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AIと紡ぐ現代架空魔術目録 本編第8章第4節『バレンシア山脈にて』

 ウィザード、ソーサラー、ネクロマンサーの3人は、リセーナ・ハルトマンとともに、いま東の荒野を越えて、バレンシア山脈のふもとに取り付こうとしていた。中央市街区の北部に位置するこの地域は、7月のこの時期でも気温が上がらず、北から絶えず吹き付ける冷風で作物もろくに育たない場所である。荒涼とした大地を越えた先にある山脈の登り口を前にして、4人は登山前の最後のキャンプを展開していた。

中央市街区の北にそびえる『バレンシア山脈』。左手奥のひときわ高い峰が『プリンス・ピーク』である。そこに人智の全てを見通すといわれる古の竜が住処を構えている。

 ウィザードは火を起こし、ネクロマンサーは死霊を召喚して、テントの設営と周囲の警戒にあたり、ソーサラーとリセーナが食事の用意をしている。夏の陽はまだ幾分高かったが、それでもすでに地平線めがけて落ち始めており、それはまばゆい光線を伸ばしながら、赤くゆらゆらと揺れていた。天上は静かに明るさを失っていき、夜と昼の境界には星がまばらに瞬き始めている。山脈から吹き降ろす北風は強く、冷たく、薪の火を消さんばかりであった。

 火おこしが終わり、テントの設営が完了したころには、太陽は一層西に傾き、地平線との境界でいびつな輪郭を見え隠れさせていた。具材で満たされた鍋を火にかけて、料理が出来上がるまで、4人は火を囲んでしばし息をついた。鍋が静かに煮えていく。今日は持参した牛肉と野菜を煮込んだシチューで、そのほかには魔法瓶詰の塩漬けの野菜がいくらか皿に取り分けられていた。夕日が地平線の向こうに沈みきり、天上付近が俄かに濃紺に染め上げられていたころ、鍋が次第にぐつぐつと煮え時を知らせる音を立て始めていた。強い北風の中を日中歩き詰めたその空腹を誘う香りがあたりに立ち込めてくる。ソーサラーとリセーナが鍋に調味料を加えて、味の調整をしている。食事の時間はまもなくであった。

牛肉と野菜を煮込んだシチューである。本格的な食事はこれで最後になるだろう。

 明日からは厳しい登山で、ゆっくり食事ができるのは最後になるだろうからと、ネクロマンサーがブランデーの瓶を開けてくれた。

ネクロマンサーが明けてくれたブランデー。食欲をそそる香りである。ロック・ボトムというのはこの魔法社会で1、2を争う著名なブランデーブランドである。その特別熟成品をネクロマンサーが用意してくれた。

