愚者の踊に祝杯を 作・籠耳 杠

〈三島 直也〉
「あ、そうだ。クリスマス空けといてね」
 朗らかな笑みと共にそう告げたのは付き合い始めてからもうすぐ2年が経つ恋人、深雪だ。彼女の明るさと優しさに惹かれ思わず告白してしまったのが一昨年のクリスマス。半年前から始めた同棲には最近やっと慣れてきた気がする。そしてまだ周りの人間には言っていないが、いつかは家族になりたいと思っている。
「うん、もちろん。今年は家で?」
「あはは・・・・・・去年は散々だったからね」
「確かに。冬の遊園地とか地獄そのものだったもんな・・・・・・」
 イルミネーションという餌に釣られてSNSで話題の遊園地を訪れたは良いものの、寒さで楽しむ所ではなかった。その上予報外れの雪で電車が止まり、近くの安いビジネスホテルで夜を明かした。・・・・・・まあ、今となってはいい思い出かな。
 そういえばさ、と深雪が呟く。
「直也って明日休みなんだよね?」
「そうだけど・・・・・・なんで?」
 質問には答えず、深雪は無言で首の後ろに手を回し唇を重ねてくる。
 ──またかよ。
 逃れようとするも、深雪の両手は首の後ろでがっちりと組まれており、動けなかった。
 そのまま数十秒が経過した後、

「あれ・・・・・・もうゴム使い切ったんじゃなかった?」
「えーこの前はOKだったじゃん」
「あれ・・・・・・そうだっけ?」
「・・・・・・嫌なの?」
 潤んだ目でこちらを見つめてくる。散々面倒という態度を取っておきながら、この目で見つめられるともう嫌だなんて言えない。
「・・・・・・1回だけな」
「やったあ!直也大好き!」

 ああ、重い。
 深雪と初めての夜を迎えたのは付き合い始めてからひと月ほど経った頃。最初はお互い手探り状態で行為に及んでおり、我ながら初々しくも楽しい時間であったと思う。
 しかし、少し経つと毎晩のように深雪は身体を求めて来た。初めは嬉しかったものの、近頃は行為そのものがプレッシャーになりつつある。と言うのも、深雪は子供を欲しがっているのだ。これだけを聞くとそれ程おかしくは無いが、深雪は常軌を逸している。
 ある時、行為の際に着けた避妊具に穴が空いていたことがあった。しかも、どう見ても画鋲か何かの針で空けられており、偶然とは思えなかった。これだけならただの思い過ごしで済んだのだが、深雪はその他にも本番以外の行為を極端に嫌ったり、先程のように避妊具が切れていても行為に及んだりと、異常なほど妊娠に執着している。
 もちろん、子供が欲しくない訳では無い。深雪を初め、家族の団欒の中に自分がいるという光景には憧れを抱いている。しかし、こうも毎日のように求められると、自分が種馬になったような気分に陥ってしまう。
 深雪のことは愛しているし、これからもずっと愛し続けたい。何か、いい方法はないだろうか?

