ポニーテールのあの子
頑丈そうに見える曇りガラスはバリーンと綺麗な音を立てて崩れ落ちた。
音が最初だったか、割れたのが最初だったか。わたしの右のつま先を退く前だったのか後だったのか。現象のそれぞれが混じり合わない平行線のようにバラバラの事象に見えた。
世界の常識は本当に正しいのだろうか?
小学校低学年の時、わたしはまだ自分で髪を綺麗に結うことができなくて毎朝母に髪の毛をポーニーテールに結ってもらっていた。
緑の柄の櫛。茶色のゴム。
洗面台の鏡の前で、母が器用に髪を束ねて結うのを眺めるのが好きだった。ポニーテールはしっかりとまとめ上げらて、少し痛いくらいだった。たしか茶色のヘアバンドもつけていたかもしれない。
その日の朝はなぜか母は庭にいて、呼んでもなかなか来てくれなかった。
わたしが母を呼ぶ声はだんだん乱暴になっていく。学校に遅れちゃうよ。
母が庭で何をしているかはわからなかった。
突然、わたしの中の何かがプツンと切れて、庭にいる母がわたしに気付くようにガラス戸を蹴った。「突然キレる子」はまだ巷では流行っていなかった。
お母さんはすぐに気がついた。大成功だ。いや、違う。
庭に面したガラス戸の下半分の曇りガラスが派手に割れてしまった。
ガラスを破ろうとなんて思っていなかった。
気づいてもらいたかっただけなのに。いや、それも違うのかもしれない。
「何やってんのよ!」お母さんの怒鳴り声とともにげんこつが飛んできた。
「何がしたいのよ!これから仕事なのにどうすんのよ!」
空間に取り残された頭の中でわたしは今晩お父さんに怒られることを想像していた。
母が床に血痕を見つけて、わたしの右足の外板がガラスで切れていることがわかると、母の注意がガラスから外れてホッとする。
足は痛くなかったというより何も感じなかった。
生まれて初めて麻酔を打って何針か縫って、実際の怪我以上に見える包帯が巻かれ、学校に遅れて行ったことが、少し誇らしく感じたのはなぜだったのだろう。
誰もいない学校の下駄箱。つま先が赤い上履きと来客用の緑色のスリッパ。
その日、髪の毛は結ってもらえたのだっけ?
弟はどうやって保育園に行ったのだろう?
穴の開いたガラス戸はその日どうしたのだろうか?
いつどのタイミングで元通りになったのだろう?
あの時は何も感じなかった足の傷は、治癒していく過程は長くて、痛かった。
傷は消えなくてもいい。今でも右足に残ってる。
あの日のことを、あの時のわたしと確認する。
傷はまだちゃんとここにある。
なかったことにしたら、あの時のわたしがずっと悲しむから。
思い出すまで、あの時の痛みはずっと残るから。
あの日、右足の外板に打った麻酔は脳みそまで回って記憶を消してしまったのだろうか?
右手に櫛、左手にヘアゴムを持って、庭にいた母を呼びに行った時、窓から見えたのは、出かける準備を終えた母と弟が楽しそうに庭の植物を摘んでいた姿だった。
怒りの裏には悲しみが。
悲しみの裏には愛情が。
あの時のわたしの感情を、今やっと確かめる。
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