「これでいいでわ。」
 味見をしていたソーサラーがそう言うと、リセーナも頷いて見せた。
「さあ、いただきましょう。」
 4人は各々の椀にシチューを、コップにブランデーを継ぎ分けて食事の準備を整えた。
「旅の成功に!」
「乾杯!」
 そう言って杯をあわせ、ブランデーをのどに送る。強いアルコールが、胃の腑に染み入り、その強い味わいが、疲れた口内をさっぱりとさせた。続けてシチューを口に運ぶと、そのコクのある味わいと牛肉のうまみがいっぱいに広がって、歩き続けの疲労感を束の間癒してくれた。めいめい食事が進んでいく。
「それにしてもよ。」
 ウィザードが口を開いた。
「あんたほど良識的な人が、パンツ野郎の恋人ってのがどうにも納得いかねぇぜ。」
「あら、そう?」
 リセーナは微笑んで見せる。
「彼は、ああ見えて存外いい人なのよ。見かけよりずっと純真だしね。彼は、あなたたちのこともちゃんと愛しているわ。」
 そう言って、静かにブランデーの入ったコップを傾けた。
「勘弁してくれよ。あいつの愛だなんて、鳥肌が立つぜ!」
 悪態をつき、舌を出して見せるウィザード。
「あらまあ。彼は本当にあなたたちが大好きなのよ。確かに、普段の彼を見ていると、あなたの言うこともわからないではないけれど…。」
「だろう?」
「確かにあのひと、まあ平たく言って、助兵衛だしね。」
「ちげぇねぇ。あたしたちはもうあのパンツ野郎の行状には正直いろいろとうんざりなんだが、あんたは懲りることはないのかよ?」
「そうね。ときどき迷うことがないといったら嘘にはなるわ…。」
 そういって、リセーナはその美しい瞳を空に向けた。そのまなざしは虚空に浮かぶ遠くの星々を見つめているようであった。
「でも、彼の心には純粋な愛があるの。それはまるで幼子が親に向けるような純真よ。それに応えることができるのならば、私は、何だってしてあげたいと、そう思うの。」
「あいつの奇行を純真とは驚いた。あれはいわゆる変質だぜ!まぁ、あのただならぬ熱意には正直恐れ入るが、とてもとても感心できる類のもんじゃあない。」
 リセーナの言葉は、ウィザードにはあまりにも意外だったようである。
「そうね。言わんとすることは、まぁ、わかるわ。でもね。大切な想い人ができたら、あなたもきっと気づくのじゃないかしら。愛は複雑なの。それが奇異な要求であっても、またそれが自分に向けられたものではないとわかっていても、それでも、その真心には応えたいと願うもの。そういう不思議で理不尽な感情なのよ。愛は美しいわ。」
 そう言ってリセーナは眼差しをブランデーに戻した。
「リセーナさんは、本当に教授を愛しておいでなのですね。」
 ネクロマンサーが静かにそう言った。
「そうね。私は彼を愛しているわ。この想いは決して届くことはないのかもしれないけれど、それでも私は彼の純真に応えてあげたい。彼の望みをかなえ、その心の虚空を埋めてあげたいの。」
 そう言ってブランデーをあけた。その瞳には決意と失意が同居しているように見えた。
「もう1杯、いただけるかしら?」
 そういうリセーナのコップにネクロマンサーがブランデーをつぎ入れる。彼女はそれを受け、ひとくちのどに送ってからため息をついた。
「おいしいわね。」
 そう言って、再び夏の星座を見やる。

* * *

「それはそうとよ。」
 またしても口を開いたのウィザードだ。
「見てくれよ、これ。」
 そう言って、ひとふりの剣をみんなに見せた。
「すごいじゃない!どうしたの、これ?」
 興味津々に問うソーサラーに、
「この間錬金したのさ。本当は真石ルビーが欲しいところだけどよ。あたしの稼ぎじゃなかなか難しくてな。まがいもんだけどまぁ仕方ねぇ。」
 そう言って、彼女はその剣を掲げて見せる。
「まぁ、まがい物だなんて。当店自慢の『人為のルビー』はきっとあなたの魔法具の力を存分に引き出してご覧にいれますわ。」
 そういってリセーナがいたずらっぽく笑った。

 『人為のルビー』とは、リセーナの姉であるカリーナ・ハルトマンが、魔法社会で初めて人工的に錬成に成功した人為の法石で、天然の真石ルビーを模したものである。しかし、それが引き出す魔法特性は、真石にこそ劣るものの、極めて優れた性能をもっていた。天然の魔の凝縮である真石は、その希少性のゆえにプレタポルテ(量産市販品)の魔法具に搭載することはほとんど不可能な代物であったが、人為の法石の錬成が可能になったことで、魔法特性の強い法石をあしらった製品の大量生産が可能になった。それは、魔法社会の錬金と魔法具製造の分野に革新的な進展をもたらすこととなり、その後は堰(せき)を切ったように、数多の人為の宝石が各ブランドから錬成され、販売されるようになっていったのである。

「すまねぇ、そう言う意味じゃあねぇんだが…。」
 バツの悪そうにするウィザードに微笑みを向けてから、
「それを見せてくださいな。」
 リセーナは、ウィザードからその剣を受け取ってじっと眺めた。
「本当に見事だわ。姉が見たらきっと欲しがるでしょうね。」
 そう言って感心している。
「そいつは、どうも。」
 ウィザードはどうにも照れくさそうだ。

 『真紅のフランヴェルジュ』と名付けられたその火と光の魔法具は、魔法具生成のプロフェッショナルであるリセーナが強い関心を寄せるだけのことはあり、その完成度は高く、火と光の領域の、とりわけ高等術式と究極術式の魔法力を強く引き出すように設計されていた。その強力な魔力特性を、リセーナの店が取り扱っている人為のルビーがしっかりと支えていたのだ。