「ってことが先月あったんだけど」
「いや、そんなことアタシに言われても」
「だよね」
 目の前の女が呆れ気味に言った。そりゃそうだ。女は溜息混じりに煙草の煙を吐き出すと、
「ってか、彼女のこと大事にしたいならアタシの所なんて来んなよ。今日だろ?そのクリスマスのお家デートとやらは」
「大丈夫大丈夫。8時までには帰れるから」
「ったく本当に、なんでバレてねえんだか・・・・・・」
 この女は麻衣。職場の同僚だ。麻衣とは半年位前から肉体関係を持っており、週に1回程のペースで会っていた。きっかけは自分でもよく分からない。同期の好で飲みに行った際、お互いの恋人の愚痴で盛り上がったことがあった。何でも、麻衣の彼氏はろくに働きもせず毎日のようにパチンコを打っているのだとか。それも彼女の金で。
 その時、麻衣に訊いてみたのだが、
『うわぁ・・・・・・そんな酷い彼氏なら何で別れないの?』
『は?好きだからに決まってんだろ』
『えぇ・・・・・・』
『何だよ』
『いや、その人のどこが好きなの?話聞く限りクズとしか思えないんだけど』
『ツラ』
『・・・・・・君も大概だな』
『黙れ』
 ──彼氏はクズに違いないが、麻衣も麻衣だ。
 その後の記憶は少し曖昧だ。お互いグズグズに酔ったあと、何となくの成り行きで今まで入ったことの無いような高級なラブホテルに入り行為に及んだ。お互い胸の内に抱えている汚れをぶつけ合うような行為だったのだろう。深雪の時とは違い、終わったあとは妙に心が軽かった。
 そこに愛は無く、お互いが自らの性欲を発散するためだけの行為。深雪のように朝までくっついてくることもなければ、妊娠を期待されるようなことも無い。こんな人との出会いを、自分は期待してしまっていたのだろう。ずっと。
 とまぁ綺麗な言葉で飾っているが、傍から見ればこれは立派な
「チッ、浮気バレて刺されればおもしれえのに」
「縁起でもないこと言うなよ。あとこれは浮気じゃない。なぜなら君は恋人じゃない。ただの『お友達』だ。なんならキスもしたことない。しかも──」
「はいはいわかったわかった」
 面倒くさそうにあしらい、麻衣は煙草を消した。
「そういうグダグダ理屈並べる所。直した方がいいぞ。会社でもな」
「えっうそ俺会社でもこんなだっけ!?」
「新人の子もウザがってたぞ」
 それだけ言うと、麻衣はベッドに横になった。
「じゃアタシは寝るから。また来週」
「ああ、うん。またね」
 そう言って荷物を持ち、玄関のドアに向かって歩くと背後から声が掛かった。
「・・・・・・そういや、お前本とか好きだったっけ?」
「いや、文字たくさんあると眠くなるから嫌いだけど・・・・・・何急に」
「・・・・・・一昨日、近所の本屋でお前のこと見かけた気がしたんだけど、気のせいか」
 その話を聞いて、ああ、と納得がいった。
「それ、多分直樹だ」
「直樹?」
 直樹は双子の弟だ。弟と言っても、俺よりほんの数分遅く生まれただけだが。
 思い返してみると、俺と直樹は対照的だった。テストは平均点ギリギリだが、スポーツは大体出来、交友関係も広い俺。一方、テストは毎回ほとんど満点だが、体が弱く、人と話すのが苦手な直樹。俺たちはよく喧嘩をするものの、それなりに上手くやっていたと思う。
 しかし、大学受験の際、俺は地方の公立大学に推薦で入ったが、難関国公立大学を受験した直樹は不合格だった。仮に直樹に反骨心のようなものがあれば浪人してでも勉強したのだろうが、直樹は1度やって出来ないと「もういいや」と諦めてしまう性格だった。受験に失敗した直樹は実家に住みながらアルバイトを転々としているらしい。
「でも、最近こっちに引っ越してきたらしいんだよね。一応会おうとはしたんだけど、兄貴も忙しいだろうからって断られちゃってさ」
 ふと麻衣を見ると、普段の様子からは想像できないほどに顔に困惑を浮かべていた。
「・・・・・・は?」
「え、何。どしたの」
「弟・・・・・・・・・・・・そんなわけねえだろ」
「え?」
 何を言いたいのか分からない。怪訝な目で見つめると麻衣は恐る恐るといった様子で口を開いた。
「だって、そいつ一昨日は」
 その瞬間、ズボンのポケットから軽快な音楽が鳴り出した。どうやら、電話がかかってきたらしい。
「うわ、深雪だ。ごめん!また!」
「おい!待っ」
 万が一にもここに来たことを知られてはならない。麻衣の声を背に、玄関のドアを勢いよく開け、アパートの外に出た。空には既に星が瞬いており、時計を見ると6時を回ったところだった。ギリギリ間に合いそうか?
「あっやべ、電話電話」
 電話に出るのが遅いと怪しまれてしまうかもしれない。慌てて通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『もしもし直也?仕事終わった?』
「あー、うん。今から帰るところ。ってかごめんな。今日一緒に居てやれなくて」
『ううん、気にしないで。お仕事お疲れ様!・・・・・・それより直也』
「うん?」
『帰ってきたら話さなきゃいけない事があるの』
 全身の血の気が引いた。そんな馬鹿な。バレるはずない。俺も麻衣も会う時は気を付けていたし、スマホにもトーク履歴は残っていない。ならばなぜ、
「話さなきゃいけない事?何それ?」
『ふふ、帰ってからのお楽しみ!』
 深雪はそう言って、電話を切った。
「・・・・・・・・・・・・びっくりしたぁぁぁあ」
 どうやら麻衣との関係に勘づいた訳では無いようだ。この声のトーンなら、きっとそうであろう。ひとまず、次の電車を逃さないよう、駅まで急ごう。深雪の機嫌を損ねるのは御免だ。

