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べてるの当事者研究は、「共同研究」のスタイルをとっている。

いま、新千歳空港のラウンジ、一蘭方式のカウンターでパソコンを開いてこの文章を入力しています。
7月24日の北海道初日オイスター集会からあっという間の6日間でした。
前半は、出所直後からお世話になっている東京共同法律事務所の海渡雄一さん、小竹広子さん、監獄人権センターのスタッフたち、東大で当事者研究をする唯ちゃんたち、総勢13名でのべてるの家見学。
後半3日間は母と摩周湖に行ってきました。
レンタカーでの道内移動距離、1400kmでした。

べてるの家は、以前購読していたメンタルヘルスマガジン「こころの元気+」に記事が連載されていたので、ずっと行ってみたいと思っていたところでした。直近8月号では、ハイテンション弁護士の中田雅弘さんが寄稿しています。

https://www.comhbo.net/?page_id=104

べてるの家は、1984年に設立された北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点です。べてるの家は、有限会社福祉 ショップべてる、社会福祉法人浦河べてるの家、NPO法人セルフサポートセンター浦河などの活動があり、総体として「べてる」と呼ばれています。

べてるとは、そこで暮らす当事者達にとっては、生活共同体、働く場としての共同体、ケアの共同体という3つの性格を有しており、100名以上のメンバーが地域で暮らしています。
毎日利用するスタッフが20名くらい。
多くのメンバーがグループホームや共同住居で暮らしていますが、一人暮らしや家族と住んでいる人もいます。

長期の利用者は約30年、幅広い年齢の方が利用していました。
当事者から支援者へ移行した人、その間を行き来する人もいました。

べてるの当事者研究は、「内面を見つめなおす」とか「反省する」とは違う。「共同研究」のスタイルをとっている。一人の研究がもう一人の研究を呼び寄せ、融合しあいながら新しい生き方を創造していく。無意味にしか思えなかった失敗だらけの忌まわしい過去が、「当事者研究」という衣をまとった瞬間、新しい人間の可能性に向かって突然、意味を持ちはじめる。

周りの方たちは、まだ語られていない物語を紡ぐようにアプローチをして言語による外在化を促す。これといったモダリティやプロトコルはない。

私も少しミーティングで事例を出させていただいた。
「先月からスケボー6台、買いました。(病気としての話題)」
(ホワイトボードのグラレコあり)
「最初の一台は、滑る時音が大きい。移動がメインなので、音の小さい2台目を購入。その後、音の小さく、タイヤの光るスケボーを買った。その後、新品未使用品を市価の半値で3台購入。」
(新品スケボーは、部屋のインテリア家具として便利に使えています)
どうしてこういうことをしたかと振り返ると、
「欲しい!」と思う自分の「好奇心」を大切にしているから。

「欲しい!」という気持ちで、先月は中型バイクも購入しました。予想はしていたけど、移動手段として適切ではなく、置き場にも困るので、近々、売却の予定。笑

ベテルでは、
「それは自分であろうとする瞬間であり、人のつながりに生きようとする、「始まりの時」ともいえるのである。」
とあり、まさに自分の研究は自分との出会いだなあと思います。

2日目には、浦河ひがし町診療所で一人の当事者のためのグループカンファレンスに参加させていただきました。
当事者が開催の合図をし、自分の話をする。周りの支援職の方たちは、交通整理をするように意味を解釈し、質問を投げかける。

スムーズに認知にアンカーを入れるし、答えを押し付けることもない。オープンダイアローグのような時間。

べてるは、エアポケットのような時空にある。
社会一般生活で得た経験を成長へ変換させる時空を持つ。

災害に被災した地域や集団を調査すると、10人中9人がそお経験から学び、成長していたという。罹災により圧倒されたあと、回復をえて、より強く、より賢くなれる。

当事者主体というスタイルは、時間、場所、支援者のマンパワーが必要。(たとえとしては良くないだろうが)、平飼いの鶏のような健康さがあった。

ミーティングでは言いたいことをいい、自分の好きな歌を歌う。
周りの方も、すべてを聞くことはせず、ある程度で切り上げさせるコミュニケート。

私の周りの司法福祉の界隈では、「前科者」を「当事者」という。
出所から5年以上経っても「当事者」だ。
思えば、「当事者」という言葉は、どの文脈での当事者か、はっきりしないことが多いから嫌いだった。

当事者研究は、自分を当事者としてみることがスタート地点なので、それが明白にあった。

ほか、募る報告は、そのうちします。


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