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7年の「空白期間」 硫黄島遺骨どこへ

1952年刊「硫黄島にささぐ」石井周治著(4)

〈写真説明1〉本書に貼られていた1954年の切り抜き記事。当時の厚生大臣の「一日も早く遺骨を遺族に返したい」との答弁が記されている一方、ルパング島やシベリアには生存兵がいるとの答弁も記載。戦没者遺骨の早期収集よりも生存兵の早期帰還を優先した当時の社会情勢がうかがわれる。

●米軍占領下で上陸が許可された「労務者」とは

 先の大戦で屈指の激戦地となった硫黄島(東京都小笠原村)は、終戦6カ月前の1945年2月に米軍が上陸した。約1カ月後、2万3千人の日本側守備隊は玉砕した。政府による戦没者遺骨の収集事業が始まったのは、その7年後の52年だ。
 本書によると、この遺骨収集の「空白期間」ともいえる7年間に、人為的に別の場所に移された遺骨は数多くあるようだ。
 硫黄島戦の生還者で、52年1月に島に再上陸した著者石井周治氏は、司令部濠を見学した際、米軍の駐留兵士によって「壕内が予想に反してすつかり清掃」されていたことに驚いている。「遺品となるようなものも無く、掃き清められた洞窟」のようだったと記している。
 遺骨を移動させたのは米軍兵士だけではなかった。
 島は終戦後、鉄くずの回収などを担う建設会社の「労務者」の上陸が許可されていた。石井氏は島内を移動中、遺骨を持った労務者2人と出会い、会話している。その際、2人は、作業中に見つけた遺骨を埋葬に行く途中だ、と話したという。

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<写真説明2>米軍占領下で「労務者」たちが遺骨を集めて建立した「無名戦士之墓」

●米軍兵や労務者の遺骨移動 記録あるか
 戦後7年の「空白期間」に、米軍兵士や労務者が見つけた遺骨は、相当数に上るはずだ。そのすべてが「無名戦士之墓」に埋葬されたのだろうか。埋葬された遺骨はその後、本土に帰還することができたのだろうか。そもそも政府は、この空白期間の米軍や建設会社の埋葬記録について、どの程度まで調査したのだろうか。
 本書の発刊から68年。ページがばらばらになりそうなほど古びた絶版の書は、そんな新しい気付きを与えてくれた。

2020/10/10


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