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小説【イチコー弓道部!!】第1章「2人の新人」001

弓道場は初夏の清々しい陽だまりがうずいている。

昨日激しい雨に洗われたせいもあって道場の三方を囲う豊富な木々に生えた新緑の隙間をくぐり抜け、静かな道場内まで差し込んでくる。

引き分けられた弦の音がミシミシと小さく伸び伸びと喚く。鳥たちの鳴き声が漏れ聞こえるが、そうしたのどかな状況も集中力を助長させる要素として昇華していく。

28メートル先にある5つの的が物静かにこっちを見つめていた——。

全てが「そのとき」を静かに待つ。的付けと精神が整えられるのを基軸として的中に必要な条件をそろえ、さらにその一致を待っていた。

そこには2人の青年がたたずんでいる。一方は袴姿の短髪、もう一方は半袖の制服姿で荒れた寝癖は昨夜の寝相を物語っていた。

俺は何も悪くない、俺が正しい、悪いのはヤツだ、俺は大切な仲間をかばっただけ——

この後に及んでなぜか彼の気持ちを掻き立てたしまう心のひとりごと。

張り詰めていたあらゆる物事が一気に解かれるように矢は放たれた——。

結果は一瞬で判明する。彼が射た矢は的の真ん中を見事に貫く。瞬時に心地良い音が道場へ返ってきた。

新入部員候補の1名を前に実演し、的中してみせた堤悦人はしばし清々しい思いに暮れていた。

ここから見ても正鵠(的の真ん中)に命中したのは明らかだった。悦人は〈残心〉を取ってゆっくり呼吸を整え両足を閉じた。

ようやく斜め後ろから静かに見学していた上野俊助の方へ得意げな顔を向けた。

「なるほど。かっこいいじゃん」

目を見張りつつ感心した彼は本当に心から感心しているようであった。

「まあな」
「あたった位置は関係あるのか? 真ん中は高得点?」

俊助は両ポケットに両手を突っ込んだまま前のめりになって無邪気な疑問を素直に言葉に置き換えていく。

「関係ない。的に中るか中らないか、それだけ。4本のうち的中した本数で勝負が決まる」

悦人の説明は短くて簡単だったが、どことなく宿命的な重みのあるものだった。

「的にあたりさえすればいいってことか。簡単だな」

小刻みな頷きで俊助は確認を取るようにあるいは納得するように言った。するとそうした軽々しい言い方へ畳みかけるように悦人は、

「でもそこが弓道の難しいところだ。単純に見えるけど奥は深い。命中させ続けるためには、いろんな条件を満たして、しかも満たすだけではなく全てを一致させないと。もちろん的中させることだけが目的じゃない。心身共にあらゆるものを体得することが大事だよ」

そう言われても俊助の中ではまだ弓道は楽そうに見える競技に過ぎなかった。素人なら最初はそう見られることは悦人も承知の上であった。

「心と身体の状況、弓の持ち方、構え方、あらゆる条件を一致させないと的に矢は中たらない。一つ一つの動作に意味がある。簡単そうに見えるけど簡単じゃない。やってみればわかるさ」

すると俊助は28メートル先に均等に5つ並んだ的を見つめながら考える。二つの選択肢が彼の思考の檻の中で出口となりうる扉を探しあぐねていた。

「家に帰ってダラダラ過ごすより、いいと思うぜ。先輩たちも先週引退したばかりだし外部からの指導者も今のところいない。自分たちで教え合って練習している。ここの環境はお前にぴったりのはず。俺たちの世代の引退まであと一年あるし始めるなら今だぞ」

両手を頭の上で結ばせて、的の方を見ながら考え込む俊助。

「だけどよ、家に帰って見る配信アニメが至福のひとときなんだよ」

「いつでも見られるアニメか、リアルタイムの青春か。どっちがいい?」

「そ、それは……」

つい俊助の時間が止まってしまう。その二つを前に思考を提示されて思わず時間が止まってしまった。

するとそのとき一人の女子生徒が紺色のジャージ姿で控え室に入って行く光景が二人の視界に入り込んだ。

黒い艶のあるショートヘアに主張性のある鼻筋、うっすら肌が焦げてスポーティな細い容姿が2人の前をさっと通過していく。

「あれっ?」と俊助が心当たりにぶつかるのだった——。

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