ウィザードが錬成した『真紅のフランヴェルジュ』。術式媒体として強い力を持つ。柄の中央に配置されている大きな法石が人為のルビーである。

 ひとしきり、ウィザードの手による傑作を鑑賞した後で、4人は明日からの厳しくなるであろう日程に備えて早々にテントに入り床に就いた。月が美しく夏の夜空を飾っている。

 叶わぬ純真、それを支えんとする献身、刹那的な逢瀬以外に決して重なることのないその想いの交錯に各々思いを馳せながら、4人の意識は静かに夏の宵闇にとらわれていった。時間が駆けていく。明日の朝は早い。

* * *

 その日の夜明けは、夏のこの季節にしてはずいぶんと冷え込んだ。4人は早朝から起き出し、それぞれに登山の準備を始めた。登山と言っても、さすがは魔法使いである。魔力の温存のために、基本的には徒歩で上るが、険しい場所や危険な個所については、虚空のローブを用いて飛行して難を避けることに決めていた。死霊たちが寝ずの番をしてくれていた火で湯を沸かし、朝食の準備を始める。朝は持参していた乾パンと干し肉、チーズと、いくばくかの野菜と果物の魔法瓶詰で簡単に済ませることにした。身体を温めるため、コーヒーに昨晩の残りのブランデーを落として飲む。目の前にそびえる山脈は険しく、すべてを見通し、人智を試すという『竜の瞳』の持ち主の住処である『プリンス・ピーク』の頂は、遥か上方の雲の上に静かにそびえていた。そこまではずいぶんとかかる見通しだ。夜が白んでからまだまもなく、時刻にして、6時にはずいぶんと間があるという頃合いであった。食事を済ませてから、めいめい身支度を整えて荷物を持ち、いよいよ登山道に挑むべき時に至った。そのとき、時刻はようやく朝8時を迎えようとしていた。

 山脈には、かろうじて登山道と呼ぶことができるくらいの道は刻まれてはいたが、しかし、それはごつごつとした岩肌が露出した場所で、進むほどに険しさを増していった。4人は容赦ないむき出しの自然の脅威を目の当たりにしながら、侵入を拒むかのように広がる荒涼とした岩肌に覆われる無骨な大地を、一歩一歩踏みしめていった。その山脈には、断裂して深い谷を刻んでいる場所も少なくなく、また切り立つ崖も多数あって、そうした場所は虚空のローブの力を駆使した飛行によって危険を慎重に避けながら進んでいった。かれこれ3時間は歩いたであろうか、陽は高くなり、北風の止まぬ山肌にあっても、汗が止まらない暑さを覚えるようになっていった。途中、山肌から清水が湧き出しているところがあったので、そこで休憩をとることにした。乾パンとチーズで軽く空腹を癒し、清水でのどを潤した後、手拭いを濡らして身体を拭いた。ふもとからはおよそ5、6Kmの行程を進んできたことになる。プリンス・ピークまで、登山口からおよそ15Kmほどの行程で、おそらくは、更にこの先3,4時間歩いたあたりで一晩キャンプを張り、明日のお昼前くらいに登頂できる見通しとなるであろう。
 全行程について虚空のローブを使用して飛行していけば時間と労力を省くことはできるわけだが、そのために消費する魔力量のことを考えると、遠回りのようでも、要所を除いては、歩く方が賢明な選択であった。幸いにして天候にはめぐまれ、気まぐれといわれる山の機嫌は今のところ良好であった。登山道は一層険しさを増し、ぎざぎざに筋張った岩肌の上で滑らぬように足を繰り出すのはなかなか難しく、要する時間のほどには前進を得られていなかった。

 休憩後、午後の日差しの中を再び尾根に向けて歩き始めた。雨に降られるよりははるかにましではあったが、しかし照り付ける夏の太陽は、体力を奪うには十分で、4人は襲い来る疲労感と戦いながら、足を前に繰り出していた。標高が高くなるほどに空気は薄くなり、呼吸がしにくくなった。特に、切り立った数十メートルのがけを虚空のローブで一気に垂直に飛び上がる際には、息のしにくさと耳の詰まるような不快感に襲われ実に困難を覚えた。
 すでに夏の陽は大きく西に傾き、空の色が茜色へのグラデーションへと変わり始めていたころ、ちょうどせり出した岩が屋根のようになって、雨風をしのげるようになっている、開けた場所に出たたため、その日はそこでキャンプを張ることにした。プリンス・ピークまではあと少し、特段のことがなければ明日のお昼前後には登頂できそうだ。
 めいめい、荷を下ろしてその天然のひさしの下に入り、そこにテントを張って夕飯の準備を始めた。野生動物の襲来に備えて、ネクロマンサーは強力な霊体を何体か召喚して見張りにつかせ、警戒にあたらせた。夕日の色がいよいよ濃くなっていく。瞬く間に、昼夜の境界は夜の側に傾き、天上付近から濃紺の帳が降り始めていた。ウィザードが起こしてくれた火がその中を明るく照らしている。

