人生は風の力が9割。
余計なことをしないのは、意外と大事なことだと思っている。
何もしないこと、何もしないでもリラックスした状態でいられること。
それはある種のスキルだ。「何もしないでいられるスキル」。
これが上達すると、人生は楽しくなる。
退屈と向き合う達人になることは、実は成功への道だと思う。
動物としてのニンゲンは「何もしないこと」に耐えられないようにできている。退屈には神々でさえ逃げ出す、と古くから言われているように。
でも、人生では「何もしないほうがいいとき」が、けっこうある。ぼくはそのことを今までの人生で学んできた。
多くの人は、何もしないでいることに耐えられない。それで余計なことをやってしまう。
失敗は余計な行動の産物
大抵の失敗は、余計な行動のせいで起こる。
挑戦するな、と言っているのではない。
挑戦は余計なことなんかじゃない。日常的にやるべきことだ。
ぼくが言いたいのは、むしろ逆。大事な場面で挑戦するエネルギーを、どうでもいいことで使い果たしてしまわないようにしよう、という意味だ。
他人のことを気にしすぎたり、短期的な欲求に抗えず浪費してしまったりすること。それが人生において余計なことだと言っている。
余計なことをまったくしない人生というのはありえないから、それが不要だと断じることはできない。
しかし、そういった「余計な行動」を極力減らして時間を有効に使うほうが目標を達成できたり充実感を味わえる可能性が高くなるのは間違いない。
「何もしないほうがいいとき」はある。実は、ほとんどがそうだとぼくは思っている。
波風が起きていないときに下手に動こうとするから、ロクなことにならない。自分の経験から思う。
退屈を楽しめるようになるのは、波風がないときに静かに力を溜めておけることでもある。
それができるようになれば、いろんなことが上手くできるようになる。「力の抜きどころ」を知ること。
動画やSNSで時間を埋め尽くして神経を消費していると、本当に大事なときに必要なエネルギーを消費してしまう。ヒマなときに安易な刺激に逃げないこと。
繰り返しになるけど、保守的になれという意味ではない。
「俺はまだ本気出してないだけ」と言いながら動かない人とは違う。「本気出してない人」は、そうはいっても日々の生活ではけっこう余計なことをしているのではないだろうか。少なくとも一点突破するために虎視眈々と知識と経験を積み重ねながら日々鍛錬とかはしていないような気がする。なんとなく。
動いても何も起こらないときは動かない。それはむしろ能動的な態度なのだ。
風があれば船は進む
余計なことをして疲れてしまうことは、風のない日に船を漕ぎまくって疲弊してしまうようなものだ。
船は、風があれば何もしなくても進む。人生もそれに似ている
帆船は風の力を推力にする。当然のことながら風がない凪のときには進まない。焦って力任せに漕いでも、進める速さはたかが知れている。無駄に疲れて、いざというときに力を発揮できなくなってしまう。
人生にも、波が立っているときといないときがある。何もしないほうがいいときには、何もしないほうがいい。退屈に耐えられなくて余計なことをしてしまうと、後でやってくる機会を逃してしまう。
仕事の調子とか感情の浮き沈みも、ほとんどが「自分以外の要因」によって動いている。
帆船を操って航海し、目的地まで早く到達するのに、人間の力が及ぼす影響は微々たるもの。人間にできることは風をとらえて帆を立てて、その力を利用して前に進むことしかできない。
とはいえ、船は操縦士や航海士によって到着までの日数も変われば、下手な人がやれば沈没してしまうだろう。
人間にできることは、力の面ではほとんどないけど、どう動くのかを考えること。
風が凪いでいる期間の過ごし方が、重要だ。
風向きを知ること
もう一つ大事なことは、風向きを知ること。
今吹いている風が、自分の進みたい方向なのかそうでないのか。それを見極めることは、案外できていないことが多い。結果向かい風のなかを進んで無駄に消耗してしまったりする。
そもそも風が吹いているかを感じること。もちろんこれは比喩だ。
自分が人生において到達したい場所に、進みやすい状況になっているか。
自分以外の要因が(環境、社会的な要素、どんな人に囲まれているか)相対としてどちらのほうを向いているか。
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