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楽しい結婚式に行きたい


結婚式に良い思い出が無い。
招かれる方。
そもそも、仲の良い友達の式に行った事が無い。


友達ではない(私は一切仲良いと思ってない)奴から誘われて断ったのが2回、
大学時代の親友で、卒業してぷっつり縁が切れ、私がめっちゃ嫌いな男と結婚した人から誘われてやむを得ず行ったのが1回、
会ったこと無い義理姉の親族婚に萎えながら行ったのが1回(ただ、普通に良い人だったし、後々仲良くなるきっかけになったので唯一結果オーライ)、
そして今日限りで縁を切りましょうという兄様の式が1回。←new!

ご祝儀を惜しむことなく、ただただ笑顔が溢れて、心の底から おめでとう!!!!!!!って言ってみたい。
楽しかった〜 って帰って来たい。
精神と時間と金をひたすら消費する苦行でしか無い。何が永遠の愛だ。見せびらかす人間選べや。

もともと人間関係は苦手で、人と縁を切ることになんの躊躇いもないのでもちろん友達も少なくて、でもそれが自分なので半分諦めてる節があって
こんな自分と友達で居てくれる数少ない友人だけは大切にしようと思い30年過ごした訳だが、
その苦手な“人間関係”には親族は含まれないとどこか軽視してしまっていたように思う。



クソ我儘で頭の足りない私にとにかく両親は手を焼いた。厳しい家なのに、どこか過保護でもあった。
明らかに兄より甘やかされている自覚はあった。
優秀な兄と比較される事に慣れてたし、同級生には自虐ネタで笑いを取れるから何ならちょっとおいしかったし、両親や兄の頭がキレる事をどこか誇らしく思ってたんだと思う、多分。

「でも、◯◯(私)はアホやから…」と家族に言われるのがどこか当たり前だった。
小学校を卒業した春休み、自分のアホさが怖くなった。初めて兄の真似ではなく、自分から塾に行きたいと頼んで、母の勤める隣町のちょっと賢い中学地区の入塾テストを受けたら上位クラスになった。
自分は兄と似ているのでは!?とどこか歓喜したけど、親は「◯◯が?何かの間違いじゃないの?」とちょっと引いてた。悲しかった。

兄は当然地元で1番賢い高校に行った。
都会のもっと賢い高校を勧められていたけど、「家から遠いの怠いから」という理由だけで地元に残っていた。
私は中3の夏まで週7でソフトテニスしてて、しょぼい地区ではあったけどそれなりに賞状も持っていた。スカウトマンからは名刺しか貰えなかったけど、もちろん高校でもソフトテニス一本でしょ?的な空気があった。
スポーツは小学校の頃からそれなりに得意で、これについては両親は割と喜んでた気がする。
中学の成績も上から何番目とかで、一見めっちゃ優秀な奴みたいになってた。
でもそれは田舎のアホ校だからであって、自分が所詮井の中の蛙である事を生意気にもなんとなく気付いていた。
と言うか、家に帰れば兄が居るので、例え褒めてもらっても「いや、上おるし…」という感想しか無かった。だから、高校は都会の進学校に行きたいと両親に頼んだ。めっちゃ引いてた。
「◯◯は運動頑張ればいいやん、ソフトテニスあるんやし。そんなお兄ちゃんみたいに無理して勉強しなくても… そんな年齢で挫折することないやん」とやんわり止められた。悲しかった。

奇跡的に受かったが、その高校では予想的中で、私は目に見えて落ちこぼれだった。加えて非常に生意気なので勿論先生には嫌われたが、なんやかんや親友は出来た。嬉しかった。楽しくはなかったけど。
兄は当然すごい大学に行った。
身の程を知った。世界って広いな〜と思った。
そしてうちの兄ってやっぱ上の方の人間なんだなァァ〜〜と皮肉にも再確認した。
だけど、疑問もあった。自分は家族が言うほどアホではなく、割と世間一般の平均より上に居るのでは…?と少し思った。家族に依存しない自我が若干芽生えた瞬間でもあった。
でも、母と兄に付きっきりで勉強教えてもらったのに大学受験は盛大に滑り散らかし、やっぱり自分はアホなんだ、ダメなんだと思った。
恥ずかしかったし情けなかったし申し訳なかった。

でも後になって、そもそも私が良い大学に行く事を家族の誰も特に期待していなかった事に気付いて、いよいよ自分は何と戦っていたのか分からなくなった。
自分が好んで自分に挑んだのか、幻想を追っかけてたのか分からなくなった。
大学生活も就活も、「◯◯はホラ、別に賢くないから」的な発言を悪気なく何度も受けた気がするけど、尊敬と申し訳なさがあったので、相変わらず何も思わなかった。


決定的に自我が芽生えたのは社会人になってから
本当に周りに恵まれて、色んな人が私の駄目な所を怒ってくれた。これは駄目だよ、と言ってくれた。
その分、良いところは褒めて貰えた。
「お前は頭良いよ、才能だよ」と言ってくれた。
「アホな先輩に言われてもなぁ…」と悪態ついても笑って突っ込んでくれた。
対等を知った。上下関係はあれど、これが人として対等な付き合いなんだと思った。
(小学校の道徳教育ってほんと無意味なクソだな)


両親や兄の「◯◯はアホやから…」と言うのは、決して対等ではなかったのでは?
何の悪気もなく、というかむしろ愛情の一種として、ナチュラルに私を下に見ていたのでは??


