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蛭田亜紗子作小説「凛」を読んで②~感想、考えたこと~

①に続き

 ①では、この本を読む際に知っていると便利な「タコ部屋」と「遊郭」について整理しました。不足知識も多いと感じていますが、それは今後の課題としたいと思います。

 さて、浅学菲才の私ですが、自分なりに感じたこと、考えたことを書き記していこうと思います。ちょっと前までの私だったら、感想述べよとなると「麟太郎パネェー」とか「毒島(ブスジマ)コエー」、「ボーリョクはケシカランなり」などとアホウのごとく喚いていたことと思いますが、少し成長したので、それに比べればまともなことを書くと思います。時々感想や鋭いご指摘等いただけますと幸甚です。

※以下、「タコ部屋労働」という言葉を使うとき、そこにはタコ部屋前身の「囚人労働」も含む場合があります。

〇なぜこの本に惹かれたか

 ①でも書きましたのでまるっきり重複するところもあります。

 私が大学院生の時、研究の一環で地元の取材をしている時にこの本に出会いました。私の生まれ育った土地に近い辺りで、大正から昭和にかけて実際にあった「タコ部屋労働」と「遊郭」が舞台となっています。当時は道内各地で不法監禁や暴力、虐待が横行する非人間的環境下での過酷な労働が行われていました。北海道開拓はこうした労働によって進んできた歴史があります。

 これまで、タコ部屋やその前身ともいえる囚人労働、遊郭の言葉は知っていましたが、学ぼうとはしてきませんでした。しかし、私が育った土地、親しんだ道路なども、そのような歴史の上に成り立っていると考えると放っとく気持ちにもなれず、この本をきっかけに少しずつ学び始めました。

 灯台下暗しとはよく言ったものです。長い間過ごした地元を離れて何年も経ってから、しかも偶然出会った小説によって詳しく知り始めることになるとは思いませんでした。

〇私の中での「タコ部屋労働」「遊郭」の位置づけ

・本を読む前の知識

 これらのことを学校などで学んできたんではないか、ただ私の不勉強なだけではないかとも思いますので、記憶を振り返ってみます。

 私の地元(旧白滝村)の開拓に関して学んだことで最も印象的なのは、大正時代に紀州の人々が初めて入植したということです。未開の地を大木を切り倒し、苦労して開墾していったとの話です。この時には、北見峠~網走の中央道路が開通しており、彼ら入植者はここを通ってきたのではないかと思います。

 この中央道路について既に学んでいたことは、明治20年代に囚人の凄惨な強制労働によって、北見峠から網走までの長大な道のり(160キロくらい)をわずか8か月で開通させたということです。当時幼い脳ミソながら、足に鎖と重りをつけられながら手作業で大木を切り倒し、土砂を運び、開削していくのはどれほど大変だったのかと感じたことを覚えています。現に多くの囚人が亡くなったそうです。北見峠頂上には「中央道路開削犠牲者慰霊之碑」が建立されています。

 遊郭の存在に関しては、全く知りませんでした。白滝村にはなかったからかもしれません。

・本読んだ上で

 振り返ってみると、「紀州の人々の入植が白滝村の始まりであり、おかげさまで村ができた」という理解でいました。しかしその前に、囚人の強制労働によって道路が開削されたことにより、各地に入植、開拓が進んだと言えることがわかりました。

 この本をきっかけに、北海道各地では囚人労働とそれを引き継いだ形のタコ部屋労働によって道路開通や鉄道開通などが行われてきたことを知りました。これらの土木工事のおかげで人が通れるようになり、物資が運搬できるようになり、各地に入植が始まったという流れを理解することができました。その後、各地に入植した人々は懸命に開墾し、農地、宅地を切り拓いていったのでしょう。

 また、囚人労働のおかげで入植者、労働者、軍人などが増え、彼らをターゲットとして、地方小都市にも遊郭ができてきたのではないでしょうか。

〇本を読んで思うこと

・社会の発展の正の側面、負の側面

 歴史を振り返ってみると、手作りの武器を持ってエイヤと狩りをして生きてきた時代から農耕が始まり、ムラができクニができと、技術革新と社会構造の発展によって現代社会が出来上がってきました。ライト兄弟がヒコーキを発明したり、革命によって社会構造がより良くなったりと、様々な人々の努力で社会が発展してきました。

 これらのような賞賛したくなるような、教科書にも載っていて誰もがすごいと思える明るい面での出来事はたくさんありますが、たいてい目を背けたくなるような、誰かが不幸になりながら、不幸にさせられながら成果が上がった出来事もものすごくたくさんあったのだと思います。戦争や奴隷制度などは代表的なものかと思います。先に挙げた革命だってよりよい社会と引き換えに多くの人命が失われていることが多いです。

・この本を読んで気づいた視点

 この小説でのタコ部屋労働や遊郭での描写は大変な臨場感、現実感が感じられるものです。非人道的な行動が行われるつらい場面が多いので、私は読み進めることを放棄しようかと思ったくらいです。それくらいショッキングなものでした。そのような描写によって、現場での問題点は否応なく意識させられます。

 さらに、なぜ当時このようなことが継続されてきたのか、このような境遇の中で生きてきた人々がどうして存在するのかを想像すると、この現場が存在する根源、当時の社会状況に思いを巡らすことができます。八重子やスエの境遇を読んでいる時もそういう想像ができます。

