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フラクタル  作:籠耳 杠


 男が目を開けるとそこには、真っ白い天井が広がっていた。
 まだ寝ぼけているのかと思い、男は2,3度目を瞬かせた。しかし目の前に在るのは色を失ったような天井のみ。
 男はゆっくりと身を起こす。……天井だけでは無かったようだ。シーツ、床、壁、蛍光灯の光まで、全てが白で統一された部屋。いや、部屋というより、病室や牢獄という表現の方が正しいだろうか。
「……どこだ?ここ」
 声がやけに掠れている。何の気なしに喉元に手を伸ばすと、何故かじっとりと湿っていた。もしやと思い額にも手を当てる。案の定、びっしょりと汗をかいていた。身体に張り付いたシャツを不快に感じつつ、男はベッドから降りた。
 絨毯も何もない剥き出しの床はヒンヤリとしており、足をつけるとぺたぺたと湿った音がした。どうやらコンクリートか何かで出来ているらしい。
 男は改めて部屋を見回す。やはり白一色という特徴しかない。敢えて特徴を挙げるならば、大きさは8畳程の部屋の真ん中にポツンと簡素なベッドが置かれている、ある意味異様な間取りである事くらいだろうか。
「……本当に、何なんだよ……」
 男は若干の恐怖心を抱きつつも、部屋を探索してみることにした。
 しかし、そこで男はあることに気がつく。
 ドアがどこにも見当たらないのだ。
 四方を見渡しても、天井を見上げても、ベッドの下を覗いても、出入口らしきものは見当たらない。途端に、全身に怖気が走る。
「いや、まさか。…………これって」
 男の脳内に、『監禁』という2文字が浮かんだ。誰もが創作の世界で1度は目にしたことがありそうな状況だが、当事者となった者は極めて少ないだろう。
 男が改めて部屋を見回すと、先程は気が付かなかったが、ドアだけではなく窓も、通気口らしきものも、外と繋がっていそうなものは何一つ見当たらなかった。
 その瞬間、全身にかいていた汗が一気に引いていくのが分かった。心做しか、鼓動も速くなっている気がする。男は無我夢中で壁に駆け寄ると、
「誰か!誰かいませんか!?誰か!」
 一心不乱に壁を叩き続ける。しかし、手に硬い感触が伝わってくるばかりで、人の気配はこれっぽっちも感じられない。
「頼む!誰か!助けてください!」
 男は声を上げ続けるが、依然として誰もいないようだ。
 しばらくすると、大声を出して壁を叩き続けるのに疲れたのか、男は力無く座り込んだ。ここから出る術は無いというのか。そう男が諦めかけると、視界の端に何かが映った。目を凝らしてよく見ると、それは紙か何かであった。
 弱々しく立ち上がり紙の元に向かうと、先程はベッドに隠れて気が付かなかったが、A4サイズ程の大きな封筒が落ちていることに気がついた。その封筒も部屋と同じく白であり、綴じ紐で封をされていた。
「これは……開けた方がいいよな……」
 ただでさえ混乱を極めている状況の中、封筒の中身を見ることでさらに混乱するのは避けたいが、このまま何もしないでいるよりは幾分か良いだろう。
 男は封筒の綴じ紐を解き、中の物を取り出した。中に入っていたのは文字がびっしりと敷き詰められた数枚の紙だった。3枚の紙のうち、1枚目以外は右肩をホチキスで綴じられている。
 1枚目には、ワードプロセッサーを使ったであろう文字が縦書きで並んでいた。また、その紙の右端にはタイトルと思しき聞き慣れない単語が書いてあり、さらに男の頭を混乱させた。
『想錯論』
「……何て読むんだこれ。そう……さく、ろん、そうさくろん?」
 音にしてみても、やはり聞いた事のない単語だ。正確には『創作論』なら聞いたことはあるが、このような字の組み合わせは見たことがない。
 正直、怪しさしかない。タイトルに加え、自分の置かれた状況も踏まえると、読むのを躊躇わざるを得ない。しかし、このままじっとしていても何も始まらないだろう。何か、ヒントのようなものが書かれているかもしれない。この状況を打破できる何かが書かれているかもしれない。
 そう信じ、男は文を読み始めた。