私の結婚式の、ほんまにしょうもない、本当に小さい事で兄と口論になった。
癇癪を起こすのは私だが、理由はあったつもり。
「お前の感情に興味ない。そもそも期待してないし別にお前に怒ってる訳じゃないから謝罪は要らない。弁明も不要」と言われた時に、全ての糸が切れた。
尊敬だけで繋いでいたのが、もうダメになった。
無論頭の良さでは天と地の差があるので、向こうにもちゃんと理由や根拠があっての発言には違い無いけど、もうダメだった。
LINEも電話番号も全てブロックした。
その後何事も無かったように結婚式の招待状を送ろうとしたらしいが、勿論私には届かなかった。

意図せず仲介役となった母に、悩み抜いた結果「結婚式は義務として出る。だからその後は縁を切らして欲しい」と頼んだ。
「◯◯はさ… ほんま軽くそういう事言うけどさ…」と。軽くって何??????
悩まず考えず脊髄反射で喋っていると????
タガが外れたようにキレた。私のブチ切れに両親は心底引いてた。二度と埋まらない深さの溝が出来た。でも多分、向こう数十年の保身には成功した。

地獄の空気の中、兄の結婚式に行く羽目になった。
親族婚とは聞いていたが、総勢10名は度肝を抜かれた。地獄が加速した。
微塵も笑えなかった。笑わねばとめちゃくちゃ思ったが、もとより体調が悪いのも相まって仏頂面かつ顔色はずっと悪かった。
新郎新婦を直視できず、視界に入ると反吐が出そうというか、割としっかり物理的に吐きそうだった()

「どうぞ前の方へお越しください!いっぱい写真を撮ってあげてください(*^o^*)!!!」というお決まりのシーン、一瞥もくれず後ろに向かう実妹はさぞ奇妙に映った事だろう。劇場スタッフも察する部分があったかもしれない。
勿論、式を通じて1枚も撮らなかった。
と、詳細を話していない旦那、色々察したのかめっちゃ撮る。前に出て撮る。興味のあるはずの無い赤の他人2人をめっちゃめちゃ撮る。
ありがとう旦那。まじでいい奴だな。誰だよ。
何を食べたらそう育つんだ。私の料理か。
どうなってんだ。

13年という長いお付き合いをされている兄嫁、ずっと抱いていた違和感というか、不快感というか
それが何なのかずっと分からなかったけど、判明。
兄嫁の視界に、私は入っていない。
兄嫁の脳内の世界にそもそも私は存在しない。
そりゃ13年付き合っても挨拶しないし、会っても喋りもしないし、私の結婚式も「え?行かなくていいよね?」的なスタンスになるわな。もう納得。
全て理解出来た。そういう事だった。

旦那が唯一の緩衝材となり、地獄の4時間が終わった。無限より長かった。地獄だった。1秒も楽しく無かった。両親兄夫婦がより一層嫌いになった。
帰宅直後に結婚式絡みの物全て捨てたけど、旦那は何も言わなかった。

もう自分から進んで実家に帰ることは無いだろうな。親の介護だけは義務として、積極的に関わる事もないだろう。
そう言えば家を買う話もしたけど(ちょっとワクワクした雰囲気になるかなと思った)、ひたすら文句言われて言わなきゃ良かったと思ったから、家に招く事も無さそう。もうそれでいい。

疲れたなぁ。
仕事してるほうがよっぽどマシだった。
仕事も割と窓際族だけど、全然それのがマシ。
実家絡みのイベントになるくらいならもう大型連休なんか要らない。盆も正月も要らない。


親友の式に行きたいなぁ。
心の底から幸せな気持ちになりたい。
「いや、こっちが何故か泣いたわ。笑」とか言いたい。とにかく人を祝いたい。
いつか行けるかな。でもこんな時代だしな。
とりあえず誕生日だけは盛大に祝わせてくれ。


懐古したらひたすら虚しくなったから、ななまがり森下の架空数字「あぜじゅうよん」をヘッダーにした。
明るくなった。
元気出して行こう。
よし、これで良い。