「大した料理はできないけれど、せっかくだから火の通ったものを食べましょう。」
 そう言って、持参したありあわせの魚介の干物を使ってソーサラーが鍋料理を作ってくれた。リセーナもそれを手伝っている。あたりに旨そうな香りが立ち込めてくる。鍋とともに湯を沸かす。お茶の準備も万端のようだ。ネクロマンサーは、お茶に入れると風味が出るというウィスキーの小瓶を荷物から取り出していた。
 やがて、なべがぐつぐつと煮え時を知らせる。みなで火を囲み、食事を始めた。

ソーサラーとリセーナが用意してくれた魚介の干物を使った鍋料理。

 冬の張りつめた空気の中で輝く星座も美しいが、夏の虚空を彩る星座にもまた独特の輝きがあった。満点の星座の下で味わう食事は格別で、歩き通しですっかり空っぽになった胃袋を大いに満たしてくれた。ネクロマンサーが用意してくれたウィスキーを落としたお茶も、身体をよく温めてくれる滋味深いものであった。
 その日も、4人は翌日に備えて早々に床に就いた。ウィザードは使いにやった学徒達のことが心配のようで、テントの中でしきりにそれを話題にしていたが、やがて夏の宵闇がそうした会話の全てを静寂の中に飲み込んでいった。夏の高山にあって、夜が暮れていく。

* * *

 翌朝は、山の周囲を鉛色の雲が覆っていた。すぐに降り始めるというわけではなさそうだったが、先を急いだほうがよいことに間違いはなかった。4人はごく簡単な朝食を済ませた後、めいめいの荷物を持って早々に出発した。太陽は雲の裏で、不気味に白く輝いており、その輪郭をだらしなく揺らしていた。山頂が近づくにつれて、足元は一層悪くなり、ほとんど足の踏み場もない切り立った箇所や、岩がもろくなって崩れそうになっている場所などが点在していて、そのたびに魔法使いたちは、虚空のローブを使って前進していった。山頂には試練が待ち受けていることを考えると、できるだけ魔力を温存しておきたいところではあったが、思うに任せられるほど山は慈悲深くないようである。気温は一層下がり、周囲には雲が濃く立ち込めて、視界もあまり良好とはいえなくなった。風は強く、ローブの裾を強くたなびかせる。足元は、花崗岩というよりは黒曜石のような材質で固く滑りやすく、うっかりすると身体を持っていかれそうになる。やがて薄暗い太陽が天上に差し掛かる頃、4人はついに、山頂付近の開けた場所に出た。そこは古代の神殿か何かのようで、石造りの大きな門があり、岩戸でしっかりと閉じられていた。その前方は、前庭のように開けた場所になっていて、その隅には悪魔だか竜だかをかたどった異様な威圧感の漂う石像がそびえ立っていた。その石像には全部で8本の腕と、1対の翼があり、その手の一つに石造りの巨剣を握っていた。

山頂の踊り場に設置されていた石造。10の腕をもつ悪魔か竜のように見える。

 その岩戸の奥に、人智を見通すと伝わる件の古竜がいるのは間違いなかった。しかし、その開け方がわからず、4人はしきりにあたりを調べている。その時だった。周囲の山肌の岩々を震わせるような声が響き渡ってきた。
「小さき者たちよ。そこで何をしている。」
 それは、さきほどの石造から発せられていた。
「『竜の瞳』を求めて古竜に会いに来ました。」
 その問いにリセーナが答える。
「小さき者たちよ。古竜は誰にも会わぬ。早々に立ち去れ。」
 石像は取り合う気配を見せない。
「どうしても古竜に会わなければなりません。『竜の瞳』が必要なのです。」
 そう言うリセーナを見据えて、
「ならば、汝らにふさわしい力があることを示せ。されば門は開かれよう。」
 そう語ると石像は、がらがらと音を立てて動き出し、その石造りの巨大な剣を構えた。
「小さき者たちよ。力を見せよ。力は資格なり。」
 そう言うや、突如石像が襲い掛かってきた。その大きな剣が山頂の大地に向かって振り下ろされる。4人はさっとその場を離れて身をかわすが、その剣が大地と接触するや、大きな地響きとともに、がれきを激しく巻き上げた。あたりでは、石片がカラカラ、パラパラと土煙の中で乾いた音を立てている。察するに、この巨石は古竜の住処を守っているのだろう。時空を超えるともいわれる古竜の叡智を求める者はなにも善人に限ったことではない。事実、表面的な利害と目的こそ合致しているが、リセーナが『竜の瞳』を欲する本当の理由はいまだ明らかにはなっていないのだ。愛という情におけるリセーナの献身が無垢で純粋なものであることは明らかだったが、しかし、その事実は、彼女の欲求が真に正しいものであることを何ら保障しはしないのだ。4人の、とりわけリセーナについてきた3人の魔法使い顔に俄かに緊張が走る。