『想錯論』
『私は平凡だ。地球に人間として生を受け、特徴が無いというのが特徴というような日々を送っている。別段、不満を抱いたことは無い。産まれ落ちてから今日まで、殆ど何の不自由も無く生きてきた。親にも、兄弟姉妹にも、友人にも、師にも、妻にも、子にも恵まれ、人並みの幸福を享受している。しかし、ふと私は気になってしまうのだ。微かな疑問が鎌首をもたげてしまうのだ。私の人生の今までの出来事は、どのようにして決まっていたのだろう。また、これからの出来事はどのように決まっていくのだろう。人生における出来事は、本当に私の意思で決まるのか?ただ、そう決めたと思い込んでいるだけなのではないか?私が決めたことなんてひとつも無く、何かが、誰かが、私の人生を決めているのではないだろうか?例えるならば、誰かの手によって創られた、つまりはそういう設定のキャラクターに過ぎないのではないか?もしそうであるとするならば、私は私では無いのかもしれない。物語に登場するキャラクターの1人に過ぎないのかもしれない。今生きている世界が現実であると、錯覚しているだけなのかもしれない。ならば、誰が私を創り、或いは読んでいるのだろうか。だが、その問いは無意味である。理由は単純明快だ。私は創作物のキャラクターに認知されたことが無い。これで充分だろう。どうあっても登場人物は作者、読者を認知出来ないのだ。私達は普段、何気なく創作物を目にし、何気なく批評を下す。自分だけ読者である、創作物の外側であるという保証はどこにもないのに。もしかすると、私が文を書いていることさえも、そういう話の展開に過ぎないのかもしれない。作者が、読者が、そんな私を見て笑っているのかもしれない。そこで私はせめてもの抵抗として、とある仮説を綴ることにした。私が登場人物であることが事実であるとして、君たち読者が、そういう設定の登場人物でないという保証はどこにある?つまり、私の文を読んでいるという設定の登場人物でないと、どう証明する?君たちの生きている世界は現実か?ただの創られたステージであるにもかかわらず、現実と錯覚しているだけでは無いのか? この仮説は正しいのか間違っているのかは私には分からない。よってこれはただの駄文だ。さぁ読者諸君。精々、駄文に書かれているただの妄言に、頭を悩ませるが良い。これが私なりの抵抗だ。まぁこれさえも、作者に言わされているだけかもしれないのだが』

 文は、ここで終わっていた。
 男は黙って紙を床に置いた。言葉が出なかった。この文章を読んだ途端、自分の状況がそうとしか思えなかった。真っ白い空間。まるで、物語に必要な要素以外、全て取払ったような。必要なもの以外何も無い部屋。まるで、男にこの文章を読ませるために用意されたような。そんな気がしてならない。
 自然と、残りの2枚の紙が目に入る。読んだ方が良いのだろうか。知りたくないことを知るだけかもしれない。しかし、今他にできることは何も無い。となればやはり、読むしかないだろう。
 2枚目にもやはりぎっしりと文章が書かれており、上部にはタイトルが刻まれていた。
『フラクタル』
 またもや聞き慣れない単語だ。英語か何かだろうか。考えていても仕方がない、ともかく読んでみよう。そう思い、男は文章を読み始めた。

 しかし、途中まで読んだ所で、男は紙の束をぐしゃぐしゃに丸めて部屋の隅に投げ捨てた。
 文章の内容自体は小説の様であった。

『フラクタル』
『男が目を開けるとそこには、真っ白い天井が広がっていた。
 まだ寝ぼけているのかと思い、男は2,3度、目を瞬かせた。しかし、目の前に在るのは色を失ったような天井のみ。
 男はゆっくりと身を起こす──────