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何を頼りに街を歩くか

以前、「少しだけ迷子になる」というエントリーを書きました。

まだまだ知らない街を訪れるのは難しい状況ですが、街歩きを再開できる可能性も少しずつ高くなってきたので、どんな振る舞いをしてきたか「歩き方」を思い出してみます。

自分の場合は、ゴミ収集所に貼られた分別表・回収表を眺めるのが好きで、見かけると写真を撮るようにしています。調査・分析のためではなく、メモをとるような感覚で。

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街を知る前の儀式的に、自分がその街でゴミ出ししている姿を想像してみる。分別表をたくさん集めて比較するとか、隅々まで見つめるとかではなく、「引っ越しのゴミ、いつ出せるんだっけ?」くらいの気持ちで、スマホに画像メモを残しておく。

なんだか、このよくわからない儀式をしてから街を歩くと、指定ごみ袋取扱店を起点に商店街に手がかりが見えてきたりします。

見えてくると言っても、本当に些細なことで「酒屋でもたばこ屋でも、文房具屋でも指定ごみ袋を売っているなぁ」という程度のことなんだけれど、店先をただジロジロみるわけじゃなくて「ここでもゴミ袋を扱ってるんですね」という街歩きの1つ目のライセンスを得られるというか。

決して知らない街に「馴染みたい」というわけではなりません。ただ、歩いている自分を俯瞰するには、生活している仮の姿の自分も一緒に歩かせてみると視点の移動が容易になるのかな、と考えているんです。想像する幅を少し拡げるための準備運動のようなイメージです。

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忘れないように記録する

ゴミの分別表・回収表に限らず、街歩きのときにはよく写真を撮ります。SNSにアップすることも多いです。

気持ちとしては「忘れないように記録する」が近い。整理して体系化するわけでもなく、日々見えるものを愛でている。誰かが考えた仕業や仕草の痕跡を忘れずにおきたいのかもしれません。

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あとは、子どもと公園に行ったときに、うちの子がなんとなく近くに居る他の家族に紛れた瞬間を撮るのが好きです。違う家の子のように見える、自分の子。知らない誰かと一緒に夕日を見つめてたりすると、すごく良いですね。
その感覚で公園を見渡すと、「もしかしたらあの子がうちの子かもしれない」という気持ちに、ちょっとザワザワしたりして。

先日もショッピングモールのゲームコーナーで、仲良し親子グループに馴染む子の姿を撮影。自分でも何を残したいのか謎ですが、日々こんなことをしています。

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いわさわたかし(岩沢兄弟)


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