 結論から言うと全然急ぐ必要など無かった。深雪のアパートに着いたのは7時半頃で、こんなことなら麻衣ともう少し一緒にいれば良かったと思われてくる。
 いや、これから深雪と長い時間を過ごすのだ。こんな考えではいけない。ドアの前に立ち、軽く深呼吸をした。
「大丈夫。大丈夫。いつも通りに・・・・・・」
 そして、なるべく明るい声を意識してドアを開ける。
「ただいま──」
 玄関に入って最初に目に入ってきたのは豪華な料理でも大きなプレゼントでもなく、顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくっている深雪だった。
「え、ちょ、どうしたの?」
 先程電話した時にはそんな様子は無かった。つまり、この1時間と少しの間に何かがあったということか?
 すると深雪は困惑の声を漏らした。まるで、今の今まで流している涙に気が付かなかったかのように。
「・・・・・・赤ちゃん。できてた」
 瞬間、脳裏を駆け巡ったのは希望でも絶望でもなく、単なる納得であった。そろそろだと思っていたが、わざわざクリスマスに教えるあたり、とても深雪らしい。そういうところが愛らしくもあり、嫌いでもあるのだが。
 ならば、俺が言うべきは何だろう。
 おめでとう?ありがとう?良かったね?
 違う。とうとう俺にもツケが回ってきたのだ。断りきれなかった、決断できなかったツケが。その責任を、取らねばならない。
 幸運なことに、今日は丁度クリスマスだ。ならば遥か昔の今日に生まれたという神に誓ってやろうではないか。
 俺は、精一杯の笑顔を浮かべた。
「メリークリスマス。深雪」

〈佐々木 深雪〉
「深雪さん。あなた、妊娠してますよ」
 やっと。やっとだ。このために。この時のために。私は生きてきたのだ。ここが病院でなければ、踊り出したい気分だった。
 彼には、直也には、いわゆる一目惚れだった。初めて直也を見たのは高校1年生の時。通っている塾の席が偶々隣になった時であった。筋の通った鼻。薄い唇。きめ細やかな肌。やや色素の薄い髪。
 その時、一目で恋に落ちてしまったのだ。だが同時に、彼は性別問わず人気があるだろうこともわかった。私のような地味な女が近づいても迷惑なだけだろう。そう思い、私は彼の名前すら聞かなかった。でも、それでもいいと思った。彼を遠くからでも見れるのなら、それで。
 だから、大学の入学式で彼の姿を見かけた時は悲鳴をあげそうになった。高校生という枷が無くなったからか、彼は髪を茶色く染め、心做しか大人っぽい色気があった。
 しかし、それでも私に声をかける勇気などなかった。高校生の時に比べれば私も地味では無くなったものの、彼の隣に立ちたくはない。きっと彼の魅力が霞んでしまう。
 そんな時、さも当然のように、本当にさらっと、彼が声をかけてきた。
『ねえ君。もしかして駅前の塾通ってた?』
『えっあ、うん』
『良かったー!知ってる人がいて!』
 知ってる人?名乗ったこともない、それどころか話したことすらないのに。私は話しかける勇気すら湧かなかったのに。
 きっとその時からだろう。私のブレーキが壊れていったのは。

 彼の名前を教えて貰った。直也。直也。直也直也直也。なんて素敵な名前なんだろう。何度も漢字の意味を調べた。彼に近づいた気がした。
 LINEを交換した。彼とのトークは1番上に固定した。通知音が鳴る度に急いで開いては家族のメッセージに落胆するのを繰り返した。
 消しゴムを拾ってもらった。次の日からは新品の消しゴムを使い始めた。彼の触ったものをすり減らしたく無かったから。
 下の名前で呼んでもらった。全身が熱くなった。初めて呼んでもらった時の興奮と彼の照れを隠した表情はいつまでも覚えている。
 髪を短くした。彼の好みかどうかは分からなかったが、気づいて欲しくて。彼の気を引きたくて。
 髪を褒めてもらった。この髪型が可愛いではなく、この髪型も可愛いと言ってもらった。
 ピアスを開けた。興味を持って欲しかった。痛くなかったかと心配された。これはこれで悪くないと思った。
 ピアスを開けるように頼まれた。私のを見て羨ましくなったという。私が着けた傷。今思い出しても物凄く興奮する。
 ああ、大好き。本当に大好きだよ直也。
 彼ともっと言葉を交わしたい。彼との距離を縮めたい。彼と手を繋ぎたい。彼に思い切り抱きつきたい。彼のうなじの匂いを嗅ぎたい。彼にキスをしたい。それから──
 彼との、子供が欲しい。彼の血と私の血がぐちゃぐちゃに混ざりあった、2人の宝物が。

 冷静に考えると、かなりぶっ飛んだ夢だったと思う。しかし、今やその夢が現実となりつつあるのだ。踊り出したくもなる。最高のクリスマスプレゼントだ。
 さて、直也が帰ってくる時間までに晩御飯の支度を済ませなければ。今日は彼にとっても最高の日になるのだから。