* * *

「ったく、どいつもこいつも問答無用だな」
 口元にまとわりつく砂埃をぬぐいながら、ウィザードが言う。
「そっちがその気ならやってやるぜ!」
 右手に真紅のフランヴェルジュを、そして、左手にかつて錬成した短刀型の魔法具を携えて、ウィザードは身構えた。
『火と光を司るものよ。法具を介して加護を求めん。水と氷を司るものとともになして、わが手に力を授けよ。火と光に球体を成さしめて我が敵を撃ち落とさん!砲弾火球:Flaming Cannon Balls!』
 強力な術式媒体を駆使して最大限の力を引き出しながら、複数の火の玉を繰り出す。目標が大きいためその全弾が命中した!
「どうだ!これで力の証とやらになるのかい!」
 そう言って見せたが、相手はまるで効いている様子がなかった。その口元はかすかに笑みを浮かべているようにさえ見える。
「その程度で叡智を求めようというか?片腹痛い。」
 そう言うや、石の大剣を振り回しながら、残った7つの手から次々と魔法を繰り出してくる。4人は、防御障壁を展開し、なんとか巧みに魔法をかわすが、物理的に迫りくるその巨剣の軌道と、複数の手から同時に繰り出される魔法は脅威であった。ネクロマンサーは必死にリセーナをかばい、立て続けに魔法障壁を展開するが、複数の腕が絶え間なく繰り出す魔法によって、そのほとんどは瞬く間に破られていった。自身も強力なソーサラーであるリセーナも、応戦の構えを見せるが、相手の息つく暇もない攻撃行動を前にして、反撃の機会をとらえきれないでいた。
「とりあえず、中等術式程度では歯が立たないということだけはよくわかったぜ。」
 肩を息をしながら、ウィザードが言う。
「それなら、これはどうよ!」
『水と氷を司る者よ。法具を介してその加護を請わん。清流を刃となし、高圧で切り裂け!噴出水剣:Water Jet Blade!』
 詠唱とともに、高等術式の極めて破壊力の大きい単体攻撃魔法をソーサラーが繰り出す。その手に握られた美しい氷の剣から、高圧水流の刃が美しい弧を描き出した。固く鋭いものどうしが激しくかち合う音がして、その高圧水流の刃は石の巨剣の刀身を捉えたが、なんとその巨剣は、その魔法の刃を受け止めてしまった。高等術式ですらも簡単には通用しないようだ。ネクロマンサーが召喚した強力な霊体が、群れを成してその巨躯に取り付くが、石剣の一振りでなぎ倒されてしまう。相手は魔法力も膂力(りょりょく:腕力、筋肉による力)も桁違いのようだ。そうこうしているうちに、またしてもその残る7つの手から、乱雑に強力な魔法がそこら中に解き放たれる。
 回避行動と防御障壁によってかろうじて直撃を避けるものの、あらゆる角度と距離から多角的に攻めてくる魔法群の効果は凄まじく、4人はじりじりと押されていった。ウィザードとソーサラーは攻撃術式を繰り出しながら、同時に複数の障壁を何度も展開することを余儀なくされ、激しい魔力消費を強いられていた。しかも、相手の行動が速いために、魔力回復薬を服用する暇も与えられない。前衛で戦いを繰り広げるウィザードとソーサラーのふたりは、すでにかなりの損傷を負っていた。そのくらいに相手の魔法は重く、その少なくない部分が、障壁を破って襲い掛かってくるのだ。
「大丈夫ですか?」
 リセーナをかばいながら声を上げるネクロマンサーの顔を、相手の放った火の玉がかすめる。彼女は首をすくめて間一髪それをかわしながらも、前線に立つふたりの魔法使いを気遣って見せた。ウィザードは、いつもの、両目がぎこちなく動くウィンクをして見せたが、4人ともにあまり余裕はない。

