「理想の自己」として生きることができなかった後悔について
そろそろ、人生における後悔の話をしたい。
人生観、死生観を考えたときに、
「死ぬときに後悔がない人生でありたい」
そう思うヒトは多いのではないだろうか。
「後悔がない人生」とはどんな人生か。
これを定義できれば、そこに邁進するのみだ。
だが、自分の状況次第で変わるかもしれない。歳を重ねるなかで日々変わっていくものかもしれない。
ついつい、目の前のことだけで余裕がなくなってしまうかもしれない。
だから、逆にこう考えてはどうか。
「人々が人生で後悔したことを避ければ、死ぬときに後悔がない人生へ近づける」
ということで、「死ぬときに後悔すること」を、いくつか調べてみた。
自分自身に忠実に生きればよかった
あんなに一生懸命働かなくてもよかった
もっと自分の気持ちを表す勇気を持てばよかった
友人関係を続けていれば良かった
自分をもっと幸せにしてあげればよかった
(2012年 Top five regrets of the dying | Death and dying | The Guardian)
自分のやりたいことをやっていればよかった
夢をかなえることにもっと力を尽くせればよかった
仕事ばかりでもっと趣味の時間を持てばよかった
行きたい場所、会いたい人の元へ行けばよかった
自分の生きた証が残せればよかった
感謝の気持ちを十分に伝えられていればよかった
(2009年 死ぬ時に後悔する25のことより抜粋)
私たちを最も苦しめる後悔は、「理想の自己」として生きることができなかった後悔である。人は、長期的に見たときに「したこと」よりも「しなかったこと」に対して、より大きな後悔を抱く。失敗はやり直せるが、やらない後悔は軌道修正できないからだ。
(2018年 The ideal road not taken: The self-discrepancies involved in people’s most enduring regrets. (apa.org) )
どうだろうか。
やりたいと思ったことをやる。
人に対するつながりを大切にする。感謝を伝える。
自分の理想に向かって生きる。
といったところだろうか。
時代とともに変化するのかも気になったので、情報の公開年もいれてみたが、さほど変わっていない気がする。「死ぬときに後悔すること」がさほど変わっていないということは、これを意識して実践して生きるだけで多くの人と違った人生を歩めることを示唆しているのではないか。
なにとぞ。
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