少女が目を覚ます。自身の体をゆする者の姿を見て、彼女は俄かに身体をこわばらせ、おびえた姿をみせた。思わず、声を上げようとするとその口をやさしくふさいで、その影は言った。
「こわがらないで。大丈夫。私はあなたの味方です。あなたを助けに来ました。ここから私と一緒に逃げましょう。」
そういうと、少女はよくわからないという風にして訊いた。
「助けるって、どういうことですか？私は別に困っていませんが…。」
「そうね。あなたの胸を見せてもらえるかしら？」
それを聞いて、少女は上着の襟元を少し開いて見せた。そのきゃしゃな首元のちょっと下側、ちょうど両方の鎖骨の下側に、エメラルドの色をした卵型の法石のようなものが埋め込まれており、それは生命力に彩られた妖しい魔法光をたたえていた。
「これはどうしたの？」
「あたしの治療のために必要だと言って、アカデミーの医療班の方が埋め込んでくださったのです。これがあれば、私の不治の病を治すことができるらしいのです。」
少女はそう語った。
「そう…。そう聞かせられていいるのね。」
その者は少女の瞳を見つめた。その瞳は、胸に埋め込まれたものと同じエメラルド色の美しい光を放っていた。
「いい。よく聞いてちょうだいね。」
そう言って言葉を紡いだ。
「あなたの胸に埋め込まれたその法石にはね、ちょっとした秘密があるの。それはあなたを大きな運命に巻き込むことになるわ。でもね、その運命はおそらくあなたを幸せにはしないでしょう。今すぐに私を信じてというのは難しいかもしれないけれど、それを身に着けてから、あなたの身体に変わったことはない？」
そう訊くと、少女は不思議そうな表情を浮かべてからこう言った。
「はい、身体の中で何かがうごめくような、そんな不思議な感覚に襲われることがあります。それから…。」
少し言いよどむ。
「それから、どうしたの？」
「同じ医務室で同じものを埋め込まれた子たちが、たくさん亡くなりました。みんな病気が良くならなかったとかで…。でも、これを埋め込まれてすぐ亡くなった子もいます。」
そう言って少女はうつむいた。
「そう、怖い思いをしたのね。もしあなたが、その胸のモノについて本当のことを知ろうと思うなら、それから、あなたの運命を自ら切り開いていきたいと願うなら、私と一緒に行きましょう！ここにいてはあなたもその子たちと同じ運命をたどることになります。一緒に行って、生き抜きましょう！」
そう語るサファイアの瞳は、まっすぐに少女の瞳を射抜いていた。
少女はなお分からないという顔であったが、そうこうしているうちに、俄かに外が騒がしくなってきた。漏れ聞こえてくる声はこう語っている。
「この辺りに侵入者があるようだ。被検体を狙っている可能性がある。」
「貴重な被検体だ。秘密を守らねばならない。もし、侵入者がすでに被検体と接触しているのなら、被検体ともども抹殺せねば！」
少女の顔に不安な様相が浮かぶ。
「被検体って、何ですか？」
「その言葉を聞いたことがあるの？」
「医務室では、先生方はスタッフの人たちと、あたしたちのことをそう呼んでいたんです。あたしは殺されてしまうのですか？」
少女の声が恐怖の色を帯びてきた。
「大丈夫。そんなことにはならないわ。そのためにも、急いでここを離れましょう。」
少女は今なおわからないという顔をしながらも、頷いて答えた。
サファイアの瞳の持ち主は、ベッドから起こした少女にローブを着せ、静かに戸口を出た。あたりを見渡すと、アカデミー治安維持部隊の中でも特別のエリート部隊が、カンテラを手に周囲を捜索しているのが確認できた。
初等科の寮棟は中庭に近いところに位置しており、そこからゲートまではかなりの距離がある。これだけの数の見回りの目を欺いて逃げ出すのは至難かもしれない。サファイアの瞳に緊張が走る。しかし、この少女をむざむざ犠牲にすることもできない。そう意を決してゆっくりと歩き始めた。建物の壁沿いに、植木に身を隠すようにして少しずつ移動する。開けた通りに差し掛かる時には、十分にあたりを見回してから慎重に移動した。もうすぐ中庭だ。そこには、植木や立ち木こそあるものの、連続的に身を隠すことのできる塀などの大きな造作物がない。その向こうの通路まで、一気に駆け抜ける必要があった。周囲では見回りのカンテラの火がちらちらと行き来している。
「さぁ、いきましょう！」
そう言って少女の手を引いた、その時だった。
「いたぞ！あそこだ！」
奥の通りから声が聞こえる。しまった！見つかってしまった！
「急ぎましょう！」
少女の顔を見ると、その表情は恐怖に彩られていた。
「大丈夫よ。任せておいて。」