 口元の血をぬぐいながら、ウィザードが言う。
「こりゃあ、腹をくくるしかないようだな。」
「そうね。普通の術式じゃあ、手も足も出ないわ。」
 そう言うとふたりは、ローブの裾から、かつて『アーカム』の貴婦人にもらった神秘のティアラを取り出して頭上に乗せた。
「これを使わせたことだけは褒めてやるぜ。だが、本番はこれからだ!こっからのあたしたちゃ、一味も二味もちがうからな。覚悟しやがれ!」
 そういうとウィザードは詠唱を始めた。
『火と光を司る者よ。法具を介して力を求めん。我は汝の敬虔な庇護者なり。今、火と光の源をここに呼び出し、その力の解放をもって我が敵をあだなさん!星光爆発:Star Light Explosion!』

破壊的な威力を持つ『星光爆発:Star Light Explosion』の究極術式。超小型に圧縮された白色矮星を打ち出し、衝突とともに爆発させる奥義である。

 それは、火と光の究極術式に属する殲滅的な破壊力を持つ単体攻撃術式であった。ウィザードの正面に展開された複雑な色のまばゆい魔法光を放つ巨大な魔法陣の中心から、大型の地球儀大に圧縮された白色矮星が召喚され、その核の部分には驚異的なエネルギーが集約している。ウィザードはその光球を石像めがけて高速で打ち出した。その光球は石像に命中するや、エネルギーの制御を解き放ち、その運動を無制約に拡張して大爆発を引き起こす。ごく小型の超新星爆発だ!一瞬周囲は真っ白な光に包まれ、何も見えなくなった。ただその場の空間全体を激しく振動させるような爆発音と振動だけが、視覚を除くあらゆる五感を捉えていた。その爆発は石造の右半身で発生し、石の巨剣を持つ腕と、その周囲で蠢く数本の腕を轟音とともに薙ぎ払い、もともと腕があったところでは、石が赤く焼けている。
 しかし、石像はそれに臆することなく、左半身に残った複数の腕から魔法を繰り出すのに加えて、さらに口からはエネルギーの光線を吐き出して、大地を薙ぎ払っていく。その軌跡には凄まじい熱量の爆発が巻き起こり、4人は、全員で強力な障壁を繰り出し、かろうじてその爆風と衝撃波に耐えるのが精いっぱいとなった。障壁を支える手のひらや指先には真っ赤な血が滲んでいる。それを支える腕は今にももぎ取られそうだ。
 ようやくその衝撃が収まったときには、障壁はすっかりかき消されてしまっていた。みな息が上がり、肩と胸を大きく上下している。右半身をもいだことで、巨剣の脅威はひとまず去ったが、左半身に残る5本の腕の先の手には、なお力強い魔力がたぎっている。もうそれほど長くはもたない!意を決したソーサラーは、石像が次の魔法を繰り出すその前に、その正面に躍り出て詠唱を始めた。
『水と氷を司る者よ。法具を介して加護を請う。我が手に巨大な氷の結晶をなし、わが敵を貫かん。破壊をもたらせ!恐るべき氷の杭:Deadly Ice Sting!』
 それもまた究極術式に属する殲滅的な破壊力の単体攻撃術式であった。ソーサラーの目前に瞬く間に巨大な氷の銛(もり)が形成されたかと思うと、刹那、彼女はそれを巨石にむかって高速に打ち出した。

水と氷の究極術式に属する殲滅性の単体攻撃魔法。巨大な氷の銛が相手を貫く。

一直線に飛ぶそれは、残った左半身にえぐるように突き刺さり、氷が鋭く割れ裂ける音と、鈍い石の砕ける音をあわせた複雑な音を奏でながら、その側にある5本の腕と翼をもぎ取った。その傍では、突き刺さった銛の本体がその体躯をも蝕んでいく。巨大な氷の銛に上半身を貫かれ、頭を震わせて慄きながらも、巨石はなお、口からエネルギー光を発しようとしていた。禍々しい力の渦と魔法陣がその顔面前に展開されていく。防御障壁を展開しようと詠唱を始めるネクロマンサー。間に合うか!?

 その刹那!!