「うん!こんなもんかな!」
 我ながらかなりいい出来栄えだと思う。同棲したての頃は料理が苦手だったものの、直也のためを思えば料理の練習程度、苦ではなかった。さっきは思わず電話してしまったが、危ない危ない。あくまで妊娠はサプライズなのだ。彼の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
「早く帰ってこないかなー」
 カチャン。 
 その時、玄関先から何やら物音がした。
「直也ー?」
 いや、それにしては帰ってくるのが早すぎる。まだ時刻は7時過ぎだ。恐る恐る玄関を見ると、郵便受けに白い封筒が挟まっていた。
「何だ・・・・・・郵便か」
 玄関に向かい、白い封筒を抜き取る。が、封筒には宛先のみが書かれており、送り主の情報は一切なかった。さらに裏返してみると、
「あれ?私宛だ」
 不審に思いつつも、封筒を開けると、中には手紙が1枚入っていた。

『こんにちは。深雪さん。突然のご連絡をお許しください。この度は貴女に謝罪をさせていただきたく手紙をお送りしました。申し遅れましたが、私は三島 直樹と申します。ご存知かもしれませんが、三島 直也の弟です。兄に良くしていただき、本当にありがとうございます。さて、前置きと建前はこの位にして、本題に入ります。結論から申し上げますと、私は兄を憎んでいます』

「何、これ」
 直也に弟がいたことは知っていたが、憎んでいる?それ程2人は仲が悪かったのか?

『私に無いもの全てを持っていた兄を。私が欲しいもの全てを持って行った兄を』

 昔、兄弟同士で同じ人を好きになり、争いに発展するというドラマを見たことがある。その争いはお互いがお互いのことを罵り合っていたが、三島兄弟もそうなのだろうか?

『昔からいつもいつも失敗を恐れずに突き進み、何でもやり遂げる。そんな姿が大嫌いだった』

 いや、違う。これは三島 直樹の一方的な嫉みだ。自分が持ってないものを持っている兄への醜い嫉妬だ。

『だから、あいつが絶望するのを見たい。だからあいつの一番大事なものを壊すことにした』

 背中に悪寒が走った。嫌な予感に脳が警鐘を鳴らしていた。

『前述した謝罪というのは、あなたを騙してしまったことに対してです。深雪さん。ここ2ヶ月、あなたが話し、一緒に出掛け、そして身体を重ねたのは本当に三島 直也ですか?別の人間──例えば瓜二つの双子とかではありませんか?』

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」

『私は半年ほど前にあなた達の家を突き止め、こちらに引っ越してきました。そして3ヶ月と少し。あなた達2人をずっと監視していました。腐っても双子です。仕草や言動を真似るくらい造作もありません。大体2週間に1回ほどは私が相手をしていたんですよ?塩梅はどうでしたでしょうか。まぁ、それにしても深雪さん』

『所詮貴女が見ていたのは人の上澄みだけだったんですね。非常に滑稽です』

『それでは。メリークリスマス』

「え?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」

 弟?直樹?双子?入れ替わり?
 意味がわからない。そんな馬鹿な。いくら双子でも気が付かないはずがない。
「まさか」
 ここ最近、行為の際に避妊具を付けることを渋る時と快諾する時があった。その時には既に。

「・・・・・・・・・・・・じゃあ、子供、は?」

 直也?それとも直樹?私が孕んだのはどちらの子だ?

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや」

 答えは『分からない』だ。だから、
「この子は、直也の子だ」
 誰がなんと言おうと、この子は私と直也の子だ。DNA鑑定でもしない限りは分からない。
「大丈夫・・・・・・大丈夫・・・・・・」
 愛せるはずだ。いや、愛してみせる。そうだ、この子は直也の子だ。そうに決まってる。だって直也はあんなにも愛してくれたのだから。
 考えていると、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。音のした方に目を向けると彼が帰ってきたところだった。
「ただいま──え、ちょ、どうしたの?」
「え?」
 気がつくと視界はぼやけており、声も掠れていた。そうか、私は泣いているのか。なぜ泣いているのだろう。悲しいのか?彼の子でないかもしれなくて。悔しいのか?今まで騙されてきて。
 頬を伝う雫の理由も分からず、私は無意識に手紙を抱き締めた。クシャ、と軽い音が聞こえた。
「・・・・・・赤ちゃん。できてた」
 知られてはならない。これからは私が騙す側に回らなければ。
 ふと直也は笑顔になり、
「メリークリスマス。深雪」
 その言葉は私にとっては吐き気がするほどの皮肉であった。