その小さな体をかばうようにして先に行かせる。中庭向こうの通りにまで出てしまえば、身を隠すこところはいくらもある。とにかくそこまで行ってしまわなければ！そう思って懸命に走って行った。
「待て！待たんか！」
後ろから声が近づく。
「とにかく奴らを始末しろ！急げ。」
物々しい声が聞こえてくる。
「大丈夫よ、とにかく走って！」
中庭を抜け、通りに出る。そこは両脇に壁がそびえる真っ暗な場所であった。
『時間と空間を司る者よ。空間の影に我が姿を隠せ。敵の目を欺かん。秘匿の影：Invisible Shade！』
そう詠唱すると、ふたりの逃亡者の姿は完全に暗闇の中に溶け込んでいき、カンテラの光にもその姿は映らなくなった。追いついてきた追っ手は、１本道に追い込んだはずの姿がないことに困惑している。
「どこだ！どこにいった？」
「探せ、このあたりに潜んでいることは間違いない！」
そういって周囲を隈なく捜索するが、魔法のヴェールに気づくことはないようだ。ふたりはその魔法の影の中で息を殺しながら、あたりの警戒を怠らない。
「まだ、中庭に潜んでいるのかもしれん。もう一度探すぞ。」
そう言ってカンテラの光はふたりの影から少しずつ遠ざかって行った。
「どうやら、大丈夫のようね。」
そう言って少女の手を取った。その小さな手は、汗でぐっしょり濡れている。
「さぁ、もう心配ないわ。行きましょう。」
真っ暗なその通りを抜けて、ようようアカデミーの前庭に出ると、月があたりを薄っすらと照らし出していた。幸いにして追っ手の姿はこのあたりにはないようだ。
「今のうちに。」
少女の手を引き、ゲートに取り付く。
「ここまでくればもう安心よ。」
そう言って、漆黒の闇に覆われるアカデミー前の大通りに出たその影は、そのまま南大通りとの交差点付近をめがけて足早に駆けていき、暗闇の中へとその姿を消して行った。ふたりが姿を消したあたりの所番地を示すプレートには、『南５番街２２－３番地』と記されていた。
月明かりはなおも怪しく周囲を照らしている。しかしそこにはもう、逃亡者たちの姿はなかった。無事に逃げおおせたようだ。
この逃走劇は後に『アッキーナ誘拐事件』としてアカデミーから発表された。そしてアッキーナは、誘拐の際、その犯人にそそのかされてアカデミーの重要な機密を持ち出したとして、第一級の指名手配を受けたのである。その機密というのが、彼女の胸元に埋め込まれた卵型の法石であることは疑いようもないことだった。それには一体どのような秘密が隠されているのか、当時はまだ、アカデミーのごく一部と、サファイアの瞳の持ち主しか、その真実を知る者はなかった。当のアッキーナでさえ、気づいていなかったのである。
＊ ＊ ＊
それからずいぶんと時を経た、現在の『アーカム』。
マークスの襲撃を受けて手ひどく破壊されたその神秘の魔法具店も、今ではすっかり元通りの静けさを取り戻していた。そこは以前と同じように不思議な品々にあふれ、未知なるお茶の香りを漂わせている。今そこに、ウィザード、ソーサラー、ネクロマンサーと、アッキーナ婦人の姿があった。仮面の店員も、同席している。
「ふーん、そんなことがあったの。」
ソーサラーが静かにこぼす。
「それじゃあ、その被検体というのが、アッキーナ、あんたなわけだな？」
ウィーザードがアッキーナに訊いた。
「そうですね。」
アッキーナ婦人はそう答える。
「それで、そのあなたの胸元に埋め込まれた法石というのは何なのですか？」
ネクロマンサーが問うていると、奥から貴婦人が姿を現した。
「『人為の天使の卵』と呼ばれるものよ。」
その声に一同は驚く。
「『天使の卵』って、人間を捨てることと引き換えに、使用者に天上の神秘の力を授けるという、あの天使の卵のこと？」
そう問うソーサラーに、
「そうよ。それを人工的に再現したものね。」
貴婦人は静かに答えた。
「でもよ。なんでまたそんなものが、アッキーナの身体に埋め込まれてるんだよ！」
ウィザードが訝しがった。
「実はね…。」
貴婦人が語り始める。
「アカデミーの中にね、古の神秘への到達を熱狂的に目指している勢力がいるの。彼らは、人為的に天使を生み出すことで、天使への信仰を通さず直接的に神秘にアクセスする筋道を開き、そこを覗き見ようとしているのよ。」
そう言って、瞳を虚空に送った。
「でもよ、いったい何のために？」
そういうウィザードに、仮面の店員がお茶を差し出した。今日のお茶は『オグの魔法茶』といわれる、深緑色が特徴的なオリエンタルなものであった。薬味のような苦みと甘みの混在する独特の風味で、ウィザードはそれが口に合わないようだった。
「きっとね…。」
貴婦人が言葉を継いだ。
