兵士1万人の遺骨 今なお行方不明の謎
1952年刊「硫黄島にささぐ」石井周治著(3)
〈写真説明〉第2次世界大戦で最大級の爆撃により焦土化した硫黄島。しかし、終戦7年後のこの写真から、道路の両脇は既にジャングル化していたことが分かる(本書巻頭の写真)。
●兵士1万人の遺骨はどこへ
硫黄島で戦った日本兵は2万3千人。戦死者は、2万2千人に上る。このうち半数に当たる1万1千人の遺骨が、終戦から75年たった今なお、行方不明のままだ。
島の面積は20キロ平方メートルしかない。東京都世田谷区の半分だ。こんな小さな島でなぜ、1万人超の遺骨が見つからないのか。
政府の第1回遺骨収集(1952年度)直前の島の状況が記録されている本書には、その答えの一つが記されていた。
硫黄島戦の生還者で著者の石井周治氏は、かつて自身が3カ月間拠点にし、戦友の遺骨が残っているとみられる野戦病院壕を探したが、見つけることができなかった。「目に映るものは、ただ無言のネムの茂みだけ」だった。硫黄島は、ネムの木に覆われた島と化していた。
●誰が種を撒いたのか
その原因は何か。戦死者の遺体を覆い隠し、臭気を消すために、米軍が占領後に種を大量に散布した、との説がある。
島が変貌した要因は、ほかにもある。米軍は1950年勃発の朝鮮戦争以降、多数の兵士がキャンプできるよう島全域で整地を進めた。活発な火山活動による地形の変化も進んだ。
生還者の記憶に基づく遺骨収集は、終戦から幾年も経たずして、困難な状況に陥ってしまった。
石井氏は、行く手を阻む森林の風景写真に添えた文章の中で、こう記している。
「(終戦から)七年間、自然だけが、戦友の遺骸を灌木で守ってきた。この怒りは大きく、いま、私たちのさし伸べる手をさえ拒絶している」
2020/10/05
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