 小さな枠組みで見ると監禁や暴力が顕在化してきますが、大きな枠組みで考えると当時の国の方針や社会状況まで考えることができます。今回はそのような視点を持つことの意義を学びました。

・「タコ部屋労働」、「遊郭」が存在した所以

 この小説が描いている「タコ部屋労働」、「遊郭」は、大正時代のことです。その労働力は、八重子やスエのような貧困にあえぐ人々でしたが、身売りしなければならぬほどの貧困はなぜ生まれたのでしょうか。そのような人々の弱みに付け込み、利用する仕組みがあったのはなぜでしょうか。麟太郎のように、人が騙され非人道的にこき使われることが平然と行われてきたのはなぜでしょうか。

 当時の日本は、明治維新後の産業発展に忙しく、「富国強兵」などどのたまい、鎖国の遅れを取り戻すべくどんどん開発、生産を推進してきた時代です。その面ではとても明るい、覇気に満ちた時代だったのではないでしょうか。そのため、当時はとにかく開発を進めることが「正しいこと」だったのだと思います。労働力はいくらあっても足りず、とにかくできるだけ早く開発を進めてきたことと思います。「工事が遅れてるんだ、ガキだからといって甘く見ることはできねえ」という毒島親方のセリフもあります。工事をどんどん進めることが最優先で、人が朝から晩までこき使われて病気で死のうが、事故で死のうが、子供がきつい肉体労働しようが、逃げようとした人が見せしめにリンチに会おうが、現場を進めることのみが「正しいこと」だったのではないでしょうか。

 労働者は男が多かったわけですが、男が多く集まるところには遊郭ができるというのは当時、人が集まるところにはコンビニができる、というレベルで当たり前のことだったのかもしれません。楼主は貧困に苦しむ人を利用して労働力を集め、搾取し、莫大な利益を上げていたことでしょう。大きな金が動き、表面的には華やかなので、「正しいこと」だったのでしょう。

「女郎蜘蛛は躰の大きい雌が自分の半分以下のちっぽけな雄を貪り食らう。蜘蛛の名に女郎とつけたのはよっぽど厚顔無恥な男だろうね。食いものにしているのはどっちなのか―」

 当時遊郭で遊ぶ男はそれが正しいとか正しくないとか考えてない人が多かったか、考えてはいたがどうすることもできなかったのではないかと思います。

 おかげで「正しく」開発は進み、金は動き、便利な土地が増えてきていたので、このような今考えれば間違っていることは長らく表面化してこなかったのだと思います。

・発展途上の社会が故に

 社会は絶えず様々な面で動いていますが、全国民全産業が足並み揃えて前に進むということなどできません。当時のような急激な変化が起きていると、置いて行かれる分野や虐げられる分野が必ず出てくるのだと思います。そして、それらの分野を是正することが「正しいこと」の推進の妨げになってしまうことも多いと思います。

 そのため、「正しいこと」の推進には、それらの分野の是正を不都合とし無理やり踏み台にしてこき使わなければならない場面が出てきます。そのおかげで「正しいこと」の一番表にいる人は順調に莫大な富やエネルギーを得てさらに「正しいこと」を推進するので、それらの分野は「正しいこと」の名のもとに、見て見ぬ振りされたり、さらに凄惨な出来事も容認されて行ってしまうという負のサイクルが、一方で出てくるのではないかと思います。

 それが、貧困がうまれ、利用する仕組みが生まれた所以の一つではないかと思います。発展途上の社会には、何か無慈悲なアンバランスなものが感ぜられます。

 余談ですが、この前「この世界の片隅に」というアニメ映画を見ました。主人公が育ったところでは、ノリの養殖で人力で作業していました。嫁いだところには田や畑、水路があり、実にのどかな場所で、炊事や風呂も毎回火を起こすなど昔の生活様式でした。しかし目下の海には巨大な軍艦が幾隻も並び、挙句には最新鋭の凶悪な原子爆弾が主人公の育ったまちを殲滅します。ここでも無慈悲なアンバランスなもの、無慈悲なギャップのようなものを感じました。

〇最後に

 当時「正しいこと」に隠れ表面化しなかった問題は、時代とともに問題視されて是正された、或いは社会の変化に適さなくなったからなくなったのか、賞賛されるほどの明るい出来事ほどは人に知られていないのではないかと思います。また私も知ろうとはしませんでした。うやむやになってしまったことも多いのではないかと思います。当時表面化せず知られなかった問題も、現代社会に住む我々であれば当事者ではないにしろ、問題が起こった当時と違ってなんのしがらみにもとらわれずに見つめることができます。当時の事実が現わしてくれる様々な問題を考えることができます。

 そうして考えたことを、我々は現代社会と照らし合わせてみることができます。フィールドは違えど、おかしいと思う構造は幾つもあるのではないかと思います。今でも、私自身もマアマア世話になっている性風俗産業は残っているし、ブラック企業というのも問題になっています。

 過ぎ去った歴史を振り返ることにはそういう意義があるのだと感じました。ですので、表沙汰にならなかった問題、忘れ去られかけてしまっている出来事にももう少しでもスポットライトが当たってほしいと思います。当時、逞しく生きてきた人も死んでしまった人もいますが、まぎれもなく彼らが歴史を作り、今の生活があるのです。

 この本は、私にそういう視点、考え方を与えてくれた素晴らしい本です。

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