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「センス」を嫌う人たちへ

「君には"センス"がないね。」

実際に言われたことは無いけれども、周りの優秀な友達と比べてしまうと、そんな風に自分が言われているような感覚に陥る。

「センス」という言葉は、出来ない自分に対しての言い訳だったり、逃げ出したい時に使ってしまうネガティブなイメージを持っていたが、その正体を知らないままでいた。
というか、見ようとしなかった。

本屋をブラブラ徘徊していると、目にビビッと入ってくる一冊があった。
私は、直感をなるべく信じたいと思う人なので、購入し、読んでみることに。

グッドデザインカンパニー代表の水野学さん「センスは知識からはじまる」という著書に、センスの正体が書かれていた気がした。

水野さんは、センスの定義についてこのように記している。

「センスのよさ」とは、数値化できない事象のよし悪しを判断し、最適化する能力である。

確かに、「イチローは、バッティングのセンスがいい」というのも、どのくらいの打率を残して、どのくらい活躍できたらセンスのいいバッターになれると言えるものではないし。
「大野智は、絵のセンスがいい」というのも、どのような絵をどのように描けたらセンスがいいと決めつけることができる訳でもない。

つまり数字では分からないような事象を、私たちは”勝手に”センスがあるかないか判断しているということになる。

「勝手に」と言ったが、私たちはあらゆる対象を見たときに、無意識のうちに他の人や物事と比べて優劣をつけているのだと思う。

「イチローは、バッティングのセンスがいい」と言う解説者の人は、これまでたくさんの選手を見てきている中で、いい選手と良くない選手を区別できる"普通"という基準を持てるようになった。
だから、イチローのバッティングだったり、こだわりを目の当たりにするときに、「センスがいい」という言葉が出てくるのだろう。

"センス"という言葉は、先天的なものだと勘違いする人が大勢いるだろうし、私もそのうちの一人であった。
世の中には「天才」という部類も少なからず存在するのは間違いないし、そんな人がセンスという言葉を牛耳っている節があることを否定はできない。

しかし、「センスは手に入れられるもの」であると知った。

様々な知識を蓄積していくことで、物事を最適化させていければ、「いいもの」や「悪いもの」がわかるようになり、両方を知れば「普通」がわかるようになる。
普通がわかれば、「普通よりとてもいいもの」を作り出せる方法がわかるようにもなってくる。
その体現が「センスのよさ」へと繋がっていくのではないかと自分の中で理解することができた。

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ここ数日間、センスについて考えてきたおかげで、「センス」という言葉を嫌うことからは解放された気がする。

これからは、自分には存在しないと思っていた「センス」を育てるために、「普通」を知れるようなことを意識的にしていきたい。

具体的には?
そうだなぁ。
非日常的であることをやってみる。

例えば、私は髪を染めたことがないので、髪を派手な色にしてみたり。
例えば、私は料理をしたことが皆無なので、レシピ本を買ってみたり。
例えば、私は友達といることが好きなので、ひとり〇〇をやってみたい。

今まで自分が日常とされてきて知らなかったことを、知ってみること。

そんな学生生活最後の夏休みにできればいいな。

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