「明確な目的というのはないのかもしれないわ。ただ、神秘に到達したいという、その純粋な願いがその勢力を突き動かしているように思えるの。狂気というのは、時にそんな単純な、純真にも似た動機を原動力とするのかもしれないわね。」
そう言って、カップを一口傾ける。
「それでは、アッキーナさんの姿がその時々で変わるのは…。」
そう訊ねるネクロマンサーの言葉をアッキーナが補った。
「そうです。この法石の力です。これが本来どういうのものなのか、いまだに私自身よくわからないのですが、とにかくもこれのおかげで私は自由に姿を変えられるんです。男になることも、女になることも。年齢だって自由自在です。」
「それじゃあ、やっぱり。」
「ええ、みんな私ですよ。少女の姿が、本物と言えば本物ですが。実は、あなたとは、ものすごく意外な姿で会ったこともあるんですよ。」
アッキーナ婦人はそう言ってネクロマンサーに微笑みかけた。
オグの魔法茶の不思議な香りが店内を柔らかく包んでいる。
「本物の『天使の卵』はね。」
貴婦人が語り始める。
「人間に直接天使の力を授けるものなの。その力を取り入れた者は、人間を捨てて天使の姿を得るとされているわ。つまり天使の輪と翼を備えた、伝説上の姿となる。そして、その者を天上の神秘に導くとそう伝えられているわね。」
静かにそう言った。皆その言葉に聞き入っている。
「そういえば、最近、あなた方も天使の姿をしたものを見かけたのではなくて？」
貴婦人はそう訊ねた。
「そういえば！」
３人には思い当たる記憶があった。先日開催された中等部の研修旅行の際に、古城の地下で邂逅したあの未知の存在。あれは実に不気味なものではあったが、しかし確かに貴婦人の言う通り、天使に近い姿をしていた。
「あれは、『人為の天使の卵』の失敗作の成れの果て…。」
そう言って貴婦人はもう一口お茶を含んだ。
「やっぱり、マークスの奴が！」
そういうウィーザードの顔を見て、貴婦人が不思議なことを言う。
「そうであるかもしれないし、そうではないかもしれないわ。でも、いずれにしてもこの計画の一端に、彼が関与していることは事実ね。少なくとも彼が生み出した多くのアンデッドが今回のことに利用されていることは間違いないわ。」
一同、深刻な顔で押し黙る。マークスをすんでのところで取り逃がしてしまったことの責任を痛感しているようだ。
「あなたたちが知っている、これまでの彼の研究では、ご遺体がその被検体だったわ。でも、これからはアッキーナのように、生きた身体が被検体に用いられるようになるの。事態は一層深刻になったと言えるわね。」
そう言うと、貴婦人はうつむいて深くため息をついた。
「彼らを止めなくては、ね？」
その言葉に、３人は深くうなづいて答えた。
「ああ、あたしたちがきっとやつらを止めてやるぜ。」
「生きた人間を、そんな非道の実験台にするなんて許せない。」
「私もそう思います。絶対にこれ以上の被害を食い止めないといけません。」
３人はそれぞれの決意を固めたようであった。貴婦人はその姿を目を細めて見守っている。
「これから、まだまだ様々な困難が待ち受けているでしょうけれど、きっとあなたたちならやり遂げることができると信じているわ。」
「ええ、みなさんに期待しています。きっと彼らの野望を止めてくださいね。」
貴婦人のあいたカップに、ポットのお茶をつぎ足しながらアッキーナ婦人もそう言った。
＊ ＊ ＊
人間を人間にあらざる者、すなわち『天使』の姿へと変えることで、神秘の扉へのアクセスを可能にするという『天使の卵』。そして、それを人為的に再現する『人為の天使の卵』計画が、いまアカデミーの内側で静かに進行しているという。果たして、そうまでしてたどり着きたい『神秘』とは何なのか。かつて、神秘そのものであるとされた『神』という存在があったと聞く。それと関わりがあるのだろうか？しかし、そのために犠牲にされるのは、かけがえのない人間の生命であり、代わりの効かない人生そのものなのである。生命の尊厳を著しく毀損する呪わしい試みを、これ以上許すことはできない。若い３人の胸中はいま、その固い決意で満たされていた。胸に流し込まれる熱い神秘のお茶が、その思いに熱を増し加えていく。
アーカムの店内は、相変わらず神秘の色と香りに包まれていた。静かに新しい歯車が時を刻み始めようとしている。
時はもうすぐ７月を迎える。
to be continued.
AIと紡ぐ現代架空魔術目録 本編第８章第１節『アッキーナ誘拐事件』完
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