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乾燥わかめ vs ? 硫黄島 両軍兵士の実相とは…

1952年刊「硫黄島にささぐ」石井周治著(2)

〈写真説明〉古書店で購入したこの本には、1954年当時の新聞記事の切り抜きが貼ってあった。この本の持ち主は、どんな人だったのだろう

●硫黄島兵士の第2の敵は「野菜」

 硫黄島戦の数少ない生還者の一人である石井周治一等兵が、深刻な渇水に次いで「生命に関係する敵」として挙げたのが野菜不足だ。

 生野菜の配給はほとんどなく「副食は大抵わかめ。朝昼晩とわかめの味噌汁、わかめのすまし汁、わかめの煮付の献立が続いた」。内地から送られる副食物の大半がわかめなので、南波止場は「わかめ波止場」と呼ばれた。

 たまに大根、ほうれん草、小松菜などの乾燥野菜が着くこともあった。「味もない硫黄臭い水を吸ってふくれた野菜がごちそうの部類」だった。

読んでみた2

 「青い野菜が欲しいあまり」に、とんぼ草の芽を摘んでおひたしにして食べたこともあったが、抱えるほど摘んでも2~3人前。労力に合わないため「これも永続きはしなかった」

●健康だった兵士も「すべて半病人」

 石井一等兵は衛生兵だった。腸チフスなどの伝染病、栄養失調、下痢などの「野戦につきものの病気」の発生率は、戦地の中でも「硫黄島は最悪の部類に属した」。

 伝染病が広がる一因はハエの多さだった。水が悪いため「病菌を受けなくとも、島の兵隊全部が下痢患者といっても過言」ではなかった。「食糧不足に加え、この下痢だから、日頃健康な者もすべて半病人」という深刻さだった。

読んでみた3

●兵士が見た夢は食べ物ばかり

 米軍上陸までは地下壕を掘り続ける毎日。「戦友との話題はお互いの夢の話の交換が多く、またそれもどれもいい合わせたように食べ物の夢ばかりだった」。皿いっぱいのおはぎ、風呂敷包みほどのいなり寿司、畑中の玉ねぎ…。兵士たちが夢の中で平らげたのは、そんな食べ物だった。

●一方、米軍の兵士たちは

 水道のない硫黄島で「木の葉が風にゆらぐ音を水道の水音と間違えて飛び起き」たこともあったという石井一等兵。これが硫黄島兵士たちの米軍上陸前の姿だ。

 以前読んだ米軍側の記録によると、米海兵隊の兵士たちの上陸直前の食事は、分厚いステーキだったという。

                                                                                                           2020/10/04


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