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沖縄ミーティングのあと、ユタを通して懐かしい人に出会った。

割引あり

東京の友人秋山さんと遊佐学さんとで、沖縄の仲宗根さんおすすめビーチでバーベキュー。

今年2月に秋山さんが沖縄に仕事に行く
というので、遊佐学さん誘って各々が飛行機予約。
それから約三ヶ月。5月25日に、念願の沖縄バーベキュー。

仲宗根さんの作ったお面をみんなで被った。
お肉を炭火で焼いて食べた。
遊佐さんが「ぜんざい」とバウムクーヘンとたい焼き持ってきてくれて食べた。

来年も同時期に沖縄で集う。
去年から始まり、毎年開催となりました。



その日の夜、私は空港で待っていた。
トラウマケアの先輩がDMくれて来沖してくれた。

今回持ち出していた腰を据えて読みたい本は四冊ともトラウマに関する本。

事例検討をするための支援職の友人三名と合流し、五人で個室のある居酒屋で食事をした。

ホテルに移って事例検討をした後、

私と2人で空が白むまで話した。

ここからは有料。

その友人、支援者であり虐待のサバイバー。
トラウマケアを本職にしているからこそか、
自身のメタ認知が進んでいる。

私はそれを理解し、感覚を共有した。 

逃走中に麻酔銃で撃たれた野生のしろくまが、麻酔から覚めつつある時に足をバタつかせて逃走状態を続けながら覚醒する動画を見たことがある。野生動物は、トラウマを残さない動きを知っている。

プレイセラピーの事例で、いくつか聞いた。

逃げることができない虐待体験。

子どもは立ち直る方法を見つけ出して、イメージして遊ぶ。
銃乱射に境遇した子どもは、人形を血に濡れた身体に見立てて洗う。また、別の子どもは玩具の銃を手に入れて、イメージの中で犯人を撃ち殺し、平和な世界を作り出す。 

凍り付いた無力なシーンに、戦う(fight)か、逃げる(flight)か、協力し、解決する方法を見つけていく。

戦うのも逃げるのも身を守るための基本的本能。

子どもはみんな天賦の才をもっている。

ミヒャエル・エンデの「モモ」には、イメージで遊ぶシーンがある。雨が降った広場で、モモは子供たちと嵐を進む海賊船をイメージして遊ぶ。
雨の中、子どもたちはハラハラドキドキしながら海賊船を走らせる。

一人になれる時間には、
命が危機を感じる場所を見つけ出し、
そこから逃走できる環境を作り、
何度も逃げることを繰り返した。

ピンポンダッシュのような、社会的に見たら非難される遊び。

その友人はこの天賦の才を持ち続けている。



 私は、手塚治虫の「どろろ」の話をした。
主人公百鬼丸は、生まれる前に父親によって悪鬼に捧げられる。
ほぼ内蔵だけの状態で生まれ、実母に川に流される。
偶然医者に拾われて、義肢を与えられる。
百鬼丸は、四肢を失ったあとも、悪鬼に狙われ続ける。

義手には刀が仕込まれ、悪鬼と戦う。
悪鬼を倒しては、自分の体を取り戻していく。

最後は、自分を鬼に売った父親と対峙する。

まるで、トラウマから立ち直っていく過程の話。


その父は、最後はどうだったかな。
忘れた。

5月の私は基本、不調だ。

逆縁の死別から20年以上経つ。記憶も薄れている。
それでもこの時期は、この不調を引き金に故人を思い出す。
死者からの愛情。死者への愛情。


ディズニー映画「リメンバーミー」では、メキシコの死者の国が描かれている。

遺族がその人を思い出さなくなった時、死者の国でその死者は二度目の死を迎える。
日本で言うお盆のような死者を思い出す期間がある。

忘れるのも当然。
そして、悲しみという形で
忘れないでという生きた証のメッセージが残っている。



トラウマケアをする本人も、トラウマを持つ。
自分のケアに取り組みケアすることで人を助ける力を作りだす。

そのプロセスは、他者評価を必要としない。

トラウマケアを仕事にしていれば、クライアントからダメージを負うことがある。

またもシロクマの話になるが、一頭で孤独なシロクマをもう一頭が遊び相手にできるまでのプロセスの動画を思い出す。

最初はちょっかいをかける。 小さなストローク。存在承認。あなたがそこにいるというメッセージ。

孤独なクマは力の加減が分からない。
ときに強すぎて相手を傷つけ、傷つけたという事実から強すぎたと知る。

コンタクトとフィードバック、
ストロークからダイアローグ。

小さな失敗を繰り返して、コミュニケーションを学ぶ。

トラウマケアをすることは、その強すぎるストロークを受ける覚悟が要る。

私自身、仕事としての関わりではなくても、殺人予告をされたし、風評被害を受ける。

リチャード・バックの著書に「ONE」という異世界を旅する飛行機乗りの小説がある。
パラレルワールドの中で主人公が飛行機事故でパートナーを亡くすシーンがある。
主人公は、途方に暮れ、酒に溺れ、危険飛行を繰り返し、命を省みることが出来ずに、自分自身の命を危険に晒していく。  
 それが、死者の世界に相対する自己治療でもある。相手のいる世界に敬意を持ち、「私はその世界を認め、そこに出向いてもいいという態度がある」とストロークする。

現世とあの世、現世を空、あの世を海だとすると、どっちつかずの水面を泳ぐ感覚。
空を飛べず、海に潜っても水面に戻る。

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