「しつけぇんだよ!」
 そういって巨石の頭部に飛びかかるウィザードを、リセーナが『武具拡張:Enchant Weapons』の術式で支援していた。ウィザードが手にする真紅のフランヴェルジュを眩い魔法光が取り囲み、それはさながらウィザードの身体を含めたその全体が光の刃のようになり、まっすぐに、その巨石の眉間を貫いた!固い石を砕く鈍い音とともに、その頭部はかち割れて崩れ落ち、その全身もまた、前のめりに地面に倒れこんで、衝突と同時に粉々になった。土煙が舞い上がり、あたりには石屑の雨が降り注いでいる。
「やったぜ!」
 そう言って、ひざをつくウィーザードの身体をソーサラーが抱えた。彼女は魔力枯渇を起こす寸前であった。リセーナから魔力回復薬の薬瓶を受け取ってそれを口にするウィザード。彼女たちが負った傷を、ネクロマンサーが回復術式で癒していく。これまでも様々な強敵と渡り合ってきたが、これほどの相手というのもなかなかいないものであった。
 ようやくあたりに静けさが戻ってくる。ずっと下の方で、鳶の鳴くか細い声がかすかに聞こえていた。

「やれやれ、なんとかかんとかだな。」
 そう言って、ウィザードは魔力回復薬を一気に飲み干した。その不味そうな顔を見ながらソーサラーも薬瓶のふたを開ける。ネクロマンサーとリセーナは顔を見合わせて、互いにほっとしたような表情をかわしていた。
「究極術式が使えるなら、最初からやりなさいよ。」
 ソーサラーが意地悪っぽくウィザードに言った。
「お前もな。」
 そういってふたりは笑いあった。大きな試練ではあったが、4人はそれをくぐり抜けることに成功したようである。

* * *

 倒れた石造の方を見やると、砕けたその頭部の、ちょうど瞳があったのであろうところに、緑色の美しい宝玉が転がっていた。どうやらそれが岩戸を開く鍵のようである。

巨石が残した宝玉。美しい緑色をしている。

「この石像はやはり、古竜の番人だったようですね。これでその住処へ向かうことができそうです。でも、本当の試練はここからかもしれません。」
 そう言って、リセーナはその宝玉を拾い上げた。それを聞いたウィザードが、もう勘弁してくれという表情を浮かべている。リセーナは、宝玉を手にして、ゆっくりと岩戸の方へ向かい、それを嵌めるための鍵穴を探し始めた。巨大なその岩戸には様々な凹凸の模様や呪印が刻まれており、実に複雑な表情をしていた。それらのひとつひとつを目で追っていくと、目的の鍵穴は、目の高さより少し低い位置、ちょうど彼女たちの胸元あたりの高さに刻まれている竜のレリーフの中に見つかった。

岩戸に刻まれていた多眼の竜のレリーフ。一つだけ瞳の色が違う部分があり、どうやらそこが鍵穴のようだ。

 竜頭をかたどったそのレリーフにはいくつもの目があったが、そのうちの一つだけ色が違い、他の目が出っ張っているのに対して、そこだけはくぼんでいた。リセーナは静かに、そこに先ほどの宝玉をあてはめてみた。

 ぴったりだ!

 瞳に宝玉をはめ込むと、竜のレリーフに刻まれているすべての瞳が一斉に輝きだした。その瞬間、岩戸の全体がまばゆい魔法光に包まれたかと思うと、やがて光の粒となって消滅していく。岩戸に刻まれていた呪印だけが、扉を失った虚空の上でしばらく光を放っていたが、それもやがて消えていき、その先に真っ暗な洞穴が口をあけて4人を迎えた。洞穴の中には石畳が敷かれていて、その先は、外から見る限りでは、何らかの聖所に続いているようである。緊張が4人を包んでいった。
「行きましょう!」
 リセーナはそう言ってその暗黒の中へと足を進め始めた。3人はその後についていく。標高の高い山頂の壁面に口をあけたその洞穴の中は、思う以上にひんやりしていて、その先に未知の神秘が存在しているのであろうことを予感させていた。ひたひたという足音が、その冷涼な空気の中にしみていく。ときおり、天上からしたたる水音と、吹き抜ける風の音、そして4人の足音だけが、その場の静寂を一層引き立てていった。
 人智の全てを見通し、時空の果てまでも視界に収めるというその古竜の居室まではまもなくである。

to be continued.

AIと紡ぐ現代架空魔術目録 本編第8章第4節『バレンシア山脈にて』完


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